お茶会の代わりに
三週間にわたる特訓の結果、身体の主導権を自由に交代する方法は見つからなかった。
それでも、お茶会の時間は待ってくれない。
淡い青色のドレスを着た私は、鏡の前で立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
『本当にあなたが、この身体を動かしたまま行くのですか?』
「八十六回試して駄目だったんだから、仕方ないでしょ」
『アレクシス殿下へ失礼な態度を取ったら許しませんわよ』
「分かってる。それより、ルシアンと話している途中で急に出てこないでね」
『どうして、わたくしが護衛騎士に遠慮しなければならないのです?』
口論しながら部屋を出る。
三週間にわたる特訓の結果、身体の主導権を自由に交代する方法は見つからなかった。
それでも、お茶会の時間は待ってくれない。
朝食を急いで済ませ、ロザリーたちに手伝われながら身支度を整えた。今朝の紅茶は少し渋かったが、ゆっくり味わっている余裕もなく、水で流し込んでしまった。
淡い青色のドレスを着た私は、鏡の前で立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
『本当にあなたが、この身体を動かしたまま行くのですか?』
「八十六回試して駄目だったんだから、仕方ないでしょ」
『アレクシス殿下へ失礼な態度を取ったら許しませんわよ』
「分かってる。それより、ルシアンと話している途中で急に出てこないでね」
『どうして、わたくしが護衛騎士に遠慮しなければならないのです?』
口論しながら部屋を出る。
慣れないドレスのせいか、今日は胸元の締めつけが少し強く感じられた。私は襟元へ指を入れ、息を整える。
廊下では、ロザリーをはじめとする侍女たちが待っていた。
いつもなら、そのまま玄関まで案内してくれるはずだ。
しかし今日は、誰も動かなかった。
「どうしたの? 馬車が来てるんでしょ?」
ロザリーは唇を結んだまま、私の前へ立っている。
「お嬢様。申し訳ございません」
「何が?」
「本日は、王宮へお出かけいただくことができません」
『何を言っているのです!』
「どうして?」
思わず声を荒らげると、侍女たちが一斉に肩を震わせた。
廊下の奥から、父オズワルド公爵が姿を現す。
「私が止めたんだ」
「お父様が?」
「アレクシス殿下には、体調が優れないため欠席すると伝えてある」
『勝手なことを!』
「このお茶会を、三週間も楽しみにしていたんですよ!」
「分かっている。だが、今のお前を王宮へ行かせることはできない」
「私は元気です」
「自分では、そう思っているのだろう。だが、今のお前が正しく判断できているとは思えない」
父の後ろには、見慣れない男たちが立っていた。
白い衣の上から濃紺の外套をまとい、胸元には太陽をかたどった神殿の紋章をつけている。
「神殿の人……?」
『なぜ、神官が屋敷にいるのです?』
ロザリーが、意を決したように顔を上げた。
「私どもが、旦那様へご相談いたしました」
「何を?」
「お嬢様が、毎晩お一人で言い争っておられることです。急に口調が変わり、ご自分をカサンドラ様ではないかのようにお呼びになることもございました」
「それは……」
「手足がご意思とは別に動いているようにも見えました。何かに命令されているようなお言葉も……」
すべて見られていた。
浴室の外にいた侍女たちは、私の声しか聞くことができない。
彼女たちには、私が誰もいない場所で言い争い、突然手足を暴れさせているように見えていたのだ。
『余計なことを報告しましたわね』
「カサンドラが毎晩騒ぐからでしょ」
答えた直後、廊下が静まり返った。
父と侍女たちが、青ざめた顔で私を見つめている。
「……今、誰と話したんだい?」
「違うんです。これは……」
『違いません。わたくしと話しているのでしょう』
「黙ってて!」
「お嬢様!」
ロザリーが口元を押さえた。
またやってしまった。
父がゆっくりと私へ近づき、両肩へ手を置く。
「カサンドラ。正直に答えてほしい。お前には、誰かの声が聞こえているのか?」
「それは……」
「恐れる必要はない。私はお前を助けたいだけだ」
父の目には、怒りではなく心配が浮かんでいた。
だからこそ、何も答えられなかった。
二つの魂が一つの身体に入っている。
そんなことを話して、信じてもらえるはずがない。
「神殿へ行こう」
父が静かに告げた。
「信頼できる方に、すでに相談してある」
『お断りします! わたくしはアレクシス殿下のお茶会へ参ります!』
「私も行きたいけど、今は逆らわないほうがいいよ」
「やはり、誰かと話しているのだね……」
父の表情がさらに暗くなった。
こうして私は、お茶会へ向かうはずだった馬車へ、父と一緒に乗せられた。
馬車が進み始めても、カサンドラの怒りは収まらなかった。
『今すぐ引き返すよう命じなさい!』
「無理だよ。ここで暴れたら、もっと疑われる」
『わたくしを何だと思っているのです!』
「悪魔に取り憑かれた令嬢だと思ってるんじゃない?」
口に出した瞬間、嫌な予感がした。
神殿。
悪魔。
様子がおかしくなったカサンドラ。
この組み合わせを、私は知っている。
「待って……」
ゲームには、若き大司教を攻略するルートがあった。
聖女候補であるエミリアが神殿へ出入りするようになり、若くして大司教となった男と出会う物語。
そのルートで、カサンドラは悪魔に魂を売った疑いをかけられる。
どれほど無実を訴えても信じてもらえず、王都から遠く離れた修道院へ送られる。
高い塀に囲まれた部屋へ幽閉され、二度と外の世界へ戻ることはない。
処刑こそされない。
しかし、家族にも、愛するアレクシスにも会えないまま、一生を終える。
大司教ルートでも、カサンドラの異変を心配した父が、彼女を大神殿へ連れていく場面があった。
それが、修道院へ幽閉される破滅の始まりだった。
「まずい……」
『何がですの?』
「これ、大司教ルートのバッドエンドにつながる流れだ」
父が向かいの席から私を見る。
「何が始まるんだい?」
「何でもありません!」
否定した声が、馬車の中に響く。
けれど、もう遅かった。
窓の外には、大神殿の白い尖塔が見えていた。
馬車が正門を通り、石造りの建物の前で止まる。
引き返す間もなく、神官たちに案内された。
長い回廊を進み、最も奥にある部屋へ通される。
その中央に、一人の男が立っていた。
白銀の髪。
穏やかな金色の瞳。
年齢はアレクシスたちと、それほど変わらないように見える。
しかし、身にまとった白い法衣には、大司教だけに許された金色の刺繍が施されていた。
若き大司教、エリアス・クローヴェル。
ゲームの攻略対象の一人。
画面で何度も見た顔が、私を静かに見つめている。
「お待ちしておりました、カサンドラ・ヴァレンティア嬢」




