↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
32/39

調査

 調査は、悪魔祓いが行われた礼拝室から始まった。


 エリアスを先頭に、アレクシスとエミリア、二人の神官が続く。私はその中央を歩かされていた。


 両脇には監視の神官がいる。調査への立ち会いを認められただけで、自由になったわけではない。


『余計なことをせず、まずは現場をよくご覧なさい』


 頭の中に響くカサンドラの声に、私は返事をせず、小さくうなずいた。


 礼拝室の扉が開かれる。


 床を濡らしていた聖水は、すでに拭き取られていた。中央には、儀式で座らされた椅子が残っている。その周囲では、七つの聖壺の破片が、それぞれ別の白い布の上に分けて置かれていた。


 祭壇の前には銀色の香炉。


 壁際には、砂の落ちきった砂時計。


 昨夜ここへ忍び込んだときと、ほとんど変わっていない。


「許可なく祭具へ触れないでください」


 エリアスが告げる。


「見ることと、質問することは認めていただけるのですね?」


「神官の監視下であれば」


「それなら、紙と筆記具を貸してください」


「何に使うのです?」


「儀式で起きたことを、順番に整理します」


 神官から受け取った紙を机に広げ、私は昨日の出来事を書き始めた。


 最初に、銀の器に入った聖水へ指先を浸した。


 その直後には、何の異変も起きなかった。


 次に、香炉へ火が入れられた。


 エリアスが祈りを始め、白い煙が礼拝室へ広がった。しばらくして喉が痛み、息苦しさと動悸が強くなった。


 そして、エリアスが「悪しき存在よ、その身から立ち去りなさい」と唱えたとき、カサンドラの怒りが爆発した。身体の主導権が彼女へ移り、私たちは椅子から立ち上がった。


 その直後、一つ目の聖壺が割れた。


 少し間を置いて二つ目、三つ目と続き、最後の壺が割れたのは、砂時計の砂が落ちきった直後だった。


「聖水へ触れた直後には、異変がなかったのですね」


 アレクシスが確認する。


「はい。あのときは、指先が冷たいと感じただけでした」


「苦しくなったのは、香炉へ火が入ったあとか」


「そうです。でも……」


 私は昨日の朝からの出来事を思い返した。


 起きて、朝食を済ませた。ロザリーたちに着替えを手伝われ、髪を整えてもらった。慌ただしく屋敷を出て、父と馬車に乗った。


「神殿へ着く前から、胸元に少し苦しさを感じていました。コルセットの締めつけが強いだけだと思っていたんです」


「屋敷にいた時点で、体調に異変があったということですか?」


「はっきりとは分かりません。朝食も、いつもどおりでした。紅茶が少し渋く感じたくらいで……でも、急いで飲んだからかもしれません」


 神殿で起きたこととは無関係な、ただの体調不良かもしれない。


 それでも、私は紙の一番上へ書き加えた。


 ――屋敷を出る前から、胸に軽い苦しさがあった。


「念のため、公爵家にも確認しよう」


 アレクシスが従者へ命じた。


「昨日の朝食に使われたものと、給仕を担当した者を調べてくれ」


 従者が一礼し、礼拝室を出ていく。


 私は次に、銀色の香炉へ目を向けた。


「儀式で使われた香は残っていますか?」


「燃え残りと灰は、こちらに保管されています」


 神官が、小さな陶器の容器を机へ置いた。


 中身は黒と灰色が入り交じっている。見ただけでは、何が燃やされたのか分からない。


「昨日の煙に、普段との違いはありませんでしたか?」


 私が尋ねると、エリアスはしばらく考えた。


「香りそのものに、明らかな違いは感じませんでした。ただ、私も一度咳き込みました。クララも目を痛そうにしていたと記憶しています」


「私以外にも影響が出ていた……」


「ですが、あなたほど激しい症状を示した者はいません」


 煙に刺激の強いものが混じっていたとしても、それだけでは私だけが激しく苦しんだ理由を説明できない。


 神官が、香の保管箱と出納帳を持ってきた。


 儀式に使う香は、一回分ずつ紙包みに分けられ、神殿の印で封をされている。使用する者は必要な数を持ち出し、帳簿へ用途を記す決まりだった。


 アレクシスが帳簿を開く。


「この印は、使用した数を表しているのか?」


「いいえ」


 隣からのぞき込んだエミリアが、頁の端を指さした。


「こちらが持ち出した数で、殿下がご覧になっている印は、香の種類を表しています。神殿で使われている古い記号です」


「よく読めるな」


「聖女候補の勉強で教わりました」


「覚えることも多いだろうに、大したものだ」


「そ、そんな……殿下に褒めていただくほどではありません」


 エミリアは頬を赤らめながら、うれしそうに笑った。


 アレクシスも、つられるように微笑む。


「君を連れてきて正解だった」


『正解ではありません!』


 カサンドラの声が頭の中へ響いた。


『帳簿の記号くらい、神官へ尋ねれば済むことでしょう。なぜ、わざわざあの女を褒める必要がありますの?』


 アレクシスとエミリアは、一冊の帳簿を一緒にのぞき込んでいる。頁をめくるたびに顔が近づき、時折、小声で言葉を交わしていた。


『近すぎますわ』


 カサンドラの苛立ちが、身体の奥から伝わってくる。


『殿下も、そちらからでは文字が逆さまでしょう。わたくしのいる側へお立ちになればよいのです』


 当然、アレクシスには聞こえていない。


「ここにも、同じ印があります」


「本当だ。よく気づいたな」


「殿下が頁を押さえてくださったから、見つけられました」


『調査をしながら褒め合うのは、おやめなさい!』


 右手が、私の意思に反してわずかに持ち上がった。


 二人の間から帳簿を奪い取りたいらしい。


 私は左手で右手を押さえ、何事もなかったように机の下へ隠した。


「カサンドラ?」


 アレクシスがこちらを向く。


「どうかしたのか?」


「いいえ。続きをお調べくださいませ」


 笑顔を作ったつもりだったが、口元がわずかに引きつっていた。


『どうして、あの女との共同作業を応援するような言い方をするのです!』


 カサンドラの怒りを無視し、私も帳簿へ目を戻した。


 記録によれば、昨日の朝に保管されていた香は十二包。悪魔祓いの儀式で使用したのは一包だけだった。


 けれど、箱に残っていたのは十包だった。


「もう一包、足りないということですか?」


「はい」


 神官が答える。


「ただし、記録を書き忘れた可能性もあります。別の礼拝で使用した者がいるのかもしれません」


 犯人が二包を香炉へ入れたのか。


 誰かが別の目的で一包を使ったのか。


 帳簿に書き忘れただけなのか。


 今は何も断定できない。


 私は紙へ書き加えた。


 ――香が、記録より一包多くなくなっている。


「次は、聖壺を見せてください」


 神官が、一つ目の聖壺を布ごと机の近くへ運んだ。


 胴の部分は細かく砕けているが、分厚い底は大きく残っている。亀裂は底の中央付近から、外側へ向かって伸びていた。


 二つ目も同じだった。


 三つ目も、四つ目も。


 七つすべてが、よく似た割れ方をしている。


「外側から叩かれた跡はありません」


 エリアスが言う。


「昨夜調べたとき、最後に割れた壺の底に、白いものが残っていました」


「灰色の外套を着た人物が持ち去ったものですね」


「はい」


 神官が、最後の壺の底を明かりへ向ける。


 台座の内側には小さな空洞がある。その一部に、何かをこすり取ったような跡が残っていた。


「ほかの壺にも、同じ空洞があります」


 アレクシスが、並べられた破片を見比べる。


「七つとも底から割れたのなら、この空洞に何かが入っていた可能性はないのか?」


「空洞そのものは、重さを抑えるための構造です」


 エリアスが答える。


「ただし、そこへ異物が入れられていた可能性はあります。製造した工房へ確認させましょう」


 エリアスは神官へ、聖壺の製造記録と納品時の確認書を調べるよう指示した。


 最後に、昨夜の人物からちぎれた布と、神殿で使われている灰色の外套を照合した。


 織り方も色も一致している。


 ところが、保管されていた外套にも、神官や修道女たちが現在使っている外套にも、破れたものは一着もなかった。


「どこかへ隠したのでしょうか」


 エミリアが尋ねる。


「その可能性はあります」


 エリアスが答えた。


「保管されていた古い外套を持ち出し、使用後に処分した可能性も否定できません」


 エリアスは布切れを小箱へ戻し、再び封をした。


 今日の調査で、犯人へ直接つながる証拠は見つからなかった。


 分かったのは、いくつもの違和感が残っていることだけだ。


 屋敷を出る前から感じていた胸の苦しさ。


 香炉の煙が広がってから強くなった喉の痛み。


 記録より一包多くなくなっていた香。


 底から順番に割れた七つの聖壺。


 空洞から持ち去られた白いもの。


 持ち主の見つからない灰色の外套。


 私は、紙に書いた項目を上から読み返した。


 出来事を順番に書き、条件の違いを比べる。ゲームを何度も攻略するうちに身についた癖だった。


 窓から差し込む光が、赤みを帯び始めている。


「本日の調査は、ここまでとします」


 エリアスが告げた。


 筆記具は神官へ返したが、書き留めた紙だけは、エリアスの許可を得て部屋へ持ち帰ることになった。


 残された時間は、明日の日没まで。


 胸の苦しさも、香炉の煙も、聖壺が割れたことも、すべて同じ原因から起きたと思っていた。


 けれど、本当にそうなのだろうか。


 一つの出来事に見えているだけで、その内側には、いくつもの原因が隠れているのかもしれない。


 今夜、カサンドラと一緒に、もう一度最初から考え直す必要がありそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。