16__森の妖精と 海の妖精 2
4日目の続きですよ〜。
___視点:〔森の妖精〕- リーゼロッテ=サフィール___
ラノイ達に 幾つかの条件を承諾させた上で、魔法使いは 休憩室に〈位相空間〉を展開した。
その上で、ラノイ達と 自分との間に〈不可視障壁〉を張る。
これは、通信相手である〔海の妖精〕側から ラノイ達の姿が見えない様にする為のモノだ。
自分の周囲の状況を 相手に悟らせない様にするのは、魔法使いの間では 常識である。
ほんの一瞬、緲かに映った景色などから 居場所を特定される、そんな事も 間々あるのだ。
交信の相手は そう云った煩わしい情報を収集しようとしないが、一瞬-先に何が遭るか判らないのも 魔法使いの世界だ。
『警戒は警備なり』の信念に随い、毎回 用心を重ねているのだ。
「繰り返しますが、お声は発てられませんよう。間違いなく 不快な思いをされると惟いますが、どうか、どうか 怺えてください」
念を押す様にして、ラノイ達の了承を得る。
「では、耳を」
魔法使いに促されて、ラノイ達-3人は 両手で耳を塞いだ。
魔法使い-同士の会話を聴きたいのに、躬ら耳を塞ぐ。
本末転倒な行為をしているのは、魔法使いから言い渡された条件の1っだったからだ。
暫くの間、しっかりと耳を塞いでおく事 。
これを呑めないのならば 此処では交信に応えない、とまで言われては 呑まざるを得ない。
理由は察しようもないが、意地悪で こんな条件を出す人物でもない、と惟ったのか。
3人は、数秒 考え込んだだけで、承諾していた。
彼等の様子を確認した上で、魔法使いは 左手を振る。
ゆっくりと 何かを撫でる様に動かすと、前面の空中に 青が拡がった。
魔法使いの正面 2メートル程の宙に、1.5平方メートルの大きさの絵画が現れた。
世界が 青に塗り潰されていた。
その中に、姚しい女がいた。
歳の頃は、24〜26くらいだろう。
栗色の長い髪に エメラルドグリーンの瞳をし、健康的に陽に焼けた肌をしている。
深い碧の水の中に 胸まで浸かった状態で、真っ直ぐ こちらを見ていた。
【 おっそーーーい!】
開口一番、絵画の中の美女は そう叫んだ。
これに対し、魔法使いは 両手で耳を塞いでいる。
勿論〈不可視障壁〉の向うにいるラノイ達-3人も 同様に音の侵入を制限していた。
それでも 制限し切れない程の大音量で、茶髪の美女は 文句を言い続ける。
【 何で、いっつも いっつも待たせるの⁈〈交信〉が あたしからだって事、判ってたでしょ⁈ 判るわよねっ、判ってたのよね⁉︎ あんた、何だって判っちゃうんだから。判ってんだから、さっさと出てよ! それとも、判ってて無視すんの⁈ 無視してんのね⁉︎ 何で そんなに意地悪なのよ! あたしを毎回毎回 待たせるなんて、いい態度じゃないっ。】
文句ばかりを聯ねるのは、交信相手の〔海の妖精〕だ。
彼女が 言い縣りを喚き散らすのは いつもの事で、それに対して耳を塞ぐのも いつもの事である。
「尠くとも、貴女に言われる筋合いは ないと惟います」
耳を塞いだまま、魔法使いが 呟く様に答える。
【 何よっ、意地悪なの あんたのほうじゃん!】
どんな言葉を返しても〔海の妖精〕には届かない。
そうだと判っていても、理不尽に対し 正論を返したくなるのが 人情だ。
「意地悪をしている訳ではありません、それは お判りの筈です。第一、面倒ばかり こちらに押し付ける上に、文句ばかり仰有る方に言われたくはありません」
【 あんたは いいのよっ、勍いんだから!】
やはり、この一言で片付けられてしまった。
何度も聴いてきた言葉だが、耳にする度に じわりと疲労感が拡がる。
「非常に迷惑な評価ですね」
溜息-淆じりにそう呟くしか 出来なかった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:〔獅子王〕- ラノイ=アシュリオン=ラッケンガルド___
アシュリーが魔法で創った 半透明な板の上に、美しい絵画が現れた。
殆どが 蒼碧い世界だった。
睛にしたのが 海の碧と 昊の蒼だと気付いたのは、女の怒号に驚いてから 数秒後の事だ。
一瞬前まで壁だった場所に現れたのは、抜ける様に澄んだ 蒼い昊と、それよりも濃く澄んだ 碧い海だった。
遠くに 白い雲が浮かび、波に揺蕩う美女が 中心にいた。
この光景に驚く寸前で、怒声が響いたのだ。
約束通り 両の耳を塞いでいても、この女の声量は 鼓膜を叩く程で、何とも呶しい。
而も、喚いているのは、専ら 聴くに耐えない言葉ばかりだ。
交信に応えるのが遅いと文句を言った女は、延々と アシュリーを罵倒し続けている。
塞いだ状態では 聴き取れないが、時々、アシュリーが反論している様だが 聆く耳をもたない。
あの女は、何を言っている?
待たせた事が、それ程 肚立たしかったと云うのか?
だが、この女が待っていたのは ほんの数分だ。
些少な時間であり、瑣末な事だ。
それに、その些細な時間が縣ったのは 僕のせいでもある。
交信に気付いても 応えるに躇わせ、応えるに於いても 場所を限定させた。
このせいで、彼女は 無為に時を費やしたのだ。
【 何よっ、意地悪なの あんたのほうじゃん!】
喚き散らす女の言葉に、眼許が引き攣るのが判る。
アシュリーが 意地悪だ、と?
こんなに優しい女は いないだろう?
他人の為に心を碎いて 他国に留まってくれる、奇特な魔法使いだぞ?
《 この僕が 惚れる程の女に、何と言った?》
ふつふつと 恚りが込み上げてくる。
肚の底に 煮えた石でも放り込まれた様な、不快感がある。
耳を塞いでいた手は 僕の意識から外れ、自然と 膝の上に下がっていた。
同様に 無意識だったのか、それとも 僕に倣ったのか、シズとクランツも 耳から手を離している。
尤も、この時の僕に それを気に留めている余裕は皆無だった。
僕の注意の大半は、栗色の髪の女に向いていた。
〔海の妖精〕を眺める視線に 恚りが乘ったのが、自分でも判った。
睨むと評する睛付きになっているが、数メートル先の銀髪の背は 揺れもしない。
だが、流石に 反論はするらしい。
「意地悪をしている訳ではありません、それは お判りの筈です。第一、面倒ばかりを こちらに押し付ける上に、文句ばかり仰有る方に言われたくはありません」
…………それだけ? か?
不当な評価を受けたんだから、もっと強く言っても いいだろうに、こんな時でも アシュリーは控えめだ。
声を出すなと言われていなければ、僕が反論するのに。
声を猙げないまでも、せめて、冷やかに睨み付けて 氷点下の声で言い放ってやればいい。
あれは 寒い、本当に寒い、一瞬で凍らされる。
その効果の覿面っぷりは、僕の実体験でも立証済みだ。
【 あんたは いいのよっ、勍いんだから。】
一体、何様だ? あの女は。
撰り一層 恚りが滲み出たのが、自分でも判る。
アシュリーが 何かを呟いたが、聴き取れなかった。
肚の中の石は 更に煮え、全身の血が熱せられている様な感覚だ。
徐々に体温が上がり、頭蓋骨の周囲で 己れの脈が判るくらい 心拍数が上がってきている。
それに伴って 呼吸数も上がっていたみたいだけど、気にしている余裕がない。
今、手の届く場所に あの妖精がいたら、物理的-方法を以て 黙らせただろう。
背を向けているアシュリーにも、僕の怒気が伝わっていたかもしれない。
「何の用です?」
銀髪の妖精は、唐突に 譚を変えた。
これに、茶髪の妖精は 表情を ころりと変える。
傍観している僕達が恚りを覚える程、アシュリーに対して 怒鳴り散らしていた樣が 嘘の様な転身ぶりだ。
〔海の妖精〕は、思い出した様に 手にしていた小さな袋を敞いた。
【 はい、これ。】
アシュリーへと差し出された手に載っていたのは、小さな石の様なモノだった。
それは、何の変哲もない 3個の白い小石と、3個の青い小石に見えるモノだ。
青い小石のほうは 何かの原石だとしても、白いほうは 波打ち際に良く転がっている類いにしか見えなかった。
【 採るの、すーっごく苦労したんだからねっ。】
あんなモノを? と云いたいが、アシュリーが欲したのなら 特別なモノなんだろうな。
だが、それを採ってきたからと云って、少々 遅れたくらいの事で 彼処までの罵倒を受ける理由にはならない。
「恩着せがましく言っても 無駄ですよ?」
もっと ぴしゃりと言ってやればいいのに、アシュリーの声は 穏やかだ。
相変わらず、突き放す科白が 台無しになっている。
僕が 黙っている事に苦労しているのに、アシュリーは 怒りもしない。
平面のスクリーンに映し出された〔海の妖精〕から 小石を受け取っている。
どう云う仕組みなのかなんて疑問は、この時は泛かばなかった。
【〔森の妖精〕の けち!】
「正当な代価しか 要求していません」
アシュリーの言葉は 飽く迄も素っ気ないが、その声は 何処までも穏やかだ。
科白の威力が 全く発揮されていない、と云っていい。
そのせいか、茶髪の妖精は 晳ら樣に顔を顰めた。
【〔森の妖精〕の けち! 何なら、もっと沢山 要求してよっ。たった それっぽっちじゃ、対価にならないじゃん。後 どんだけ働かせる気なの? 何なら 唄う?〔緑の丘〕の時みたいに。あたし、幾らでも唄うわよ?】
どうやら、2人の間で 何かの取引があった、らしい。
さっきから『対価』と言っているし、間違いはないだろう。
「結構です」
アシュリーは、淡白な声で そう言った。
断られると惟っていなかったのか、茶髪の女-〔海の妖精〕は 驚いた声をあげた。
【 何でよーー⁈ 】
「力加減の出来ない〔海の妖精〕が仂を揮えば、恵みではなく 水害になるからです」
正しい見解だったんだろう。
〔海の妖精〕は、息を詰める様にして 言葉を飲み込む。
だが、あの女が黙ったのは ほんの一瞬だけだ。
【〔虹の湖〕の事っ? お説教なら もう沢山よ! あれは、狭い処にいてストレス溜まってたからで……それに、もう たっぷり怒られたじゃない⁉︎ 】
言っている事の半分も理解出来なかった(理解し難かった)が、判った事もある。
あの妖精は、無責任で いい加減で、何でもアシュリーに押し付けるタイプの女と云う第一印象だった。
そして、間違いなく 第一印象-通りの人物だ。
この評価は、僕の中で 確固としたモノとして定着した。
怕らく、シズやクランツも そう惟っているんだろう。
左右にいる2人の表情が やけに険しい事が、それを顕わしていた。
【 それに、あんたが傍にいるんだから、あんたが加減してくれればいいだけじゃん! 何よっ、ほんっとに意地悪で ケチね!】
自分のノーコンを 躬ら糺すのではなく、有ろう事か アシュリーに制御させようと考える。
そんな対価の払い方があるか! と叫んでやりたいが、アシュリーとの約束がある。
歯軋りする程 苛々していたが、声だけは出さなかった。
「本当に そう惟うのでしたら、わたしを頼るのは 罷めてください」
弊れ切った呟きが聴こえた。
アシュリーは、本当に迷惑しているんだろう。
それなのに、交信相手は、欠片も 彼女の心を斟み取ろうとしない。
その証拠に〔海の妖精〕は、非常に厭そうな顔をしている。
この表情をしていいのは、寧ろ アシュリーのほうだろうに。
【 何で、あたしが………。】
この後に続くのは 何だったのか。
大凡 理不尽で 身勝手な言い分だったろう、と惟う。
何にせよ、聴くに耐えない主張だったに違いない。
そんな〔海の妖精〕が 途中で言葉を切ったのは、かの妖精の意思じゃなかった。
左手を軽く上げ、制止を示したのは アシュリーだった。
「〔海の妖精〕………今 、どちらに?」
そう 呟く様に問い掛けたアシュリーの声は、数秒前とは異なっている。
やおら 真剣な声になっていた。
背後にいる為 彼女の表情は見えないが、我儘女が指示に従った攸から 威圧に準ずる睛をしているんだろうな。
【 えーーと………〔蘇千の海〕の西側-4キロくらいの処だけど? 】
『そせんのうみ』なんて地名は 初めて聴いたが、アシュリーには判るらしく 訊き返さない。
魔法使いだけに判る 地名の区分がある、と云う事かもしれない。
そもそも、魔法使い達は 国家に付随しない存在だ。
我々が築いている『国境』なんか関係ない場所で、支配区域を構築している。
魔法使いは、僕が知っている地図とは 全く違う画を、何1000年も縣けて 畫いている可能性が高い。
充分に有り得る事だ……後で 訊いてみよう。
「 –––––––––––––………… 」
僕が思案している間に、我儘女の顔色が 見る見る変わってゆく。
【 何か視たのね⁉︎ なにっ? 何が視えるの⁈ 】
脅えと焦りを前面に出した声からするに、アシュリーの予見が発動しているんだろう。
そもそも、アシュリーは、幼い頃から 予見の仂を具えていた。
僕は、魔法の師匠だった魔人から この譚を聴かされていた。
幼い彼女に この能力を完全制御する事は不可能で、故に 特殊な封印を施した、とも聴いている。
だから、今のアシュリーは、狙って 予見の仂を揮えない。
それなのに 時々 未来を視てしまうのは、幼い時に施した封印が 完全なモノじゃなかったせいだ。
決して、視たくて視ている訳じゃない。
そして、予見の仂を封じているアシュリーが視るのは『既に決定された未来』だ。
急に 相手の言葉を遮ったのも、この能力が発動した為と惟えば 納得だった。
【 ⁉︎––––––––––––なにっ? 何かいるの⁈ 何が起きるの⁉︎ 】
恐怖を泛かべた〔海の妖精〕に、アシュリーは 短く返答をした。
「ご自身で、どうぞ」
何を視たのか判らないけど、我儘女の動揺から察するに いい未来じゃなかった筈だ。
でも、穏やかな声で 突き放した攸からすると、危険な未来でもなかったんだろうな。
僕は そう惟ったけど、我儘女は違ったらしい。
〔海の妖精〕は、睛を瞠って 息を飲んだ。
【 何よ、それ! 酷くない⁉︎ 普通、侑けるでしょ⁈ 】
「ご自身で片付けるべき、だと惟いますよ」
水があるのだから 闘える筈だ、と 言葉を括る。
これに、我儘女は 訝る様な視線を向けてきた。
【 ちゃんと、あたしが仆せるって事? なのね?】
「ええ」
即答だった。
やっぱり、アシュリーは 優しい。
こんな、不躾で 身勝手で 我儘で 呶しい女なんか 放っておけばいいのに、ちゃんと答えてあげちゃうんだから。
【 因みに、何がいるのか教えてもらうのって………有償だったり、する?】
〔海の妖精〕の問いに、僕達に背を向けている銀髪の頭が 小さく頷いた。
当然だ、無償で教えられる筈がない。
アシュリーが知り得た未来は〔時の女神〕から掠め奪った情報、と分類される。
これを他人に談すには、何がしかの代価が発生する。
特に、アシュリーが視るのは、予見の仂に因る『100パーセント確定された未来』だ。
支払われる代価は、安くない。
「海獣の一種です………これ以上は、無償には出来ません」
迷いなく、アシュリーが 答えた。
これを耳にして、僅かだったが 鳥肌が立った。
手の甲から 腕・首筋に鳥肌が立ち、頬が 軽く引き攣った。
背筋に 妙な冷えが生じているのに、掌には 汗が滲んでくる。
浅い眩暈にまで襲われ、眼の前の光景が揺らぎ始めていた。
《 アシュリー、どうして⁉︎ 》
繰り返すが、未来を語るのは〔時の女神〕の領分を侵す行為だ。
どんな未来であっても、誰かに伝えれば 代価が発生する。
胡散臭い占師が 稀に視た『取るに足らない未来』であっても、 たぶん 罰則が生じている筈なんだ。
だとすれば、アシュリーが語った ほんの僅かな この情報だって、同様に 罰則が発生している事になる。
海獣だ と教えただけでも、アシュリーは〔時の女神〕に代価を支払わなくちゃいけなくなったんだ。
今のが どのくらいの代価になるのか、僕には 判らない。その知識はない。
重かったのか 軽かったのか、察しようもない。
〔海の妖精〕に代価を要求してくれれば いいが、彼女は そうしないだろうし。
この場で 代価を要求しないと、君が〔時の女神〕に 代価を支払う事になるのに。
優しいにも 程がある。
その小喧い女は、アシュリーを都合良く利用しているだけとしか惟えないのに。
《 何で、こんな女の為に………君が。》
暴言を重ねられて 厭な惟いをしているだろうに、アシュリーは 怒りもしない。
自分を利用しているだけと判らない程 世間知らずでもないクセに、あの我儘女を突き放さない。
たぶん これまでも、散々 迷惑ばかりをかけさせられてきた様なのに、見放しもしない。
本当に、優しいにも 程がある。
なのに! そんなアシュリーに対して〔海の妖精〕は、実に 酷い言葉を発した。
【 何よォ。海獣だなんて判るわよ、そんなの。それの どれだッて訊いたんじゃない。判ってて そんな答えって ある⁈ 〔森の妖精〕の けちケチ! ほんと、あんたって意地悪よねっ。】
–––––––––––––––もう、斬り殺しても いいんじゃないか?
この女は アシュリーの為にならない、絶対 要らない!
これまで どんな理不尽を言い散らして アシュリーを困らせてきたのかなんて、考える必要もない。
數えるのも莫迦らしくなるくらいに決まっている。
そして、生かしておけば、この先も ずっと、アシュリーは この雑言を浴び続けるんだ。
最早、詫びさせれば済む段階を 渺かに超えている。
《 剣を把り上げられていなかったら、今すぐにだって………。》
斬り捨ててやったのに、と 余りの悔しさに、惟わず 歯嚼みをした。
アシュリーは、こんな僕の考えを 見透かしていたんだろうな。
だから『条件』だなんて言って、前以て 剣を没収したんだろうし。
僕が こんな思いをするって判っていたから、別の場所で 交信を受けようとしていたんだろうし。
《 聴かれたくなかったんだろうな、アシュリーは 優しいから。》
艶やかな銀髪の流れ落ちる 細い背を見詰めていると、恚りが雍ぐ反面 複雑な気分になってきた。
僕の葛藤に気付くべくもなく、アシュリーは 我儘女の相手を続けている。
「代価を払えるのなら お教えしますが、これ以上は 無理でしょう?」
【 だから、ちょっとはマケてよ!】
「ご不満なら〔死の妖精〕や〔闇の妖精〕に依頼してください」
怒鳴る様に我儘を言い続ける相手に対して、僕の奥さん(今の攸は 仮)は 終始 穏やかだ。
【 意地悪ねっ。それが やだから、あんたに頼んでんじゃない! 判ってるでしょっ? 判ってて 言ってんのよね! ほんとに酷くない⁈ 友達でしょ⁉︎ ちょっとは優しくしてよ!】
トモダチ?
友達って、こんなに理不尽な存在か?
アシュリーが怒らないからって 言いたい放題に嫌味と悪口を重ねておいて、友達?
何とか戮す手段はないかと思案しかけた時、アシュリーが 細く息を咐いたのが聴こえた。
「この間〔忘却の郷〕から海まで 無事に辿り着けたのは………どうしてでしょうね?」
幾許か 声が笑っている。
穏やかな物言いは変わっていないけど、声が、緲かに零れた含み笑いが、限りなく洌い。
あんなアシュリーは、初めて見る。
ちょっと驚いた。
《 何だ、やれば 出来るんじゃん。》
表現は可妙しいかもしれないけど、何だか安心した。
ちゃんと黙らせる事が出来るんだね。
それなのに やらなかったなんて、アシュリーは やっぱり優しいな。
【 っ⁉︎ 】
流石の我儘女も、これには言葉を失ったらしい。
小麦色の肌を さっと青褪めさせて、口を ぱくぱくさせている。
反射的に、ガッツポーズでもしたくなった。
すっと 気分が霽れる思いだった。
でも、それは 次に発せられたアシュリーの言葉を聴くまでの 実に短い間だけだった。
「2時間-余りの間に 何が遭ったか、まさか お忘れではないでしょう?」
【 っ–––––––––––––…………。】
切り取られた絵画の様な 蒼い昊の下、波の穏やかな 碧い海の中にいる茶髪の美女は、顔色を失ったまま 絶句している。
だけど、僕は 離れた場所にいる〔海の妖精〕の様子なんか、もう 睛に入らなくなっていた。
「200齢-以上 生きているのですから、何でも 自力で解決出来る様に 努力してください。そして、もう、わたしの手を煩わせないでください」
普段通りの 穏やかさを取り戻したアシュリーの言葉も、何処か遠くに聴こえる。
【 いっ、いいじゃん! あんた 勍いんだからァ!】
我儘女の 子供染みた反論にも、心が動かない。
肚立たしい発言の筈なのに、恚りすら湧かない。
今 僕の頭を占めているのは、そんな事じゃなかった。
今し方、アシュリーは 何と言った?
この間? 海まで 我儘女を送った? 2時間-以上も縣けて?
それは、いつの事だ?
『この間』は、どのくらい過去になる?
僕と出会う前? それとも 出会ってから?
もし、出会ってからだったら……それは、もしかして………もしかして。
【 ねえ、こっち 来れないの?】
「無理だと、この間も……… 」
散々 説明した筈だ、と アシュリーが言っている。
惘れた様な 困った様な声が、そう談している。
【 聴いたけど、でも 悚いんだもん。ねえ、何とかしてよォ。】
弱り切った声で、我儘女が懇願した。
喚き散らしていた時とは 豪い差だ、同じ人物とは惟えない。
…………って云うか、あれだけの暴言を言っておきながら、詬し気もなく 良く言える。
大方、アシュリーの優しさと 面倒見の良さに付け込む作戦だろう。
僕が言えた口じゃないけど、この女は 酷い。
こんな事を言われたら、アシュリーなら 侑けるに決まっている。
「 …………判りました。そう云う事なら『何とか』しましょう」
やっぱり、と云う惟いから、僕は 複雑な気分になっていた。
そう、気付かなかったんだ、僅かに アシュリーの声が笑っていた事に。
【 –––––––––––––––っ⁉︎ ちょっ、まっっ!】
気付いたのは、我儘女が先だった。
〔海の妖精〕が制止の声を掛けようとした時には、アシュリーの右手が 宙を撫でていた。
遠くの海域にいる我儘女に 一瞬で繋いだ様に、右側にも 休憩室じゃない風景が拡がった。
1.5メートル四方の 魔法の板に現れたのは、薄暗い空間だった。
灰色の大岩を積んだ 古い建物の一郭の様だが、背後の窓に嵌められた木枠には ガラスがない。
天井も 部分的にないのだろう、僅かに差し込む晃りが 室内を照らしていた。
石壁には 苔が生し、敷き詰められていた筈の石畳を押し除けて 樹木が生えている。
もう半世紀後には、林に呑まれてしまうだろう廃墟だった。
何処から どう見ても、城か 礼拝堂の廃墟だ。
而も、放置されて 随分と時が経っている。
どう手入れをしても 人間の住める状態じゃない 荒れ具合だ。
そんな中に、彼はいた。
緊張感も 警戒心もなく、10代後半くらいの少年が 笑顔を向けてきた。
「 –––––––––––––………… 」
新しく交信を繋げた相手を見て、僕の気分が 一気に悪化したのは 云う迄もないだろう。
《 誰だ? そいつは。》
僕の睛は険しくなり、表情は 仇敵を前にしたかの如く 険悪になったんじゃないだろうか。
横で、クランツが 盛大に脅えた様な気がする。
勿論、構ってやる気はないが。
【 呼んだかーーァ?】
短めの髪は 色素の薄い金茶色、やや釣り気味の睛は 黒と見紛うばかりの藍色をしている。
陽に焼けた肌と 薄い唇から、白い歯が覗いている。
かなり勍い魔法使いらしく、整った容姿をしている。
「〔海の妖精〕が〔蘇千の海〕にいます。迎えに往ってもらえますか?」
我儘女の世話を頼んだ事で、僕の機嫌は 尚 悪くなった。
【 お前、苦労人だよね、若いのにィ。】
親しい仲なのか、間伸びした声にも 警戒はみえない。
細身の少年の軀付きに 炭鉱夫の様な服装を紱っているのが、違和感を生んでいる。
が、僕の興味は 其処にない。
アシュリーが交信しているんだ、相手は魔法使いだ。
我儘女の危機を任せるんだし、見た目の年齢の通りじゃないだろう。
而も、相当に親しい間柄だ。
だから だろうな、こんなに肚が立つのは。
【 無理ばっかすんなよォ、幾らでも こっちに回して いーからさァ。】
労りの篭った声で、少年が アシュリーの無茶を諭した。
アシュリーに酷い事を言う女に恚りを覚え、アシュリーを犒っている少年に 嫉妬している。
我が事ながら浅ましいと惟うけど、この感情だけは どうにもならない。
苛立ちを匿しもせずにいる僕を余所に、魔法使い達の会話は進んでいる。
「代価は……… 」
【 いーって、彼奴から奪るから。】
アシュリーからの依頼に対して 代価を一切 要求しない事に、好感を懐くより 肚が立ってしまう自分がいる。
こんなに心が狭かったのかと、新たな己れを発見して 驚いていた。脳の ほんの僅かな部分で。
大部分は、疑問と 疑惑と 嫉妬が渦巻いていて、自分でも収拾が付かない。
気付けば、恚りで 手が震え始めていた。
強く握り締めた拳の中で、掌に 爪が食い込んでいるらしいが、緩める事が出来ない。
「お願いします」
気が付けば、すんなりと依頼したアシュリーの背にも 苛立ちの視線を向けていた。
この会話を最後に、廃墟にいる少年との交信は終わったらしい。
右側に展開していた 薄暗い廃墟の映像は消え、魔法の板も消えた。
【 なーーァによーーーーォォ。何で 呼んじゃうのよォ。】
それまで黙って 息を殺していた〔海の妖精〕が、実に厭そうに文句を言っている。
これに、アシュリーの 愉しそうな笑声が答えた。
「何とかして構わない と、仰有ったでしょう?」
上品な含み笑いに、我儘女は 不服そうに頬を膨らませた。
【 だから、あんたって意地悪なのよっ!】
言質を取られた、と 我が身の失態を嘆く事は、この妖精はしないだろう。
飽く迄も 他人のせいにし、自分では 何もしない –––––––そんな女だ。
先程の苛立ちも相俟って、殺気の篭った睛を向けてしまったらしい。
隣で、クランツが ふらふらになっている気配がしている。
勿論、この渦巻く怒気を鎭めてやれる余裕はないので、クランツは 放置だ。
クランツなら、気絶はしても 死にはしないだろうから、大丈夫だ。
【 余計な事しないでよ! 何で呼んじゃうの⁈ あたしは あんたに言ったのにっ。やだって言ったじゃん! 判ってて クーを寄越すなんて、やっぱり、あんたって さい て っ。】
【 その言い草は ねェだろ? オレの對に。】
【 っっ〜〜〜〜⁉︎ 】
唐突に 背後から掛けられた声と、力一杯 頭を鷲掴みにする手に、我儘女は 息を飲んだ。
〔海の妖精〕が 全身を硬直させたのが、魔法の板越しにも伝わってくる。
その背後、碧い波の上に、胡座を掻いた 少年姿の魔法使いが浮いている。
交信を切ったのは、つい さっきだ。
まだ 1分と経っていないのに、全く別の場所にいたであろう 少年姿の魔法使いは、数10秒で〔海の妖精〕の許へ駆け付けたのだ。
尤も、遠くの2人を見ている〔森の妖精〕に 驚いている様子はない。
美しい銀糸の滝の如く 肩から背へと流れ落ちる髪が、喫驚に揺れる事はなかった。
【 こっちは いいぜェ。】
何かが襲って来る事など、この魔法使いは 言われなくとも勘付いている様だ。
軽く、周囲に視線を向けている。
それから、藍色の瞳の少年は、にっ と口角を上げた。
勿論、その右手は〔海の妖精〕の頭を掴んだままだ。
どうやら 凄い力が篭っているらしく、掴まれている〔海の妖精〕の表情は 痛みに歪んでいる。
アシュリーに対して 罵詈も雑言も飛ばしていた我儘女が 一言の文句も発しない攸を見るに、随分 苦手な相手なんだろう。
呼ぶな、と言っていただけの事はある。
いや、そもそも、あの女は アシュリーを蔑ろにし佚ぎなんだ。
自分より下だと見て 従者の様に扱っているんじゃないか、と惟う程だった。
何もかもが 己れを中心に動かないと気が済まない、と云う 頭の悪い高飛車女に有りがちな性格としか惟えない。
本当に、何で、アシュリーが あんな女に構うのか判らない。
同じ妖精として 何か惟う攸があるのだとしても、理解に苦しむばかりだ。
今後は、アシュリーに近付かせたくない。
脳内で、しっかりと要注意人物簿に入れた事は 云う迄もないだろう。
【 良く休めよォ? まだ 幼いんだからさ。】
視線をアシュリーへ戻した 少年-姿の魔法使いは、労りの篭った言葉を掛けてきた。
ぴく と、僕の頬が引き攣る。
〔海の妖精〕とは違う意味で、この魔法使いも要注意人物簿入りだ。
男だろうが 女だろうが、魔法使いは アシュリーに近付けたくない。
アシュリーを 啻の『蜂蜜』として狙い、下心-故に 優しくしているなら、尚の事だ。
《 僕の大切な奥さん(今の攸は 仮だけど)に、そんな連中を近付けて堪るか!》
そんな僕の心境を知る由もなく、アシュリーは 軽く肩を竦めた。
「はい」
我儘女に『クー』と聘ばれた少年の『幼い』って言葉に反応したんだろうけど、苦笑した声が 何だか可愛い。
アシュリーは、ちょっとした仕草にも 品があって、何でもない表情が 凄く可愛いんだ。
きっと、今 泛かべている表情も可愛いに違いない。
それが、僕-以外の男に、今、向けられている………。
《 何か………。》
肚が立つ、無意識に そう呟きかけた。
アシュリーとの約束があるから 声にだけはしなかったけど、危うく 零れる攸だった。
偉かった、と 自分でも惟う。
なのに、隣から 不満気な睛を向けられた。
たぶん、僕がアシュリーとの約束を破ったら 便乗するつもりだったんだろう。
彼も、あの我儘女に 何か言ってやらなきゃ気が済まなかった、って攸か。
だけどね、声にしなかった僕を 残念そうな睛で見るのは罷めてくれないかな。
《 永い付き合いだけど、礼儀は大切だよ? ねぇ、異母兄上? 》
言葉の代わりに、苛立ちと 殺気を含んだ睛を、右隣へ向ける。
正直に言おう、八ッ当たりだ。
尤も、こんな事で 変化を見せる程 シズは尫じゃない。
当然の様に、深い溜息を零して 僕から睛を乖らした。
…………余計に 苛立ちが増したのは、或る意味 僕のせいじゃないと惟う。




