騎士の一閃
「証拠……証拠か……」
シラスは顔を伏せ、低く笑った。
ガレス隊長が一歩前へ出る。
「シラス医師。五台分の寝台を購入するために預かった金貨は、どこへ消えたのですか?」
「もうありません」
顔を上げたシラスの笑みは、ひどく乾いていた。
「貴族向けの診療所を開くために使いました。慈善院で貧しい者を治療しても、感謝されるだけです。私は王宮医師の肩書だけで終わるつもりはなかった」
「そのために、病人の寝台を買う金を使い込んだのですか」
エミリアが尋ねると、シラスは苦しげに顔を歪めた。
「借りただけです。診療所が軌道に乗れば、何倍にして返すつもりだった」
「けれど、ローデン伯爵はそれを認めなかった」
私の言葉に、シラスの目が細くなる。
「三日前、伯爵は納品業者に確認し、寝台が十五台しか注文されていないと知りました。残りの金貨について、あなたに説明を求めたのですね」
「……そうです」
シラスは、もう否定しなかった。
「私は金貨を返す時間がほしかった。伯爵を説得するつもりでした。ですが、伯爵は明朝にも王妃陛下へ報告すると言った。私の話を聞こうともせず、犯罪者扱いしたのです」
「だから殺したのですか」
ガレスの問いに、シラスはしばらく答えなかった。
「机の上にペーパーナイフがあった。気づいたときには、手に取っていました。一度だけ刺すつもりだった。殺すつもりはなかったんです」
「それで、徽章と書類を鞄に隠したのですか」
「伯爵が胸元をつかんだとき、徽章の留め具が壊れました。破片が落ちたのには気づかなかった。書類を持ち出し、徽章を回収したあと、あの侍女がワインを運んでくる時刻が近いと気づいたんです」
「鏡を動かしたのも、そのときですね」
「カサンドラ嬢が一人でバルコニーへ向かうのを見ました。あの金髪と青い宝石なら、暗い廊下でも目立つ。鏡を使えば、侍女には彼女が小部屋から出てきたように見えると思った」
シラスは私を見た。
「誰でもよかった。たまたま、あなたが一人で歩いていた。それだけです」
『たまたま、ですって……!』
カサンドラの声に怒りがこもる。
『わたくしの命を奪うところだったのに、そんな言い方を――』
「分かってる。今は黙ってて」
私は扇で口元を隠し、小さく答えた。
「何か言いましたか?」
アレクシスがこちらを見た。
「いいえ。続きを聞かせていただきます」
シラスはうつむいた。
彼の告白で、鏡を使った偽証の仕掛けも、不正の記録も、徽章の破片も、ひとつにつながった。
「記録を取れ」
ガレスが部下へ命じた。
「シラス医師を、ローデン伯爵殺害の容疑で拘束する」
二人の騎士がシラスへ近づく。
「待て」
シラスが急に顔を上げた。
「私がいなければ、慈善院の患者たちはどうなる? 王宮は、彼らを救える人間を自分で潰すのか?」
「あなたは彼らを救うための金を使い込み、伯爵を殺した」
王妃ヴァレリアの声は冷たかった。
「連れていきなさい」
騎士がシラスの腕を取ろうとした、その瞬間。
「お前さえいなければ!」
シラスが叫び、私へ突進してきた。
右袖が不自然に揺れる。
そこから、細い刃が閃いた。
鞄は調べられても、刃物は袖の内側に隠していたのだ。
身体がこわばる。
逃げなければと思うのに、足が動かなかった。
『美咲! 避けなさい!』
カサンドラの叫びが頭の中に響いた。
シラスが腕を振り上げる。その前に、ルシアンが割って入った。
私の肩を引き寄せ、刃の軌道から遠ざける。次の瞬間には、シラスの手首をつかんでいた。
「遅い」
低い声とともに、ルシアンが身体を沈める。
シラスの腕を外へ流し、手首をひねり上げた。刃物が床へ落ちる。シラスが振りほどこうともがくが、ルシアンはその勢いを利用して相手の身体を回し、片膝をつかせた。
もう片方の腕を背中へ押さえ、首元を制して動きを封じる。
あっという間だった。
ガレスの部下たちが駆け寄り、シラスの腕に縄をかける。
「武器を隠し持っていたか。身体検査を怠るな」
ガレスが部下へ指示した。
ルシアンはシラスから離れると、すぐに私へ向き直った。
「カサンドラ様、お怪我はありませんか?」
「え、ええ。大丈夫です」
「本当に?」
ルシアンの手が、私の腕や肩に傷がないか確かめる。近くで見る彼の表情は、いつもの落ち着きを失っていた。
「助けてくれて、ありがとう」
「当然のことをしたまでです」
そう言いながら、彼は私の腕を支える手をすぐには離さなかった。
『美咲。いつまで彼の顔を見ているのです?』
カサンドラの声で、私は我に返った。
「……ルシアン、かっこいいかも」
思わず、小さな声が漏れた。
「何かおっしゃいましたか?」
「な、何でもないです!」
慌てて答えると、ルシアンは少しだけ目を細めた。
その向こうでは、シラスが騎士たちに連れられていく。
ローデン伯爵を殺した犯人は見つかった。私たちに着せられた疑いも、ようやく晴れるはずだ。
けれど、刃先が向けられた恐怖は、すぐには消えなかった。
「もう大丈夫です。私がそばにいます」
ルシアンの言葉に、胸の奥がまた跳ねる。
『……あなたが彼に惹かれる理由は、少し分かった気がしますわ』
「カサンドラが好きなのはアレクシス殿下でしょ!」
「カサンドラ様?」
「あっ。いえ、何でもありません!」
私の返事に、ルシアンは不思議そうに首をかしげた。




