エミリアとカサンドラ
エミリアへの拍手が、ようやく静まった。
国王は満足げにうなずき、王妃ヴァレリアが彼女の手を取る。二人に促され、エミリアは招待客たちの輪へ加わっていった。
『さあ、あなたの出番ですわ』
頭の中で、カサンドラが私を急かす。
アレクシスに頼まれた以上、エミリアに声をかけないわけにはいかない。
私は扇で口元を隠した。
「分かってるよ」
『声に出さないでください。周囲に聞かれます』
「声に出さないと、そっちに返事できないでしょ」
私たちは頭の中で会話できるわけではない。
今、身体を動かしているのは私だ。主導権を持っていないカサンドラの声は、私の頭の中に直接聞こえてくる。しかし、私の考えていることはカサンドラには伝わらない。彼女へ返事をするには、実際に口を動かす必要がある。
『返事など必要ありません。黙って従いなさい』
「はいはい」
『返事は一度で結構です!』
私はため息をこらえ、エミリアのもとへ歩み寄った。
「エミリア・ハインツ様ですわね」
声をかけると、エミリアは驚いたように目を瞬かせた。それから緊張を残した笑顔を浮かべ、私へ頭を下げる。
「はい。カサンドラ様ですね。お声をかけてくださって、ありがとうございます」
「王太子殿下から、あなたが社交界に不慣れだとうかがいましたの」
エミリアは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに小さくうなずいた。
「その通りです。こういう場所へ来るのは初めてで、何をすればよいのかも分からなくて……」
彼女の視線が、広間を行き交う人々の間をさまよった。
周囲の貴族たちは、エミリアを遠巻きに眺めている。期待に満ちた目もあれば、値踏みするような目もある。誰もが、突然現れた聖女候補がどのような人間なのか見定めようとしていた。
知らない人ばかりの場所で、あれだけの視線を向けられたら緊張するのも当然だ。
「そんなに心配しなくても大丈夫です。今夜は、陛下や王妃様から紹介された方々に挨拶をしていれば――」
『お待ちなさい』
カサンドラの鋭い声が頭の中で割り込んだ。
『何ですの、その話し方は』
私はエミリアから顔をそらし、扇で口元を隠す。
「何って、普通に話してるだけだけど」
『それがいけないと言っているのです。わたくしが初対面の相手を、そのように甘やかすと思いますか?』
「困ってるんだから、助けてあげればいいでしょ」
『あなたは今、カサンドラ・ヴァレンティアなのです。もっと厳しくお話しなさい。わたくしを別人にするつもりですか?』
確かに、突然カサンドラの性格が変われば、周囲に怪しまれるかもしれない。
「どれくらい厳しく?」
『まず、背筋を伸ばすよう言いなさい。視線を下げるな。誰に話しかけられても、おびえた顔を見せるな、と』
「それ、初対面の人に言う?」
『言います。早くなさい』
「カサンドラ様?」
エミリアが不思議そうにこちらを見ていた。
まずい。独り言を聞かれたかもしれない。
私は扇を閉じ、彼女へ向き直った。
「失礼。では、はっきり申し上げますわ」
「はい」
「先ほどから、うつむいてばかりですわね」
エミリアの肩が小さく揺れた。
「も、申し訳ありません」
『すぐ謝るなとお言いなさい』
注文が多い。
「それもおやめなさい」
「え?」
「何も悪いことをしていないのに、簡単に謝るものではありませんわ。あなたは国王陛下が皆の前で紹介した聖女候補です。そんなあなたがおびえていては、陛下の見る目まで疑われます」
言いすぎたかもしれない。
エミリアの顔が曇ったのを見て、私は続きをためらった。
『そこで止めたら、ただの嫌みではありませんか。最後までおっしゃい』
カサンドラに促され、仕方なく言葉を続ける。
「背筋を伸ばしなさい。話す相手の目を見て、聞き取れる声で挨拶をするのです。全員に好かれようとする必要はありません。今夜だけは、あなたが聖女にふさわしい人間だと信じさせればよいのですわ」
エミリアは目を丸くしていた。
怒らせただろうか。
しかし彼女は逃げ出さず、ぎこちない動きで背筋を伸ばした。伏せていた顔を上げ、私の目をまっすぐに見る。
「このような姿勢でしょうか」
『顎が上がりすぎです』
「顎を少し引いて」
私が指摘すると、エミリアは素直に直した。
「これでいかがでしょう」
「先ほどよりは、ましですわ」
『“まし”ではなく、“よろしい”でしょう。そこまで性格が悪い女にしないでくださいませ』
誰の真似をしていると思っているんだ。
危うく口に出しそうになり、私は唇を結んだ。
「ありがとうございます、カサンドラ様」
「礼を言われるようなことはしておりませんわ」
「いいえ。皆さん、私に優しい言葉をかけてくださいます。でも、何をすればよいのか、はっきり教えてくださったのはカサンドラ様が初めてです」
エミリアは先ほどよりもしっかりと私の目を見ていた。
「少し怖いですけれど、とても分かりやすかったです」
「怖いは余計ですわ」
そう答えると、エミリアが小さく笑った。
『何を笑っているのです、あの女は』
カサンドラの機嫌は悪いままだ。しかし、私が普通に優しく接するよりも、カサンドラらしい厳しさを交えたほうが、エミリアとの会話はうまくいったらしい。
そこへ、王妃ヴァレリアが近づいてきた。
「エミリア嬢、皆に挨拶をしてくれてありがとう。今夜は大勢の方が来ているから、疲れたら遠慮なく休んでちょうだい」
「お気遣いありがとうございます、王妃様」
今度のエミリアは、うつむかなかった。背筋を伸ばし、王妃の目を見て答えている。
王妃ヴァレリアはその変化に気づいたのか、満足そうにほほ笑んだ。
「カサンドラ嬢が、いろいろと教えてくれたのね」
「はい。とても厳しくご指導いただきました」
「まあ。それはカサンドラ嬢らしいわ」
どうやら王妃にも、カサンドラは人に厳しい令嬢として知られているらしい。
王妃はエミリアの肩へ手を添えた。その仕草は慈愛に満ちていたが、視線はすぐに周囲へ移る。招待客たちがエミリアをどう見ているのか、確かめているようだった。
王妃の後ろから、一人の侍従が銀髪交じりの男を連れてきた。
「王妃陛下。宮廷会計官のマルセル・ローデン伯爵が、今夜の祝宴にかかる費用についてご報告に参りました」
ローデン伯爵…そんなキャラいたっけな…?




