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18/39

悪役令嬢に休日はない

殺人事件から一夜明けた朝。


 私は、カーテンの隙間から差し込む光で目を覚ました。


 柔らかな寝台。静かな部屋。窓の外から聞こえる鳥の声。


 昨日までの騒ぎが、まるで嘘のようだった。


「今日は一日、何もしないぞ……」


 私は布団を頭までかぶった。


 人が殺されるところを見た。


 犯人扱いされ、事情聴取を受け、最後には刃物まで向けられた。


 これだけの目に遭ったのだから、三日くらい寝込んでも許されるはずだ。


『起きなさい』


 頭の中から、容赦のない声が聞こえた。


「今日は休む」


『午前六時です。すでに寝坊していますわ』


「六時は寝坊じゃないよ……」


 扉が叩かれ、ロザリーたち三人の侍女が入ってきた。


「おはようございます、お嬢様」


 返事をする前にカーテンが開けられる。


 朝日が顔へ直撃した。


「まぶしい!」


「申し訳ございません!」


 ロザリーが青ざめ、深く頭を下げた。


「怒ってないよ。ちょっと驚いただけだから」


『その程度で騒がないでください。支度が遅れます』


「誰のせいだと思ってるの?」


「わ、私でしょうか?」


 ロザリーがさらに顔を青くする。


「違う! あなたじゃない!」


『独り言はおやめなさい』


「返事しなかったら、そっちが怒るでしょ!」


 部屋にいる三人の侍女が、一斉に動きを止めた。


「……そっち?」


 しまった。


 私は自分の胸元を指さした。


「自分に言ったの。こちら側の私が、怠けている自分を叱ったのよ」


 ロザリーたちは納得していない顔をしていたが、それ以上は尋ねなかった。


『朝から見苦しい言い訳ですこと』


 殺人の疑いは晴れたのに、正気を疑われる危険は何も解決していなかった。


 寝台から降りると、すぐに着替えが始まった。


 寝間着を脱がされ、下着を整えられ、胴着の紐を締められる。その上から何枚も布を重ね、最後に朝食用のドレスを着せられた。


「これくらい、自分で着られるよ」


『その服を一人で着られると?』


「やってみないと分からないでしょ」


 三十分後。


 私は左右の袖を取り違え、背中の紐へ腕を引っかけたまま動けなくなっていた。


「ロザリー……助けて」


「ただいま!」


『最初から任せておけばよかったのです』


「一人で着られない服を作るほうがおかしいよ!」


『わたくしに言われても困りますわ』


 着替えを終えると、今度は髪をとかされる。


 編まれる。


 まとめられる。


 飾りをつけられる。


 少し顔を動かすたび、ロザリーから「そのままでお願いいたします」と注意された。


 ようやく解放されたころには、起きてから一時間が経過していた。


 朝食後は歴史の授業だった。


 白髪の家庭教師が、分厚い本を机へ置く。


「前回の続きです。アルディア王国との国境協定が結ばれた年をお答えください」


「……」


 知らない。


 ゲームにも出てこなかった。


『王国暦三百十二年です』


「王国暦三百十二年です」


「正解です。では、協定が結ばれた理由は?」


『北方の鉱山を巡る争いを収めるためです』


「北方の鉱山を巡る争いを収めるためです」


「仲介役を務めた人物は?」


『リヒャルト・オーウェン侯爵』


「リヒャルト・オーウェン侯爵」


 家庭教師が満足そうにうなずく。


「事件の翌日とは思えない集中力ですな」


 私は引きつった笑みを浮かべた。


 私が考えて答えたものは、一つもない。


 歴史の次は外国語。


 外国語の次は政治。


 昼食を挟み、午後からはダンスの稽古が始まった。


『右足を後ろへ』


「右足……」


『そちらは左です!』


「向きがややこしいんだよ!」


「お嬢様?」


 ダンス教師が不思議そうに私を見る。


「何でもありません。続けてくださいませ」


 音楽に合わせて一歩進む。


『早すぎます』


 一歩下がる。


『遅すぎます』


 身体を回す。


『背中が丸まっています!』


「注文が多い!」


 私の声に、ダンス教師が身をすくめた。


「申し訳ございません」


「違います! 先生に言ったのではありません!」


『その言い訳を、あと何度使うおつもりです?』


「誰のせいなの!」


 その日の稽古で、私はダンス教師の足を四回踏んだ。


 二日目の午前は、領地経営の勉強だった。


 ヴァレンティア公爵領から届いた報告書を読み、小麦の収穫量や橋の修繕費を確認する。


「令嬢が、こんなことまでするの?」


『公爵家の娘なら当然です。領地の状態も知らずに、民を守れると思っているのですか』


「カサンドラって、ちゃんと勉強してたんだね」


『当然でしょう。わたくしを何だと思っていたのです?』


「主人公をいじめて、王子様の恋を邪魔する人」


 カサンドラが黙った。


『あとで覚えていなさい』


 一つの身体に閉じ込められている私へ、あとで何をするつもりなのだろう。


 三日目は、午前中に音楽の稽古。


 午後は、知り合いの伯爵夫人とのお茶会だった。


 紅茶を飲みながら笑っているだけに見えたが、実際は違った。


 話題に出た貴族の名前を一人でも間違えると、カサンドラから即座に訂正が入る。


『その方は、エドワード伯爵の妹です』


「エドワード伯爵の妹で――」


「え?」


 伯爵夫人が首をかしげた。


「いえ。確認しただけですわ」


『その家は第二王子派です。余計なことを話してはいけません』


 私は紅茶を飲むふりをして、小声で答える。


「最初に教えてよ」


「何をでしょう?」


 伯爵夫人に尋ねられ、慌ててカップを置く。


「紅茶が少し熱いと申しましたの」


 その日の夜には、カサンドラが一人で話しているという噂が、屋敷の使用人たちの間に広まっていた。


 四日目は、朝から手紙の返事を書いた。


 事件を心配する手紙。


 無実を信じていたという手紙。


 遠回しに事件の詳細を聞き出そうとする手紙。


 親しくもない相手から、二十通以上届いていた。


「全部、『心配してくれてありがとう』でいいんじゃない?」


『よくありません。相手の身分と関係に応じて、書き方を変えなさい』


「面倒くさい……」


『侯爵夫人には、季節の挨拶を一文加えて』


「まだあるの?」


『そちらの男爵令嬢には、お茶会を断る理由も書きなさい』


「返信だけで一日が終わる!」


『社交界とは、そういうものです』


 夜になっても手紙を書き続け、最後には指が震えていた。


 五日目は、教会での礼拝と慈善活動。


 六日目は、刺繍、詩、王宮での作法、晩餐会での席順を覚える授業。


 そして七日目。


 私は朝から歴史を学び、午後は二時間ダンスを踊り、夕食後には翌週の予定を確認した。


 すべてが終わったころには、外はすっかり暗くなっていた。


 部屋へ戻った私は、ドレスのまま寝台へ倒れ込んだ。


「もう無理……」


 腕が動かない。


 足の裏も痛い。


 人と話しすぎて、口さえ開きたくなかった。


『ドレスにしわがつきます。着替えてから横になりなさい』


「一歩も動けない……」


『だらしないですわね』


「引きこもりだった私にはつらすぎるよ。知らない人と話して、勉強して、踊って、手紙を書いて……また知らない人と話して……」


『今週は事件の直後でしたから、予定を半分に減らしていたのですよ』


 私は、ゆっくりと顔を上げた。


「……今、なんて?」


『本来なら、乗馬と絵画、それから王太子妃になるための教育もございます』


「これで半分?」


『ええ』


「令嬢って、もっと自由なのかと思ってた……」


『どこで、そのような間違った知識を得たのです?』


「乙女ゲーム。毎日きれいなドレスを着て、お茶会や舞踏会に出て、好きな人と恋をして……もっと恋愛三昧で、華やかな生活なのかと」


『あなたは令嬢を何だと思っているのです』


「恋愛ゲームの登場人物」


『否定しきれないのが腹立たしいですわね』


 私は枕へ顔を埋めた。


「現実の令嬢生活は、勉強と仕事ばっかりじゃん。華やかな恋愛なんて、どこにもない」


 カサンドラが、少しだけ間を置いた。


『……それもありますわ』


「え?」


 そのとき、扉が叩かれた。


「お嬢様。王宮からお手紙が届いております」


 ロザリーが、銀の盆を持って入ってくる。


「明日でいい……」


「王太子殿下からでございます」


 身体が勢いよく起き上がった。


 私が動かしたのではない。


 強い感情に反応したカサンドラが、一瞬だけ身体を奪ったのだ。


「今すぐこちらへ!」


 カサンドラの声が、私の口から飛び出した。


 ロザリーが驚きながら封筒を差し出す。


 次の瞬間には、身体の主導権が私へ戻っていた。


「急に元気になったね」


『いいから、早く開けなさい!』


「もしかして、さっき言った“それもある”って……」


『早く!』


 王家の紋章が刻まれた封を切り、中の手紙を開く。


 差出人は、王太子アレクシスだった。


 事件の際に疑うような態度を取ったことを、あらためて謝りたい。


 王宮内の混乱が落ち着き、ローデン伯爵の死からひと月が過ぎたころ、庭園で話す時間を設けたい。


 祝いのための華やかな催しではない。事件に関わった者たちを少人数だけ招き、互いの無事を確かめるための席らしい。


『アレクシス殿下が、わたくしのためにお茶会を……』


 カサンドラの声が、今まで聞いたこともないほど弾んでいる。


 手紙には続きがあった。


 当日は、聖女候補エミリア・ハインツと、護衛役としてルシアンも同席するという。


『どうして、あの女まで来るのです!』


「ルシアンも来るんだ……」


『美咲。当日は、必ず身体を譲りなさい』


「無理だよ。自由に代われないの、知ってるでしょ」


『では、残りの三週間で交代する方法を見つけます!』


「ルシアンと話すときは私だからね」


『この身体は、わたくしのものです!』


「今動かしてるのは私!」


 へとへとだったはずなのに、眠気はすっかり消えていた。


 勉強と仕事に追われる令嬢生活。


 その先には、私が想像していた華やかな恋も、本当に待っているらしい。

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