明日の日没
「今、舌打ちをしなかったか?」
アレクシスに尋ねられ、私は口元を押さえた。
「気のせいですわ」
「私にも聞こえました」
エミリアまで言う。
『余計なことを……』
カサンドラの不満げな声が頭の中に響いた。返事をすれば、また独り言だと思われる。私は聞こえなかったふりをして、アレクシスに尋ねた。
「それより殿下、なぜこちらへ?」
「君の父上が昨夜、王宮へ来た。君が神殿に留め置かれたと聞いて、何が起きたのか確かめに来たんだ」
アレクシスの目には心配が浮かんでいる。けれど、私の言葉を信じきっているわけではなさそうだった。
「私の話を信じてくださるのですか?」
「まずは君から話を聞きたい。判断はそのあとだ」
カサンドラが小さく息をのむ。
『殿下は、わたくしのために……』
喜んでいる場合じゃない。私は気持ちを切り替え、儀式で起きたことを話した。
祈りの最中に息苦しくなったこと。七つの聖壺が順番に割れたこと。牢を抜け出して礼拝室を調べたところ、白いものを持ち去る人物に襲われたこと。
「その人物の顔は?」
「見ていません。灰色の外套を着ていて、背丈はわたくしと同じくらいでした。追いかけたとき、外套の布をちぎり取っています」
「その布は、エリアス大司教に渡したのか」
「はい。大司教様が封をして保管されています」
アレクシスはうなずいたが、表情は慎重なままだった。
「君が襲われたという話は調べる。ただし、牢を抜け出して見張りを倒したことも、封印された礼拝室へ入ったことも事実だ。そこは別に確かめる必要がある」
「分かっています」
悔しかったが、反論はできなかった。
「エミリア様も、殿下と一緒にいらしたのですね」
「今朝、王妃様に呼ばれて王宮へ来ていました。殿下が神殿へ向かうと聞いて、同行をお願いしたんです」
エミリアは私を見つめる。
「舞踏会のとき、カサンドラ様は私に厳しく助言してくださいました。だから、何があったのか知りたかったんです」
『恩を返すつもりですの?』
カサンドラの声には棘があった。
私は返事をせず、エミリアへ小さくうなずいた。
扉が開き、エリアスが入ってきた。
「話は聞こえていました。ですが、カサンドラ嬢を自由にすることはできません」
「彼女を解放しろとは言っていない」
アレクシスは、従者から受け取った書状を示した。王家の封蝋が押されている。
「国王陛下は、神殿で起きたことの確認を私に命じられた。礼拝室に何者かが侵入し、証拠を持ち去ったという証言もある。王家としても、事件として調べる必要がある」
「布切れだけで、人為的な細工があったとは断定できません」
「だから調べる。神殿が先に調査を進めるなら、王家が介入する必要もない」
エリアスは書状へ目を落とし、しばらく考え込んだ。
「調査は神殿の者が行います。カサンドラ嬢が証拠に触れることも、自由に歩き回ることも認められません」
「それでいい。ただ、彼女には儀式のときの様子を説明させてほしい。必要な記録を見せ、質問に答えられるようにすることも認めてほしい」
「調査への立ち会いは、神官同伴に限ります」
「分かった」
エリアスは私へ向き直った。
「本日の日没までに人為的な細工を示すものが見つからなければ、予定どおり聖セレナ修道院へ移っていただきます」
「待ってください」
アレクシスが一歩前へ出た。
「日没まででは短すぎる。昨夜、実際に何者かが礼拝室へ入り、証拠を持ち去った。調査を始める前に、痕跡が消されている可能性もある」
「神殿の判断を、王家が一方的に決めることはできません」
「一方的に決めるつもりはない。王家が調査を引き継ぐ前に、神殿が確認する時間を延ばしてほしいと言っている。調査は神殿の監督下で行い、カサンドラの身柄も預けたままで構わない。期限を、明日の日没まで延ばしてくれ」
エリアスは長く沈黙した。
「明日の日没までです。それ以上は認めません」
「分かった」
「カサンドラ嬢は神官の監視下に置きます。記録や祭具を確認する場合も、私の許可を得ること」
「承知しました」
あと一日。調査の時間を得られた。
『殿下が、わたくしのために期限を延ばしてくださったのですね』
カサンドラの声が、また弾んでいる。
『今は事件に集中して』
『分かっておりますわ』
思わず口が動いていたらしい。
「何か言ったか?」
アレクシスがこちらを見る。
「自分に言い聞かせただけです」
彼は少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
私は事件の手がかりを見落とさないよう、頭の中で順番を繰り返す。
ゲームを何度もやり直したときのように、見たことを記録し、違いを比べる。今度は、画面の中の正解を探すのではない。
自分の目で、目の前にあるものを確かめるのだ。
明日の日没までに、カサンドラへの疑いを晴らさなければならない。




