↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/39

私の身体を返しなさい!!!

『今すぐ、わたくしの身体から出ていきなさい!』


 頭の中で、カサンドラの怒鳴り声が響いた。


「出ていけって言われても……どうやって?」


『そんなこと、わたくしが知るはずないでしょう!』


「じゃあ無理だよ!」


『無理ではありません! 入ってこられたのなら、出ることもできるはずです!』


「私だって、好きで入ったんじゃない!」


 鏡に映るカサンドラの口が、私の言葉に合わせて動いている。


 声も手足も、今は私の意思に従っていた。


 けれど頭の中から聞こえるのは、間違いなくカサンドラ本人の声だ。三か月間、ゲームで何度も聞いてきた。


 ただ、今の彼女はいつもと違う。


 ゲームのカサンドラは、どれほど追い詰められても堂々としていた。今は自分の身体を奪われ、完全に動揺している。


『わたくしは昨夜、いつもどおり自分の寝台で眠りました。ところが目を覚ましたら、身体が勝手に動き始めたのです!』


「私も目を覚ましたら、こうなってたんだよ!」


『あなたが何かしたのでしょう!』


「してない!」


『では、なぜわたくしの身体にいるのです!』


「知らないって言ってるでしょ!」


 私が声を張り上げた瞬間、右手が勝手に持ち上がった。


「え?」


 右手が頬をつねる。


「いひゃい!」


『出ていきなさい!』


「痛いのはそっちも同じでしょ!」


『この程度、なんともありませんわ!』


 右手がさらに強く頬を引っ張った。


 私は左手で右手首をつかむ。


『離しなさい!』


「そっちが先に離して!」


 鏡の前で、自分の右手と左手がつかみ合った。


 右手はカサンドラ。


 左手は私。


 一つの身体を使って、二人で喧嘩している。


「待って! このままだと腕が変な方向に曲がる!」


『でしたら、抵抗をやめなさい!』


「嫌だよ!」


 しばらく引っ張り合った末、右手から急に力が抜けた。


 私は慌てて左手を離す。


「今の、カサンドラが動かしたの?」


『自分の手を動かしただけです』


「今は私の手でもあるんだけど」


『わたくしの身体です!』


 また頭の中で怒鳴られた。


 この女、画面越しでも話が通じないと思っていたけど、実際に話すと想像以上だ。


「喧嘩しても仕方ない。まずは、今の状況を確認しよう」


『あなたに指図される筋合いはありません』


「じゃあ一人で確認してよ」


『できるなら、そうしています!』


「だったら協力するしかないでしょ!」


 カサンドラが黙った。


 納得したわけではないらしい。頭の奥から、歯ぎしりするような気配が伝わってくる。


 私は恐る恐る右手を上げた。


 今度は素直に動く。


 左手を上げ、足を一歩前へ出す。


「今は私が全部動かせるみたい」


『返しなさい』


「返し方が分からないんだって」


 そう答えた途端、身体の奥から強い力が湧き上がった。


 手足から感覚が遠ざかる。


 指を動かそうとしても、動かない。


「返しなさいと言いました」


 私の口から、カサンドラの声が出た。


『ちょっと、待って!』


 今度は私の声が頭の中に響いた。


 鏡も、部屋も見えている。頬に触れる髪の感触も分かる。


 それなのに、身体を動かせない。


 自分の身体の奥へ押し込められたようだった。


「ようやく戻りましたわ」


 カサンドラは両手を確認し、安堵の息を漏らす。


 鏡へ近づき、自分の顔や髪を念入りに確かめた。


『どうやったの?』


「わたくしが知るはずないでしょう」


『私が分からないと怒ったくせに』


「黙っていてくださる?」


『怒ったから、身体を取り戻せたのかな』


「あなたのような侵入者に身体を奪われれば、誰でも怒ります!」


 カサンドラが鏡台を叩いた。


 その瞬間、身体が大きく揺れる。


「あっ」


 手足の感覚が戻ってきた。


 鏡台を叩いた右手の痛みとともに、私は再び身体の主導権を取り戻す。


「戻った……」


『どうして!?』


 カサンドラの声が頭の中から響いた。


 どうやら、強い感情が湧いた瞬間だけ、カサンドラも身体を動かせるらしい。ただし、長くは続かない。


 今のところ、身体の主導権は私にある。


 そう考えていると、部屋の扉が叩かれた。


「お嬢様?」


 若い女性の声だった。


「先ほどから大きな声が聞こえておりますが……お入りしてもよろしいでしょうか?」


 私は固まった。


『ロザリーです』


「ロザリー?」


『わたくし付きの侍女です』


 ゲームにも登場した少女だ。


 気が弱く、いつもカサンドラに叱られていた。


「どうしよう」


『平静を装いなさい』


「カサンドラの話し方なんてできないよ!」


『先ほどから、わたくしの話し方を聞いていたでしょう。少しくらい真似なさい』


「聞いただけでできるわけないでしょ!」


「お嬢様? 失礼いたします」


 返事をする前に扉が開いた。


 茶色い髪を後ろで結んだ少女が、銀の盆を持って入ってくる。


 ロザリーは私の顔を見ると、安堵したように息を吐いた。


「お目覚めになったのですね。今朝から何度お呼びしても返事をなさらなかったので、心配いたしました」


「そ、そうなんだ」


 ロザリーの表情が止まった。


『言葉遣い!』


「そうでしたのね」


『声が裏返っていますわ!』


「うるさい!」


「え?」


 しまった。


 ロザリーが目を丸くしている。


「い、いえ。今のは、あなたに言ったのではなくて……」


『額に手を当てなさい』


「なんで?」


 小声で聞き返すと、ロザリーが首を傾げた。


「何かおっしゃいましたか?」


「な、何も言っていませんわ」


『誰もいない場所へ話しかければ、不審に思われて当然でしょう!』


「誰のせいだと思ってるの……」


「お嬢様?」


 またロザリーに聞かれ、私は慌てて口を閉じる。


『体調が悪いことにするのです。早く!』


 私は言われたとおり、額に手を当てた。


「少し、頭が痛みますの」


「やはり、まだお加減が悪いのですか? すぐに医師を呼んでまいります」


『止めなさい!』


「待って!」


 私が手を伸ばすと、ロザリーがびくりと肩を震わせた。


 その反応を見て、思わず手を引っ込める。


 カサンドラが声を荒らげるたび、ゲームのロザリーも同じ顔をしていた。


「医者は呼ばなくて結構ですわ」


「ですが、お嬢様は十二時間以上も眠っておられました。このことを旦那様がお知りになれば、大変ご心配なさいます」


「お父様には知らせましたの?」


「いいえ。お嬢様が大げさにするなとお命じになりましたので、まだ……」


『よかった』


 カサンドラが安堵の息を漏らす。


「どうして安心するの?」


 小声で尋ねると、ロザリーが不安そうに私の顔をのぞき込んだ。


「あの……先ほどから、どなたとお話しになっているのですか?」


「ひ、独り言ですわ」


「ですが、何度も返事をなさっているように聞こえます」


「気のせいです!」


 強く否定すると、ロザリーが一歩後ずさった。


「やはり、お医者様をお呼びしたほうが……」


「必要ありません!」


『声が大きすぎますわ!』


「もう、どっちなの……」


「お嬢様、本当に大丈夫でございますか?」


 ロザリーの顔には、はっきりと心配の色が浮かんでいた。


 これ以上カサンドラと話していたら、本当に医師を呼ばれてしまう。


『身体の中から見知らぬ女の声が聞こえるなどと知られたら、正気を失ったと思われます。王太子妃になる道を閉ざされてしまいますわ』


 こんな状況でも、最初に心配するのは王太子妃になれるかどうからしい。


『ロザリーを下がらせなさい。誰も部屋へ入れないよう命じるのです』


「でも、この子は心配してくれてるよ」


 囁くように反論すると、ロザリーがますます不安そうな顔になる。


 まずい。今のも聞かれた。


「少し一人で休みたいの。しばらく誰も部屋へ入れないで」


「かしこまりました。ですが、何かございましたら、すぐにお呼びください」


「心配してくれて、ありがとう」


 ロザリーが目を見開いた。


「……お嬢様が、私に?」


「え?」


「い、いえ。失礼いたしました」


 ロザリーは慌てて頭を下げ、部屋を出ていった。


 扉を閉める直前にも、心配そうに私を見ていた。


『何を勝手に礼など言っているのです!』


「心配してくれたんだから、普通でしょ」


『主人が使用人へ軽々しく礼を言うものではありません!』


「お礼くらいいいでしょ!」


『よくありません!』


 また言い争いが始まった。


 頭の中で怒鳴られるたびに、頭痛までひどくなってくる。


「もうやめよう。お互いに分からないことだらけなんだから、喧嘩しても仕方ない」


『わたくしは喧嘩などしておりません。侵入者へ退去を命じているだけです』


「出られないんだから仕方ないでしょ」


『死んでもお断りです』


 死んでも。


 その言葉に、私は口を閉じた。


 鏡に映るカサンドラを見る。


 美しい金髪。


 青い瞳。


 この顔が、半年後には断頭台の上にある。


 そして刃が落ちた瞬間、私も一緒に死んでしまうかもしれない。


『何ですの?』


 カサンドラが不審そうに尋ねた。


「私の名前は佐倉美咲。二十五歳。日本という、あなたたちの知らない世界で生きていた」


『何を言っているのです?』


「信じられないと思う。でも、聞いて」


 私は鏡に映るカサンドラの目を見つめた。


「私は、あなたの未来を知ってる」


『わたくしの未来?』


「半年後、あなたは聖女候補に毒を盛った罪を着せられる」


 カサンドラの気配が止まった。


「そして――処刑される」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。