15__虜になっている者達
4日目の続きです。
___視点:国王の側近 - クランツ=バルトロメイ___
遠くから、鐘の音が響いてきた。
この国に 国家が定めた国教はないが、幾つかの宗教がある。
この音は、寺院の鐘だろう。
ゆったりと響く 低い音が心地良く感じるのは、音色のせいだけではない。
「先に往くぞ」
15時の鐘が鳴り終わるより早く、シズ様が 政務室を出て往かれた。
この時ばかりは 周囲に官吏達がいても敬語ではなくなるが、これにも もう慣れた。
陛下も、午後の休憩の時間を迎えた攸で、政務室を迹にする。
宰相と陛下が政務室を出てから、官吏や大臣達が ぞろぞろと廊下へ出る。
皆の顔が ほっとしている様に見えるのは、私の気のせいではないだろう。
大臣達も 官吏達も、足取りが軽い。
あっと云う間に、政務室から人がいなくなってゆく。
15時から30分は、午後の休憩時間だ。
休憩-自体は 以前からの習慣だが、政務室が空になる様になったのは つい最近の事である。
本来ならば、政務室で 休憩を取れば良い。
一々 移動する必要はないし、休憩に合わせて お茶を持って来させれば 時間の無駄にならない。
同時に、陛下に逃げる機会を与えずに済む。
すぐに サボろうとする この方を一箇所に留めておく事が、能率向上にとって 肝要になってくる。
だから、今までは 休憩時間と雖も 政務室から出る事はなかった。
しかし、政務室にいては あの美味は口に出来ない。
《 アシュリー姫は、政務室へは いらしてくださらないですからね。》
アシュリー姫が 王宮に現れてから、まだ 4日でしかない。
だが、食事の時は 勿論、午前中の 執務室での お茶の時間も、午後の 休憩室での お茶の時間も、すっかり愉しみになっている。
欠かせなくなっている、と云う点では 中毒症状と表現しても良いのかもしれない。
其処で、午後の休憩時間にも お茶を淹れてもらえないかとアシュリー姫に願い出てみた。
これに対し、姫は 政務室への立ち入りを ご辞退された。
とても 丁寧に。
確かに、政務室は 国の内外の有りと凡ゆる情報と報告が集約される場所だ。
何人もの大臣達がいて、沢山の官吏達が出入りをする。
そのせいか、アシュリー姫は こちらへ来てくださらないのだ。
お越し頂く時間を休憩時間に限定しても、姫の意思は変わらなかった。
根気良く譲歩しても、アシュリー姫が政務室への立ち入りを拒まれる為、シズ様は 政務室から遠くない一室を『休憩室』にした。
一昨日の事だ。
午前中の お茶の時間に これを決定し、午後の お茶までの数時間の内に、資料庫にしていた部屋を 休憩室へと改装させてしまったのだ。
あっと云う間の決断と、呆気にとられる程の 実行力だった。
以前から 行動の迅い方だと惟っていたが、この日は 流石に驚いた。
部屋を埋め尽くしていた資料が撤去されているのは 勿論、内装から調度品に至るまで 寛げる空間にする為 調えられている。
而も、完璧に。
本当に、こう云った事への気配りまでしてしまう攸が シズ様らしい。
お茶の度に入れられる毒に対する処置でもあるが、1番は アシュリー姫の淹れる美味なる お茶の為に違いない。
シズ様は、陛下と同じで 躬らの欲求には とても正直に出来ておられるから、怕らく 間違いはないだろう。
今では、休憩の時間になるや否や、シズ様が率先して 政務室を空にしてしまう。
そして、毎回 陛下よりも先に、とても愉しそうに、休憩室へ足を搬ばれる。
《 確定ですね。》
現在、最も アシュリー姫の お茶の俘になっているのは シズ様だ。
斯く云う 私も、あの お茶に侑けられている。
磨り減った精神力の恢復-然り、消耗した忍耐力の再起-然り、である。
更には、2頭の猙ぶる猛獣の如き陛下達の怒気に曝され 大幅に縮まったであろう私の寿命も 延びる気がする。
飽く迄も『気がする』と云うだけだが。
今日も、政務中は 酷かった。
相変わらず、仕事の出来ない大臣や官吏達は 大勢いるし、そのせいで 陛下もシズ様も 殺気に近い何かを振り撒いてくださるし。
気の弱い官吏達は 震え上がり、結果、報告の際に 聴き取れない程 訥る始末だ。
逆に 効率が悪くなり、更に 不機嫌になった陛下が 慄しい事になる。
勿論、報告している官吏も『威圧』と評するだけでは足りない重苦しい空気に 震えが益す。
つまりは、己れが原因で 陛下が怒っている、と 否応無しに察してしまう訳だ。
こうなると、撰り一層 焦る事になる。
そもそも 気の弱い官吏などは、パニックに近い状態になる。
終いには、自分が何を談しているのかも判らなくなる程 取り乱してしまう。
その頃には、当然、陛下の機嫌は 最悪になっている。
そして、私の精神と寿命が 激しく削られるのだ。
全く 冗談ではない、本当に 勘弁して頂きたい。
私は、休憩-直前の事を惟い返して 溜息を零した。
そうして、手許の資料から顔を上げると、政務室は無人になっていた。
気付いたら、政務室の中にいるのは 私のみになっていたのだ。
大臣も官吏も、誰一人としていない。
元々 広い政務室が、撰り がらんと広く感じる。
独り残された現状が、何だか 物寂しい。
《 まぁ、判りますけどね。》
シズ様は 疾うに休憩室へ邀われたし、陛下は 私の事など気にもせず 廊下へ出てしまわれた。
………スキップでもしそうな感じで。
陛下は、シズ様に文句も言われず 休憩が出来る事と、休憩の度に アシュリー姫に会える事から 上機嫌なのだ。
斯く云う 私も、この時間が待ち遠しかった。
アシュリー姫の お茶は、本当に美味しい。
疲れは飛ぶし 気分は霽れるし 味は絶品だし、いい事-尽くめである。
私としても、アシュリー姫の齎してくださる影響は 有難い。
昨日も今日も、執務室での休憩の後や 昼食後は、陛下やシズ様の機嫌は 頗る良くなっている。
陛下達の機嫌がいい間は、官吏達の緊張も 僅かに解れるし 仕事の効率も上がる。
そして 何撰り、私の寿命も縮まずに済むからだ。
《 本当に、このまま 正妃になって貰えませんかねぇ。》
不可能に近い未来を、つい 希んでしまう自分がいる。
そう、この願いは 不可能だ。
自分でも 図々しい希みだと 判っている。
アシュリー姫は、大国-エスファニア国王の 従妹で在らせられ、高位の魔法使い-〔森の妖精〕でも在る。
多くの魔法使いの 垂涎の的であり、多くの国家に欲される魔法使いで在るそうだ。
私には 理解が及ばない部分があるが、魔法使いの中でも特殊な存在。
それが『妖精』の称を冠する者達……らしい。
アシュリー姫は 光りを司り、闇と虚無に湮む魔人や魔女達に 心を取り戻させる事の出来る存在で。
それは、魔法使い達にとっても 大きな救いなのだそうだ。
そんな人を 陛下が独占するとなれば、彼等とて 黙っていないのではないだろうか。
現在の この国には、アシュリー姫の障壁が張り巡らされているので、魔法使い達が入って来る事はないそうだが、喧嘩を売る形になる事は 間違いないだろう。
そして、もう1っが 姫の祖国-エスファニア王国だ。
内密に 此処にいて頂いているが、それですら 不敬に値し、エスファニア王国に知られれば 敵と見做されかねない行為である。
あちらの国では、アシュリー姫が『国王の従妹』であると知る者はないそうだが、だからと云って、事態は 何等 好転しない。
アシュリー姫は、エスファニア国民に好かれているのだ。
魔法使いであると広く知られる前から、かの国の者達は 彼女に敬意を払っていた節がある。
アシュリー姫は 余り多くは語ってくださらないが、お茶の時間に エスファニアでの事を訊いた事がある。
何処に居室を構えているのかとか、どんな者達に囲まれているのかとか、普段 王城でしている事などを、陛下が尋ねたのだ。
言い渋っておられたが、これを訊いたのは 陛下だ。
戒縛の仂の前に、魔法使いであるアシュリー姫は 忤えない。
ぽつり ぽつり、と 談してくださった。
その譚の中で 私が重要視しているのは、以下の2点だ。
登城した その日から、小さな塔-丸々 1っを
居室として与えられた事。
幼い姿でいる上、国王の側付きと云う役職である事。
にも拘らず、当初から 侍女官を 3人も付けられている事。
これだけでも、特別な方だと公に認識されている気がする。
寧ろ、アシュリー姫の譚を突き詰めると そうとしか惟えない事ばかりだった。
怕らく、この印象も間違ってはいないだろう。
《 無理ですかねぇ。》
正妃になってくだされば、ラッケンガルドにとっても 陛下にとっても、そして 何撰り 私にとっても、喜ばしい事-尽くめだ。
そんな事を惟いながら、政務室を出る。
長い廊下に、陛下の姿はない。
目的地は、この廊下の先だ。
シズ様も 陛下も、もう 休憩室で寛いでいる頃だ。
もう お茶を堪能しているかもしれない。
あの異母兄弟は、私の事など 待っていてはくれないだろう。
少し足を迅めて 廊下を進みながら、今後の課題を考える。
正式に、アシュリー姫を この国の正妃に迎える為の難関は、幾つもある。
現在 反対を唱えている者達や、暗殺者を送り込んでくる者達を黙らせる事は 容易い。
アシュリー姫の素性を知れば、出来よう筈もない愚行だからだ。
しかし、それでも 問題はある。
主に、対外的な難題だ。
《 しかし、何と云っても 最大の難題は 陛下ですね。》
アシュリー姫を正妃に迎える と云う事は、陛下の許に『嫁いで頂く』と云う事だ。
まず、アシュリー姫が 陛下を好いてくださらなければ、この未来は有り得ない。
今-現在、奇蹟でも起きてくれないと 叶いそうもない気がする。
惟わず、溜息が零れた。
私は、項垂れたくなる程 湮んだ気分のまま 休憩室に入った。
「っ⁉︎」
引き開けた扉を閤るや否や、私は息を飲んだ。
否、正確には『声を飲んだ』だろうか。
陛下は、お茶の準備をしているアシュリー姫に抱き付いていたのだ。
《 罷めんか! この エロ国王が‼︎ 》
叫びそうになった この言葉を発しなかったのは、休憩室に 後宮付きの女官がいた為だ。
何と云う名前だったか、最近 王宮へ上がったばかりの、やたらと背の高い女官だった。
女官は、アシュリー姫を後ろから抱き締めている陛下の様子に驚いているのか、瞠目し 硬直している。
喫驚しすぎていて、姫の反応には気付いていない様だ。
《 放しなさい! 悚がっておられるじゃないですか!》
今すぐ 陛下を引っぺがしたかったが、この女官がいる限り そうも出来ない。
私は、既に ソファに座っているシズ様を見た。
勿論、あの女官を退室させてくれるか、または 陛下を懲らしめてくださらないかと惟ってだ。
しかし、シズ様を見た途端、私は 失望に似た感情を懐いた。
《 駄目だ、こりゃ。》
シズ様は、高級ソファに 深々と掛け、肘掛に右腕を預けた姿勢で 笑っていた。
陛下の腕の中で 小さく震えておられるアシュリー姫と、脅えた様子を『可愛い』などと ほざいている陛下を観て、とても愉しそうに。
基本、この兄弟は 人が悪い。
特に、シズ様は 本当に性格が さいあ………っ。
い、いや、えーと………まぁ、何と云うか、いろいろと屈折しておられる方だ。
困っている人が眼の前にいて その人を救う手段があったとしても、シズ様は 相手を援ける事はしない。
全く援けない訳ではないが、まずは、傍観に徹して 相手の困殆ぶりを堪能する様な、困った お方なのだ。
今も、アシュリー姫と陛下の様子を 心底 愉しそうに観覧しているだけだ。
《 –––––––––––––––仕方ない。》
心の中では舌打ちをしつつ、私は、動揺しすぎて放心状態になっている女官を 休憩室から摘み出した。
無言で 休憩室から出し、同じく無言で 後宮へ続く廊下を指差しただけだが、彼女は かくかくと頷いて去って往った。
幾分、動作が ぎこちないが、其処は 見なかった事にしよう。
今は、アシュリー姫を お救いするのが先だ。
捷く 陛下とアシュリー姫を離し、安全の為、更に 陛下をソファのほうへ押しやった。
陛下が、何か苦情を言いたそうにしていたが 受け付ける気はない。
この状況で 優先すべきは、アシュリー姫なのだ。
《 陛下の過剰接触のせいで エスファニアへ帰ってしまわれたら、私の今後に係る!》
この4日間、余りにも多く 同じ事をしている為か、陛下に対する恐怖心が薄れてきている。
勿論、アシュリー姫が絡んだ時に限定されるが。
以前から考えれば、私は 驚くべき事をしているのだろう。
「クランツ、邪魔を……… 」
「お黙りなさい」
ぎろりと睨み付けて、洌く突き放す。
「何度 申し上げれば判るんです?」
惟いの外 冷え冷えとした声が出た事に、自分で驚く –––––––そんな事も、もう ない。
たった4日とは惟えない進歩だ。
しかし、シズ様が 傍観に徹している今、この先 アシュリー姫を お護りする為に必須な技能と云えるから 善しとしよう。
「いいから、愨しく座っていなさい」
「クランツ。忘れているのかもしれないが、それは、一応 国王だぞ?」
お言葉を返す様だが、私は 陛下が自国の王だと云う事を忘れてはいない。
第一、陛下に対して『それ』とか『一応』とか ほざく人に言われたくはない。
シズ様は、宰相である前に 陛下の義兄で在らせられるのだが、それを云うなら 陛下が絡んでいたのは〔森の妖精〕だ。
幼いながらに 高位の魔法使いで、非公認とは云え エスファニア王家に聯なる血筋の女性でもある。
その彼女を困らせているのも、それを侑けずにいるのも 不敬罪だろう。
自国の王を蔑ろにするよりも、こちらのほうが質が悪いと判断したまでだ。
「シズ様も、いい加減にしてくださらないと困ります」
過剰接触に耐えかねて アシュリー姫が帰ってしまったら、本当に困るのは 毒を盛られている当人達だ。
判っておられる筈なのに、暢気に構えているなど 理解し難い。
私は、高級ソファに掛けている シズ様へ洌く言い放った。
シズ様は、軽く肩を竦める仕草をして 苦笑っている。
本当に、この異母兄弟は 厄介な性格をしておられる。
熟々、アシュリー姫が不憫でならない。
「 ––––––––––––全く……… 」
我儘も 程々にしてもらいたい。
「アシュリー姫が 逃げ帰ってしまう様な事になったら、どうなるか………お2人共、判っておられますよねぇ?」
苛立ちが 前面に出ていたのか。
急に、陛下が 強張った。
同時に、シズ様も 表情を無くしている。
この異母兄弟の この様な表情を見たのは、初めてだった。
頭の何処かで 面白がっている自分がいる様な気がしたが、此処は気付かないフリをするのが賢明だろう。
顔に出た日には、後が悚そうだからだ。
「愛想を尽かされる様な方々に、未来はありませんよ?」
嚇し文句を締め括り、そのまま アシュリー姫のほうに向き直る。
「済みませんね、こんな人達で」
ぞんざいな物言いだが、この際 これで充分だろう。
「お茶を 頂けますか?」
私の言葉に、アシュリー姫の表情が 雍いだ。
「はい、すぐに」
ほっとした様な顔をしてくださって 良かった。
安堵に胸を撫で下ろしながら、アシュリー姫に背を向ける。
陛下達へ向けた途端 私の顔が冷徹になったのは、致し方がない事だったと ご理解頂きたい。
《 全く、手の焼ける ご兄弟だ。》
何年もの付き合いで判り切っていた事を 再認識しつつ、私は、王と宰相に 睨みを利かせるのだった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:国王の側近 - クランツ=バルトロメイ___
一段落して、アシュリー姫が淹れてくださった お茶を堪能する。
休憩の時間だけは 僭越ながら、私も末席に掛けさせてもらい お茶を頂戴している。
朝昼晩の食事の時にも いただきたいくらいだが、それは 佚ぎたる願いだろう。
分を弁えぬ慾だ、自重しよう。
午前と午後に いただく この お茶だけでも、有り難いのだから。
何口目かの お茶を喉に流し込んで、惟わず 感嘆の息を咐いた。
《 美味しいですねぇ。》
この休憩室の窓から見える景色は、趣旨も素ッ気もない 啻の木立ちだ。
而も、背の高い樹木ばかりが植えられている。
つまり、窓から見えるのは それ等の幹ばかりなのだ。
資料室の窓など、採光と 適度な換気の為にあるだけで、景観を愉しむモノではないのだから。
それを 充分 理解しているシズ様は、灰色の煉瓦の壁に 美しい風景画を配置している。
窓の外さえ見なければ、文句の付け様のない 立派な休憩室である。
自分が寛ぐ為には 努力を惜しまない、そんな攸が シズ様らしい。
テーブルを挟んで対面のソファに掛けておられるシズ様は、ゆったりとした仕草で お茶を堪能し、ご満悦な様子だ。
陛下も そうだろう、と 視線を向ける。
我々が着席しているソファは、壁の暖炉を囲んで コの字に陳んでいる。
春が近いとは云え、この国は まだ寒く、暖炉は欠かせない。
下座に位置する私の正面にいる陛下は、湯呑を手にしたまま 前方を見詰めていた。
ソファの 上座に掛けている陛下が見ているのは、私ではない。
私の後方、入口側にある 小さなテーブル –––––––その前に竚っている アシュリー姫だろう。
その睛は、見惚れている と云った感じではない。
陛下は、偵る様な視線を 姫へ向けていた。
一体 どう云う事か と視線を巡らせて、理由が判った。
当の アシュリー姫は、壁を見詰めていた。
元•資料室の 何の変哲もない壁を じっと見詰めたまま、竚ち尽くしている。
その表情は 静かだが、何かを思案している様に惟えた。
「アシュリー?」
変化を見せない姫へ、俟つ事を罷めた陛下が 声を掛けた。
「どうしたの? アシュリー」
再度 声を掛けられて、アシュリー姫は 僅かに眼線を彷徨わせた。
それだとて、緲かに視線を揺らせただけの、通常なら 見遁してしまう程度のモノだ。
姫の様子を 備に観察していた吾々が これを見落とす事はなく、疑念を深めさせた。
尤も、アシュリー姫は 私達の視線に気付かなかった様だ。
アシュリー姫は、真っ直ぐ 陛下を見て、静かに首を振った。
何でもないと示す行動だが、当然ながら 陛下は信じていない。
そればかりか 少し不機嫌そうな顔になった、気がする。
アシュリー姫も これを感じ取ったのだろうか、再び 小さく首を振る。
「何か、気になっているのでは?」
シズ様の問いにも『何でもない』と示そうと、アシュリー姫は 首を横へ振った。
いや、振ろうとして、動きを止めた。
一瞬だが、蒼い瞳が 虚空を見た。
その睛に 普段は見られない光りが宿った……様に見えたのは、私の気のせいだろうか。
「ぁ、い ぃえ……… 」
すぐ 我に還ったらしく、姫は 否定の言葉を繋げようとしていたが、それも 続きはしなかった。
一体 何があると云うのか、私には 判らない。
だが、アシュリー姫の事だ。
我々が察しようもない『何か』に お気付きであっても 可妙しくはない。
その『何か』が 姫を悩ませているのではないだろうか。
「 –––––––––––––………… 」
シズ様も 同様の考えを お持ちなのか、黙して 姫の様子を遉っている。
「談して?」
「 …………〈交信〉を、求められているのです」
陛下の問いに、迷った諷で 返答があった。
「『交信』?」
耳馴れない言葉に、シズ様が 疑問を呟かれた。
伝声管の様なモノなら、この国にもある。
執務室や 政務室は、交わされる会話の重要性から 伝声管を引いていないが、衛兵の屯所や宿舎などには これが張り巡らされている。
因みに、元•資料室には ない。
だから、何の事か 判らなかったのだ。
尤も、理解していなかったのは 私とシズ様だけだったらしい。
「魔法使い?」
陛下が、そう質問された。
《 魔法使い………?》
それは、アシュリー姫の様な………?
そう考えて、はっ とした。
直接 見た事はないが、魔法使いとは 危険な存在だ。
アシュリー姫を見ていると 忘れてしまいそうだが、多くの魔法使いは 自己中心的で 身勝手で 他人を顧みず、多くの災害だけを齎す者達だ。
この国も、過去、何度も 損害を蒙ってきた。
つい先頃も、北の国境-辺りで 魔法使いの闘争があり、中規模の被害があったと報告を受け 復旧の為の調査を行っている。
「はい」
何の躇いもなく、アシュリー姫は 諾かれた。
そんな者達と 姫とに親交があるとは惟えないだけに、この返事には驚かされた。
シズ様は どう惟っておられるのか、無表情で判別出来ない。
「それって、誰だか 判るモノ?」
陛下に於いては、若干の恚りを滲ませている……気がする。
先程から 背筋が ぞくぞくとしているから、怕らく 間違いはないと惟うが。
「同じ妖精の1人-〔海の妖精〕です」
この答えに、一気に 陛下の機嫌が直った。
私には『エルフィ』と云うのが誰の事かも判らないが、陛下の様子からするに 女性であるのだろう。
私としては、妙な冷えを齎す あの冷気を発しないでいてくださるなら、どちらでもいい。
「じゃあ、いいよ」
陛下が あっさりと許可を出した攸からも、交信とやらの相手が女性だと知れる。
「では、暫く 御前を失礼致しま……… 」
許可が下りた事で、アシュリー姫は 休憩室を辞そうと爲さった。
しかし、退室の言葉を述べ切る前に、陛下が 姫の声を遮った。
「アシュリー」
穏やかで 雍かかったが、制止を促す強さを秘めた声だった。
これに、アシュリー姫は お辞儀の姿勢のまま、視線だけを 陛下へ向けた。
「此処で。 僕の前で、だよ」
陛下の言葉に、アシュリー姫は 蒼い瞳に喫驚を滲ませた。
一方、陛下はと云うと、にこにこと 屈託のない笑顔を泛かべている。
この方の こう云う笑顔が 何撰りも質が悪い事を、私は 良く知っている。
「 –––––––––––––………… 」
アシュリー姫は、礼を執っていた姿勢で 動きを止め、そのまま じっと陛下を見詰めている。
《 困らせて、いるんでしょうねぇ。》
迷わず立ち去ろうとした事からも、吾々の前で『交信』に応えるのは、何かしらの難があるのだろうと察せる。
私に判るのだ、陛下に判らない筈がない。
それを『此処で』と言っているのだ、悩ませてしまっている事は確かだろう。
私は、口を差し挟むべきか 逡巡した。
そして、思案する間に、視線を 斜め左前方のソファへ向けてしまった。
《!––––––––––––。》
陛下が『此処で』と言ったのは、興味からだったのか 嫉妬に近いモノだったのか、私には判らない。
しかし、シズ様の考えは 容易に推察出来る。
普段のシズ様の考えは 判り辣いが、現在のシズ様は 実に判り易かった。
《 完全に 興味本位ですね。》
睛を輝かせているシズ様など、余り見た事がない。
年に 1度でも お眼に縣れるか どうか。
兎に角、珍しいの一言だ。
それだけに、今の腹黒-宰相様の思考は 詠み易い。
斯く云う 私も、同様の興味を向けているから 非難は出来ない訳だが。
「アシュリー?」
返答に詰まっているアシュリー姫を催促する様に、陛下が 承諾を請求した。
狡い手法だと、私でも惟う。
戒縛の仂を具える陛下が、その仂を ちらつかせて威圧しているのだ。
譬え、正論を唱えても 陛下は聆く耳をもたない。
結論として、アシュリー姫には、断る手段など ないのである。
腰を折った姿勢のまま 思案しておられたが、意を紆げたのは 姫のほうだった。
諦めた様に 肩から力が抜けたのが、離れていても見て取れた。
「 …………判りました。でしたら、幾つか お約束ください」
弱い声が 形の佳い唇から零された。
済みませんね、姫。
私が、止めなければ いけないんですけどねぇ。
困らせている事は 重々 承知しているんですが、興味が剋ってしまっているんですよ。
姫の苦労を慮る心よりも、自身の慾が勝ってしまうんです、どうしても。
《 姫-以外の魔法使いを知るチャンスです!》
私の興味は、これに尽きるのだ。
そう、そんな程度のモノだったのだ。




