三人目
「エミリアです。昼間の調査記録について、確認したいことがございます」
扉の外から声がした。
「ちょうどよかった」
『よくありませんわ!』
カサンドラの声が、頭の中へ響く。
『まさか、あの女へ協力を求めるおつもりですの?』
「ほかに頼める人がいないでしょ」
扉が開き、二人の神官に挟まれたエミリアが入ってきた。
「大司教様から、短時間だけ面会の許可をいただきました」
「扉は開けたままにします。会話はこちらにも聞こえる声でお願いします」
見張りの神官に告げられ、エミリアはうなずいた。
「昼間の調査記録を読み返していたのですが、私の記憶と食い違っていないか、確認させていただけませんか?」
エミリアが、机の上の蝋板へ目を向ける。
これなら、二人で筆談をしても記録を確認しているように見える。
「もちろんですわ」
私はエミリアと並んで机へ座った。見張りから蝋板の表面が見えないよう、背中を扉へ向ける。
鉄筆を取り、昼間の記録の下へ新しい文字を刻んだ。
〈悪魔祓いへ細工をした人間を捕まえたい〉
エミリアが目を見開く。
「最初に割れたのは、祭壇から見て右側の壺でしたか?」
私は見張りに聞かせるため、声に出して尋ねた。
「はい。その次が、祭壇に近い壺だったと思います」
エミリアも話を合わせながら、蝋板へ返事を書く。
〈何をすればよいのですか?〉
〈偽物の証拠を使って、証拠を消そうとする人物をおびき寄せる〉
儀式準備室には、壁際へ据えつけられた大きな保管箱がある。祭具を収めるためのもので、一人では動かせないほど重い。
そこへ白い陶器の粉を固めた偽物を入れ、新たな証拠が発見されたと思わせる。
〈明朝、儀式に参加した五人の修道女が、祭具の整理のため準備室へ集まる〉
〈その場で、別の白い物質が見つかったと伝えてほしい〉
〈正午に王宮薬師へ渡され、成分と入手先を調べられる、と〉
実際には、新しい証拠など存在しない。
『王宮薬師へ渡される前に、証拠を消さなければならない。そう思わせるのですね』
私は小さくうなずいた。
エミリアには、王太子から聞いた話として五人へ伝えてもらう。嘘だと知られる危険はあるが、王太子の名前が出れば、犯人も無視はできないはずだ。
私は蝋板の端へ、簡単な図を描いた。
保管箱の蓋から、細い糸を箱の背後へ伸ばす。その先の木片で小さな呼び鈴を支え、下には金属盆を置く。
蓋が開けば糸に引かれて木片が外れ、呼び鈴が盆へ落ちる。箱の後ろへ隠しておけば、正面から仕掛けは見えない。
『音だけでは足りませんわ』
カサンドラが言った。
『箱の取っ手へ、油を混ぜた顔料を塗りなさい。触れた者の手へ、落ちにくい色を残すのです』
染料袋を使うより、ずっと簡単だ。
私はカサンドラの案を書き加えた。
〈箱の取っ手の裏側へ、油を混ぜた紫色の顔料を塗る〉
〈箱へ触れた人物の手や手袋に色が残る〉
呼び鈴の音が箱を開けたことを知らせ、紫色の顔料が触れた人物を示す。
〈関係のない方が開けるかもしれません〉
〈五人全員へ、調査が終わるまで箱には絶対に触れないよう伝える〉
〈それでも人目を避けて開けた者が、証拠を消そうとした人物〉
箱を開けたことだけで、儀式へ細工した犯人だと断定はできない。
けれど、王宮薬師へ渡されるはずの証拠を消そうとした理由を追及すれば、必ず次の手がかりにつながる。
「最後の壺が割れたのは、砂時計の砂が落ちきった直後でしたね」
「はい。間違いありません」
見張りに怪しまれないよう、ときどき昼間の調査について質問を交わしながら、筆談を続ける。
〈なぜ、私なのですか?〉
〈私たちは監視されている〉
〈罠を仕掛け、近くで見張れる協力者が一人だけ必要〉
エミリアなら、聖女候補として祭具の整理を手伝っても不自然ではない。
準備室に隣接する祈祷室には、祭具の受け渡しに使う小窓がある。そこからなら、姿を隠したまま保管箱を見張れる。
だが、エミリアの手は止まったままだった。
やがて、震える指で文字を刻む。
〈私にできるでしょうか〉
〈仕掛けを失敗したら?〉
〈犯人に見つかったら、どうすれば……〉
無理もない。
エミリアは騎士ではない。誰かを騙した経験もないはずだ。
『そこまで不安なのでしたら、別の者を――』
カサンドラが言いかけ、黙った。
代わりになる人間がいないことは、彼女にも分かっている。
『……犯人を捕らえる必要はありませんわ。危険を感じたら、すぐ逃げるようお伝えなさい』
私はカサンドラの言葉を蝋板へ移した。
〈完璧にやらなくていい〉
〈危険だと思ったら中止して〉
〈犯人が来ても捕まえず、顔を確認したら逃げて人を呼ぶ〉
〈失敗しても、あなたを責めたりしない〉
エミリアが顔を上げた。
「壺が割れる前に、何か音は聞こえましたか?」
「いいえ。祈りの声しか聞こえませんでした」
声には、まだ不安が残っている。
それでもエミリアは深く息を吸い、再び鉄筆を握った。
〈怖くないと言えば、嘘になります〉
〈それでも、協力させてください〉
続けて、ゆっくりと書く。
〈人の手で悪魔の仕業を作れるのなら、これからも無実の方が悪魔にされるかもしれません〉
〈その方法を放置したくありません〉
『相変わらず、綺麗なことをおっしゃいますわね』
カサンドラの声には、まだ少し棘があった。
『ですが……逃げるべきときには、必ず逃げるよう念を押しなさい』
私はうなずき、調査で使った紙を一枚取った。
蝋板の陰へ隠しながら、作戦の手順と仕掛けの図を書いていく。
必要な道具。
糸を結ぶ位置。
顔料を塗る場所。
小窓からの逃げ道。
最後に、危険を感じたら作戦を中止することも書き添えた。
〈この紙を見ながら準備して〉
〈仕掛け終えたら、祈祷室の蝋燭で燃やして〉
紙を小さく折り畳む。
エミリアが調査記録を確認するふりをして身を寄せた。その隙に、折り畳んだ紙を蝋板の下へ滑らせる。
エミリアは蝋板を戻す動きに紛れて紙を取り、神殿服の袖へ隠した。
〈誰も箱へ近づかなかった場合は?〉
〈罠は諦める〉
〈残った壺の破片と香炉を調べ直す〉
罠だけに、すべてを賭けるつもりはない。
「確認できました。ありがとうございます」
エミリアは鉄筆を置き、蝋板の表面を丁寧にならした。
秘密の文字も図も、柔らかな蝋の中へ消えていく。
「明日の調査で、何か分かることを願っています」
「ええ。わたくしもですわ」
エミリアは一礼し、作戦書を袖へ隠したまま神官たちの前を通り過ぎた。
呼び止められることはなかった。
扉が閉まり、鍵がかかる。
『……気に入りませんわ』
「頼もしかったじゃん」
『そこが気に入らないのです!』
私は、文字の消えた蝋板へ触れた。
二人だけでは作れなかった罠。
それを動かすための、三人目が加わった。




