調査
調査は、悪魔祓いが行われた礼拝室から始まった。
エリアスを先頭に、アレクシスとエミリア、二人の神官が続く。私はその中央を歩かされていた。
両脇には監視の神官がいる。調査への立ち会いを認められただけで、自由になったわけではない。
『余計なことをせず、まずは現場をよくご覧なさい』
頭の中に響くカサンドラの声に、私は返事をせず、小さくうなずいた。
礼拝室の扉が開かれる。
床を濡らしていた聖水は、すでに拭き取られていた。中央には、儀式で座らされた椅子が残っている。その周囲では、七つの聖壺の破片が、それぞれ別の白い布の上に分けて置かれていた。
祭壇の前には銀色の香炉。
壁際には、砂の落ちきった砂時計。
昨夜ここへ忍び込んだときと、ほとんど変わっていない。
「許可なく祭具へ触れないでください」
エリアスが告げる。
「見ることと、質問することは認めていただけるのですね?」
「神官の監視下であれば」
「それなら、紙と筆記具を貸してください」
「何に使うのです?」
「儀式で起きたことを、順番に整理します」
神官から受け取った紙を机に広げ、私は昨日の出来事を書き始めた。
最初に、銀の器に入った聖水へ指先を浸した。
その直後には、何の異変も起きなかった。
次に、香炉へ火が入れられた。
エリアスが祈りを始め、白い煙が礼拝室へ広がった。しばらくして喉が痛み、息苦しさと動悸が強くなった。
そして、エリアスが「悪しき存在よ、その身から立ち去りなさい」と唱えたとき、カサンドラの怒りが爆発した。身体の主導権が彼女へ移り、私たちは椅子から立ち上がった。
その直後、一つ目の聖壺が割れた。
少し間を置いて二つ目、三つ目と続き、最後の壺が割れたのは、砂時計の砂が落ちきった直後だった。
「聖水へ触れた直後には、異変がなかったのですね」
アレクシスが確認する。
「はい。あのときは、指先が冷たいと感じただけでした」
「苦しくなったのは、香炉へ火が入ったあとか」
「そうです。でも……」
私は昨日の朝からの出来事を思い返した。
起きて、朝食を済ませた。ロザリーたちに着替えを手伝われ、髪を整えてもらった。慌ただしく屋敷を出て、父と馬車に乗った。
「神殿へ着く前から、胸元に少し苦しさを感じていました。コルセットの締めつけが強いだけだと思っていたんです」
「屋敷にいた時点で、体調に異変があったということですか?」
「はっきりとは分かりません。朝食も、いつもどおりでした。紅茶が少し渋く感じたくらいで……でも、急いで飲んだからかもしれません」
神殿で起きたこととは無関係な、ただの体調不良かもしれない。
それでも、私は紙の一番上へ書き加えた。
――屋敷を出る前から、胸に軽い苦しさがあった。
「念のため、公爵家にも確認しよう」
アレクシスが従者へ命じた。
「昨日の朝食に使われたものと、給仕を担当した者を調べてくれ」
従者が一礼し、礼拝室を出ていく。
私は次に、銀色の香炉へ目を向けた。
「儀式で使われた香は残っていますか?」
「燃え残りと灰は、こちらに保管されています」
神官が、小さな陶器の容器を机へ置いた。
中身は黒と灰色が入り交じっている。見ただけでは、何が燃やされたのか分からない。
「昨日の煙に、普段との違いはありませんでしたか?」
私が尋ねると、エリアスはしばらく考えた。
「香りそのものに、明らかな違いは感じませんでした。ただ、私も一度咳き込みました。クララも目を痛そうにしていたと記憶しています」
「私以外にも影響が出ていた……」
「ですが、あなたほど激しい症状を示した者はいません」
煙に刺激の強いものが混じっていたとしても、それだけでは私だけが激しく苦しんだ理由を説明できない。
神官が、香の保管箱と出納帳を持ってきた。
儀式に使う香は、一回分ずつ紙包みに分けられ、神殿の印で封をされている。使用する者は必要な数を持ち出し、帳簿へ用途を記す決まりだった。
アレクシスが帳簿を開く。
「この印は、使用した数を表しているのか?」
「いいえ」
隣からのぞき込んだエミリアが、頁の端を指さした。
「こちらが持ち出した数で、殿下がご覧になっている印は、香の種類を表しています。神殿で使われている古い記号です」
「よく読めるな」
「聖女候補の勉強で教わりました」
「覚えることも多いだろうに、大したものだ」
「そ、そんな……殿下に褒めていただくほどではありません」
エミリアは頬を赤らめながら、うれしそうに笑った。
アレクシスも、つられるように微笑む。
「君を連れてきて正解だった」
『正解ではありません!』
カサンドラの声が頭の中へ響いた。
『帳簿の記号くらい、神官へ尋ねれば済むことでしょう。なぜ、わざわざあの女を褒める必要がありますの?』
アレクシスとエミリアは、一冊の帳簿を一緒にのぞき込んでいる。頁をめくるたびに顔が近づき、時折、小声で言葉を交わしていた。
『近すぎますわ』
カサンドラの苛立ちが、身体の奥から伝わってくる。
『殿下も、そちらからでは文字が逆さまでしょう。わたくしのいる側へお立ちになればよいのです』
当然、アレクシスには聞こえていない。
「ここにも、同じ印があります」
「本当だ。よく気づいたな」
「殿下が頁を押さえてくださったから、見つけられました」
『調査をしながら褒め合うのは、おやめなさい!』
右手が、私の意思に反してわずかに持ち上がった。
二人の間から帳簿を奪い取りたいらしい。
私は左手で右手を押さえ、何事もなかったように机の下へ隠した。
「カサンドラ?」
アレクシスがこちらを向く。
「どうかしたのか?」
「いいえ。続きをお調べくださいませ」
笑顔を作ったつもりだったが、口元がわずかに引きつっていた。
『どうして、あの女との共同作業を応援するような言い方をするのです!』
カサンドラの怒りを無視し、私も帳簿へ目を戻した。
記録によれば、昨日の朝に保管されていた香は十二包。悪魔祓いの儀式で使用したのは一包だけだった。
けれど、箱に残っていたのは十包だった。
「もう一包、足りないということですか?」
「はい」
神官が答える。
「ただし、記録を書き忘れた可能性もあります。別の礼拝で使用した者がいるのかもしれません」
犯人が二包を香炉へ入れたのか。
誰かが別の目的で一包を使ったのか。
帳簿に書き忘れただけなのか。
今は何も断定できない。
私は紙へ書き加えた。
――香が、記録より一包多くなくなっている。
「次は、聖壺を見せてください」
神官が、一つ目の聖壺を布ごと机の近くへ運んだ。
胴の部分は細かく砕けているが、分厚い底は大きく残っている。亀裂は底の中央付近から、外側へ向かって伸びていた。
二つ目も同じだった。
三つ目も、四つ目も。
七つすべてが、よく似た割れ方をしている。
「外側から叩かれた跡はありません」
エリアスが言う。
「昨夜調べたとき、最後に割れた壺の底に、白いものが残っていました」
「灰色の外套を着た人物が持ち去ったものですね」
「はい」
神官が、最後の壺の底を明かりへ向ける。
台座の内側には小さな空洞がある。その一部に、何かをこすり取ったような跡が残っていた。
「ほかの壺にも、同じ空洞があります」
アレクシスが、並べられた破片を見比べる。
「七つとも底から割れたのなら、この空洞に何かが入っていた可能性はないのか?」
「空洞そのものは、重さを抑えるための構造です」
エリアスが答える。
「ただし、そこへ異物が入れられていた可能性はあります。製造した工房へ確認させましょう」
エリアスは神官へ、聖壺の製造記録と納品時の確認書を調べるよう指示した。
最後に、昨夜の人物からちぎれた布と、神殿で使われている灰色の外套を照合した。
織り方も色も一致している。
ところが、保管されていた外套にも、神官や修道女たちが現在使っている外套にも、破れたものは一着もなかった。
「どこかへ隠したのでしょうか」
エミリアが尋ねる。
「その可能性はあります」
エリアスが答えた。
「保管されていた古い外套を持ち出し、使用後に処分した可能性も否定できません」
エリアスは布切れを小箱へ戻し、再び封をした。
今日の調査で、犯人へ直接つながる証拠は見つからなかった。
分かったのは、いくつもの違和感が残っていることだけだ。
屋敷を出る前から感じていた胸の苦しさ。
香炉の煙が広がってから強くなった喉の痛み。
記録より一包多くなくなっていた香。
底から順番に割れた七つの聖壺。
空洞から持ち去られた白いもの。
持ち主の見つからない灰色の外套。
私は、紙に書いた項目を上から読み返した。
出来事を順番に書き、条件の違いを比べる。ゲームを何度も攻略するうちに身についた癖だった。
窓から差し込む光が、赤みを帯び始めている。
「本日の調査は、ここまでとします」
エリアスが告げた。
筆記具は神官へ返したが、書き留めた紙だけは、エリアスの許可を得て部屋へ持ち帰ることになった。
残された時間は、明日の日没まで。
胸の苦しさも、香炉の煙も、聖壺が割れたことも、すべて同じ原因から起きたと思っていた。
けれど、本当にそうなのだろうか。
一つの出来事に見えているだけで、その内側には、いくつもの原因が隠れているのかもしれない。
今夜、カサンドラと一緒に、もう一度最初から考え直す必要がありそうだった。




