帝国の影
帝都へ続く街道――。
心地よい風が草原を駆け抜ける。
帝国騎士団は、任務を終え帝都への帰路についていた。
「隊長、あの子達……結局何者だったんでしょうね?」
若い騎士が口を開く。
「さあな」
エリスは前を向いたまま短く答えた。
「でも、あんな小さな子が魔物を浄化するなんて聞いたことありません」
「俺も初めて見た」
別の騎士も苦笑する。
「あの白い犬も強かったですよね」
「ワウ!」
騎士の一人が鳴き真似をすると、一同から小さな笑いが漏れた。
「隊長も少し笑ってましたよね?」
「……気のせいだ」
エリスはそっぽを向く。
「絶対笑ってましたって」
「ヒルメって子、また会いたいですね」
その言葉に、エリスは少しだけ空を見上げた。
「……そうだな」
やがて、遠くに巨大な城壁が姿を現す。
帝都――。
談笑していた騎士達は自然と口を閉ざした。
エリスも表情を引き締める。
「帰還報告までが任務だ。
気を抜くな」
「「はっ!」」
帝国騎士団は、そのまま帝都の門をくぐった。
◇ ◇ ◇
王城――。
重厚な扉がゆっくりと開かれる。
赤い絨毯の先、黄金に彩られた玉座。
そこには帝国皇帝が静かに腰掛けていた。
その左右には宰相と近衛騎士達が控え、玉座の間は張り詰めた空気に包まれている。
エリスは玉座の前まで進み、片膝をついた。
「第三騎士団隊長エリス、ただいま帰還いたしました」
「任務を完了し、帰還いたしました」
「捕縛対象六名を確保」
「民間人への被害はありません」
「以上です」
皇帝は退屈そうに頬杖をついたまま、静かにエリスを見つめている。
しばらくの沈黙。
やがて玉座の傍らに立つ宰相が口を開いた。
「ご苦労でした」
「では、捕縛した者達を引き渡します」
その時だった。
「その必要はありません」
静かな声が玉座の間に響く。
壁際に控えていた黒衣の男が、一歩前へ出た。
顔は深くフードで隠れ、その表情は見えない。
「……暗部」
エリスは小さく呟く。
「捕縛した者達は暗部が引き継ぎます」
「ですが、まだ聞き出すべき情報があります」
エリスが食い下がる。
宰相は表情一つ変えない。
「決定事項です」
その一言だけだった。
エリスは皇帝へ視線を向ける。
皇帝は何も言わない。
ただ頬杖をついたまま、興味なさそうに書類へ目を落としていた。
「……承知しました」
エリスは静かに一礼する。
そのまま踵を返し、玉座の間を後にした。
捕縛した者達は、その日のうちに暗部へ引き渡された。
◇ ◇ ◇
数日後――。
エリスは王城の地下牢を訪れていた。
捕縛した者達の尋問がどうなったのか。
隊長として確認するためだった。
牢番はエリスの姿を見ると、慌てて敬礼する。
「エリス隊長」
「捕縛した者達の様子を確認したい」
「……申し訳ありません」
牢番は困ったように目を伏せた。
「捕縛した者達は三日前に地下牢から移送されました」
エリスの眉がわずかに動く。
「移送?」
「はい」
「暗部が身柄を引き取りました」
「誰の指示だ」
「宰相閣下です」
「……そうか」
エリスは短く答える。
そのまま踵を返し、地下牢を後にした。
向かう先は一つ。
宰相執務室だった。
◇ ◇ ◇
コンコン――。
「失礼します」
宰相執務室の扉を開ける。
「第三騎士団隊長エリスです」
書類に目を通していた宰相は、ゆっくりと顔を上げた。
「どうしましたか」
エリスは一礼する。
「捕縛した者達の件で参りました」
「地下牢を訪れたところ、暗部へ身柄が移されたと聞きました」
「尋問の進捗を確認したく参りました」
宰相は再び書類へ視線を落とす。
「現在、暗部が担当しています」
「では、尋問結果を」
「機密事項です」
エリスは一歩前へ出た。
「捕縛したのは我々第三騎士団です」
「部下達は命を懸けて捕縛した者達を連れ帰りました」
「隊長として、尋問結果を確認する責任があります」
宰相は静かにペンを置く。
「その必要はありません」
「必要です」
部屋の空気が一変した。
「彼らが何を語ったのか」
「誰の命令で動いていたのか」
「背後関係を知ることは、今後の任務にも関わります」
「それでも教えられないのですか」
宰相は表情を変えない。
「教えられません」
「理由を伺っても」
「機密事項です」
エリスは真っ直ぐ宰相を見つめる。
「……それが答えですか」
エリスは一歩も引かなかった。
「では、暗部の責任者とお会いしたい」
宰相は静かに首を横へ振る。
「許可できません」
「なぜです」
「権限がありません」
「私にも、ですか」
「はい」
部屋に重い沈黙が流れる。
エリスはゆっくりと息を吐いた。
「私は第三騎士団隊長です」
「部下達は命を懸けて彼らを捕らえました」
「その結果すら知らされない」
「これでは、次に同じ任務を受けた時、何を警戒すればいいのか判断できません」
宰相は静かにエリスを見つめる。
「それでも答えは変わりません」
「…………」
エリスは拳を強く握り締めた。
「……承知しました」
そう言って一礼する。
だが、その表情から納得の色は消えていなかった。
「……最後に一つだけ、お聞かせください」
エリスは執務室を出ようとした足を止めた。
宰相は静かに視線を向ける。
「何でしょう」
「捕らえた者達は、本当に何も話さなかったのですか」
部屋の空気が一瞬止まる。
「……どういう意味ですか」
「いえ」
「尋問結果すら開示されないものですから」
「何か重要な情報を掴んだのではないかと思っただけです」
宰相は無言のままエリスを見つめる。
「失礼しました」
エリスは一礼し、執務室を後にした。
「……聞きましたか」
側近が小さく呟く。
宰相は閉ざされた扉を見つめたまま答える。
「ええ」
「尋問結果を知りたいだけではない」
「あの娘は、何かに気付き始めています」
「監視を付けなさい」
「第三騎士団ですか」
「……いや」
「エリス一人でいい」
◇ ◇ ◇
エリスは廊下を歩きながら、小さく息を吐く。
(なぜ、そこまで隠す……)
ただ尋問結果を知りたかっただけだ。
それなのに、暗部。
機密事項。
一切の開示を拒まれた。
まるで、知られては困る何かがあるようだった。
その時――。
ふと、捕らえた盗賊の言葉が脳裏をよぎる。
『俺達は命令で動いてるだけだ。』
『俺達だけじゃねぇ……。』
『上には逆らえねぇんだよ。』
「……まさか」
エリスは足を止めた。
あの言葉は、命乞いでも虚勢でもなかったのか。
「……いや」
「考え過ぎだ」
そう自分に言い聞かせる。
だが胸の奥に残った違和感だけは、消えることはなかった。
◇ ◇ ◇
作戦会議室――。
重厚な扉が開く。
「第三騎士団隊長エリス、参りました」
エリスは一礼し、部屋へ入る。
部屋には宰相と数名の高官だけがいた。
机の上には帝国北西部の地図が広げられている。
宰相は地図の一角を指差した。
「第三騎士団に新たな任務を命じます」
エリスは静かに視線を落とす。
「目的地は、ドラゴンの墓場」
その名を聞き、エリスの表情がわずかに変わった。
「近頃、この周辺で消息不明者が相次いでいます」
「原因は現在も不明」
「現地を調査し、異変の原因を究明してください」
「必要と判断した場合は討伐を許可します」
「なお、民間人を発見した場合は保護を最優先としてください」
エリスは一度だけ頷いた。
「承知しました」
「出発は三日後」
「それまでに準備を整えなさい」
「はっ」
一礼すると、エリスは静かに作戦会議室を後にした。
廊下へ出たエリスは、手渡された命令書へ視線を落とす。
ドラゴンの墓場。
古くから騎士や冒険者でさえ不用意に近づかぬ場所。
そこへ第三騎士団だけを向かわせる。
「……面倒な任務になりそうだな」
エリスは小さく呟き、第三騎士団の詰所へ向かった。
第三騎士団詰所――。
エリスが扉を開けると、隊員達が一斉に顔を上げた。
「隊長!」
アテナが駆け寄る。
「次の任務だ」
その一言で、詰所の空気が引き締まる。
「目的地はドラゴンの墓場」
部屋が静まり返る。
「ドラゴンの墓場……」
フレイヤが小さく呟く。
隊員達も顔を見合わせた。
「調査任務だ」
「近頃、消息不明者が相次いでいるらしい」
「原因を究明し、必要と判断した場合は討伐を行う」
「民間人を発見した場合は保護を最優先」
「出発は三日後だ」
「「はっ!」」
隊員達はそれぞれ準備のため動き始める。
その様子を、腕を組んで見ていたガロンが口を開いた。
「ドラゴンの墓場か……」
エリスはガロンへ視線を向ける。
「ガロ爺、何か知ってるのか」
ガロンは少しだけ考えるように顎を撫でた。
「昔、一度だけ近くまで行ったことがある」
「だが、あそこは妙な場所だ」
「妙?」
「あぁ」
「魔物だけじゃねぇ」
「空気が淀んでやがる」
「生き物が近づいちゃいけねぇ場所……そんな感じだったな」
部屋の空気が少し重くなる。
ガロンはエリスの肩を軽く叩いた。
「無茶はするな」
「隊長だからって、一人で抱え込むなよ」
エリスは小さく笑った。
「心配するな」
「全員連れて帰る」
ガロンはニヤリと笑う。
「その言葉が聞けりゃ十分だ」
「隊長、何かありました?」
アテナが真っ先に気付く。
エリスは小さく笑う。
「いや、大したことじゃない」
「隊長」
アテナは真っ直ぐ見つめる。
「嘘は下手ですよ」
そこへフレイヤが笑いながら割って入る。
「もー、アテナお姉ちゃん」
「そんな詰めたら隊長困っちゃうじゃん」
「私は心配しているだけです」
「分かってるって」
フレイヤはエリスの肩を軽く叩く。
「でもさ、話したくないことなら無理に聞かない」
「その代わり、ヤバくなったらちゃんと頼ってよ?」
「うちら、そのためにいるんだから」
エリスは二人を見て、少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとう」
「まっ、隊長が悩むなんて珍しいし」
「ドラゴンでもぶん殴ればスッキリするって!」
「フレイヤ」
アテナがじろりと睨む。
「冗談だって!」
フレイヤは舌を出し、詰所に笑いが広がった。
◇ ◇ ◇
翌朝――。
帝都の門前。
第三騎士団の隊員達が整列していた。
「全員揃いました!」
アテナが報告する。
「補給物資、装備ともに問題ありません」
「よし」
エリスは隊員達を見渡した。
「今回の任務は調査が最優先だ」
「無理な戦闘は避ける」
「だが、民間人を発見した場合は最優先で保護する」
「全員、生きて帰るぞ」
「「はい!」」
フレイヤがニヤリと笑う。
「隊長、そのセリフ毎回言ってますよね」
「当たり前だ」
エリスも小さく笑う。
「誰一人欠けさせるつもりはない」
「だから第三騎士団なんですよ」
アテナが微笑む。
ガロンは腕を組んだまま頷いた。
「いい面構えだ」
「ガロ爺」
「行ってくる」
ガロンはゆっくりとエリスの肩を叩く。
「帰ってこい」
「土産話くらい聞かせてもらうぞ」
「ああ」
エリスは剣の柄に手を添え、前を向く。
「第三騎士団、出発!」
「「おおっ!」」
帝都を後にし、第三騎士団は北西へ進路を取る。
その先に待つものが何なのか。
まだ、誰も知らない。
向かう先は――
ドラゴンの墓場。




