19__仮初めの妃と 宰相の補佐官 1
5日目です。
___視点:〔森の妖精〕- リーゼロッテ=サフィール___
午前の休憩の時間に合わせて 内殿へ邀おうとしていた魔法使いの視界に、2っの人影が映った。
王族が居住する正寝殿の 南の廊下にいる魔法使いが見るは、中庭の木立の向う。
政に関する機関の詰まった内殿の 北の廊下だ。
何か気になったのだろう。
正寝殿の南の廊下にいた魔法使いは、人影を見付けて 趾を停めた。
《 ラノイ様?》
正寝殿と内殿との間は、100メートル近い距離がある。
人の気配と視線を断つ為の 広い中庭があり、其処に 様々な木々が植えられている。
王族が休息を求める正寝殿と 公務の場である内殿とを隔てる為に設けられた距離であり、植えられた木々である。
尤も、丈の高い樹木は 内殿に沿う様に植えられており、正寝殿からの眺めに圧迫感はない。
勿論、暗殺者などの隠れ場所にならない配慮を施されつつ、美しい景観を保っている。
つまりは、普通の視力であれば 100メートルも離れた上 木々で眼隠しをされた内殿の廊下を歩く人物など 見る事は惷か、その人物を特定する事すら出来よう筈もない。
これは、魔法使いが 綜ての光りを司る妖精であり、その能力を以て得た位置情報だ。
《 珍しい。》
政に関する機関が集約された内殿は、3階建ての東棟に 政務室があり、5階建ての西棟に 執務室があり、その間に 2階建ての資料棟がある。
この3っの棟を総じて『内殿』としているのだ。
ラノイがいるのは、東棟から資料棟を綰ぐ 北の回廊だ。
今は、午前9時をすぎた頃で、当然ながら まだ執務中の時間である。
もしも、執務に必要な資料が 東棟にあったのだとしても、国王であるラノイ-躬らが取りに出向く事などない。
事実、北の回廊を歩いているラノイの手に 資料らしきモノはない。
そもそも、クランツが 簡単に執務室から出さないだろう。
西塔の5階にある執務室を出なければならない『余程の用事』でもなければ、この時間に この場所にいられる筈がないのだ。
一体 どんな話術を使って 側近を言い葆めて来たのか、などと云う考えは 泛かばなかった。
ラノイが 執務室を離れている以上に 珍しいモノを睛にしたせいである。
東棟から西へ伸びる北の回廊を渉っているのは ラノイ-1人ではなく、共にいるのは シズやクランツではなかったのだ。
魔法使いが 稀有だと感じたのは、その為だった。
《 …………。》
彼女の睛には、眼隠しの木立など 無いも同然だ。
生い孳る枝葉を透過して、その先にいる人物達が見えている。
内殿の政務室がある 東側から、幾つもの資料室がある 西側へと 廊下を進むラノイの後ろには、1人の青年がいた。
歳の頃は、20代半ばだろうか。
文官だと 一眼で判る、線の細い軀付きの青年だった。
《 何をしたのかしら………?》
ラノイは、不機嫌-そのままの様子で ずんずんと廊下を歩いて往く。
その後ろを、縋る様に 官吏の青年が追っている。
青年は、懸命に 何かを談し掛けながら、小走りで ラノイの迹を附いて往く。
晣らかに、普段の様相と異なっていた。
魔法使いは、視線の先にいる2人へ 更に意識を集中させてみた。
「陛下、お赦しください。もう、もう二度と、
二度とこんな事はっ。心を入れ替えて
これまで以上に尽くします、必ず!
そう誓います。ですから! どうか
ご慈悲をっ。陛下、どうか
お考え直しください!
お頼み申します、お頼み申しますっ」
青年は、追い縋りながら そう言っていた。
これに対して、先を歩くラノイは 無反応だ。
後続の青年が何を言おうと、吾-関せず と云った様子で 進んで往く。
「どうか、お見捨てにならないでください!
どうかっ。あんまりです、この度の
お仕打ちは厳し佚ぎます!
到底 納得出来ませんっ。何故ですか⁈
あの程度の事で、何故 私をっ」
進む趾を停めたラノイは、顔だけを 後方の青年へ向ける。
そして、厳しい声を発した。
「お前は、これ以上の恩情が欲しい、と
そう申すか」
冷やかな睛が 官吏に向けられ、視線よりも洌い声が掛けられた。
これに、此処まで追い縋って来た青年は 凍り付いた。
「この場で棄てられぬだけ
マシであろうに………それでは
満足出来ぬのか」
ラノイは、声を猙げたのではない。
言葉に、嚇す様な凄味を含ませたのでもない。
啻、青年を瞰すラノイの睛は 侮蔑を含んだモノだった。
今-以上の情けを掛ける価値は見出せない、と 態度が示している。
「即刻 荷を纏め、西へ赴け」
何処までも穏やかに、何処までも冷徹に、そう言い捨てたラノイは 再び歩き始めた。
その後方で 人眼を憚らずに膝から垉れた青年を 中庭-越しに見て、魔法使いは 小首を傾げた。
青年は、資料棟の北の廊下に へたり込んだまま、嘆いている。
魔法で音波を拾っていた魔法使いの耳には、官吏の啜り泣きまで届いている。
確かに、ラノイは 恐れられている国王だ。
官吏達は、必要以上に近付かない。
そんなラノイに追い縋っただけでなく 何某かの意見を述べるなど、普通ではない。
これに対するラノイの態度も、洌い事-この上なかった。
《 何をしたのかしら。》
〔獅子王〕の異名を持つが、冷血な人間ではないと知っているだけに、疑問が湧いた。
多少の手抜かりではないらしいと察しはしたが、それが何かまでは 判り兼ねる。
だが、侮蔑に近い睛を向けるに値する落ち度だったのだろう事は 理解出来た。
「 ………… 」
相手は、政に関わる文官の1人だろう。
ならば、後宮に属する自分が口を出す領域ではない。
あの青年は、このまま そっとしておくべきだろう。
そう判断して、魔法使いは 視線を正寝殿の廊下へ戻した。
その背に、声が掛けられる。
「アシュリー?」
内殿の北の廊下から 正寝殿へ伸びる回廊へ踏み入るにつれ、眼隠しである中庭の木々の切れ目は 多くなる。
その為、正寝殿の廊下にいる魔法使いが見えたのだろう。
ラノイは、南北に伸びる回廊を 足早に渉って来た。
「アシュリー」
近付きながら称を聘び、腕を伸ばす。
竚ち停まっていた位置で ラノイを待ちながら、それでも 魔法使いの意識の幾らかは 離れた場所の青年に向いていたらしい。
其処に、僅かな油断があった。
「っ⁉︎ ––––––––––––きゃ」
止め切れずに悲鳴が零れたのは、自身の軀が 高く持ち上げられたせいだ。
ラノイは、魔法使いを抱き上げていた。
両腕で横抱きにしたのではなく、左腕の上に魔法使いを座らせる形で 肩の高さまで擁え上げたのだ。
無駄に天井の高い王宮でなければ、頭から背中までを 強打の上 痛打していた事だろう。
「休憩を待たず そなたに会えるとはな」
嬉しそうに言って、魔法使いへ 笑顔を向けている。
直前に、大の大人を泣かした人物と同一とは惟えない 霽れ霽れとした笑みだった。
一方、魔法使いは 喫驚し、硬直していた。
それでも、何とか 主張を発する。
「おっ、降ろしてください」
高みからラノイを瞰す形となった魔法使いは、ラノイの肩に手を置いて 抱き上げる腕から遁れようとする。
「暴れると 隕ちてしまうぞ?」
「隕としてくださって結構ですから、どうか 放して」
170センチ-近い高さから 床に叩き衝け様とも、魔法使いは 怪我-1っしない。
それだけの 運動能力がある。
歴戦を闘い抜き 無事に帰還する……これを爲せたのは その魔力量だけでなく、身体能力の高さがあってこそだ。
唐突に手を離された攸で、彼女なら 危なげなく着地する事が可能だ。
尤も、ラノイが それをするかとなると、否と答えるしかない。
「愛しい妃を隕とす夫がいると惟うか?」
この発言に、魔法使いが 眉を寄せる。
〔獅子王〕が仮初めの妃へ掛ける 甘い科白は、
縁談-除けの為に 臣下達へ向けて示される。
其処に愛情はなく、形式として 繰り返されるモノ。
これが、魔法使いの認識だ。
それだけに、誰もいない場所での過剰なスキンシップと リップサービスに、気分を害したのである。
早い譚が、揶われている と惟ったのだ。
だからこそ、睛にも声にも 拒絶の色が濃く表れる。
「お謔れは!」
魔法使いは、拮くラノイを見据えた。
だからと云って、これを向けられたラノイが動揺する様子など微塵もない。
判っていてやっている者が 動揺する筈がない。
「食事の間へ往くのだろう?」
これまで、魔法使いに手を出そうとした者は 多い。
それは、魔人であり 魔女であり、または そうではない者達であったりする。
〔森の妖精〕としての仂を求められたのであり、姚しい容姿が憙まれたのであったりした。
理由は 様々であったが、どの場合も 魔法使いを攻略出来ず 未遂に終わっている。
誰が相手であっても、彼女は 懐柔されない。
王侯貴族が相手であっても、抱き付こうなどとすれば 遠慮なく投げ飛ばされる。
ラノイが そうされないのは、戒縛の仂があってこそだ。
しかし、攘う事は出来なくとも 苦言を呈する事は可能だ。
抱き上げたまま 移動を開始したラノイに、魔法使いは 拒絶の色を強くした。
「自分で っ!」
其処まで言って、魔法使いは 言葉を途切らせた。
『 自分で歩きます!』
そう叫び 無理にでも腕から遁れたかったが、不可能になったのだ。
この場に、人の気配が近付いてきたのである。
そもそも、王宮の中では、圧倒的に 魔法使いの分が悪い。
今回も、正寝殿で働く 侍従官達や女官達の存在が、ラノイを味方した。
ラノイの視線の先に 厨房へ食材を搬ぶ侍従官達が見えた。
内心は どうあれ、魔法使いは 人前では『仮初めの妃』としての役目を果たそうと勗めている。
その事を 良く理解しているからこそ、ラノイは 勝ち誇った様に口角を上げた。
「私の剋ちだな」
にやりと笑んで、ラノイが囁いた。
抵抗を罷めた魔法使いを 腕に擁えたまま、ラノイは 内殿へと戻り始めた。
廊下の先から 数名の女官達が、内殿の西棟側の回廊には 官吏達が、姿を現した。
其々の仕事の途中に 此処を通った者達だ。
彼等は、国王と その妃の仲睦まじい様子を見付けて、微笑を泛かべたり 苦い表情になったりする。
それでも、畏敬を込めて 端に避け、礼を執る。
様々な反応をする官吏達の前を ラノイに擁えられた状態で通り過ぎながら、居心地の悪さを匿しつつ 溜息を零す。
降ろしてもらう事は諦め、抱き擁えられたまま 小声で尋ねる。
「先程の方は どうなさったのです?」
この言葉で、先程の遣り取りを見られていたと察したのだろう。
「 ………あぁ」
ラノイは、少し 決まり悪そうな表情を泛かべたが、それだけの事だった。
「官吏の中でも、要職に就いていた者だ」
《 と云う事は、高官の1人。》
官吏の上位である 高官の地位に就く者には、大きく分けて 2パターンある。
代々 高官に地位にある家の者であるか、実力を認められ 高官へと昇格した者か、だ。
後者は、圧倒的に尠い。
現-政府内には、僅か 数名-程度だ。
これは、優秀な者が尠い と云う事よりも、優秀な者を蹴落とそうとする愚者達のせいで 彼等が『日の目をみれない』為でもある。
故に、確率として 前者であると考えられる。
未だに 不正や怠惰・腐敗が根深いのも、旧-政府の時代の 悪習の名残りだ。
ラノイを肇め、シズや クランツが精力的に働き掛けているが、撲滅には 程遠い。
「が、この度の人事で『西方へ往け』と申し渡した事が 不満だったらしい」
《 つまりは、左遷。》
そうするに足る 何かをしたのだろう、と ぼんやりと惟う。
政府内の状態を察しているからこそ、これ以上は 問わなかった。
魔法使いは、先程の青年の様子を思い出していた。
名家の生まれであろうと 有能な家系の子息であろうと、ラノイは、本人を見て その進退を決定する。
高官であったとしても 地方に飛ばされれば、出世コースからは 外される。
《 それは、悲壮感も漾うわね。》
この時の魔法使いは、膝を衝き 絶望に染まった顔を思い出して、啻 納得していただけだった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:〔森の妖精〕- リーゼロッテ=サフィール___
執務室での 午前中の休憩時間に合わせ、後宮の女官達が お茶を搬んで来た。
魔法使いは、テーブルに陳べられた湯呑を見回した。
延いては、綜ての食器へも 視線を向けた。
毒は、湯呑にだけ塗られている。
これまでと同じく、遅効性で蓄積型の 微弱な毒だ。
《 この毒は、誰が仕掛けさせているのかしら。》
大臣達や 高官達の力関係が判らない為 魔法使いには断定出来ないが、ラノイ達は 目星くらい付けているだろう。
何故 遅効性で蓄積型の毒を使うのか、その理由を考えれば 犯人は自ずと絞られる。
自分の娘を妃に据えて、その後に ラノイ達が体調を坍して 牀に臥せる。
そんな未来を 惟い畫くが故の、遅効性の毒。
つまりは、その未来で 間違いなく政権を握れるポジションに昇れる人物だ。
ラノイが倒れた後 シズが政権を握る事がない様に、彼にも 同じ毒を盛ると云った念の入れようである。
《 王族の2人さえ消せば 実権を握るのも簡単、とでも惟っているのでしょうし。》
だからこそ、じっくりと時間を縣けているのだ。
それに引き換え、即効性の毒は 目的も単純だ。
啻-単に、唯一の妃となっている 素性の知れない異国の女が、目障りで仕方がないのだ。
魔法使いは、ポットを瞰した。
今日も、ポットの湯に毒を仕込まれてはいない。
池の端での密談の通り、黒幕達は 手段を変えてきたらしい。
黒幕からベロニカに、更には ミラベルの手に渡り ポットの湯に混入させられた即効性の毒は、その性質と目的上 1回分だったに違いない。
妃が淹れた お茶に因って 王や宰相を不調にし、結果 妃を追放させる計画だったのだから、1回分だけ渡せば 充分だ。
寧ろ、多く渡す事は 不要な危険を招きかねない。
妃の排除を目論んだ 黒幕の高官達も、ベロニカには 1回分しか渡さなかったろう。
そして、彼女が それ以上を欲しがっても、2度と 毒を調達させないだろう。
嚇しを含め、軽弾みな事をするなと 拮く言い聆かせている筈である。
ポットに 即効性の毒が混入していない事で、確信を深めていた。
ベロニカは 歯嚼みをしているかもしれないが、ミラベルは ほっとしている事だろう。
何にしても、昨日 手段を変えると談していた通り、黒幕達は、別の妃の排除法を講じるつもりなのだろう。
《 早ければ、明日か 明後日ね。》
最早、池の端で見聴きした事を ラノイ達に談す必要もない。
今は、次の手段に出るだろう黒幕達の動きを 手薬煉-引いて待つだけだ。
そんな事を考え、睛を細める。
《 わたしを排除する方法を優先してくれるなら、この先の行動が詠み易くて援かるわ。》
時々 ミラベルの様子を見ているが、彼女は 今も俯くようにして生活している。
厨房の者達が心配していても、勿論だが その理由を談せはしない。
理由を知っているベロニカは、懺いや 罪悪感を懐かない人間だ。
未だに 魔法使いが〔獅子王〕の妃と云う座に就いている事が、堪らなく 赦せないのだ。
顔を併せれば 愚痴を喚き散らし、苛立ちを ミラベルへ打付ける。
そんな性格の女性だ。
寧ろ、ベロニカのほうが ミラベルへの害が大きい。
《 近い内に………。》
何か策を打たなければと惟っている魔法使いへ、声が掛けられた。
「姫?」
シズの問い掛けた声は、幼い魔法使いには 届いていなかった。
「 –––––––––––––………… 」
思案に耽っている様子に、ラノイとシズが 顔を併せた。
僅かに 睛で語り合った後、ラノイは ソファから腰を上げた。
廊下へ続く隣室へ出る攸だった女官達は、普段とは異なる魔法使いの様子に 惟わず竚ち停まり 眼線を交わしていた。
だが、それですら 魔法使いの意識の外である。
相変わらず考え込んでいる彼女へ、再び 声が掛けられた。
「アシュリー?」
ラノイは、問うと同時に 魔法使いの肩を 軽く敲いていた。
その為、流石に気付いたと云った攸だろう。
彼女は、緲かに顔をあげると 睛を瞬かせた。
「ぁ……… 」
魔法使いは、自分が思案に呉れていた事に 漸く気付いた。
そして、自分の顔を覗き込む様にしている ラノイに気付いた。
《 っ⁉︎ ––––––––––––ちっ、近い!》
不意に間近で見た 美女ばりの美丈夫の顔に、硬直した。
表面的には その程度だったが、勿論、内心は 悲鳴をあげんばかりに驚いていた。
執務室の出入口には、アイシアを肇めとする 後宮付きの女官-4人がいる。
物推いに耽るなど、してはならない行為だった。
況してや、悲鳴をあげるなどと云う愚行を重ねるなど 出来よう筈もないのである。
魔法使いは、呼吸を止めて 悲鳴を飲み込んでいた。
真後ろに竚ち 蒼い瞳を覗き込んでいるラノイも、離れたソファに掛けている シズとクランツも、彼女の喫驚は理解している。
シズに於いては、生煖かい笑みを泛かべて 傍観している。
相変わらずの光景の中、ラノイは〔獅子王〕として 魔法使いに尋ねた。
「どうした?」
3人の為に お茶を淹れる事もせず、テーブルを前に竚ち尽くしていたのだから 質問も当然だ。
最愛の妃を案じる〔獅子王〕の図を 後宮付きの女官達の前で示したいのだろう、と惟えばこそ、魔法使いも これに倣う。
仮初めの妃としての勗めを果たさなければ と惟いながらも、まだ硬直の解けない魔法使いは ラノイから顔を乖向けた。
硬くさせていた首の筋肉は 今も緊張から解かれておらず、頭も 滑らかには動かなかった。
「 ………いいえ」
声も、惟う様には出なかった。
一旦 口を閇じ 何とか口内を湿らせてから、再び 言葉を発する。
「何でも ございません」
そう答えながら、急須へ茶葉を入れ ポットの湯を注ぐ。
「何か 悩み事か?」
悩みがあったとしても、今-この状態で 正直に言えよう筈もない事は 彼等にも判っている。
その上で、女官達がいる前で そう尋ねているのは、意地悪からではない。
「頓でもございません。悩みなど……… 」
ある筈もない、と言いたげに 否定の意を示した。
会話を続けながら、3っの湯呑を 手許へ据える。
勿論、然り気なく、湯呑に塗られた遅効性の毒を消している。
「本当にか?」
ラノイが この問いを重ねているのは、当然の事だった。
何も悩みがなくて ああも考え込む事はないだろうし、茶器を前に何を考えていたのかは 朧げに判っている筈だからだ。
新たな毒でも仕掛けられているのではないか、との 遠回しの偵りなのである。
だからこそ、魔法使いも 詭りなく首を振れるのだが。
「ご心配には及びません」
妙な小細工をされているのではないと暗に示し、ラノイを振り皈った。
漸く 少し落ち着いてきた為、彼を見上げる事が出来る様になったのだ。
左手で シズ達のほうを示し ソファへ戻る事を促しつつ、しっかりと答える。
「大丈夫です」
「そうか」
短く零したラノイは、ソファへ戻り際に、執務室の出入口で竚ち停まっていた女官達を見た。
〔獅子王〕の視線を受けたアイシア達は、びくっと肩を強張らせ 惶てて礼を執る。
そして、急ぎ気味に 執務室を出て往った。
隣室から廊下へと出て往ったのを確認したクランツは、睛で その事をラノイとシズに伝える。
これを受けて、シズが 口を敞いた。
「どうしたんですか?」
本当の攸は何だったのか との問いに、魔法使いは 首を振った。
《 後で、問い質されそう。》
誤魔化す事は不可能だろうと惟いつつ、盆に載せた3人の湯呑に 茶を注ぐ。
今日の お茶は 黄金桂だ。
半発酵茶の中では 発酵度合いが浅く、淡い黄金色の お茶である。
淡い甘さのある 茶で、金木犀の馨りがする事から この称が付いたと云われている。
ふくよかな旨さがありつつも すっきりとした喉越しの、飲み易い茶である。
これは、ラノイの好む茶葉でもあった。
魔法使いは、盆を手に ソファへ邀う。
そして、ラノイの前へ 彼の湯呑を差し出した。
「ないですか?」
シズへも 湯呑を差し出して、魔法使いは 婉然と微笑んだ。
「はい、何も……… 」
雍かい笑顔で『ない』と答えようとした時、執務室の隣室に 1人の青年が入って来た。
「陛下、シズ様」
休憩中の 執務室の入口へ現れたのは、この春から 宰相の補佐官として勤め始めた 名家の子息だ。
権力のある名家の出ではあるが、それを傘に着る事はなく 勤勉で 実力がある。
それが認められ、補佐官の候補になったのが 去年の春先。
其処から 更に努力をし、先日から シズの正式な補佐官として起用された人物だ。
彼は、入室した途端、魔法使いの背を睨み付けた。
余談だが、突然 現れた〔獅子王〕の妃は、異国人である事-以外 謎にされている。
生国・身元・年齢など 綜てが不詳、としてあるのだ。
それは、魔法使いの希望でもあり、ラノイ達の都合でもあった。
王の周辺に渦巻く悪意や 嫉み・企みなどを懐く者達の睛を 彼女へ向けさせ、一掃する作戦の為に必要と判断した上での事だ。
「どうしました?」
晳ら樣に 妃を警戒し 敵愾心を示した臣下に、シズは 素知らぬ顔で声を掛けた。
「あ、はい」
宰相の補佐官 - エディン=オスカリウスは、気を取り直す様に 宰相の前に進み出た。
「国境-周辺の復興費用の概算が出来ましたので、お持ちしました」
「そうですか」
書類を手渡す青年を見て、魔法使いは 緲かに睛を瞠った。
蒼い瞳は、彼の首に巻き付くモノに 釘付けになっていた。
「 ––––––––––––どうした?」
彼女は、ラノイの問いにも答えられない程 驚いていた。
それを見て、ラノイは シズの横に竚つ補佐官を見た。
「エディンが 気になるか?」
この問いにも、彼女は 無反応だ。
クランツの湯呑が載った盆を手に、動きを停めている。
流石の 補佐官も、この様子は気になったらしい。
判り易く 眉を寄せている。
元より 拮い印象の顔が 撰り険しさを滲ませているが、それでも 魔法使いの睛には映っていなかった。
「アシュリー?」
ラノイに袖を引かれて、魔法使いは 吾に還った。
「ぁ……… 」
喫驚の余り 状況を考えずにエディンを凝視していた事に気付いて、彼女は 睛を閇じた。
細く長く、だが 密かに 溜息を零す。
「どうした?」
余りにも普段と違う反応だ。
ラノイの質問は、エディンの睛も考慮した上での『当然の問い』だった。
これに、魔法使いは 首を振る事はせず、言葉だけで否定した。
「いいえ」
何でもない、とは 言えなかった。
蒼い瞳に見えたのは、通常ならざるモノを紱った青年だったのだ。
だからこそ、喫驚し 動揺してしまったのである。
《 未熟………。》
心の中で 己れを罵倒しながら、彼女は ラノイへ睛を向けた。
「ご無礼を致しました」
ゆったりと、魔法使いは ラッケンガルド王へ礼を執った。
それから、エディンに向き直り 軽く頭を下げる。
「不躾であった事を お詫び致します。どうか、お赦しください」
盆を手にしたまま、丁寧な対応をする。
「あ、いや……… 」
やや言い濁したかの様な返答に、魔法使いは 小さくエスファニア式の礼を執った。
エディンは、正体不明の妃について 快くは惟っていない。
しかし、想定外の品の良さに気圧されたのだろう。
彼は、毒気を抜かれた様な表情で 異国の娘を見詰めていた。




