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鏡の中の令嬢

「ガレス隊長。関係者を全員集めてください」


 カサンドラは、集まった者たちを前に言い切った。


「犯人が分かりました」


 その直後、身体の感覚が大きく揺れた。


 膝から力が抜け、私はよろめきながら机へ手をつく。


『美咲?』


「代わった……」


 今度は私が、カサンドラの身体を動かしていた。


 どうしてこの瞬間に入れ替わったのかは分からない。私たちは、いまだに主導権を自由に交換できない。


『よりにもよって、これからというときに……』


「説明するのは私なんだから、ちょうどいいよ」


『声に出さないでくださる!』


 顔を上げると、待合室にいる全員がこちらを見ていた。


 アレクシス。


 第二王子ユリウス。


 父オズワルド公爵。


 王宮医師シラス。


 エミリアとルシアン。


 少し離れた場所には、王妃ヴァレリアも座っている。


 その端には、カサンドラを目撃したと証言した若い侍女が立っていた。


「カサンドラ。犯人が分かったというのは、本当なのか?」


 アレクシスに尋ねられ、私は背筋を伸ばす。


「犯人を明らかにする前に、まず一つの間違いを訂正させてくださいませ」


「間違い?」


「わたくしが、ローデン伯爵の部屋から出てきたという証言ですわ」


 侍女の肩が揺れた。


「私は、確かにカサンドラ様を拝見しました。嘘ではございません」


「あなたが嘘をついているとは申し上げておりません」


「では、何を……?」


「もう一度、あなたが見たものを確認します」


 私は侍女の目を見る。


「事件が起きたとき、あなたはどこにいましたか?」


「ローデン伯爵へワインをお届けする途中でした。小部屋から少し離れた、東廊下の曲がり角におりました」


「小部屋の扉が開くところを見ましたか?」


「いいえ。顔を上げたときには、すでにカサンドラ様が扉の前を歩いておられました」


「顔をはっきり確認しましたか?」


 侍女の視線が下がる。


「一瞬のことでした。それに、ワインをこぼさないよう盆にも気を取られておりましたので……。ですが、金色の髪と青い宝石は確かに見ました」


「青い宝石は、どちら側についていましたか?」


「右胸でございます」


「間違いありませんか?」


「はい。右側で光っておりました」


 私は、自分の左胸へ手を添えた。


 そこには、ヴァレンティア家の紋章が刻まれた青いブローチがある。


「ですが、わたくしは舞踏会へ入場する前から、このブローチを左胸につけていました」


『位置が低いと、あなたに直されたものね』


 カサンドラの声が聞こえる。


「位置まで、きちんと確認しました」


「何を一人で話しているのです?」


 ガレスに尋ねられ、私は咳払いをした。


「何でもありませんわ」


 ガレスは、侍女と私のブローチを見比べる。


「それが、何を意味するのです?」


「証言と事実が食い違っています」


「舞踏会の途中で、右胸から左胸へ付け替えた可能性もあるでしょう。それだけでは、侍女の証言が間違っていた証拠にはなりません」


「おっしゃるとおりです。その可能性だけなら、否定できません」


 私はガレスの反論を認めた。


「ですが、わたくしはブローチを付け替えておりません。そして、侍女も嘘をついていない」


「では、なぜ証言と実物が食い違っているのです?」


「そこが重要なのです」


 私は、集まった者たちの顔を見渡した。


「侍女は、右胸に青い宝石をつけたわたくしを見た。しかし、実際のわたくしは左胸にブローチをつけていた」


 答える者はいなかった。


「なぜ、このような齟齬が起きたのか」


 私は待合室の扉へ向かった。


「その答えを、これからお見せしますわ」


 関係者全員を連れ、犯行現場となった小部屋の近くへ移動する。


 東廊下の壁際には、金縁の大きな姿見が置かれていた。下に車輪がついた、自由に動かせる鏡だ。


「この鏡は、普段からこちらに?」


 私が尋ねると、宮殿の侍従がうなずいた。


「はい。舞踏会の際は、お客様が身なりを整えられるよう、東廊下の壁際に置いております」


「事件が起きたときも、壁際にありましたか?」


「それは……分かりません。悲鳴が聞こえたあとは、多くの方が廊下を行き来しておりましたので、鏡の位置までは確認しておりませんでした」


「少なくとも、廊下を塞ぐような置き方はしないのですね?」


「もちろんでございます」


 ガレスが鏡の車輪を確認する。


「何者かが、壁際にあった鏡を動かした可能性があるということですか」


「ええ。遠くから運ぶ必要はありません。壁際から引き出し、角度を変えるだけでよかったのです」


「その位置と角度が分かるのですか?」


「正確には分かりません。ですが、侍女が見た光景を再現することはできます」


 私は目撃者の侍女へ向き直った。


「事件が起きたとき、あなたが立っていた場所を教えてください」


「こちらでございます」


 侍女は、小部屋から少し離れた曲がり角へ立った。


「間違いありませんか?」


「はい。ここでワインを運んでおりました」


「では、そこから見ていてください」


 私は騎士たちへ、鏡を少しずつ動かすよう頼んだ。


 二人の騎士が、金縁の姿見を壁際から引き出す。


 最初は壁しか映らなかった。


 さらに傾けると、バルコニーへ続く廊下の一部が鏡の中へ現れた。


「この位置で、いったん止めてください」


 私は侍女をその場に残し、バルコニーへ続く廊下まで移動した。


『何をするつもりです?』


「事件の夜と同じ道を歩く」


 あの夜、私は人混みに耐えられなくなり、一人でバルコニーへ出た。


 そして、同じ道を通って広間へ戻った。


 私はドレスの裾を持ち、ゆっくりと廊下を歩き始める。


 角へ近づくと、カサンドラの姿が鏡の中へ現れた。


 鏡像と小部屋の扉の位置が、わずかにずれている。


「もう少しだけ、鏡を右へ向けてください」


 騎士が鏡の角度を変える。


 金色の枠の中で、カサンドラの姿が小部屋の扉へ重なった。


 金色の髪。


 青いドレス。


 左胸につけた、ヴァレンティア家のブローチ。


「あ……」


 侍女が息をのむ。


 私は足を止めた。


「あなたが見たのは、この姿ではありませんか?」


 侍女は、鏡に映る私と小部屋の扉を何度も見比べた。


「同じです……。私が見たのは、このお姿です」


「わたくしが扉から出てくるところを、直接見たのではありませんね?」


「はい。扉の前にカサンドラ様が見えたので、部屋から出てきたのだと思い込みました」


「事件の夜、この場所に鏡があることには気づきましたか?」


「いいえ。鏡が置かれていることさえ覚えておりません」


 侍女は鏡を見つめ、ゆっくりと首を横に振った。


「ですが、今見ると……鏡の金縁と小部屋の扉の装飾が重なっています。廊下も薄暗く、私は一瞬しか顔を上げなかった。だから、鏡だと気づかなかったのですね」


 私は自分の左胸へ触れた。


「そして、鏡に映ったわたくしを見てください」


 侍女の位置からは、青い宝石が反対側にあるように見える。


「侍女は、青い宝石が右胸にあったと証言しました。実際には、わたくしのブローチは左胸についていた」


 ガレスの表情が変わる。


「鏡像で左右が反対に見えた……」


「ええ。だから、証言と実物に齟齬が生じたのです」


 侍女の顔から血の気が引いた。


「私が見たのは……鏡に映ったカサンドラ様……」


 その場に膝をつき、深く頭を下げる。


「申し訳ございません! 私の証言のせいで、カサンドラ様が疑われることに……」


「立ってください」


 私は侍女の前へ歩み寄った。


「あなたは、見たものを話しただけです。ですが、次からは見たものと、自分の考えを分けて話すことですわ」


 侍女は涙を浮かべながら、何度もうなずいた。


 ガレスが鏡と二つの廊下を見比べた。


「侍女が目撃したのは、バルコニー側の廊下を歩いていたカサンドラ様の鏡像だった。小部屋から出てきたという証言は成立しません」


 父が安堵したように息を吐く。


「それでは、カサンドラへの疑いは晴れたのか?」


「いいえ」


 ガレスは冷静に答えた。


「カサンドラ様が小部屋から出たという最大の根拠は崩れました。しかし、それ以前に部屋へ入っていないことまで証明されたわけではありません」


 アレクシスの表情が曇る。


「まだカサンドラを疑うのか?」


「真犯人が明らかになるまでは、誰の容疑も完全には消せません」


 厳しい言葉だったが、間違ってはいない。


 鏡のトリックで分かったのは、侍女の目撃証言が誤りだったことだけだ。


『それでも、十分ですわ』


 カサンドラの声が聞こえる。


『少なくとも、わたくしがあの部屋から出たという証言は誤りだったのですから』


「うん。あとは、本当の犯人を見つけるだけ」


「カサンドラ?」


 アレクシスに呼ばれ、私は慌てて口を閉じた。


「何でもありませんわ」


 ガレスが、斜めに置かれた鏡へ目を向ける。


「しかし、なぜ犯人は鏡を動かしたのでしょう」


「誰かに罪を着せるためですわ」


 舞踏会の途中、犯人はカサンドラが一人でバルコニーへ向かう姿を見た。


 その偶然を利用し、壁際にあった鏡を動かした。


 戻ってくるカサンドラの姿が、小部屋の前に映るように。


「犯人は、わたくしの金髪と青いブローチが、遠くからでも見分けやすいことを利用したのです」


「侍女が通ることも分かっていたのか?」


 ルシアンが尋ねる。


「おそらく。少なくとも、誰かがこの廊下を通れば、わたくしが殺人現場から出てきたように見えると考えたのでしょう」


 視線を上げ、集まった者たちを見る。


 ユリウス。


 父。


 シラス。


 全員が、硬い表情でこちらを見ていた。


「ですが、犯人は一つだけ失敗しました」


 私は、ガレスが持っている白い布へ目を向けた。


 その中には、犯行現場の書類棚の下から見つかった銀色の破片が包まれている。


「鏡は、わたくしを犯人に見せるためのものでした」


 銀色の破片を指さす。


「ですが、本当の犯人が残した証拠は、こちらです」


「犯人が分かったというお話は?」


 ガレスが尋ねる。


「これから証明します」


 私は、集められた者たちを一人ずつ見た。


「ローデン伯爵を殺した犯人は、今もこの破片の本体を隠し持っています」

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