徽章
待合室で感じた違和感。
その正体が、ようやく分かった。
『カサンドラ、事件が起きた部屋へ戻って!』
私の声が、カサンドラの頭の中に響く。
「突然、何を言い出すのです?」
『確かめたいことがあるの。早く!』
「何を確かめるのか、先に説明なさい」
『なくなってるものに気づいたの』
「何がなくなっているのです?」
『銀色の徽章!』
「銀色の……」
カサンドラが口に出すと、目の前にいたアレクシスが不思議そうにこちらを見た。
「カサンドラ?」
「何でもありませんわ」
『何でもあるよ! 早く行って!』
「急かさないでください」
「俺は急かしていないが……」
「殿下に申し上げたのではありません!」
カサンドラは立ち上がり、足早に待合室を出た。
『もっと急いで!』
「でしたら、あなたが動かしなさい!」
『代われないから頼んでるんでしょ!』
私たちは自由に身体を交換できるわけではない。今もカサンドラが主導権を手放そうとしているが、私の手足には感覚が戻らなかった。
「先ほどから、誰と話しているんだ?」
アレクシスが後を追ってくる。
「独り言ですわ」
「会話にしか聞こえないぞ」
「お気になさらないでくださいませ」
『絶対に怪しまれてるよ』
「あなたのせいでしょう!」
「俺のせいなのか?」
「殿下に申し上げたのではありません!」
カサンドラは諦めたように足を止めた。
「殿下。お願いがございます」
「何だ?」
「犯行現場を、もう一度確認させてくださいませ」
「理由は?」
「小さな銀色の徽章が落ちているかもしれません」
「誰の徽章だ?」
『まだ言わないで!』
カサンドラは一瞬迷ったあと、首を横に振った。
「確かめるまでは申し上げられません。思い違いであれば、無関係な方を疑うことになりますから」
アレクシスは納得していない様子だったが、やがてうなずいた。
「分かった。ガレスに話そう」
犯行現場となった小部屋の前には、二人の騎士が立っていた。
呼び出された警備隊長のガレスは、事情を聞くと険しい顔をした。
「カサンドラ様には、まだ容疑が残っています。現場へ入れることはできません」
「カサンドラには何も触れさせない」
アレクシスが言った。
「彼女が場所を示し、確認は騎士が行えばいい」
ガレスはしばらく考えたあと、条件付きで許可した。
「勝手に物へ触れないでください。調べる場所は口頭で指示していただきます」
「承知しました」
扉が開かれた。
ローデン伯爵の遺体は、すでに運び出されている。だが、絨毯には黒ずんだ血の跡が残り、椅子や資料も倒れたままだった。
その光景を見て、カサンドラの足が止まる。
『大丈夫?』
「問題ありません」
答える声は、かすかに震えていた。
ルシアンと女性騎士が燭台を持ち、私たちが示した場所を調べていく。
血痕の周囲。倒れた椅子の下。机のそば。窓辺やカーテンの裏。
しかし、徽章は見つからない。
『机の下は?』
「机の下もお願いします」
ルシアンが膝をつき、奥まで確認した。
「何もありません」
私は部屋の中を見回す。
壁際に、床から天井近くまである大きな書類棚が置かれていた。棚の下には、指も入らないほどの隙間がある。
『あの下』
「あの棚の下も確認してくださいませ」
ルシアンが燭台を床へ近づけた。しかし、隙間の奥まで光が届かない。
「棚を動かしてください」
「今はできません」
ガレスが止める。
「棚の位置と床の傷も、記録する必要があります」
「では、明かりだけでも奥へ向けられませんの?」
ルシアンが燭台を傾ける。
細く伸びた光が、棚の下の暗闇を照らした。
その瞬間、奥で何かが光った。
『今、光った!』
「あそこです!」
カサンドラが指さす。
ガレスが細長い火ばさみを用意させ、ルシアンが棚の奥へ差し込んだ。
金属が床をこする音がする。
やがて、火ばさみの先に挟まれて出てきたのは、小指の爪よりも小さな銀色の破片だった。
片側には細い軸があり、もう片方は不自然に欠けている。
『あった……』
私は思わず声を上げた。
『でも、これだけじゃ駄目だ』
「なぜですの?」
『探してるのは徽章そのもの。これが徽章の一部だとしても、本体と合わせないと証明できない』
ガレスは手袋をはめ、破片を白い布の上へ置いた。
「装身具の留め具にも見えますが、これだけでは何の一部か判断できません」
「本体が、どこかにあるはずですわ」
部屋の中をさらに確認したが、徽章は見つからなかった。
『犯人が持ち帰るとは思えない。なくなったことに気づいたら、どこかに捨てるはず』
「城内の屑籠を調べてくださいませ」
ガレスが眉を寄せる。
「城中を捜索するおつもりですか?」
「必要なら調べるべきだ」
アレクシスが答えた。
「城内から運び出される廃棄物をすべて止めろ。広間、客室、厨房、使用人通路を捜索するんだ。小さな銀色の徽章を探せ」
王太子の命令を受け、騎士と使用人たちが動き始めた。
舞踏会場の屑籠。
廊下の物陰。
厨房の廃棄物置き場。
回収前の箱や袋が、一つずつ調べられていく。
アレクシス自身も手袋をはめ、捜索へ加わっていた。
「王太子に屑籠を調べさせるなんて……」
『手伝うって決めたのは王子でしょ』
「だからといって、ご自分でなさるとは思わないでしょう!」
『そういうところも好きなんでしょ?』
「今、それを言いますの!?」
「何か言ったか?」
「何でもありませんわ!」
捜索は一時間近く続いた。
しかし、銀色の徽章は見つからなかった。
「城内をすべて捜しましたが、該当する徽章は発見できませんでした」
騎士が報告する。
ガレスが、白い布に包まれた金属片を見る。
「結局、見つかったのはこの破片だけです。これは何だったのですか?」
犯行現場にもない。
城内のどこにも捨てられていない。
私は、待合室に集められていた者たちの姿を思い出した。
そして、その中の一人が足元に置いていたものを思い出す。
『カサンドラ』
「何ですの?」
『あそこしかない』
カサンドラが顔を上げた。
「ガレス隊長。関係者を全員集めてください」
そして、はっきりと言い切った。
「犯人が分かりました」




