13__仮初めの妃の苦労
まだ 2日目の続きが 続きます。
___視点:〔森の妖精〕- リーゼロッテ=サフィール___
〈位相空間〉にて切り取っていた後宮の一室から 現実の自室空間へ戻り、銀髪の美女は 深く息を咐いた。
窓の外では 中天から陽が注ぎ、木々の葉が微風に ささめき、小鳥達が陽気に唄っている。
平和な日常が、其処にはあった。
暫く その音楽に耳を傾けている内に、 実感が湧いてきたのだろう。
《 大変だった………。》
しみじみ そう惟うと同時に、どっと疲労感に襲われる。
〔忘却の郷〕は ほぼ正円を畫いており、直径は 10キロに充たない。
その北の端に〔海の妖精〕はいた。
海は 南にあり、その場からは 200キロ近い距離があった。
つまり〔忘却の郷〕を 南北に縦断した上、更に 180キロ以上も離れていたのだ。
その直線上に、他の魔法使いの支配区域はない。
しかし、遠くはない場所を通る事になる。
10万-以上いる魔法使いの中で〔森の妖精〕を察知出来る魔法使いは、極-少数だ。
半実体で〔忘却の郷〕にいる彼女を見付けられる魔法使いは、ほぼ いないと云って良い。
だが〔海の妖精〕は 逆だ。
魔法使いとしては 下から数えたほうが早い位置に在る〔海の妖精〕の動向は、筒抜けに近い。
〈覘覧〉をしなくとも、近くにいれば その魔力を嗅ぎ付けられる。
そして〔海の妖精〕が困殆していれば〔森の妖精〕が呼び出される、と知る魔法使いも、また 多い。
彼女が〔忘却の郷〕に迷い込んだと察知した瞬間から、何人かの魔法使いが その動向を覘っていた様だ。
最も晳ら樣に構えていたのが〔眚淵の魔女〕だった。
《 ………弊れた。》
結果から云うと〔眚淵の魔女〕は、襲って来なかった。
老獪で賢明な かの魔女は、やって来たのが半実体であると察知し 襲撃を断念したらしい。
強襲するだけならば可能だが、半実体では 万が一 打ち勝っても捕獲は出来ない。
眼の前にあるのは立体像の様なモノであり、実体は 遠くにあるせいだ。
これを理解している魔法使いならば、安易に襲撃などしない。
骨折り損になるばかりか、遠く離れた何処かで動けなくなった〔森の妖精〕が 他の『誰か』に襲われてしまう事態にも なりかねない。
故に〔眚淵の魔女〕も、魔法使いを急襲しなかったのだ。
しかし、それを理解しない魔法使いもいた。
《 もう、いや………。》
〔忘却の郷〕にて、恐竜の壁を突破する〔海の妖精〕の動きは、近隣の魔法使い達に筒抜けだった。
何等かの魔法を庸て 襲い来る恐竜を駆逐しているのだろうと惟っても、魔力は感じられない。
この時点では、他の妖精である可能性も考慮した筈だ。
しかし、念の為 〈覘覧〉で様子を窺おうにも、何等かの倆に因って阻まれているのか 視る事が出来ない。
そうなると、答えは 1っに絞られる。
傍に〔森の妖精〕がいる。
実体であっても 半実体であっても、魔法使いを視通せる魔法使いはいない。
どれ程 高位の魔法使いであろうとも、彼女を 〈覘覧〉で視る事は出来ない。
それが、寇となって 発見される事が多いのだが、これは 必要不可欠な倆の副作用であり、致し方ない事である。
だから、魔法使いは 戦闘中でも一箇所に留まる事を避けてきた。
高速で翔びながらであれば、敵を振り切れる為だ。
しかし、今日の様に 半実体で〔海の妖精〕と共にいては、それも適わない。
実際、弱い〔海の妖精〕が単独で恐竜を仆せる筈がない、と云う憶測をされ 魔法使いの関与がバレた次第だ。
結果〔忘却の郷〕の恐竜の半数と、集まって来た魔人-4人、魔女-2人を仆す事となった。
《 何とか ならないかしら。》
〔海の妖精〕からの呼び出しがきたら、自動的に 他の妖精へ繋がる様に出来ないものか、と真剣に考える。
魔法の回線を弄る事は、然程 難しくはない。
呼んでいる相手が誰かと云う事は、察知可能なのだ。
しかし、要件が何かと云う事に於いては 判り様がない。
それを 他の妖精に振るのは、聊か気が引ける。
悩んだが、結論は 考えるまでもなく 否と決まっていた。
《〔死の妖精〕に代わってもらえば良かった。》
あちらこちらへと放浪し続けている、支配区域を持たない妖精だ。
これは、支配区域での休養を必要としない強者である、と云う証明でもある。
〔海の妖精〕も 支配区域を構えていないが、彼女の場合は 弱すぎて支配区域を維持出来ないだけだ。
根本的に〔死の妖精〕とは 違うのである。
《 何にせよ、これで 採取しなければならない素材は、あの蕾だけ。》
ラノイ達を護る為の魔法具を精製するに 必要不可欠な素材は、あと 1っになった。
清廉なる大木に咲く 清らかなるモノ、それが〔泠祜の葩〕だ。
これは、エスファニア王国の 北の国境-近くにある。
己れの支配区域の中にあるのだから、採取は 難しくない。
ラッケンガルド王国から エスファニア王国に至るまで、20キロ程 距離がある。
隣国とは云え、国家の空白地帯は存在するのだ。
魔法使いの『魔法使い除けの結界』も、同等の距離だけ 離れている。
この間だけ 注意すれば、安全に往復可能だろう。
《 午後に、と云いたい攸だけれど。》
精神的疲労も含め、もう 疲労困憊だった。
翔べば 20分程で目的地へ着くが、最早 翔ぶ気にもならない。
出来る事なら、このまま 後宮で だらだらとしていたい気分だった。
勿論、そんな事は不可能なのだが。
《 こんな事なら、自分で採りに往ったほうが 楽だった、かも。》
〔人魚の鱗〕と〔深海の瞳〕を取引材料にする為に〔海の妖精〕を侑けるとしたが、結果として 楽な選択ではなかった。
〔海の妖精〕に関わらず 己れで採取に出向けば、同じ時間を費やしても これ程の疲労はなかっただろう。
時間短縮の為に引き請けた筈だが、頓でもなかった。
《 暫く 休んで………。》
昼食までの間 休憩して、体力の恢復を図ろう と惟った攸で、後宮の入口に 人の気配を見付けた。
王宮から 後宮へやって来る気配の主が判ったのだろう。
魔法使いは、瞠目した。
暫く何事が起きたのかを考えていたが、ふと 気が付いて 窓の外へ視線を向ける。
「ぁ……… 」
良く見れば、晃りは 中天から降り注いでいる。
時刻は、既に 昼食時を迎えていたらしい。
驚いている間に、居室の入口に ラノイが姿を現した。
「アシュリー」
エスファニア王国の北方にある ファイセル王国と フェイアル王国での呼称に、魔法使いは ゆっくりと振り皈った。
〔海の妖精〕に関わっていた時間が、まさか これ程だったとは惟っていなかったのだろう。
しかし、2時間以上が経過している事に納得もしていた。
それだけの時間 困難を強いられていたのだ。
《 疲れている訳だわ。》
密かに溜息を零し、眼線を下げる。
自身の軀で感じている疲労具合に納得している内に、ラノイの腕が伸ばされていた。
「っ きゃ⁈」
ぼうっとしていたせいか、呆気なく 抱き竦められた。
《 きゃああっ⁉︎ 》
此処には、ラノイと 魔法使いの 2人しかいない。
王の寵愛を一身に受ける 唯一の妃、を演じなくとも良い状況だ。
振り払おうが 逃げ出そうが、咎められる事はない。
「アシュリー?」
ラノイは、抱き締めたまま 魔法使いの額に手を当てた。
右腕で 彼女の柳腰を抱いたまま、左手で 額の熱を計る。
「熱がある……… 」
独白の様に呟かれた言葉に、魔法使いは ぴくりと肩を揺らせた。
2時間以上、断続的に魔法を使っていたのだ。
軽い発熱-状態になっていても、仕方がないと云える。
尤も、ラノイには 発熱の原因について談せない訳だが。
《 っ は、離れなければ!》
抱き締められている事も そうだが、熱がある所以を知られたくはなかった。
しかし、この体勢のままでは いろいろと知られたくない事も見抜かれかねない。
「アシュリー、どう……… 」
「は、離してください」
魔法使いは ラノイの言葉を遮る勢いで言い、軀を捩る様にして 腕から遁れようとする。
抱き締められる事に抵抗を感じる彼女が こうして抗うのは、いつもの事だ。
しかし、ラノイは この時の魔法使いに違和感を懐いたらしい。
「アシュリー?」
疑問を投げ掛けられそうだと察したのだろう。
魔法使いは、ラノイから顔を乖向けた。
「大丈夫です、何とも……… 」
「ない、と 言うのか?」
自分から睛を乖らした魔法使いの態度に、ラノイの声が 硬質なモノへと変化し始めていた。
これは 怒り始めている訳ではなく、疑いを濃くしているだけと惟われる。
しかし、今の魔法使いには 充分な威圧になっていた。
「だ、ぃじょぶ、です から」
今の彼女は、エスファニア王国の男爵-セレディン=ラグロス=ハーシュフェルダーとの遣り取りを思い出して、過剰に脅えているのだ。
かの青年は、ラノイと同じく 戒縛の仂を具えており、更には 嘘や詭りを見抜く能力 -〈真眼〉を具えていた。
エスファニア城で 共に過ごした半年の間に、嘘も方便も 綜て見抜かれてきた。
ラノイに、その能力はない と判っているが、それでも 反射的に恐怖してしまう。
《 あの方とは、違う から っ。》
そう 己れに云い聆かせても、匿し事をしているだけに 脅えは消えない。
この事が また ぎこちなさを呼び、余計 信憑性をなくしていると理解していても、脅えを匿せないのだ。
「アシュリー、私を見ろ」
ラノイの命令には、戒縛の仂が乘る。
魔法使いである彼女にとって、忤う事の出来ない『命令』となる。
「ぁ っ」
それまでと異なる震えを帯びた軀を抱き締めたまま、ラノイは 魔法使いの顔を覗き込む。
命令に因って 見詰め合う状態になった蒼い瞳を じっと瞰して、ラノイは 労る様に頬を撫でた。
「池の滸にいたそうだが、軀を冷やしたか?」
アイシアや シノンから聴いていたのだろう。
ラノイは『冷えたから部屋に戻る』と云う方便と 今-現在の微熱状態を併せて、原因と判断した様だ。
「 ………大丈夫です」
嘘の誥けない問いに、嘘のない答えを返す。
小さく返答をして、再び 腕から抜け出す努力を再開する。
ラノイの胸に手を当て、離れるべく 力を入れる。
尤も、ラノイは、元々 文系の王ではない。
内乱の時には 躬ら太刀を揮い、軍を率いて闘った。
戦場の鬼神と云う異名も〔獅子王〕と云う渾名も、伊達ではないのだ。
そんな青年の腕から遁れるのは、生半な事ではない。
この程度の抵抗で抜け出せる訳がないのである。
勿論、戦闘に際し 強者である武闘家としての技や〔森の妖精〕としての能力を使用すれば、抜け出せるだろう。
だが、それをすれば、流石のラノイも 無傷では済まない。
因って、自粛してしまい 実力行使に及べなくなっている。
「今日は、此処へ食事を搬ばせよう」
ラノイの気遣いに、魔法使いは すぐに首を振った。
「それは 出来ません」
未だ、毒の危難は去っていない。
ラノイを含め、シズも クランツも、毒を取り込んでしまう可能性は高いのだ。
況してや、数時間前に ミラベルとベロニカの遣り取りを聴いているだけに、予断を赦さないと推測される。
再び 同じ毒物を使用され、その場に 魔法使いがいなければ、確実に 口にしてしまう。
服毒すれば、数分も経たずに 嘔吐や腹痛・眩暈と云う症状を もよおす事になる。
「この程度、大した事はございません。わたしに 役目を果たさせてください」
真面目すぎる科白に、ラノイは 僅かに顰めっ面になった。
ラノイにとって、彼女は『仮初めの妃』と云う存在ではない。
出会いは偶然の様なモノであり 馴れ初めこそ強引であったが、ラノイは 彼女を愛し始めていた。
特別になりつつある事に ラノイ-自身が気付いている中で、彼女の無理を容認するのは難しかった。
しかし、魔法使いの主張も判る。
彼の中で、小さな葛藤が生まれていた。
「だが……… 」
異母兄のシズや 側近のクランツが害される事は厭だが、魔法使いに無理をさせてまで となると、やはり 躇ってしまう。
「大丈夫です、わたしを お役立てください」
意見を変える様子はないと看て、ラノイは 小さく溜息を零した。
「判った」
言うが早いか、ラノイは 銀髪の美女の軀を擁え上げた。
「っ⁈」
軽々と抱き擁えられた魔法使いは、唐突の事に 喫驚を飲み込んだ
これに、ラノイは 浅い笑みを向ける。
「体調が悪い時くらい、休んでほしいものだがな」
体調を垉したのなら、休養を取ってほしい。
だが、王妃は 後宮で食事をする事など出来ないと云う。
勿論、王妃の懸念する攸も判るのだが
自分としては、極力 体力を使わせたくない。
熱があると云うのに 折れる気がないのであれば
双方が納得の出来る折衷案を出すしかない。
どうしても昼食に同席すると言うのなら
移動に縣る体力の消耗くらいは避けるべきだ。
ラノイの笑みは、如実に そう語っていた。
擁えられたまま王族用の食事の間へ移動する と察して、魔法使いの顔色が変わった。
「だっ 大丈夫ですっ」
すぐ態 降ろしてほしいと云わんばかりに、ラノイの肩に腕を突っ張る。
惶てぶりと 抵抗の仕方が可愛らしく見えたのか、ラノイの笑みが深くなった。
「夫が 妃を擁えて連れ廻しても、問題はないぞ?」
「そっ ⁉︎」
反論をしようとしたのだろう 魔法使いが、急に押し黙った。
抵抗も罷めた攸から、ラノイにも察しが付いた様だ。
「私の剋ちだな」
小さく囁いた直後、足音が聴こえてきた。
ばたばたと走って来る足音は、1人のモノではない。
駆け込んで来たのは、シノンと 後宮の女官-2人だった。
「お妃さ っあ!」
真っ先に駆け込んで来たシノンは、魔法使いの姿に気付いて声を掛けようとし、遅れて 彼女を抱き擁えているラノイに気付いた。
そんな感じの反応だった。
シノンは、喫驚しつつも すぐに国王に礼を執る。
惶てて低頭したシノンの後ろから 他の女官達も入室し、同様の反応を見せた後 低頭した。
3人は、姿を消した王妃を捜して 走り廻っていたのだろう。
シノンは それ程でもないが、遅れて入って来た2人の女官達は 呼吸を荒くしている。
深々と礼を執って尚、荒く上下している女官達の肩を ラノイの腕の中から瞰して、魔法使いは 表情を湮ませた。
仕方がなかったとは云え〈位相空間〉にいた事と〔海の妖精〕の我儘に付き合っていたが為に、彼女達の動向に気付けずにいた。
冷えた と言って後宮に戻った筈の妃が、居室にいなかったのだ。
昼食の時間だ と呼びに来た女官達が受けた衝撃と 動揺を惟うと、済まない気分になる。
「 ––––––––––––––– 」
魔法使いが 女官達に声を掛けようとしたのを察したのか。
「さぁ、参るぞ」
ラノイは、大股で歩き出した。
〔獅子王〕に擁えられ 低頭している女官達の間を通って、魔法使いは 後宮を迹にする事になった。




