18__獅子王の魔法
まだまだ 4日目です。
___視点:〔獅子王〕- ラノイ=アシュリオン=ラッケンガルド___
アシュリーは、言った。
〔海の妖精〕は、對と巡り会えないまま
一生を終える可能性が高い。
そうでなくとも、對がいない 今、彼女は
幸福を感じる事なく生きている。
あの我儘女が そう云う存在だ、と言った。
これは、誰でも自棄になる状況だ。 そう得心した。
理解してしまうと、あの我儘女を断罪するのが躇われる。
交信の間は 斬り殺してやろうと決めていたけど、流石に 無理だな。
アシュリーに近付けたくはないけど、彼女の協力が必要な事も 判らないでもない……勿論、あの ふてぶてしい態度は 到底 許容出来ないが。
肚立たしさが消えた訳じゃないけど、もう 矛先を向ける気にならなかった。
「つまり、あれは、自棄の末の 我儘ですか」
僕の後ろでは、シズが 独白の様に呟いている。
流石は 僕の異母兄、考える事が似ているな。
尤も、アシュリーを知ってしまった僕とは違って、シズの声は 強い惘れを含んでいたけど。
「小さな子供の我儘の様でしたが」
僕の怒気から解放され 体調を取り戻しつつあるのか、クランツも 掠れた声で同意の言葉を零したのが 緲かに聴こえる。
だけど、僕は 賛同しかねていた。
アシュリーが いなくなったら、僕だって 理不尽を周囲に強いるだろう。
自分が 身勝手で横暴な八つ当たりをしていると理解していても、それを止められないだろう。
周囲の者達が 僕の心を慮って どんなに親身になってくれても、どんなに尽くしてくれても、だ。
少し想像しただけで、地獄だと惟う世界なんだ。
下手をしたら、あの我儘女よりも酷い事をしかねない。
そう惟うと、言葉にならなかった。
「皆様は 嘸かし不愉快な思いをされた事とは惟いますが、どうか」
アシュリーは、赦してほしいとは言葉にしなかった。
いや出来なかったんだろうな。
それは そうだ。
ついさっき、僕-自身が 殺気に近い怒気を放っていて、それを察知していた彼女は 僕達の不快の程を知っているんだから。
「アシュリーが気にする事じゃないよ」
「そうですね、同席したい と申し出たのは、吾々です」
僕とシズの言葉にも、アシュリーの表情は変わらない。
眼線を下げたまま、沈痛な面持ちで佇んでいる。
優しい魔法使い・綺麗な魔法使い・愛情深い妖精、僕の 大切な妖精。
《 そんな顔は しなくていいんだよ? 》
言葉にしても、アシュリーは判ってくれないだろうな。
まぁ、日頃が日頃だから 仕方がないんだけど、何か ちょっと淋しいなぁ。 信じてもらえないのは。
「だけど、無理はしてほしくないな」
このくらいの言葉は 届いてくれるよね? これで頷いてくれなかったら、流石に ヘコむよ?
僕の想いが通じたのか、アシュリーは 小さく肯いてくれた。
「はい」
緲かな肯定が返り、僅かに 肩の力が抜けたのが、掌に伝わってきた。
良かった、少しは届いたみたいだ。
ほっとしつつ、アシュリーを瞰す。
彼女は 小さくはない女性で、僕との身長差は 頭-1っ分くらい。
丁度、僕の顎の 少し下-辺りに 銀髪の小さめな頭がある。
後ろから抱き締めた時は、アシュリーの頭に 顎を乗せてみたりする。
本当は そうじゃなくて、って惟うんだけど、ね………アシュリーを悚がらせると 慄しいからね、クランツが。
だから、巫山戯ているとでも受け取ってもらわなきゃと惟うと、子供みたいな事ばかりしちゃうんだよねぇ。
おかげで、僕が本気だとは悟られてない訳だけど、これって 本気だって『判らせたい時』に苦労しそうなんだよなぁ。
《 こんなに 好きなのになぁ。》
いつ 伝わるんだろう……とか考えながら、アシュリーの肩から 右手を離す。
顔を上げさせたくて 手を伸ばして、気付いた。
「あ……… 」
今日、アシュリーは、淡い紫色の長衣を防寒着-代りに着ていた。
季節は 晩冬とは云え、春は遠く まだ寒い。
室内でも厚着をしているのは 当然で、何も可妙しい事はない。
僕が声をあげたのは、その肩の部分に 小さなシミがあったからだ。
はっとして 己れの右手を見ると、掌に 半月型の小さな傷が 3っ付いていた。
《 失策った! 》
そう云えば、交信中 強く握り締めていた様な気がする。
痛みを感じなかったから気付かなかったけど、どうやら 爪が掌の皮膚に食い込んで 傷になっていたらしい。
そのまま アシュリーの肩を掴んだから、彼女の服を 僕の血で涜してしまったんだ。
まさか、と惟いながら 左手も離してみれば、アシュリーの肩の部分に 同じシミが付いている。
《 失錯ったぁあ。》
艶やかな銀髪と 穹を写した様な蒼い瞳に、淡い菫色の長衣は 良く似合っていた。
勿論、昨日の 薄紅色も、アシュリーの雍かい雰囲気に合っていたんだけど、やっぱり 青や紫色のほうが 銀髪に映えるんだよね。
僕的に 気に入っていた色合いの服だっただけに、軽く ヘコんでしまった。
「 –––––––––––––………… 」
そんな僕を見て、不思議に惟ったんだろう。
アシュリーは、自分の肩を見た。そして、すぐに 僕の手を把った。
その掌にある 幾つもの小さな紅い涜れを睛にして、軽く瞠目したのが判った。
この傷が 如何にして付いたのか なんて、アシュリーなら すぐに察しただろう。
「あ……大丈夫だよ、こんなの………… 」
自責の念を懐いてほしくなくて そう言ったんだけど、遅かったらしい。
見る間に、姚しい顔が 無表情になってゆく。
他の人が どうかは判らないが、僕には 泣きそうになっている様に見えた。
「 ………… 」
そんな顔をするなって言いたかったんだけど、一瞬-先に アシュリーが動いていた。
白い手が、僕の両手を把った。
掌を上にさせたまま 自分のほうへ導き寄せると、そのまま 顔を近付けた。
傷口を間近から覗き込む様にした アシュリーは、ゆっくりと瞳を俛せる。
次の瞬間、掌に 吐息が掛かった。
「っ!」
ふぅ と、息を吹き掛けられただけの事で驚いたんじゃない。
不思議な感覚がしたんだ。
吐息-以上に煖かくて、僅かだけど 吐息-以上に甘美な感覚が。
食事の度・休憩の度に淹れてくれる お茶を飲んだ時に感じる、あの倖せな感覚とは 違う。
両の掌から沁み入ってきたのは、鋼鉄の理性を扼えて 慾を刺激する何かだった。
僕には、その感覚に憶えがあった。
《 甘露……。》
初めて会った あの日、アシュリーの首筋にキスをして体感した あの甘露だ。
あの時よりも 効果は弱いけど、1度 体感していただけに、察するのは早かった。
アシュリーの仂は、どんな形であれ、僕にとっては甘露に感じるらしい。
喫驚している間に、アシュリーは姿勢を戻し 僕の手を離していた。
《 これは………大層な誘惑だ。》
あの瞬間、掌に 唇が当たった訳でもないのに、指の先から肘までを 甘い痺れが突き抜けた。
將しく、誘惑だった。
勿論、アシュリーに そのつもりがない事は判っているが。
余談だが、初日の あの時-以来、僕は アシュリーの肌には觝れていない。
事ある毎に 抱き付いたりしているけど、直接 あんな悪戯はしていない。
次に 同じ事をしたら、理性が効かなくなる気がしたからだ。
それだけに、不意打ちの この甘露には驚いてしまった。
表には出さなかったけど 今し方の感覚に困惑していた僕は、彼女の表情に気付かなかった。
「 …………申し訳ございません、でした」
苦悩を滲ませた声で、僕は 吾に還った。
見れば、眼の前の 姚しい魔法使いは、形の良い眉を寄せ 蒼穹の様な睛を細め 色の白い頬を強張らせ ふっくらとした唇を真一文字に結んでいた。
一言で云えば、悲痛な表情をしている。
どうして、アシュリーは こんな顔をしているんだ?
僕が〔海の妖精〕の暴言に 苛立ったから?
交信を聴きたい、と言った 僕の我儘を聆き入れたのを 悔いている?
それとも、そもそも、交信を申し込まれている事を 匿し切れなかった自分に 恚りを覚えて?
《 違う、僕が傷を作ったからだ。》
忘れちゃいけなかったんだ、この娘は 心優しい妖精なんだって事を。
こんな小さな傷だって 表面に作っちゃいけないんだ。
而も、この状況で。
僕は、無意識の内とは云え、アシュリーを 追い詰めてしまったんだ。
「大丈夫だよ、こんなの……… 」
そう言いながら、自分の掌を見た。
其処に、傷はなかった。
「 ………… 」
あれは 治癒だったのか。
それも そうだ。 アシュリーなら、放っておかない。
あんな些細な傷に こんな顔をする優しい魔法使いなんだ、この娘は。
《 あぁ、顔を上げてほしいのに……。》
俯かせたくもないし、哀しい顔だって させたくないのに。
自責の念に苛まれる必要はないし、僕に対する詫びなんて もっと必要ない。
だが、謝っても駄目だ。
言葉は 今のアシュリーには通じない。
今は、どの言葉も 届かない。 そんな気がする。
《 仕方ない、あれを使おう。》
僕は、忘却の魔法を使う事にした。
これは、僕が使える魔法の 1っだ。
魔法には 幾つかの範疇がある。
大きく頒けて、加速系の魔法と 減速系の魔法だ。
僕が得意なのは、主に 減速系の魔法……と云うか、この範疇の魔法しか 身に付かなかった。
加速系の魔法のほうが 発動時の魔力消費やら集中力やらは尠いらしいけど、使えないんだから 仕方がない。
本当は、炎とか 風とかを操ってみたかったんだけど、どうやっても無理だった。
《 まぁ、この魔法も便利だから いいけど。》
僕は、俯いているアシュリーの頭に 左手を置いた。
「アシュリー」
名前を聘びながら、捷く 頭の中で呪文を唱える。
《 哀しまないで、悔いたりしないで………アシュリー。》
この名前は 北の国での『通り称』だから 完璧に効くとは惟えないけど、多少は 効力があるだろう。
「さっきの、何だったの?」
努めて 優しく、声を掛ける。
アシュリーは、ゆっくりと顔を上げた。
その睛から、僕の希まない光りは 消えている。
魔法使い-相手に効くか不安だったけど、どうやら効いてくれた……かも しれない。
忘却の魔法が ちゃんと効いてくれれば、この質問にも 普通に答えてくれるだろう。
《 どうか、答えて。》
祈りに似た気持ちで、僕は アシュリーの右手を見詰めている。
其処には、さっき〔海の妖精〕から手渡された 小さなモノが6っ握られている。
今 これについて問う程、興味を持っていた訳じゃない。
はっきり言って、忘れかけていた事だ。
アシュリーの気を乖らす為の材料を必死に考えて、思い出したのが それだったと云うだけ。
つまりは、忘却の魔法を使った事に気付かれず、今-暫くだけでも気を乖らせれば、それで いいんだ。
一先ず、傷を作った詫びは 後でしよう……と こっそり決意する。
そんな魂胆を匿した 僕の澄まし顔を見上げたアシュリーは、僕の視線を辿り さっきの質問の意図を察したらしい。
彼女は、下げていた右手を僕の前へ上げて 指を敞いた。
「 ………あれ?」
其処には、何もなかった。
《 白いのや 青いのは? 》
小さな白い石と 小さな青い石に見えたモノは、いつの間にか 仕舞われていたらしい。
問題は『いつ、何処に仕舞ったのか』だ。
そう云えば、僕の傷を痊す時には、もう 手にしていなかった。
だとすると、その前に 懐か 袖口に仕舞った?
いや、そんな仕草はなかった筈だ。
《 僕が、見落とした……? 僕が アシュリーの動きを見遁してた? 確かに 冷静じゃなかったけど、でも そんなに注意が散漫になってたかなぁ。確かに、頭に血は昇ってたけど。》
反省と 疑問と 後悔を交互にしながら、そんな事を考えて 首を傾げる。
記憶の反芻をしつつ 何もない掌を瞰していて、1っ 思い出した。
アシュリーは、花を出した事があった。
初めて お茶を振舞ってくれた時だ。
解毒の お茶を淹れると言ったアシュリーは、何も手にしていなかった状態から 見た事もない花を出した。
出せるなら、仕舞う事も出来るんじゃないか?
もし、それが出来るなら、見落とす以前の問題だ。
「もう 仕舞っちゃったんだね」
カマをかける様に呟くと、小さめの銀髪の頭が 軽く頷いた。
何処に仕舞っているんだろう? 今度 じっくり訊いてみよう。
「アシュリーが 頼んで、採ってこさせたんでしょ? 啻の石とかじゃない、よね?」
何で〔海の妖精〕に頼まなきゃいけなかったのか とか、何処にある どんなモノなのか とか、気になる事は山程ある。
最初は、アシュリーの気を乖らせれば と惟っていたけど、今は 僕のほうが気になっている。
「創りたい物があって、用意を 致しました」
「創りたい物とは、何でしょう?」
シズの質問に、姚しい魔法使いは 控え目な笑みを返した。
《 秘密にする気か。》
これは、後で 問い質す事に決定だな。
夫婦(今は仮でも 将来は絶対に夫婦)の間で、匿し事は 良くないよね。
今夜にでも 洗い浚い喋ってもらわないと、気になって眠れないしね。
《 僕に匿し事をしちゃいけないって事、判らせてあげないと。》
僕は、黒い笑みでも泛かべているのかな?
何だか、アシュリーが 小さく震えた様に見えた。
背後から 悲鳴を飲み込んだ音がしたけど、勿論 無視する事にした。




