迷宮
◇ ◇ ◇
翌日。
学院の正門前には、いつもより早い時間から多くの生徒が集まっていた。
普段の制服姿とは違い、動きやすい実習用の装備を身につけている。
腰に剣を下げる者。
杖を何本も確認している者。
鞄の中身を何度も確かめている者。
その中で――
「忘れ物ないよね……。」
ヒルメは自分の鞄を覗き込んでいた。
「水筒ある。」
「うん。」
「食料もある。」
「うん。」
「緊急用の薬もある。」
「うん。」
「杖。」
「持ってる。」
「シロ。」
「ワン!」
「いる。」
一つずつ指差しながら確認していく。
その様子を隣で見ていたリナが呆れたようにため息を吐いた。
「何回目よ、それ。」
「三回目。」
ミアが答える。
「四回目だよ。」
「増えてるじゃない。」
「だって初めてのダンジョンだよ?」
ヒルメが顔を上げる。
その表情は――
明らかに楽しそうだった。
「何があるか分からないし。」
「だから確認してるんじゃなくて、楽しみで仕方ないだけでしょ。」
「……ちょっとだけ。」
「顔に全部出てるわよ。」
「ワン!」
シロまで元気よく鳴く。
ヒルメがその頭を撫でた。
「シロも楽しみだよね。」
「ワウ!」
「遠足じゃないんだからね。」
「分かってるって。」
「本当に?」
「……多分。」
「不安になってきたわ。」
ミアが笑う。
「まあまあ。」
「リナがいるんだから大丈夫でしょ。」
「なんで私が面倒見る前提なのよ。」
「昨日からもうそうなってるじゃん。」
「なってない!」
そんな三人のやり取りの少し離れた場所。
数人の生徒がこちらを見ていた。
「本当にリナと組んだんだ。」
「よくやるよね。」
「絶対うるさいよ。」
小さな声。
ヒルメにも聞こえた。
ちらりとそちらを見る。
だが――
リナは何も反応しなかった。
聞こえていないわけではない。
ただ。
いつものことなのだろう。
ヒルメは少しだけ眉を寄せた。
(なんでだろう。)
確かにリナは口うるさい。
よく怒る。
言い方もたまに怖い。
でも。
(悪い子じゃないのに。)
魔法が分からなければ教えてくれる。
間違っていれば直してくれる。
昨日だって自分のノートを見せてくれた。
「ヒルメ。」
「え?」
「何ぼーっとしてるの。」
リナがヒルメを見る。
「そろそろ出発よ。」
「あ、うん。」
「ほら。」
「また置いていくわよ。」
「待って!」
ヒルメは慌てて二人を追いかけた。
◇ ◇ ◇
学院から歩くこと、およそ一時間。
森の奥に巨大な岩山が見えてきた。
その麓。
ぽっかりと口を開ける巨大な洞窟。
入口の周囲には学院の紋章が刻まれた石柱が立ち、数人の教師たちが待機している。
「おお……。」
ヒルメの目が輝く。
「ダンジョン……!」
「だから迷宮。」
「同じでしょ?」
「授業なんだから少しは緊張しなさい。」
「してるよ。」
「嘘。」
「してるって!」
カイルが生徒たちの前へ出た。
「全員揃ったな。」
ざわついていた生徒たちが静かになる。
「昨日説明した通り、ここは学院が管理する第一訓練迷宮だ。」
「内部に生息する魔物は、ゴブリン、ケイブバット、スライムなどの低級種が中心。」
「三人で連携すれば問題なく対処できる。」
ヒルメが周囲を見る。
一般クラスだけではない。
別の制服を着た生徒たちもいる。
「貴族クラスもいるんだ。」
小声で呟く。
「課外実習は合同だから。」
リナが答える。
その中に見覚えのある姿を見つけた。
美しい金髪。
整った立ち姿。
セレスティアだ。
向こうもヒルメに気付いたらしい。
一瞬だけ視線が交わる。
「……。」
セレスティアは小さく会釈した。
ヒルメも慌てて頭を下げる。
「お、おはようございます。」
「遠くて聞こえないわよ。」
リナが呟く。
「挨拶されたから。」
「会釈だけでいいでしょ。」
「そうなの?」
「……あなた、王城で暮らしてるのよね?」
「うん。」
「なんで礼儀作法が何も身についてないの?」
「まだ住み始めたばっかりだから!」
「関係ある?」
「あるよ!」
その時。
「ヒルメさーん!」
聞き慣れた声。
「……。」
リナが目を閉じた。
「来た。」
「来たね。」
ミアも笑う。
貴族クラスの集団からアリシアがこちらへ駆けてくる。
その後ろを二人の生徒が慌てて追っていた。
「殿下! お待ちください!」
「勝手に班から離れないでください!」
「少しくらい構いません!」
「構います!」
アリシアは二人を完全に無視してヒルメの前までやってきた。
「おはようございます、ヒルメさん!」
「お、おはようございます。」
「シロ様も!」
「ワン!」
シロが嬉しそうに尻尾を振る。
「今日も可愛らしいですね!」
アリシアがしゃがみ込み、シロの頭を撫でる。
「ワウ!」
すっかり懐柔されている。
その様子を見てヒルメが笑った。
「もう全然逃げなくなったね。」
「当然です!」
アリシアが胸を張る。
「毎日お肉を差し上げていますから!」
「……。」
ヒルメがシロを見る。
「シロ。」
「ワウ?」
「そういうことだったの?」
「ワン!」
「元気よく返事しないで。」
「ふふっ。」
アリシアが楽しそうに笑う。
「ところでヒルメさん。」
「はい?」
「同じ班になれなくて残念です……。」
露骨に肩を落とす。
「殿下の班は王家から指定されていますから。」
後ろから追いついた男子生徒が言う。
「護衛訓練も兼ねております。」
「分かっています。」
アリシアは頬を膨らませる。
「分かっていますけど、残念なものは残念なのです。」
「……。」
リナが小声で呟く。
「本当に殿下から好かれてるのね。」
「なんでだろう。」
「それ本人の前で言わない方がいいわよ。」
「え?」
「ヒルメさん?」
アリシアが笑顔のままヒルメを見る。
「何でもないです。」
「そうですか?」
「はい。」
「ヒルメ。」
「何?」
「顔が引きつってる。」
「ミア!」
その時。
「殿下。」
静かな声がした。
セレスティアがこちらへ歩いてくる。
「そろそろお戻りください。」
「もうですか?」
「説明が始まります。」
「……分かりました。」
アリシアは残念そうにヒルメを見る。
「ヒルメさん。」
「はい。」
「お気をつけて。」
「アリシアも。」
その瞬間。
アリシアの表情がぱっと明るくなった。
「はい!」
「では、後ほど!」
セレスティアに促され、アリシアは自分の班へ戻っていった。
その背中を見送りながら。
ヒルメはふとセレスティアを見る。
(やっぱり……。)
(アリシアのこと、大切なんだな。)
いつもアリシアのことを気にかけている。
だからこそ、自分にも警戒していたのだろう。
そんなことを考えていると。
「ヒルメ。」
「え?」
「説明。」
リナに袖を引かれる。
「あっ。」
「本当に大丈夫かしら……。」
「大丈夫だよ!」
「その自信どこから来るのよ。」
◇ ◇ ◇
「各班にはこれを渡す。」
教師から小さな青い石が配られていく。
ヒルメが受け取ろうとしたが――
すっ。
その前にリナが取った。
「……。」
「何?」
「私が持とうと思ったのに。」
「だから私が持つの。」
「なんで?」
「緊急転移石よ?」
「うん。」
「命に関わる物をあなたに任せるの怖いから。」
「私そんなに信用ない!?」
「迷宮に関してはない。」
「まだ入ってすらないのに!」
「じゃあ私が持とうか?」
ミアが手を出す。
「お願い。」
リナが渡そうとする。
「待って!」
「冗談だよ。」
ミアが笑う。
「リナが持ってて。」
「ミアまで……。」
「だって一番しっかりしてるし。」
「……。」
リナの動きが止まった。
「どうしたの?」
「別に。」
転移石を腰の袋へしまう。
「当然でしょ。」
だが。
少しだけ。
その口元が緩んでいる。
ヒルメがそれに気付いた。
「リナ。」
「何?」
「嬉しい?」
「嬉しくない。」
「でも――」
「嬉しくない。」
「まだ何も言ってないよ。」
「顔見れば分かる。」
「むぅ……。」
カイルの説明が続く。
「迷宮内には学院側で設置した訓練用の罠もある。」
「指定された三つの地点を通過し、最深部にある学院章を回収。」
「その後、入口まで戻ってくれば実習終了だ。」
「なお、班員全員で戻ること。」
「一人でも欠けた場合は失格とする。」
ヒルメが小さく頷く。
「三人で帰ってくればいいんだね。」
「そういうこと。」
リナも頷く。
「あと一匹。」
ミアがシロを見る。
「ワン!」
「シロは勝手にいなくならないでね。」
「ワウ。」
「ヒルメにも同じこと言っといた方がいいんじゃない?」
「リナ!」
「否定できる?」
「……できる。」
「今の間は何?」
迷宮の入口を前に。
ヒルメはふと思い出したように足を止めた。
「そうだ、シロ。」
「ワウ?」
ヒルメがしゃがみ込み、シロと目線を合わせる。
「今日はシロ、戦っちゃ駄目だからね。」
「……ワウ?」
シロが首を傾げた。
「私たちの課外実習だから。」
「危なくなっても、すぐ助けちゃ駄目。」
「ワン?」
「私とリナとミアで頑張るの。」
その言葉を聞いていたリナが眉を寄せる。
「ちょっと待って。」
「何?」
「その言い方だと、シロが戦ったら私たちより強いみたいに聞こえるんだけど。」
「強いよ?」
「……。」
「……。」
リナとミアがシロを見る。
「ワン!」
シロは得意そうに尻尾を振った。
「どれくらい?」
ミアが聞く。
「うーん……。」
ヒルメは少し考える。
「私もよく分かんない。」
「またそれ!?」
「だってシロ、本気で戦ってるところほとんど見たことないし。」
リナが額を押さえる。
「あなたたち、本当に何なのよ……。」
「でも。」
ヒルメはもう一度シロを見る。
「今日は駄目だからね。」
「私たちが本当にどうしようもなくなるまで、手を出さないこと。」
「……。」
シロは少し不満そうにヒルメを見つめる。
「約束。」
ヒルメが手を差し出す。
しばらくして。
シロはその手の上に前足を乗せた。
「ワウ。」
「よし。」
ヒルメが笑って頭を撫でる。
「いい子。」
「……犬みたいね。」
リナが呟く。
「犬じゃないよ?」
「知ってるわよ!」
やがて。
最初の班が迷宮へ入っていった。
安全確保のため、班ごとに一定の間隔を空けて出発する。
一組。
また一組。
そして。
「次。」
カイルが名簿を見る。
「ヒルメ、リナ、ミア。」
「はい!」
三人が前へ出る。
シロも一緒だ。
カイルは三人を見回した後。
なぜか最後にヒルメを見た。
「ヒルメ。」
「はい?」
「くれぐれも無茶はするなよ。」
「……なんで私だけ?」
「なんとなくだ。」
「先生まで!」
ミアが吹き出す。
リナは深く頷いていた。
「私もそう思います。」
「リナ!?」
「頼んだぞ、リナ。」
「はい。」
「なんでリナに頼むんですか!?」
「行ってこい。」
「先生!」
完全に流された。
「もう……。」
ヒルメが頬を膨らませる。
「ほら。」
リナが先へ進む。
「行くわよ。」
「うん!」
ミアも続く。
ヒルメは杖を握り直した。
目の前には。
薄暗い迷宮。
初めて足を踏み入れる場所。
少し怖い。
でも――
それ以上に。
わくわくしている。
ヒルメは隣を見る。
ミア。
リナ。
そして足元のシロ。
昨日までなら。
ただ同じクラスの生徒だった。
けれど今日は。
一緒に迷宮へ挑む仲間だ。
「よし。」
ヒルメが小さく呟く。
「三人で頑張ろう。」
「ワン!」
「四人でしょ。」
ミアが笑う。
「シロを数えるならね。」
リナも小さく笑った。
「誰も置いていかないこと。」
「うん。」
「分かった。」
「ワン!」
そして――
三人と一匹は。
並んで迷宮の暗闇へ足を踏み入れた。




