4迎えに来た馬車
アリシアは馬車に乗り込もうとした。
「あの、良かったらお手をどうぞ」
いきなり御者から手を差し出された。
驚いた。聖女だった時にそう言われた事は何度もあった。でも、今自分は偽物とされ着ている服も平民が着る質素なワンピース姿で何だか場違いな気がした。
でも、馬車は豪華でもなく何の飾りもない質素なものだと気づくと本当に自分が北辺境に行くのだと思った。
それでも染みついた癖は抜けず思わず「ありがとうございます」そう答えていた。そして何気なくその御者の顔を見た。
「あっ‥」
特に変わった所もない。よく見る平民の男性。髪色は黒色で瞳は緑色、元貴族なのだろうか。まあ、男爵家くらいの次男くらいなら成人して家を出れば騎士か商会で働くくらい。もっと悪ければこう言う仕事をしていても不思議ではないだろう。
歳の頃はすでに40歳は超えているだろう。髪には白いものがちらほら見える。
でも、驚いたのはそんな事ではなかった。顔がアリシアと似ていた。目元と鼻の形がそっくりだ。
御者はアリシアの前に手を差し出したままアリシアを見つめたままじっとしている。
「‥あの、もしかして私をご存知なのでは?」
おかしな事を思った。父とは5歳の時に別れた。別れ際に会いに来ると言っていた。でも、父は会いに来なかった。たまらず司教様に父のことを尋ねた事もあった。帰って来たのは音信不通。どこにいるかわからない。いつもそんな答えだった。
幼い子供だった。3年もすると父の事を聞く事はなくなった。
13歳でロックフール公爵家の養女になる事が決まって新しい父が出来ると喜んだ。期待した。でも、淡い期待は無惨に崩れ去った。
ふっと幼い頃の父の事を思い出した。とは言っても顔をはっきりと覚えている訳でもない。
その時突然頭の芯に雷を受けたような衝撃が走った。
「うゔ!」
「だ、大丈夫ですか?」
御者が心配そうな声を上げた。
「‥つっ」
アリシアは呻き声をあげるとその場にしゃがみ込んだ。
いきなり脳内に前世の記憶が流れ込んで来た。
元の自分は日本人で栗原あずきと言う名前。29歳のしがない中堅会社で働く事務員だった。仕事帰り事故に遭ってあえなく死亡。おまけに母親は幼い頃に亡くなり父からは酷い暴力を受けて育ったらしい。高校を卒業すると父から逃げるように状況して小さな会社に就職したには良かったが、知り合った男がこれまた勝手な男で散々貢がされた挙句暴力まで受けてやっと逃げ出した始末。そしてDV男に見つかるのを恐れながら暮らしてすでに29歳。そして呆気なく亡くなった。
えっ?私って悲惨な人生だったんだ。
そして今世では婚約者に裏切られ偽聖女として王都から追い出されるなんて。
私の人生って散々だ。
それにこの人、もしかしてずっと音信不通だったアリシアのお父さん?
どうしよう。もし酷い人だったら?
アリシアは蹲った態勢から顔を上げて男の人を盗み見た。
男は心配そうに手を差し伸べすべきか迷っているらしくオロオロとこちらの様子を伺っている。
悪い人には見えないけど。本当の事はわかりはしない。実際、人に裏切られたばかりなのだから。
アリシアは額に手を当てると大きく息を吐いた。
*〜*〜*
そう言えば‥
アリシアは何とか落ち着いて昨日の事を思い出す。
義理の父であるロックフール公爵が訪ねて来た。養女の取り消し書類を持って、もちろんアリシアにサインをさせる為だ。
アリシアは何も言わずサインをした。
ロックフール公爵からほんの少しのお金と何通もの手紙を渡された。
それは実の父ノートン・ダルヴィンからの物だった。
「アリシア、君のお父さんからの手紙を預かっていたので返しておく。今まで聖女としての勤めご苦労だった。北辺境に行っても元気でな」
アリシアは彼に特別な感情を抱く事はなかった。
でも、その手紙から目が離せなかった。
「この手紙はいつ届いたのです?父は生きているんですか?どうして直ぐに手紙を見せて頂けなかったのです?」
今まで何の期待も疑問も持つ事はなかったが聞かずにはいられなかった。
「公爵家の養女が決まってしばらくして最初の手紙が届いた。だが、アリシア、君はまだ聖女に決まったばかりで余計は心配を掛けるべきではないと判断された。これは聖教会の司教達も同意した事だった。それから何度か手紙が来たが、やはり聖女としての立場を考えるとアリシアと会わせることは危険だと判断した。決して隠そうとと思っていた訳ではない。ただ、お前の安全を第一に考えての事だった」
「ずいぶん都合のいい話ですね。実の父が危険だと!」
「ああそうだ。彼は君の母の実家である北辺境のギルドで働いていると聞いた。そんなむさ苦しい平民が王太子の婚約者でもあったお前を連絡を取る事がどれほど厄介な事になるか。お前でも分かるはずだ」
「そんな事、勝手に決めないで欲しかった。私は父は死んだのだと思っていました。父が生きていたなんて、私には父が生きている事を知る権利すらなかったのですか?」
「あの時はお前が動揺すると思ったから。でも、だから、こうやって」
アリシアは渡された手紙の日付けを見る。最後の手紙はもう2年以上も前だった。きっと何の連絡もない事に父はすっかり諦めたのだろう。
「今更。2年も前の手紙を渡されてどうしろと言うのです?私はあなた方に利用されただけですね。最後にエリーシャに裏切られて群れ衣を着せられて罪人として竜神殿のある北辺境に送られるんですから、さぞ、ご気分がよろしいでしょうね。お世話になりましたなどとは申しません。二度と私の人生に関わらないで下さい!」
「そんな言い方はないだろう。エリーシャが選ばれたのはあの子が優秀だからだ。それにエリオット殿下もどこの馬の骨とも分からないお前なんかよりロックフール公爵家令嬢の方がいいに決まっている。サインが済んだら用はない!」
ロックフール公爵はかなり気分を害したらしく司教への挨拶もそこそこに聖教会の応接室を後にした。
「アリシア、聖女でなくなったあなたがあの様な口の聞き方をするなど、到底許せる事ではありませんが、まあ、あなたの気持ちも分かりますので今回は不問としましょう」
司教様が唇を僅かに歪めてそう言った。
「それはどうもありがとうございます。でも、私が怒るのは当然ではないでしょうか」
あえて疑問形にしなかった。
あの不毛なやり取りが脳裏を過ぎった。そしてアリシアはもう一度目の前の御者を見た。
恐る恐る名を尋ねる。
「あの、あなたの名前を伺っても?」
喉の奥がからからに渇いて声が掠れる。
男が一瞬アリシアを見てサッと目を逸らす。
もごもごと肩を揺らし大きく息を吐くといきなり頭を下げた。そして喉の奥から声を絞り出すように一気に話を始めた。
「アリシア、今さらどの面下げて会える訳もないって分かってる。でも、爺様が、いや、アリシアの祖父であるグエンがこっちに来るなら迎えに行ってやれって言ってくれて、それで、俺は気付いたら王都に向かっていた。アリシア、俺の名前はノートン。お前の親父だ。でも、もう平民だから姓はない。俺は‥たった5歳だったお前を捨てたんだ。俺はあの時キエナが死んでお前を育てていく自信がなくなった。でもいざ手放すとたまらなく寂しくてそれで酒に溺れた。そんな俺をグエンが助けてくれたんだ。北辺境で働くようになってお前が公爵家の養女になるらしいって知って手紙を出した。でも、待っても待っても返事は来なくて。まあ、当たり前だと思った。でも、お前が婚約破棄されて王都を追放されると聞いていても立ってもいられなくなって、それで、それで、今さら遅いって分かっているんだ。でも、何か出来ることがあるならと‥」
父の名乗った男はまだ頭を下げたままだ。
アリシアにはそんなに悪い人には思えなかったが、さっき蘇った記憶があまりに鮮明だったし、何より5歳で生き別れて音信不通だった男を信じれる訳もない。
でも、心が疲弊している今、はっきり言ってほんの少しうれしかった。
「あの、顔を上げてください」
でも、信じた訳でもない。
「許してくれるのか?」
父は驚いて目を瞬きアリシアを見つめた。
父と目が合う。まだ戸惑う気持ちのまま話を始めた。
「許すとかまだ分かりません。私、父さんは死んだのかと思っていました。私、知らなかったんです。手紙の事。今日、初めて手紙をくれてたって知って、今まで公爵が隠してて‥本当に私、何も知らなかったんです。もし、知ってたらすぐに返事書いたかもしれませんが‥ただ、ずっと会いたいとは思っていました」
言葉は途切れ途切れで言いたい事が中途半端になって、それでも今の気持ちを吐き出すようにアリシアは話した。
「そうだったのか。俺はアリシアは俺のこと怒っているとばかり。きっともう許してくれないんじゃないかって、でも、グエンがとにかく行ってこいって言うから‥やっぱり迎えに来て良かった」
ずっと放っておかれた。
ずっと一人ぼっちだった。
そして最後に裏切られた。
だからうれしかった。
「こんな時に来るなんて、あなたはずるい!私はあなたを許した訳ではありません」
「すまん。怒っていい。許さなくていい。俺は父と名乗る資格なんかない。でも、これからはお前の近くにいたいんだ。それにグエンもクレアもお前が来るのを楽しみにしてるんだ。お母さんは一人娘だったからお前がたった一人の肉親なんだ。だからせめて、あの二人には会ってやってほしい」
「そんなおじいちゃんとおばあちゃんを餌にするなんてあなたは‥今すぐ許せるかと聞かれたら決められません。でも、迎えに来てくれてうれしいのは確かです」
アリシアの胸の奥にあったつかえがほんの少し解けるが前世の父親への恐怖が忘れられない。
それでもずっと我慢して来た悲しい気持ちや悔しい気持ちがないまぜになって涙がアリシアの頬を伝った。
「許してくれなんて言わないから安心しろ。でも、馬車には乗ってくれるんだろう?」
「当たり前です。この馬車で行かないと歩いて行く事になります」
素直にはなれなかった。
「ああ、そうだな。今までずっと親らしい事なんてして来なかったんだ。本当は断られても当然だ。頼りないと思われても仕方がないが、これから行く北辺境には爺さんも婆さんもいる。ギルドの長をしているグエンはあの辺りじゃあちょっとした顔もきくから何も心配する事はない。だが、竜神殿には行かせないからな。王都の奴らは知らないんだ。あそこはもう何百年も誰一人近づいちゃいない。樹海の近くで危険なんだ」
「まさか。そんな、でも、そんな事出来るの?」
「なぁに、そんな心配はいらん。グエンは北辺境伯には顔がきくんだ。それにどうせ北辺境に来るやつなんかいやしない。ちゃんとお勤めはしていると報告しておきゃばれる事はない。さあ、急いで出発した方がいい」
父は小声でそう言うと急いでアリシアを馬車に乗せた。
アリシアは急かされるように馬車に乗り込んだ。周りにはアリシアを北辺境に送り届けるための騎士が数名控えている。
アリシアは騎士に尋ねた。
「あの、北辺境までどれくらいですか?」
「まだ早いからな、夕方までには着けるだろう」
「よろしくお願いします」
「ああ、出発しろ!」
「あいよ」
ノートンは張り切って馬車を出発させた。
馬車の前後には罪人の護送という事で騎士団員が4人付いていた。
アクルート国は小さな国だ。国の端に行くのも一日あれば足りる。
アリシアは馬車に乗って驚いた。馬車は罪人護送用でどれだけ多く見積もっても乗り心地がいいとは言えない作りになっている。
だが座席にはふかふかに座布団や温かい毛布が置いてあり、おまけに籠にはお茶や菓子まであった。
アリシアは思わずその心遣いに泣いた。
簡単に父を許すつもりはない。信じるつもりもない。でも、自分を気遣ってもらう事のなかった今のアリシアにとってこんな気遣いはたまらなくうれしいものだった。
「ほんとにずるい!」
「アリシア、何か言ったか?」
「いえ、何でもありません!」
「そうか。じゃあ、出発する」
記憶の奥にあった父の声が目の前で聞こえた。




