夜明けの来訪者
「わたくしでは……ありません……」
カサンドラは苦しそうに息をしながら、誰もいない回廊の奥を指さした。
「あの先に……わたくしたちを陥れた者が……」
エリアスは神官たちに周囲を調べさせた。逃げた人物の特徴を尋ねられ、カサンドラが答えられたのは、灰色の外套と黒い布靴、そして自分と同じくらいの背丈だったことだけだ。顔も声も分からない。
五人の修道女たちも、似た色の仕事着と黒い布靴を身につけている。これだけでは誰なのか絞れなかった。
「ですが、確かに居住棟へ逃げ込みました!」
「洗濯室や物置、古い通用口も調べさせています。見つかれば報告があるでしょう」
エリアスの口調は冷静だった。けれど、カサンドラの言葉を信じた様子はない。
カサンドラは袖口から、灰色の布切れを取り出した。
「追いかけた際、相手の外套からちぎれたものです」
エリアスは布を蝋燭の明かりへかざした。
「神殿で作業着に使われている布ですね」
「破れた外套を探してください」
「分かりました」
彼は小箱を持ってこさせ、布を収めた。箱に封蝋を垂らし、自分の指輪を押し当てる。
「私の許可なく開けてはなりません。執務室へ運んでください」
証拠を渡しても、疑いは晴れなかった。
「わたくしは、悪魔の仕業に見せかけられているのです」
「その可能性も調べます。ですが、あなたが地下牢から逃げ、見張りを倒し、封印された礼拝室へ侵入したことも事実です」
カサンドラは唇をかんだ。無実を証明するためとはいえ、私たちがしたことは消えない。
そのとき、カサンドラが激しく咳き込んだ。膝から力が抜け、神官たちに支えられる。
「別の部屋へお連れしてください」
「また、わたくしを閉じ込めるのですか?」
「見張りを倒して逃げた方を、自由にはできません」
「無実を証明するために――」
「そのためなら、何をしても許されると?」
カサンドラは反論できなかった。神官たちに支えられ、私たちは別の部屋へ連れていかれた。
◇
新しい部屋には寝台と机しかなかった。窓には板が打ちつけられ、扉の外には二人の神官が立っている。
カサンドラが寝台へ腰を下ろすと、身体の感覚が揺れた。遠ざかっていた手足の感覚が戻り、私は寝台へ倒れ込む。
「代わった……」
『こんなときに限って、またあなたですのね』
「私が好きで代わったわけじゃないよ。大丈夫?」
『同じ身体なのですから、あなたも苦しかったでしょう』
「それはそうだけど」
『わたくしは問題ありません』
強がっているのが、声で分かった。
「白いものは奪われた。犯人の顔も見てない。これだけじゃ、誰なのか分からないよ」
『布切れは残りました』
「でも、あれだけじゃ足りない」
『何もないよりはましです』
私は天井を見つめた。
「私たち、このまま修道院へ送られるのかな」
『わたくしは、あのような場所で一生を終えるつもりはありません』
「私だって嫌だよ。でも、もう部屋から出られない」
『でしたら、考えなさい。あなたはトゥルーエンドを探すために、同じげぇむを三か月も繰り返したのでしょう?』
「今回はやり直しできないんだけど」
『だからこそ、一度で正解を見つけるのです』
私は、礼拝室で見たものを思い返した。底から割れた七つの壺。空洞に残った白い塊。それを持ち去った灰色の人物。そして、顔へ浴びせられた正体の分からない何か。
儀式のときと、どこか似ている気がする。けれど、何が同じなのかは分からなかった。
「犯人は、私たちが礼拝室へ来ると知ってたのかな」
『牢を抜け出すことは、直前に決めました。そこへ偶然、わたくしたちが現れたのでしょう』
「じゃあ、あの人は証拠を消しに来ただけ?」
『おそらくは』
扉の向こうに見張りがいる。証拠も手がかりも失った。私たちにできることは、今は何もなかった。
窓の外が明るくなり、朝を告げる鐘が鳴った。
しばらくして、神殿の正門前へ馬車が止まる音がした。続いて、複数の靴音が廊下を進んでくる。
「こんな朝早くに、誰だろう」
『お父様ではなくて?』
足音は部屋の前で止まった。
「こちらの部屋へ入ることは許可できません」
「国王陛下の許可は得ている」
扉越しに、凛とした男性の声が響いた。従者が王家の印で封じられた書状を神官へ差し出したらしい。
「王太子として、悪魔憑きの疑いをかけられた公爵令嬢へ話を聞きに来た。責任は私が負う。扉を開けろ」
その声を聞いた瞬間、カサンドラの気配が弾んだ。
『この声は……!』
「うれしそうだね」
『喜んでなどおりません。未来の王太子妃を案じて訪れるのは当然ですもの』
「まだ選ばれてないけど」
『いずれ、そうなるのです!』
鍵が外れ、重い扉がゆっくりと開いた。
朝の光を背に、王太子アレクシスが立っていた。王家の紋章を刺繍した濃紺の外套に、銀糸を施した白い上着。長い金髪は整えられ、腰には儀礼用の剣を帯びている。
顔にはわずかな疲れが見えたが、背筋はまっすぐ伸びていた。護衛を廊下に残し、彼は一人で部屋へ入ってくる。
私を見つけると、青い瞳に心配の色が浮かんだ。
「カサンドラ」
『殿下が、わたくしのために……』
カサンドラの声が、すっかり浮かれている。
『美咲、今すぐ代わりなさい』
「できないよ」
「カサンドラ?」
アレクシスが不思議そうに首を傾げた。
「な、何でもありませんわ」
どうにか笑顔を作る。カサンドラが彼を好きになるのも分かる。見た目も声も立ち姿も完璧だ。それに、悪魔扱いされている令嬢のもとへ、朝一番で駆けつけてくれた。
ところが、アレクシスの後ろから、もう一人の少女が部屋へ入ってきた。
白を基調とした神殿服。胸元には聖女候補を示す淡い青色の飾り布。亜麻色の髪を下ろし、緊張した顔でこちらを見つめている。
エミリア・ハインツ。ゲームのヒロインだ。
『どうして、あの女までいるのです!?』
カサンドラの喜びが一瞬で消えた。
「カサンドラ様、ご無事ですか?」
エミリアが心配そうに近づく。
『殿下と一緒に来る必要が、どこにありますの!』
「助けに来てくれたのかもしれないでしょ」
『頼んでおりません!』
「カサンドラ?」
アレクシスに呼ばれ、私は笑顔を取り繕った。
「何でもありませんわ」
その瞬間、舌だけが一瞬、カサンドラに奪われた。
「ちっ」
舌打ちだ。




