犯人
「本当の犯人は、この破片の本体を今も隠し持っています」
私の言葉に、廊下へ集められた者たちの視線が、ガレス隊長の手元へ集まった。
白い布の上には、犯行現場の書類棚の下から見つかった銀色の破片が載っている。
爪の先ほどしかない、小さく湾曲した金属片。
アレクシスが眉を寄せた。
「それが、犯人の持ち物だと断定できるのか?」
「今から確かめます」
私はシラスへ目を向けた。
灰色の上着。革の医療鞄。そして、何もついていない左胸。
「シラス医師。一つ、うかがってもよろしいでしょうか」
「……何でしょう」
「胸元につけていた王宮医師の徽章はどうなさいました?」
シラスの左手が、わずかに動いた。
胸元へ触れかけ、途中で止まる。
「今夜は部屋へ置いてきました」
「舞踏会が始まったときには、つけていらっしゃいましたよね?」
「ええ。ですが、留め具の調子が悪かったので外しました。落としては困りますから、自室の机へ置いてきたのです」
「いつ外したのですか?」
「覚えていません。舞踏会の途中です」
淀みのない答えだった。
けれど、その声はわずかに硬い。
「ガレス隊長。王宮医師の徽章とは、どのようなものですか?」
ガレスは布の上の破片を見ながら答えた。
「銀製です。杖へ蛇が巻きついた形をしており、裏側に衣服へ固定するための留め具がついています」
「その留め具が壊れれば、このような破片が出る可能性は?」
「あります。しかし、この破片だけでシラス医師の徽章だと断定はできません」
「だから、本体を確かめるのです」
私は、シラスが手にしている革の医療鞄を見た。
「その鞄を調べさせてくださいませ」
シラスの顔から、表情が消えた。
「なぜです?」
「徽章の本体が入っているかもしれないからですわ」
「私の徽章は自室にあると申し上げたはずです」
「でしたら、鞄の中から出てくることはありませんわね」
シラスが私をにらんだ。
「これは医療鞄です。患者に関する記録や薬も入っている。軽々しく他人へ触れさせるわけにはいきません」
「重大な疑いが生じた以上、王宮医師であっても例外にはできません」
王妃ヴァレリアが静かに告げた。
「鞄をガレス隊長へ渡しなさい」
「王妃陛下……」
「事件を解決するためです」
拒める状況ではなかった。
シラスは唇をかみ、革の鞄をガレスへ差し出した。
ガレスはすぐには開けず、シラスへ確認する。
「ローデン伯爵の遺体が発見されてから、この鞄を誰かへ預けましたか?」
「いいえ」
「手元から離したことは?」
「ありません」
ガレスがルシアンを見る。
「ルシアン卿。あなたは遺体発見直後から、小部屋の出入口を守っていましたね」
「はい。シラス医師は鞄を持ったまま遺体を確認し、その後も肩から下ろしていません。少なくとも、遺体が発見されてから今まで、誰かが中へ物を入れる機会はなかったはずです」
ガレスがうなずき、鞄を机の上へ置いた。
留め具を外し、中身を一つずつ取り出していく。
包帯。
消毒用の酒。
小さな薬瓶。
革表紙の診療記録。
医療器具を包んだ布。
鞄の中身が机へ並べられていく。
シラスは何も言わなかった。
けれど、奥から取り出される品が増えるたび、顔色が悪くなっていく。
ガレスの手が、鞄の底で止まった。
「これは?」
底に敷かれた布の下から、小さな包みが出てきた。
何重にも折られた白い布。その一部に、赤黒い染みがついている。
ガレスが慎重に布を開いた。
中から現れたのは、銀色の徽章だった。
杖へ蛇が巻きついた、王宮医師の紋章。
表面の細かな溝にも、乾いた赤黒いものが入り込んでいる。
「何かの間違いだ……」
シラスが後ずさった。
「なぜ、それが私の鞄に……」
徽章の裏側を見ると、留め具の一部が不自然に欠けていた。
ガレスは部下へ命じ、犯行現場から見つかった銀色の破片を運ばせる。
破片と徽章が、同じ机の上へ並べられた。
「合わせてみます」
ガレスが布越しに破片を持ち、欠けた部分へ近づける。
二つの切断面が、ぴたりと重なった。
細かな歪みまで、完全に一致している。
誰も声を発しなかった。
「この破片は、この徽章の留め具の一部です」
ガレスが静かに断定した。
「徽章が壊れた場所は、ローデン伯爵が殺害された小部屋だったことになります」
「待ってくれ!」
シラスの声が裏返った。
「徽章が部屋に落ちていたからといって、私が伯爵を殺したことにはならない! 以前、あの部屋へ入ったときに壊れたのかもしれないだろう!」
「では、なぜ徽章を血のついた布で包んでいたのです?」
「これは血ではない! 薬か何かだ!」
この時代には、その赤黒い染みが誰の血なのか調べる方法はない。
それでも、犯行現場で見つかった破片と、赤黒く汚れた徽章。
ただの偶然で片づけるには、あまりにも不自然だった。
『美咲。まだですわ』
カサンドラの声が頭に響く。
『これだけでは、言い逃れを許します』
分かっている。
証拠は、もう一つある。
「ガレス隊長。鞄の中を、最後まで調べてください」
ガレスが鞄の内側へ手を入れる。
側面にある細い仕切りを開くと、折り畳まれた一枚の書類が出てきた。
「王宮会計局の印章があります」
私は、ローデン伯爵の黒い書類箱へ目を向けた。
事件後、ガレスが押収した箱だ。
中の書類には番号が振られている。
四十二。
四十三。
四十四。
そして、四十六。
一枚だけ抜けていた、四十五番の書類。
ガレスが、鞄から見つかった紙を開く。
右上には、はっきりと数字が記されていた。
「四十五……」
アレクシスが低くつぶやく。
ガレスは書類へ目を通し、表情を険しくした。
「慈善院へ納入される寝台についての記録です」
「読んでくださいませ」
ガレスが全員に聞こえる声で読み上げる。
「王家から、寝台二十台分の費用が支払われた。うち十五台分は、納品業者へ支払い済み。残る五台分の金貨は、追加購入費としてシラス医師へ引き渡された。しかし、追加の寝台は現在まで納品されていない」
部屋の空気が凍りついた。
ガレスが書類の下部を見る。
「追加購入費受領者――王宮医師シラス。署名もあります」
「違う……」
シラスが首を横へ振った。
「私は、金を預かっただけだ。寝台の手配が遅れていたのは、業者の都合で……」
「でしたら、なぜこの書類がローデン伯爵の書類箱から消え、あなたの鞄に入っているのですか?」
「知らない!」
シラスは机を叩いた。
「誰かが私を陥れるために、鞄へ入れたのだ!」
「誰かが入れた?」
私は彼の目を見つめた。
「あなたは先ほど、徽章を自室へ置いてきたとおっしゃいましたよね?」
シラスの口が止まった。
「自室にあるはずの徽章と、ローデン伯爵が保管していたはずの書類。その両方が、あなたの鞄から出てきた」
「だから、誰かが――」
「遺体が発見されてから、鞄は一度もあなたの手元を離れていません。ルシアン卿だけでなく、警備隊も見ています。その状況で、誰が徽章と書類を入れられるのです?」
「それは……」
「しかも、徽章には犯行現場に残っていた破片と一致する欠損がある。誰かが陥れたというなら、その人物は伯爵を殺したあと、あなたの徽章を手に入れ、血のようなものを付着させ、書類と一緒に、誰にも見られずあなたの鞄へ入れたことになります」
シラスは答えなかった。
「そんなことができるのは、鞄を持っていたあなたしかいません」
私の頭の中で、散らばっていた事実が一本につながった。
シラスが伯爵を刺し、不正の証拠となる書類を奪った。
その際、伯爵に胸元をつかまれ、徽章の留め具が壊れた。
落ちた破片には気づかず、血のついた本体だけを回収する。
城が封鎖されて捨てる場所を失ったため、書類とともに医療鞄へ隠した。
そう考えれば、残された証拠のすべてに説明がつく。
「五台分の寝台を買うための金貨は、どこへ消えたのです?」
「……」
「ローデン伯爵は、あなたが追加購入費を受け取ったにもかかわらず、寝台が納品されていないことに気づいた。だから記録を調べていた」
「黙れ……」
「明日になれば、伯爵はこの書類を王妃様へ提出したはずです。そうなれば、あなたが金貨をどこへやったのか調べられる」
「黙れと言っている!」
シラスの顔から、温厚な医師の表情が消えていた。
私は一歩も引かなかった。
「ローデン伯爵を殺害した犯人は――王宮医師シラス。あなたですわ」
誰も動かない。
逃げ道を失ったシラスだけが、荒い息を繰り返していた。
やがて彼は顔を伏せ、低く笑い始めた。
「証拠……証拠か……」
ゆっくりと上げられた目には、先ほどまでとは違う暗い光が宿っていた。




