26竜毒の気配
明け方から何だか騒がしい。
オディアスは竜人だ、耳も鼻も人間の100倍くらい良い。
ソファで身じろぎして寝返りを打った頃にはその会話が耳に入って来た。
薄っすらと目を開けばまだ夜が空け切ってもいない。
こんな時間に何を騒いでいる?
すいっと鼻をひくつかせれば微かに竜毒の臭いがした。竜人には何の害もない竜毒だが、人間に取ったら生きるか死ぬかと言うほどの毒だと言う事は知っている。
何故、竜毒が?昨日はそんな気配すら感じなかったが。
「何だって?井戸の水がおかしいって?」
「ああ、朝一番に洗濯の婆さんが臭いが変だって、見たらほんとに何だか濁ってる気がするんだ」
「ったく。これじゃ食事も作りゃしないだろ。どうすんだい?客は待ちゃくれないんだ!」
どうやら宿の主人とおかみさんが話をしているらしい。
そうこうしているうちに朝が明けると宿泊客の親子が具合が悪いと言い始めた。
おかみさんは、治療院に人をやって医者がやって来た。
騒ぎを聞きつけたアリシア達も他の客も皆食堂に集まり始める。
「皆さん、申し訳ないが、どうやら井戸の水に何か入ったみたいで、食事が作れないんだ。お代は返すから出立するもんがいたら言っておくれ」
「泊まった客に具合が悪くなったって聞いたぞ。昨日食べたものが悪かったんじゃないのか?」
「いや、それはない。みんな大丈夫。だろ?」
客はそれぞれ顔を見合わす。
確かにあの親子以外具合の悪くなった者はいない。
親子を診た医者がやって来た。
「あの、おかみさん。原因はこの宿じゃないだろう。実は診療所にも昨日から具合が悪いって言う患者がたくさん来ていてな。どうやら王都の結界が崩壊して竜毒が発生してイラエードに方に流れ込んでいるって言う話しらしい。あの親子はまだ竜呪熱と決まった訳ではないがしばらく養生が必要だろう」
竜毒はこの国の至る所で発生する厄介な毒で、前世で言えば環境が劣悪な場所、水が澱む所や枯葉やゴミに溜まる所など、どこでも発生源になりうる厄介な毒だ。それに竜毒は竜呪熱の原因だと言う事も広く知られていた。
「私も竜毒の臭いがするのでそうだと思う」
いきなりオディアスが言った。
「おい、坊主。お前そんな事が分かるのか?どうも信用できねぇな」
いきなりオディアスがそんな事を言って焦ったのはアリシアだった。
「オディアス様、それ本当ですか?どうしてそんな事分かるんです?私には何も言ってなかったじゃないですか」
アリシアは小声でオディアスに言う。
「だって、お前、朝まで何も話すなって言っただろう。だから、そしたらいきなり食堂に集められたから」
「あっ!皆さん、ち、違うんです!大人の話をマネするのが癖で、気にしないで下さい」
「アリシア、私が嘘をついてると?」
「いいから黙ってて、もう、お前って子はホントに!!」
アリシアはオディアスの頭をバチんと叩く。
「いてぇ!何するんだ!#¥×○%&×#!!!」
後の方はアリシアがオディアスの口を塞いだのでわからなかった。
すると今度はいきなり外で声がした。荷馬車の音がして人影が数人見えた。どうやら他の宿に宿泊した客だろう。早めに出立する人達らしい。
「おい、大変だ。昨日王都から来た商人が言っていた。王都の結界がおかしいらしいぞ。何でも竜呪熱が流行ってるってよ」
「ありゃ、竜毒のせいでなるんだろう。おい、風は東に吹いている。この分じゃここも危ないんじゃねぇのか?」
「ああ、急いで出発した方がいい」
「ああ、早めに出る事にしてて良かった」
客の耳はみんな外の話し声に傾いていた。
「皆さんも具合が悪いと思ったらすぐに治療をするように、では、私は忙しいのでこれで失礼する」
医者は急いで帰って行った。
客は騒然となった。
「おい、どうする?こんなとこいられるか。すぐに勘定をしてくれ」
次々に客が宿を後にすると言い始めみんなが部屋に片付けに急いだ。
「アリシア、俺たちも急ごう」
「ええ、でも、あの親子だけでも、ちょっと行ってくる」
「おい、アリシア‥ったく」
アリシアはおかみさんに親子の部屋を聞いてその部屋に行った。
「すみません。お邪魔します」
親子と言っても子供は学園に通うくらいの女の子でお母さんは40代くらいだった。
「具合はどうですか?これ、おかみさんが」
熱が高いのだろう。母親の方が起き上がろうとしてぐらついた。咄嗟にアリシアはその身体を受け止める。
「すみません。王都から親戚の家を頼って来たんですが、ゴホ、病気になって」
「王都から?何かあったんですか?」
「夫は王都で騎士をしていたんですが、怪我をして亡くなって‥ゴホ、それで親子で私の故郷に帰って来たんです。ゴホ、両親はすでに他界していますが叔母がいるので頼ってゴホゴホ」
「あの、余計な事なんですが、少し横になってもらえますか?いえ、決して嫌な事はしません。私、実は王都の聖教会で働いていて」
「あなたはもしかして聖女様では?子供がまだ小さい時竜呪熱にかかって治療院にあなたが来られて、それで手を当てて下さって、そしたら子供の熱が下がったんです。だからお顔を忘れた事はありません」
「まあ、そうでしたか。では、不安はなくなりましたね」
母親は安心した顔で頷いた。
アリシアは手を合わせて祈りを捧げる。この親子を救いたいと願いを込めて。淡い光が手のひらの中で温かくなり親子を包み込む。
親子の苦しい顔が少しずつ和らぎやがて穏やかな顔に変わって行った。
「ああ、息がすごく楽になって身体も辛くありません」
「お母さん、何だかすごく楽になったよ。私、治ったみたい」
「ええ、ミナ、この方は聖女様なんだよ。前にもお前を助けて下さって、また、今日ここで出会えて私たちを助けて下さったの。本当にありがとうございます。でも、こんな所に聖女様がおられるなんて」
「お母さん、みんなには内緒にして下さい。私は聖教会から追われた身なんです。くれぐれも内密にお願いします」
「まあ、そんな酷い!聖女様がどれほど素晴らしいお方か、そうだ。聖女様、どうか私の叔母の所に来て下さい。叔母は商売をしていてほんの少しですがお礼も出来ると思います」
「そんな事気にしないで下さい。私も急ぎ旅なのでもう、出発する所でした」
「まあ、それは残念です。でも、何かあったら是非、私はハンナと言います。叔母は街外れで粉挽をしているんです。サウスイードに向かう街道筋にある大きな水車が目印で、すぐに分かるはずです」
「はい、ありがとうございます」
アリシアはそう言って部屋を出た。




