20__仮初めの妃と 宰相の補佐官 2
5日目の続きです。
___視点:〔森の妖精〕- リーゼロッテ=サフィール___
「 ––––––––––––国境で、何が遭ったのですか?」
魔法使いは、思い出した様に 別の話題を切り出した。
問題を摩り替えたと判っていたが、ラノイとシズは 敢えて それに觝れなかった。
涼しい顔で、黄金桂を啜っている。
尤も、あっさりと見遁されたのは 今だけだ。
怕らく、後で 双方から詳細を問い質されるだろう。
そうと判っていても、彼女が何者であるかを知らないエディンの前で談す事は 憚られたのだ。
「復興費用と、仰有っておられましたが」
「先月の末に、その………災害が起きたんです」
魔法使いの問いに答えたのは、クランツだった。
〔森の妖精〕である彼女を気遣ったのか、国王の側近は 言い濁していた。
たった これだけの事で察したのか、銀髪の美女は 美眉を寄せた。
僅かな変化だったが、彼女に注目していた者達は この変化を見遁さなかった。
ソファに掛け お茶を愉しむ3人は、密かに息を飲み込んでいた。
エスファニアの魔法使い-こと〔森の妖精〕は、何10万人といる魔法使いの中でも 序列が高い。
高位の魔法使いになれば なる程、他の魔法使いの動向を把握しているモノらしい。
この事は 魔法使い達の戦闘を語った『お伽噺』にも盛り込まれている。
それだけに、3人には 彼女が何を察したのか 悟ったのだ。
「それは 北の、ですか?」
何の情報もなく 災害地を限定してきた事で、予測が正しいと知れた。
淑やかで 慎ましやかな様子を見ていると、どうしても 彼女が『高位の魔法使いである』と云う事を忘れる瞬間がある。
シズと クランツは、特に そうだった。
その為、災害の譚を聴かせる事になってしまったのだ。
シズは、エディンが入って来た瞬間に この譚であると察して 追い返さなければならなかった、と 懺いていた。
クランツは、災害の譚について 瑣々やかな情報も口にしなければ良かった、と 後悔していた。
懺やんでも悔やみ切れない想いを秘めて、喑黙っている。
沈黙する宰相・側近に変わって、災害に関する調査報告書と 復興費用の概算書を持って来たエディンが 魔法使いの問いに答えた。
「はい」
答えたエディンの睛にも、魔法使いの表情が曇った事が判った様だ。
先月の末にラッケンガルドを襲った その災害は、自然のモノではない。
北の国境線-近くで、魔人達の戦闘が遭ったのだ。
この魔人達は、北の無国家地帯に支配区域を構えている。
戦闘-自体は その無国家地帯で行われていたが、放たれた魔法の余波が ラッケンガルド王国領にも及んでしまったのだ。
勿論、魔法使いが ラッケンガルドへ来る前であり、ラノイも この事を談してはいない。
それでも、この嫋やかな妖精は 災害の場所も原因も把握しているのだろう。
最早、譚を乖らす事や 誤魔化す事は、不可能だ。
そう惟って、ラノイ達-3人は 口を閇ざした。
「 …………それが、何か?」
魔法使いの素性を知らないエディンだけが、小首を傾げている。
「その際、お怪我を爲さった方も いらっしゃったのでしょうか?」
彼女の 最重要事項は、被害者の有無であり その怪我の度合いである。
それを察して、ラノイは 重い口を敞いた。
「 ––––––––––––逃げる際、何人かが転倒したと報告を受けたが、直接の人的被害は報告されていないな」
ラノイの判断に同意したのか、シズは、首だけを巡らせて 背後のエディンを見た。
「エディン、損害は?」
「村から離れていたので、家屋・田畑・家畜への 直接的な被害は、殆どありません。啻、田畑への水路が分断され 街道が瓦礫に覆われておりますので、復旧するまでは 或る程度の影響が出るかと」
書類に睛をくれる事なく スムーズに答えると、魔法使いは 蒼い瞳を閇じた。
《 12日前………〔荒れ地〕の魔人達の戦闘………開戦時間は、22時37分。》
数10万人 存在する魔法使いの中で、彼女の序列は 300番台。
自他-共に認める 高位の魔法使いだ。
それだけに、視えるモノの範囲も規模も 尋常ではない。
世界-各地での魔法使いの戦闘は、知りたくなくとも 視えてしまう。
古今東西、綜ての戦闘は、上位の魔法使い達には 筒抜けなのだ。
この能力を 希んで使えば、過去の戦闘を択んで観戦する事も可能である。
今-將に、その能力で 12日前に遭った魔人達の衝突を視ているのだ。
閇じた瞼の裏に 流れる映像に、惟わず 眉が寄る。
《 国境-近くの〔荒れ地〕に 5っ、国内の森林に 3っ。その内 2っが、北の国境-近くにある邨の 傍に。》
密め切れない溜息が、ふっくらとした唇から零れ隕ちる。
12日前にも観た戦闘を 録画してあったかの様に 鮮明な映像として再生し、正確に損害の度合いと規模を測った。
放たれた魔法の余波に因って 幾許か地形が変えられた場所を視て、魔法使いは思案する。
長い睫毛の陰に隠されていた蒼い瞳が 僅かに覘き、中空を見据えた。
「 ………… 」
熟慮している彼女を前に、シズとクランツは 掛ける言葉もなくしていた。
ラノイを含め 3人共が平素の表情をしているが、その内 2人は、内心 穏やかではない。
彼等は、未だに心の中で 己れを罵っていた。
そんな2人に気付かなかったのだろう。
沈思し 喑黙っていた魔法使いは、意を決した様に 真っ直ぐラノイを見た。
「わたし、そちらへ参っても宜しいでしょうか」
必ず言い出すだろうと惟っていた為か、ラノイに動揺はなかった。
「ならば、私も往こう」
寧ろ 待ち構えていたかの如き返答である。
「なっ」
これに エディンが喫驚し、シズが肩を竦め、クランツが苦言を飲み込んだ。
シズと クランツに於いては、自分達の失態だと判っているだけに 文句も言えなかった、と云う攸だろう。
普段なら 国王の我儘・身勝手に苦言を呈し 抑止力となる2人が、その力を失くしているのだ。
単純に考えれば、ラノイの意思が通らない状況ではない。
しかし、常識人の魔法使いが これを否定した。
「いけません」
毅然とした声が ラノイの意思を拒絶した事に、エディンが喫驚した。
「これは、わたしの役目です。ラノイ様は、ラノイ様の お役目を果たしてください」
エディンを肇め、大臣・高官・官吏達の間に定着している『一方的な印象』とは 真逆な発言だったのだ。
切長の吊り睛を 大きく瞠って、或る種 不躾な程 魔法使いを見据えていた。
宰相の補佐官が 息を飲んでいる中、ラノイは 銀髪の美女と視線を併せる。
「しかし、そなたを片時も離したくはないのだ」
真顔での反論に、魔法使いの美眉が 顰められた。
「そ、その様な我儘………王たる お方のご発言として、相応しいとは惟われません」
少々 怯んでいるのは〈魔法使いの眼〉で ラノイの心の中を視てしまった為だ。
日頃、ラノイの心は詠み難い。
複数の事柄を同時に考えている事が多く、そうでない時であっても 複雑に物事を捉えているせいだ。
詠める場合のほうが、稀なのだ。
その為、詠めた事に驚き、更に『片時も離したくはない』と云う言葉に詭りがなかった事に 怯んだのである。
「そうだ。私は、1人の男として そなたを傍に置いておきたい、と 言っている」
ブレる事のない主張に、彼女のほうが狼狽え始めていた。
併せている眼線から 言葉に詭りがない事が伝わり、更に動揺していた。
「っ––––––––––––だ、駄目です。この後も お仕事が、あるのでしょう?」
魔法使いは、最後の部分だけ 補佐官-エディンを見て そう問い掛けた。
「は、はい」
気圧され通しのエディンは、軽く狼狽しながらも そう返答し、頷いた。
「クランツ様や シズ様が お手伝いくださっているのに、国家に関わる綜ての事柄に対し 決定権を持つラノイ様が、それを蔑ろに爲さるなど……… 」
「そう 大袈裟に考えるな」
国務を放り出そうとするラノイを牽制しようと、魔法使いは 言葉を重ねる。
そんな〔森の妖精〕に対し、ラノイは あっけらかんとしている。
「ほんの数日 被災地を見舞うくらい、何とでもなる」
執務室では 膨大な量の書類に眼を通し、政務室では 各地からの報告を含めた 政策に関する決定に臨む。
これが、毎日の 国王の仕事だ。
その中で『決して 宰相に任せてはいけない仕事』は、有るには有るが そう多くない。
シズが 国王の代理を勗めれば 数日の視察は可能と云うのは、間違いではない。
「いけません」
しかし、だからと云って 気軽に放棄して 予定外の遠出をするなど 言語道断だ。
魔法使いは、そう諌め続ける。
「王が 視察に赴くともなれば、警護の方達の手を煩わせてしまいます」
「 –––––––––––––––はっ?」
エディンは、直前の言葉の意味を飲み込めず 素っ頓狂な声を出した。
王が動けば 護衛を附けざるを得ない。
これは、当然の事で 理解が出来る。
しかし、その発言の意図する攸は 納得が出来なかった。
自分-独りであれば 護衛もなしに行動出来る、と 暗に示していたからこそ、脳が 自動的に拒絶した –––––––ある筈がない、と。
「 ––––––––––––お妃、様は………お独りで往く気、なので………?」
耳にした言葉を疑いながら、問いを呟いた。
これに、明解な答えが返された。
「勿論です」
迷いのない声と 決意の表れた瞳に、エディンは 息を飲み込んだ。
彼は、多くの大臣達と同じく〔獅子王〕唯一の妃は、その姚しさで王を篭絡し この国を食いモノにする魔性の女なのだ、と 頭の何処かで決め付けていた。
有り得ない程の美貌が、この根拠のない噂を 然も確定事項の様に惟わせていた。
それ故に、邪魔な存在だとしか感じていなかった。
粗を見付けたら シズに報告して排除しようとすら考えていた。
しかし、初めて 間近に彼女を見て、その気品に驚いていた。
更に、初めて 直接 言葉を聴いて、その高潔さに驚かされていた。
「わたしが ラノイ様の許にいる と云う事は、この王宮にいる方達しか知り得ないのです。単独でいても、誰かに襲われる事はございません」
自分の為に 護衛の手数を揃える必要はないと示され、エディンは言葉を失った。
確かに 正論ではあるが、それでも 危険がない訳ではない。
この姚しさだ。
単なる 野盗や破落戸の眼にでも留まれば、何をされるか知れない。
それなのに、気丈にも 独りで往くと云うのだ。
そして、驚くべきは エディン-以外の3人が 平然としている事だ。
まるで 当然だとでも言いたげに構え、反論も 抗弁もせずにいる事だった。
違和感のある対応にも戸惑いながら、エディンは 魔法使いを見た。
「ですが……… 」
10分前までは 目障りだと惟っていた妃に、エディンは やんわりと苦言を呈する。
「何が遭るとも限らない、の では?」
「その時は、自分で対処致します」
きっぱりと答え、ラノイを見る。
ラノイは、晣らかに 不服そうな睛をしている。
勿論、単独で出掛ける と云う魔法使いに対する 抗議行動の1っである。
「夜までには 戻ります。どうか、この身の勝手を お赦しください」
この王宮から 北の国境にある村までは、馬を飛ばしても 5時間は縣る。
つまりは、今から出ても『夜までには戻る』と云うのは 物理的に不可能な距離である。
而も、今は 村の前で街道が分断されている為、更に 時を費やす事となるだろう。
その事を知っている筈のエディンは、唖然としていた。
もう 声も出なかった。
驚きが佚ぎて、これらの疑問すら泛かばなかった。
「 –––––––––––––––判った」
深い溜息と共に、ラノイが折れた。
全面的に了承を得たのだ と惟ってか、魔法使いは 僅かに肩の力を抜いた。
ほっとした彼女へ、ラノイは 確認する様に問い掛ける。
「見舞いに出向く事が 目的だな?」
「はい」
「それが済めば、戻って来るのだな?」
ラノイは 云うに及ばず、シズやクランツの関心も 其処にあると云って良い。
今の魔法使いは、戒縛の仂で逮えられ『仮初めの妃』にと 仕立て上げられた立場である。
監視の眼などから解き放たれれば、彼女を縛るモノはない。
ラノイの具える戒縛の仂は 強力だが、その影響は 永遠ではないのだ。
単独で王宮を離れた彼女が エスファニア王国へ帰ってしまえば、ラノイ達には どうする事も出来ない。
故に、念入りに約束をさせているのである。
「此処に戻る と、お約束致します」
知り合って数日ではあるが、判っている事がある。
この嫋やかな魔法使いは、約束を守る。 常から そうしようと努力してくれる。
軽い口約束であっても、準備を経て きちんと叶えてくれる。
それだけに、約束を立ててくれた魔法使いに、シズやクランツは ほっとしていた。
尤も、ラノイだけは 追及の手を綯める気はない様だ。
「条件がある」
この状況で、譲歩するに當たり 必須の条件を提示しよう、と云うのだ。
厭な予感でもしたのか、吾-知らずの事なのか。
魔法使いは、反射的に 身構えた。
「戻った後は、私の許に ずっといる、と 約束をするか?」
其処まで 真顔で問い掛けていたラノイの口許に 小さな変化が起きていた。
同時に、切長の黒い瞳も 妖しい光りを宿している。
「そ っ」
緲かだが、ラノイの 左の口角が上がっている。
誰が どう見ても、意地悪をしている人物の様相だ。
「アシュリー」
本人も匿す気がないのか、称を聘ぶ声にまで 人の悪さを滲ませている。
この条件を拒絶するのならば
単独での外出は認めない。
しかし、これを受け入れたならば
彼女の立場は『仮初め』ではなくなる。
名実-共に ラッケンガルド王の妃となる事が妥協案だ、と そう威して返答を迫っているのだ。
本来ならば、こんな小さな国の王の言う事など 聆く耳を持つ必要もない。
非公認とは云え エスファニア王の従妹姫であり、かの国の〔幼き妖精〕であり、高位の魔法使いでもあるのだ。
地位・立場・権力・魔力、どれを使っても、ラッケンガルドなど 簡単に拈り潰せるのだ。
それが判っていて こんな事を言い出せるのは、彼女の性格を知っているからこそである。
ラッケンガルドの受けた災害を 親切心で見舞おうと云う魔法使いに対して あんまりな条件だ、と 常識では惟う。
しかし、それを推しても〔森の妖精〕とは得難い存在だった。
そう惟っているからだろう。
宰相-シズも、側近の クランツさえも、ラノイの提案した『非常識な条件』に対し 口を挟まない。
「い、意地悪を 仰有らないで……… 」
繊細い声で、魔法使いが懇願した。
心優しい王妃が 胸を痛めている樣を、エディンは 複雑な表情で見遣っている。
「では、容認出来ぬ」
断ると判っていただけに、ラノイの笑顔は垉れない。
意地の悪い笑みを深めて、困っている魔法使いを見詰めている。
「ラノイ様」
態と困らせている事は判っていても、咎める事も出来なければ 諌める言葉も出ない様子だ。
魔法使いは、彼の名前を呟いただけで 言葉を途切れさせる。
但し、納得はしていないらしく 非難する様な睛を向けている。
しかし、その程度の事で怯むラノイではない。
「この譚は 此処までだ」
これ以上 談す事はない、と言いたげに、冷徹に会話の終了を告げる。
〔獅子王〕の発した低い声に、エディンは さっと青褪めた。
戦場の鬼神と謡われた 過去の異名に相応しい威圧感を含んでいたのだ。
クランツは、ソファに座って尚 倒れそうになっており、エディンは シズの座るソファの後ろに竚ったまま 身を強張らせている。
「 –––––––––––––………… 」
平気そうなのは、異母兄であるシズと、後宮へ迎えられたばかりの 唯一の妃である。
〔獅子王〕の威圧感を全開で放っているラノイは、それでも臆する事がない仮初めの妃を 興味深く惟っていた。
他を威圧している時でも 当人を威圧している場合でも、彼女は 決してラノイを悚がらない。
身内-以外では、珍しい反応なのだ。
「良いな?」
承諾を促されても、彼女は 不服そうに口を閇ざしている。
同意しかねると、沈黙が示していた。
「アシュリー」
返答を催促する洌い声に、クランツとエディンが 震え上がった。
シズ-以外の臣下が 卒倒しそうになっている状況でも、姚しい妃は 表情を変えない。
それでも、体調不良を訴えそうになっている者達の為に 返答だけはしよう、と 惟ったのか。
「は、ぃ」
とても 意に副わないと云った様子で、魔法使いは諾いた。




