何がハッピーエンドじゃあ!!!!
断頭台の上で、カサンドラ・ヴァレンティアは唇を噛み締めていた。
美しく結い上げられていたはずの金髪は乱れ、白いドレスは泥に汚れている。両手には重い鎖が巻かれ、広場を埋めた群衆から罵声を浴びせられていた。
『悪女!』
『聖女様を殺そうとした報いだ!』
『死んで当然よ!』
カサンドラは悔しそうに顔を歪めた。
声はかすれ、青い瞳は赤く腫れている。何度も無実を訴えたのだろう。それでも涙だけは流すまいと、彼女は必死に堪えていた。
『カサンドラ。最後に言い残すことはあるか』
王太子アレクシスが、冷たい声で尋ねる。
その隣には、純白のドレスを着たエミリアが立っていた。
平民同然の暮らしから聖女候補に選ばれ、王都へ招かれた、このゲームのヒロイン。カサンドラに毒を盛られたとされながらも一命を取り留め、愛する王太子と結ばれることになった少女だ。
『何度言えば、信じてくださいますの……?』
カサンドラが、震える声を絞り出す。
『わたくしは、その女に毒など盛っておりません』
『まだ罪を認めないのか』
『していないことを、どう認めろとおっしゃいますの!』
鎖が激しく鳴った。
カサンドラはアレクシスへ詰め寄ろうとしたが、兵士たちに両肩をつかまれ、押さえつけられた。
『離しなさい! 本当に、わたくしではありません!』
『毒物の購入記録が残っている。お前がエミリアへ菓子を渡す姿も、大勢の人間が目撃している』
『そのようなもの、いくらでも偽れます! なぜ、わたくしの言葉だけを信じてくださらないのですか!』
『お前の父上も、罪を認めるよう求めている』
その言葉を聞いた瞬間、カサンドラの動きが止まった。
処刑台の下に、ヴァレンティア公爵オズワルドが立っていた。
『お父様……』
オズワルドの顔には、深い悲しみが浮かんでいた。
目元には涙がにじみ、握り締めた拳が震えている。娘の姿を直視することさえつらいのか、彼は何度も顔を伏せていた。
『カサンドラ……』
父親は、震える声で娘の名を呼んだ。
『お前は私の大切な娘だ。できることなら、この手で助けてやりたい』
『でしたら、わたくしを信じてください!』
『だが……ヴァレンティア家は、代々王国に仕えてきた家門だ。どれほど娘を愛していようと、犯した罪から逃がすことはできない』
カサンドラの顔から、わずかに残っていた希望が消えた。
『お父様まで……わたくしを信じてくださらないのですか』
『すまない……』
オズワルドは顔を伏せた。
その目から、涙が一筋こぼれ落ちる。
『父親として、私がお前を正しく育てられなかった。その罪は、私も一生背負っていく』
カサンドラは何かを言おうとした。
だが、声にはならなかった。
誰にも信じてもらえない。
愛した男にも。
実の父親にも。
カサンドラは俯き、きつく唇を噛み締めた。血がにじんでも、彼女は泣かなかった。
やがて兵士に促され、断頭台の前へ立つ。
『わたくしは……』
カサンドラはアレクシスとエミリアを見つめた。
その顔にあるのは、無実を証明できない悔しさと、自分を信じなかった者たちへの怒りだった。
『わたくしは、毒など盛っておりません』
最後まで、彼女は罪を認めなかった。
『いつか真実が明らかになったとき、あなた方は今日のことを後悔しますわ』
カサンドラは断頭台へ首を置いた。
重たい刃が落ちる。
画面が暗転した。
数秒後、明るい音楽が流れ始める。
花畑を歩くアレクシスとエミリア。エミリアの左手には指輪が輝き、アレクシスは幸せそうに彼女を抱き寄せている。
画面の中央に、金色の文字が浮かんだ。
――HAPPY END。
「何がハッピーエンドじゃあ!」
私はコントローラーを床へ叩きつけた。
時計は午前二時を回っていた。
テーブルの上には、食べ終わったカップ麺と空の炭酸飲料。床には服や漫画、攻略情報を書き散らしたノートが積み重なっている。
そんなことはどうでもいい。
「またこれかよ! 何が駄目だったんだよ!」
私は攻略ノートを開いた。
選択肢、好感度、入手したアイテム、発生したイベント。三か月間、気づいたことをすべて書き込んできたせいで、ノートはもう三冊目に入っている。
私の名前は佐倉美咲。
二十五歳。無職。恋人いない歴も二十五年。自他ともに認める喪女で、現在は実家に引きこもっている。
そんな私が三か月間、寝る時間まで削って遊び続けているのが、宮廷恋愛乙女ゲーム『聖女と五つの誓い』だった。
聖女候補に選ばれた少女エミリアが、王都の社交界で五人の美しい男たちと出会い、恋をする物語だ。
王太子アレクシス。
第二王子ユリウス。
王国騎士ルシアン。
宮廷魔術師。
若き大司教。
私は五人全員の恋愛ルートを何度も攻略した。
好感度を最大まで上げ、街で発生する依頼も取り逃さずに達成した。怪しいと思った脇役には全員話しかけ、王城の図書室で読める本も一冊残らず調べた。
それでも、ゲームの達成率は九十八パーセント。
回想画面の一番奥には、黒く塗り潰された最後の画像が残っている。その下に表示されている文字は一つ。
――TRUE END。
攻略サイトも掲示板も調べた。
けれど、このゲームが発売されてから三か月、トゥルーエンドへ到達したという報告は一件もない。
公式から発表されているのは、「物語に隠されたすべての真実を明らかにしたとき、本当の結末への道が開かれる」という一文だけだった。
「その真実が分からないから苦労してんだろうが……」
私は頭を抱えた。
そして、このゲームにはもう一つ、どうしても納得できないことがある。
どの攻略対象を選んでも、悪役令嬢カサンドラだけは、ろくな結末を迎えない。
アレクシスルートでは、エミリア毒殺未遂の罪で処刑。
ユリウスルートでは、公爵家の不正に関与したとして国外追放。
ルシアンルートでは、逃亡中に馬車が崖から転落して死亡。
大司教ルートでは、悪魔に魂を売った疑いをかけられ、修道院へ幽閉。
最も扱いがましな宮廷魔術師ルートでさえ、すべての地位を失い、辺境の領地へ送られる。
「どれだけカサンドラを不幸にすれば気が済むんだよ」
ゲームを始めた頃、私はカサンドラが嫌いだった。
美人で、金持ちで、公爵令嬢。幼い頃から王太子妃になるための教育を受け、誰もが彼女に頭を下げる。
私が持っていないものを、全部持っている。
そのうえ、性格まで悪い。
エミリアのドレスにワインをかける。舞踏会の招待状を隠す。取り巻きを使って悪い噂を広める。侍女が失敗すれば、人前でも容赦なく叱りつける。
『身の程を知りなさい』
『わたくしの前から消えてくださる?』
『あなたのような人間に、アレクシス様はふさわしくありませんわ』
嫌な女だ。
本当に嫌な女だ。
最初の頃は、カサンドラがエミリアに言い返されるたび、いい気味だと思っていた。
けれど、何度もゲームをやり直すうちに、カサンドラの別の面が見えてきた。
彼女は、誰にも弱音を吐かない。
アレクシスに冷たくされても、父親から厳しく叱責されても、人前では決して泣かなかった。
取り巻きたちに見捨てられたときも、一人で立ち上がり、
『最初から、あなた方など必要ありませんでしたわ』
と言い放った。
本当は傷ついているくせに、傷ついていないふりをする。
捨てられることが怖いから、自分から相手を切り捨てる。
誰かに助けを求めて拒絶されるくらいなら、最初から一人でいようとする。
ゲームを始めた頃には分からなかった。
けれど三か月間、何度も彼女の人生を見ているうちに気づいてしまった。
カサンドラは、私と似ている。
以前働いていた職場で、同僚が何度も私を食事に誘ってくれたことがあった。
最初は嬉しかった。
でも、いつか嫌われるのが怖くなった。
誘いを断り続け、心配してくれた相手に「放っておいてください」と言い、最後には連絡先まで消した。
どうせ捨てられるなら、その前に自分から離れたほうがいい。
そうやって仕事も友達も失い、私は一人で部屋に引きこもっている。
身分も容姿も、何もかも違う。
それでも、人に嫌われるのが怖いくせに、自分から嫌われるようなことをしてしまうところだけは同じだった。
だから、いつの間にか愛着が湧いていた。
エミリアをいじめる場面では、「それはさすがにやめろ」と腹が立つ。
傲慢な態度を取れば、「だから嫌われるんだよ」と呆れる。
カサンドラが本当は優しい人間だなんて思わない。彼女は間違いなく、多くの人を傷つけてきた。
それでも、どの道を選んでも不幸にならなければならないほど、彼女だけが悪いのだろうか。
トゥルーエンドなら、カサンドラも救われるかもしれない。
そう信じて、私は三か月間やり続けてきた。
それなのに、今回もカサンドラは処刑された。
画面の中では、アレクシスとエミリアが見つめ合っている。
『あなたと出会えて、私は幸せです』
『これからは、誰にも君を傷つけさせない』
「うるせえ!」
私はテレビの前に立った。
「お前ら、自分たちだけ幸せになってんじゃねえ! カサンドラはどうなるんだよ!」
大型テレビの両端をつかむ。
「何が足りなかった? どこで間違えた? もう三か月だぞ! いい加減、トゥルーエンドを見せろ!」
腹立ちまぎれに、テレビを前後へ揺らした。
一度。
二度。
三度目に、テレビ台の脚から嫌な音がした。
「あ」
大型テレビが、ゆっくりとこちらへ傾いてくる。
慌てて逃げようとした足が、床に落ちていたコントローラーのコードへ引っかかった。
「ちょ、待っ――」
何十万円もしたテレビが、私の頭上へ落ちてきた。
激しい衝撃。
目の前で白い光が弾ける。
薄れていく意識の中で最後に見えたのは、上下逆さまになった「HAPPY END」の文字だった。
◇
鳥の鳴き声が聞こえる。
柔らかな風が頬を撫で、甘い花の香りが鼻をくすぐった。
「……生きてる?」
目を開けると、白い天蓋が見えた。
知らない天井だった。
巨大なベッド。金色の刺繍が施されたカーテン。壁に飾られた風景画。私の部屋より広そうな室内には、見るからに高価な家具が並んでいる。
「病院……じゃないよね?」
身体を起こす。
胸元まで伸びた金色の髪が、さらりと肩から滑り落ちた。
「え?」
髪をつかむ。
何度確かめても金色だ。
私の髪は、ろくに手入れもしていない黒髪だったはず。
手も違う。
白くて細い。爪は淡い桃色に磨かれ、指一本に至るまで美しく整えられている。
胸の鼓動が速くなった。
私はベッドを飛び降り、部屋の隅に置かれた姿見へ走った。
鏡の中に、一人の女が立っていた。
腰まで伸びた金髪。
透き通るような白い肌。
大きな青い瞳。
誰もが振り返るほど整った、美しくも気の強そうな顔。
三か月間、画面越しに見続けた女だった。
「カサンドラ……?」
鏡の女も、同じ言葉を口にする。
「嘘でしょ」
頬をつねる。
「痛い!」
夢ではない。
私は、何度も処刑され、追放され、幽閉されてきた悪役令嬢になっている。
「なんでよりによって、カサンドラなの……?」
『……今、誰が話しましたの?』
「え?」
女の声が聞こえた。
背後を振り返る。
誰もいない。
『待って。どうして、わたくしの口が勝手に動いているの?』
声は、私の頭の中から聞こえていた。
鏡の中のカサンドラは、青ざめた顔で自分の手を見つめている。
指先が震えていた。
『あなたは誰ですの? なぜ、わたくしの身体の中にいるのです!』
「私だって知らないよ! 目が覚めたら、あなたになってたんだから!」
『ふざけないで! わたくしの身体を返しなさい!』
カサンドラの声が頭の中で響く。
その瞬間、私の右手が勝手に持ち上がった。
「えっ、なに!?」
鏡の中で、私の手が頬に触れる。
動かしたのは、私ではない。
『いや……やめて! 身体が、わたくしの言うことを聞かない……!』
カサンドラの声が震えた。
私も鏡の中の自分も、同じように怯えている。
私たちの魂は一つの、一つの身体に閉じ込められていた。




