罠を仕掛けましょう
自分の話を終えると、部屋には静けさが戻った。
私は机の上に広げた調査記録へ目を向ける。
明日の日没までに、悪魔の仕業ではないと証明できなければ、私たちは聖セレナ修道院へ送られる。
「そろそろ事件のことを考えないとね」
『そうですわね』
カサンドラの声には、先ほどまでの棘がなかった。
紙には、悪魔祓いで起きたことを書き並べてある。
儀式前から感じていた胸の苦しさ。
香炉へ火が入ったあとに強まった喉の痛み。
一つずつ順番に割れた七つの聖壺。
壺の底に残っていた、正体不明の白い物質。
そして、それを持ち去った灰色の女。
「儀式で起きたことは、全部つながってると思う」
『わたくしたちを苦しませ、その直後に聖壺を割る。それで悪魔の仕業に見せかけたのでしょう』
「でも、どうやったのか分からない」
『でしたら、仕掛ける機会があった者から考えましょう』
私は紙の中央へ、五人の修道女の名前を書いた。
テレサ。
ベアトリス。
アニエス。
クララ。
マリアンヌ。
全員が悪魔祓いの儀式に参加し、祭具へ触れている。白い物質を奪って逃げたのも女性だった。
まず調べるべきなのは、この五人だ。
テレサは祭具の管理、ベアトリスは聖壺の運搬、アニエスは聖水、クララは香炉への点火と砂時計、マリアンヌは香炉と壺の配置を担当していた。
「壺に細工できたのは、テレサかベアトリスかな」
『保管中に触れたのなら、ほかの三人にも機会はあります』
「香炉に何か入れたのは、クララかマリアンヌ?」
『香は儀式前から入っていました。当日運んだ者が、準備したとは限りませんわ』
「アニエスは聖水……。でも、聖水に触れたときは平気だった」
『それだけでは、疑いから外せません』
「結局、全員怪しいんだね」
役割を整理しても、候補は一人も減らなかった。
全員に機会があり、誰にも決定的な証拠がない。
「灰色の女が、この五人の誰なのか分かればいいんだけど」
『顔を隠していました。外套も布靴も、神殿では珍しいものではありません』
「一人ずつ見張る?」
『わたくしたちは一つの身体です。五人を同時に見張ることなどできませんわ』
分かっている。
五人を順番に調べる時間もない。最初の一人を外しただけで、期限を迎えてしまう。
ゲームなら、失敗した場面からやり直せた。
一つの選択肢を試し、登場人物の反応を記録する。うまくいかなければ前へ戻り、別の答えを選ぶ。
けれど、この世界では時間を戻せない。
今回は、私が正しい選択肢を探すのではない。
犯人に選ばせればいい。
「罠を仕掛けよう」
『どのような?』
「白い物質が、もう一つ見つかったって嘘をつくの」
『奪われたものとは別に、ですか?』
「今日、壺の破片を調べたら、割れ目の奥に少しだけ残っていたことにする。それを明日の正午に、王宮の薬師へ渡すって五人に伝える」
『材料の正体が分かれば、入手先までたどられる可能性がありますわね』
「犯人なら、薬師に渡る前に消したいはず」
私は紙の余白へ、小さな箱を描いた。
「白い陶器の粉を証拠に見せかけて、箱へ入れておく」
『箱ごと持ち去られたら終わりですわ』
「昼間、祭具準備室で見た保管箱を使えないかな」
準備室の壁際には、祭具の台帳や貴重品を保管するための木箱があった。鉄の帯で補強され、底は太い金具で机へ固定されている。
『あの箱なら、犯人はその場で蓋を開け、中身だけを処分するしかありませんわね』
「でも、開けた人が誰なのか分かる仕掛けが必要だよ」
箱が空になっただけでは、犯人を特定できない。
触れた瞬間に、その人物だと分からなければならない。
私は部屋を見回した。
壁には、祈りの時間を知らせる小さな鐘から紐が垂れている。
「箱を開けたら、音が鳴るようにできないかな」
『鐘を使うのですか?』
「机の下に金属の皿を置く。その上に細い木片を渡して、小さな鐘を載せておくの」
私は箱の下へ、簡単な仕掛けを描いた。
「箱の蓋と木片を、細い糸でつなぐ。蓋を開けると糸が引かれて、木片が抜ける」
『支えを失った鐘が、金属の皿へ落ちるということですわね』
「うん。かなり大きな音が鳴るはず」
机に床まで届く布を掛ければ、下に隠した鐘も糸も見えない。
『ですが、音を聞いてから駆けつけたのでは、犯人に逃げられるかもしれません』
「逃げても分かる印をつけよう」
『印?』
「箱を開けた人にだけ、色がつくようにするんだよ」
方法までは思いつかない。
すると、カサンドラが答えた。
『神殿には、写本の彩色に使う顔料があります。紫色の顔料を油で溶けば、皮膚や衣服へ付着し、簡単には落ちません』
「取っ手に塗る?」
『開ける前に気づかれます。染料を入れた小さな革袋を、蓋の内側へ隠すのです』
革袋は、蓋の手前側にある装飾板の裏へ固定する。袋の口は、箱を開ける者へ向けておく。
栓と箱の底を、細い糸でつなぐ。
蓋を持ち上げれば糸が張り、革袋の栓が抜ける。蓋と一緒に袋も傾き、中の染料が開けた者の手や胸元へ流れ落ちる。
「同じ動きで、机の下の木片も抜く」
箱の蓋を開けた瞬間、鐘が金属皿へ落ちる。
同時に、蓋の裏から紫色の染料が降りかかる。
逃げたとしても、手や袖、髪に残った色までは隠せない。
「これなら、誰が箱を開けたのか分かる」
『ええ。罠を知らなければ、避けることも難しいでしょう』
犯人を見つけた。
そう思いかけて、私は首を横へ振った。
「でも、この罠だけで儀式に細工した犯人だと決めるのは駄目だよね」
『誰かに命じられ、証拠を消しに来る可能性もありますわね』
「この罠で分かるのは、白い物質を恐れて、証拠箱を開けた人まで。その人から事情を聞いて、ほかの証拠も探さないと」
『まずは灰色の女を捕らえる。それが真相へ近づく第一歩ですわ』
私は紙へ、必要な物を書き出した。
白い陶器の粉。
細い糸。
小さな鐘。
金属の皿。
木片。
革袋。
紫色の顔料。
油。
書き終えたところで、手が止まった。
「……これ、どうやって用意するの?」
私たちは、悪魔憑きの疑いをかけられている。
部屋の外には二人の神官が立ち、移動するときにも必ず監視がつく。
保管箱の蓋へ革袋を隠し、机の下へ鐘や金属皿を置いていれば、すぐに見つかるだろう。
『調査の最中に、少しずつ仕掛ければ――』
「無理だよ。細い糸を結んで、染料の袋を隠して、机の下に鐘まで置くんだよ。エリアス様の目の前ではできない」
『では、大司教へ事情を話しますか?』
「罠を知ったら、五人への警備を強くすると思う。いつもと違う動きを見られたら、犯人が警戒するよ」
『アレクシス殿下へお願いするのは?』
「王太子に、机の下へ潜って罠を作ってもらうの?」
『……それは許されませんわね』
罠を作ったあと、その場で箱を見張る必要もある。
鐘が鳴ってから駆けつけただけでは、私たちが後から染料をつけたと言い逃れされるかもしれない。
私たちの代わりに仕掛けを作り、そのまま近くへ隠れて、犯人が箱を開ける瞬間を見届けてくれる者。
そのような人物が、一人いればいい。
「二人だけじゃ、罠を仕掛けられないね」
カサンドラも、すぐには答えなかった。
私たちは一つの身体にいる。
二人で考えることはできても、別々の場所で動くことはできない。
罠は完成している。
犯人を誘い出す方法もある。
足りないものは、一つだけだった。
『協力者が一人、必要ですわね』
カサンドラの声が、静かな部屋に響いた。




