悪女との約束
扉の向こうから、ロザリーの声が聞こえた。
「白い百合でございます」
その返事を聞いてから、カサンドラは黙り込んでいた。
『……本当に、招待状と一緒に届いたのですね』
「うん。私の言ったとおりでしょ」
『まだ、あなたの話をすべて信じたわけではありません』
「分かってる。でも、少しは信じてくれた?」
『信じるとは言っていません。ただ、無視できなくなっただけです』
廊下から足音が近づいてきた。
「カサンドラ、入ってもよいか」
男の声が聞こえた瞬間、身体の奥から強い感情がせり上がってきた。
「お父様……」
私の口から、カサンドラの声がこぼれた。
『身体を代わったの?』
『お父様の前で、あなたに話させるわけにはいきません』
扉が開き、黒髪に銀が混じった壮年の男が入ってきた。手には封の切られた書状を持っている。
「もう起きていたのだな。ロザリーから、今朝は具合が悪かったと聞いた。医師を呼ばせようか?」
「いいえ、お父様。少し頭が痛んだだけですわ。もう大丈夫です」
カサンドラは背筋を伸ばし、いつもの令嬢らしい顔をつくった。
オズワルド公爵は娘の顔色を確かめるように見つめた。
「顔色がよくない。無理をする必要はないぞ」
「ご心配をおかけしました」
その声に、オズワルドの眉間の皺が深くなる。娘を案じているように見えた。
ゲームの最終回。処刑台の下で、彼は涙を流していた。あの悲しみは本物だったのだろうか。
「王家の使者が招待状を届けてきた。封は私が切り、内容を確かめた」
オズワルドは書状を机に置いた。
「三日後、王宮で社交期の開幕を祝う舞踏会が開かれる。王族や高位貴族だけでなく、社交期に王都へ滞在する貴族たちが広く招かれている」
招待状の後ろには、もう一枚、王家からの知らせが添えられていた。
「当日は、聖女候補に選ばれたエミリア・ハインツ嬢も、貴族たちへ紹介されるそうだ」
頭の中で、カサンドラが小さく息を呑んだ。
『エミリア……』
『聖女候補って、聖女そのものじゃないの?』
『違います。聖女にふさわしい力を持つ者が候補に選ばれ、神殿で改めて見定められるのです』
生まれ持った癒やしの力が見つかった者が、聖女候補として選ばれる。エミリアはまだ聖女と決まったわけではなく、舞踏会で王家から貴族たちへお披露目されるのだ。
『では、カサンドラは聖女候補じゃないの?』
『わたくしに癒やしの力はありません。そもそも、聖女になるつもりもありませんわ』
カサンドラは公爵令嬢で、王太子妃を目指している。聖女候補とは立場も目的も違う。
オズワルドは、招待状の脇に置かれた白い百合を指した。
「これは、候補者の故郷に咲く花だそうだ。王家が彼女を紹介する席に飾るらしい」
「そうでしたの」
カサンドラは平静を装ってうなずいた。
「出席できそうか?」
「もちろんですわ。ヴァレンティア家の令嬢が、社交期の開幕を欠席するわけにはまいりません」
「体調を優先しなさい。お前が休んだところで、家の立場が揺らぐことはない」
「ご心配には及びません」
オズワルドはしばらく娘を見つめ、それから彼女の肩に手を置いた。
「何かあれば、いつでも父に相談しなさい。私はお前の味方だ」
「ありがとうございます、お父様」
彼は安心したように頷き、部屋を出ていった。
扉が閉まると、カサンドラが息を吐いた。
『お父様は、あなたの話を信じているのでしょうか』
「どうかな。心配はしてたみたいだけど」
『わたくしの父親です。当然ですわ』
その言い方は、少しだけ硬かった。
「それより、これからどうするか決めよう」
『あなたは、わたくしの未来を知っていると言いましたね』
「うん。半年後、あなたはエミリアに毒を盛った罪を着せられて処刑される」
『わたくしは、そのようなことをするつもりはありません』
「でも、ゲームではそうなる。あなたの知らないところで、誰かが罪を仕立てるのかもしれない」
『その犯人が誰なのかは?』
「分からない。ゲームでは真犯人が明かされなかったから」
『役に立ちませんわね』
「私だって、知ってたら苦労してないよ!」
カサンドラは小さく鼻を鳴らした。
『未来を知るというからには、何でも分かるのかと思いました』
「私は結末を見ただけ。登場人物が画面にいない間、何をしていたかまでは分からない。だから、この世界を生きてきたあなたの知識が必要なの」
『つまり、わたくしにも協力しろと?』
「そう。私の知ってる未来と、あなたの知ってるこの世界のことを合わせれば、処刑を避けられるかもしれない」
『あなたがわたくしの身体から出ていけば済む話では?』
「出方が分からないんだから仕方ないでしょ」
しばらく、互いに黙った。
「協力しようよ。少なくとも、あなたが処刑される未来を変えるまでは」
『条件があります』
「何?」
『未来について知っていることは、隠さずわたくしに話すこと。それから、人前であなたの好き勝手に振る舞わないこと』
「分かった。あなたも、怒ったからって急に身体を奪わないで」
『努力はします』
「約束してよ!」
『……約束します』
身体の主導権は、今のところ私にある。けれどカサンドラも強い感情に任せて身体を動かせる。どちらかが勝手をすれば、またさっきのような騒ぎになる。
少なくとも、人前では協力する必要があった。
「それと、エミリアに危害を加えないで」
『会ったこともない相手に、今すぐ好意を持てと言われても無理ですわ』
「好きになれとは言ってない。傷つけないでって言ってるの」
『分かっています。ですが、アレクシス様に近づくというなら、何も言わず見過ごすつもりもありません』
「それ、嫌がらせするってこと?」
『牽制です』
「言い方を変えただけじゃん!」
『あなたこそ、エミリアの何を知っているのです? わたくしの大切な方を奪うと聞かされて、黙っていろと?』
「まだ会ってもいないんだから、彼女がどんな人か分からないでしょ」
『だからこそ、確かめるのです』
カサンドラは一歩も引かない。
彼女はエミリアをまだ知らない。ただ、アレクシスの心を奪う相手だと聞かされ、警戒しているのだ。
「じゃあ、こうしよう。嫌いになってもいい。牽制するのも止めない。でも、毒を盛ったり、命に関わることをしたり、後戻りできない嫌がらせはしない」
『……分かりました。わたくしは人殺しではありません。命を危険にさらすような真似はしませんわ』
「約束ね」
『ええ。ただし、エミリアがアレクシス様に近づくなら、わたくしなりのやり方で応じます』
「そこは不安しかないな……」
こうして、私とカサンドラの間に、ひとまずの約束ができた。
未来を知る私と、この世界の常識を知るカサンドラ。
互いを信用してはいない。それでも半年後の処刑を避けるため、協力するしかなかった。
「まずは三日後の舞踏会だね」
『ええ。エミリア・ハインツ……どのような方なのか、わたくし自身の目で確かめて差し上げますわ』
カサンドラの声には、まだ警戒と、アレクシスをめぐる嫉妬が滲んでいた。




