三人で踏み出す一歩
◇ ◇ ◇
放課後。
「エルドさん、いますか?」
ヒルメは宮廷魔導師団の一室から顔を覗かせた。
「ワウ。」
その足元からシロもひょこっと顔を出す。
部屋の奥。
大量の書類に囲まれていたエルドが顔を上げた。
「おお、ヒルメか。」
「どうした?」
「ちょっと聞きたいことがあって……。」
「ふむ。」
エルドは手にしていた書類を机へ置く。
「まあ入れ。」
「はい。」
ヒルメが部屋へ入ると、シロも当然のようについてくる。
「ワン!」
「お主もすっかり王城に慣れたのう。」
「シロ、最近一人で歩き回るんですよ。」
「ワウ?」
「この前なんて厨房にいたんです。」
「ほう。」
「料理人さんからお肉もらってました。」
「それはもう完全に馴染んでおるな。」
「困ってるんです。」
「尻尾を振りながら言っても説得力がないぞ。」
「ワン!」
ヒルメが振り返る。
シロの尻尾は勢いよく左右へ揺れていた。
「……シロ。」
「ワウ?」
「反省してる?」
「ワン!」
「してないよね?」
エルドが小さく笑う。
「それで?」
「わしに聞きたいこととは、シロの食い意地についてか?」
「あ、違います!」
ヒルメは慌ててエルドの机へ近づいた。
「リナのことなんです。」
「リナ?」
「学院の同じクラスの子です。」
「ほう。」
エルドは椅子へ深く腰掛ける。
「その娘がどうした?」
「今日、魔力制御の実技があったんです。」
ヒルメは昼間の出来事を思い出す。
「リナは火属性なんですけど……。」
「うむ。」
「魔力を出した時に。」
そこで言葉が止まる。
(どう説明したらいいんだろう……。)
「なんじゃ?」
「……黒かったんです。」
エルドの表情が僅かに変わった。
「黒い?」
「全部じゃないです。」
「赤い魔力の中に、本当にちょっとだけ。」
ヒルメは指先で小さな隙間を作る。
「これくらい。」
「……それでは分からん。」
「一瞬だけなんです!」
「最初は見間違いかなって思ったんですけど。」
「二回見えました。」
エルドが顎髭へ手を添える。
「その黒い魔力を見て、お主は何を感じた?」
「え?」
「ただ色が黒かっただけか?」
「それとも何か感じたのか?」
「……。」
ヒルメは考える。
そして自分の杖へ視線を落とした。
「似てたんです。」
「何にじゃ?」
「私が……闇魔法を使う時の魔力に。」
部屋から笑いが消えた。
エルドの目が鋭くなる。
「間違いないか?」
「分かりません。」
ヒルメは正直に首を振った。
「ほんの一瞬だったから。」
「でも……。」
「なんとなく、同じ感じがしたんです。」
「ふむ……。」
エルドはしばらく黙り込む。
「エルドさん?」
「その娘。」
「リナと言ったな。」
「はい。」
「闇魔法を使ったことは?」
「ないと思います。」
「闇属性の適性を指摘されたことは?」
「多分ないです。」
「本人には聞いておらんのか?」
「だって……。」
ヒルメは少し困った顔をする。
「私も闇魔法のこと、みんなには言わない方がいいって言われてるし。」
「それに、もし違ってたら変なこと言っちゃうかなって。」
「うむ。」
エルドが頷く。
「それでよい。」
「え?」
「今の段階では、その娘には何も言わん方がよかろう。」
「やっぱり?」
「あくまでお主が魔力に違和感を覚えただけじゃ。」
「それだけで闇属性と決めつけることはできん。」
ヒルメは少し安心したように息を吐く。
「じゃあ、見間違いの可能性も?」
「もちろんある。」
「そうですよね……。」
「じゃが。」
エルドの言葉に、ヒルメが顔を上げる。
「お主がそう感じたということ自体は気になる。」
「私が?」
「闇魔法を実際に扱える者だからこそ、感じ取れた可能性もあるからの。」
「……。」
ヒルメは自分の手を見る。
「では一度、その娘の魔力を――」
そこまで言って。
エルドが止まった。
「いや。」
「?」
「今はやめておくか。」
「調べないんですか?」
「理由もなく宮廷魔導師団長から呼び出されれば、本人も驚くじゃろう。」
「確かに……。」
「それに。」
エルドは少し楽しそうに笑う。
「近いうちに学院で課外授業があるはずじゃ。」
「課外授業?」
「聞いておらんのか?」
「聞いてません。」
「そうか。」
エルドの笑みが深くなる。
「なら、わしから言うのはやめておこう。」
「えっ。」
「明日にでも聞くじゃろう。」
「なんですか、それ!」
「楽しみにしておれ。」
「気になるじゃないですか!」
「ほっほっほ。」
「エルドさん!」
ヒルメが不満そうに頬を膨らませる。
「まあ、その課外授業なら普段より多く魔力を使うことになる。」
「わしも様子を確認しておこう。」
「エルドさんも来るんですか?」
「さての。」
「またそれ!」
エルドは楽しそうに笑う。
ヒルメは納得していない様子だったが。
ふと、表情を曇らせた。
「あの。」
「なんじゃ?」
「もし……。」
少しだけ言いにくそうにする。
「もし本当にリナが闇魔法を使えるとして。」
「うむ。」
「大丈夫ですよね?」
「何がじゃ?」
「その……。」
ヒルメは自分の杖を握る。
「悪いものじゃ、ないですよね。」
エルドはヒルメを見つめた。
そして――
「当たり前じゃ。」
迷いのない答えだった。
「闇という名が付いておるだけじゃ。」
「火は人を焼く。」
「水は人を溺れさせる。」
「風は人を切り裂き、土は人を押し潰す。」
「……。」
「じゃが、それらを悪しき魔法とは呼ばんじゃろう?」
ヒルメが頷く。
「はい。」
「魔法そのものに善悪などない。」
「何のために使うか。」
「それを決めるのは、いつだって使い手じゃ。」
「……そっか。」
ヒルメの表情が柔らかくなる。
「なら、よかった。」
「ずいぶんその娘を心配するのじゃな。」
「え?」
「友達か?」
「……。」
ヒルメは少し考える。
「多分。」
「多分?」
「最近、よく話すようになったんです。」
「魔法も教えてくれるし。」
「怒られることも多いですけど。」
「ほう。」
「今日も『魔力増やすな』っていっぱい怒られました。」
「……。」
エルドが呆れた顔をする。
「お主には必要な友人かもしれんな。」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味じゃ。」
「むぅ……。」
「ワン!」
「シロまで!」
部屋にエルドの笑い声が響いた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
「今日は通常授業を変更する。」
カイルの一言に、教室がざわついた。
「変更?」
「何かあるの?」
「聞いてないぞ。」
ヒルメも首を傾げる。
そして。
昨日のエルドの顔を思い出した。
(もしかして……。)
カイルが教壇の上へ一枚の紙を置く。
「来週、学院の課外実習を行う。」
「課外実習?」
ミアが小さく呟く。
一方。
リナは知っていたらしい。
「ああ、もうそんな時期なんだ。」
「知ってるの?」
ヒルメが尋ねる。
「毎年あるから。」
「何するの?」
「先生の話聞きなさい。」
「はい。」
「敬語。」
「……うん。」
カイルが続ける。
「今回の実習場所は、学院が管理している第一訓練迷宮。」
その瞬間。
教室の空気が変わった。
「迷宮!?」
ヒルメが思わず声を上げる。
「ヒルメ。」
「ご、ごめんなさい。」
カイルが苦笑する。
「そうだ。」
「いわゆるダンジョンだ。」
ヒルメの目が輝く。
「ダンジョン……。」
旅に出てから話には何度も聞いた。
魔物。
宝。
地下へ続く巨大な迷宮。
冒険者たちが挑む場所。
(行ってみたかったんだよね……!)
「なんで嬉しそうなのよ。」
リナが横から言う。
「だってダンジョンだよ?」
「訓練よ。」
「でもダンジョンでしょ?」
「遊びに行くんじゃないの。」
「分かってるよ。」
「その顔は絶対分かってない。」
ミアが笑う。
「ヒルメ、罠とか踏みそう。」
「踏まないよ!」
「踏みそう。」
リナまで言う。
「リナまで!?」
「ワン!」
「シロまで!?」
教室に小さな笑いが起こる。
カイルが咳払いした。
「楽しそうで何よりだが、説明を続けてもいいか?」
「……ごめんなさい。」
ヒルメが小さくなる。
「今回の目的は魔物の討伐ではない。」
「三人一組で迷宮へ入り、指定された地点を通過した後、最深部に設置された学院章を回収する。」
黒板へ簡単な図が描かれる。
「当然、内部には魔物もいる。」
「また、学院側で設置した訓練用の罠も存在する。」
ヒルメの表情が固まる。
ミアが横を見る。
「ほら。」
「……まだ踏んでないよ。」
「今から心配になってきたわ。」
リナがため息を吐く。
「なんで二人とも私が踏む前提なの?」
「普段の行動。」
「普段の行動ね。」
「ひどい!」
再び笑いが起きる。
「ただし。」
カイルの声が少しだけ低くなった。
教室が静まる。
「第一訓練迷宮は学院によって管理されているとはいえ、本物の迷宮だ。」
「内部に生息する魔物も本物。」
「油断すれば怪我をする。」
ヒルメも真剣な表情へ戻る。
「各班には緊急用の魔道具を渡す。」
「危険だと判断した場合は迷わず使用しろ。」
「教師陣も内部を巡回する。」
「だが――」
カイルが生徒たちを見る。
「基本的に、攻略するのはお前たち自身だ。」
教室の空気に緊張が混ざる。
「そして。」
カイルが新しい紙を取り出した。
「今から三人一組の班を決める。」
「三人……。」
ヒルメが呟く。
次の瞬間。
「ヒルメ!」
ミアが即座に振り向いた。
「一緒に組もう!」
「うん!」
ほとんど同時だった。
そしてヒルメは――
当然のように反対側を見る。
「リナ。」
「……え?」
リナが目を瞬かせる。
「一緒に組もう。」
「……。」
リナが黙った。
「リナ?」
「……私?」
「うん。」
ヒルメは首を傾げる。
「他に誰がいるの?」
「……。」
ミアも当然のように頷く。
「三人ならちょうどいいじゃん。」
「……。」
リナは二人を見る。
その表情は、いつものような呆れでも苛立ちでもなかった。
少しだけ――
戸惑っている。
「何?」
ミアが尋ねる。
「……別に。」
リナは視線を逸らした。
「ただ。」
「?」
「本当に私でいいの?」
ヒルメとミアが顔を見合わせる。
「なんで?」
ヒルメが聞き返した。
「なんでって……。」
リナは言葉を濁す。
その時。
少し離れた席から声が聞こえた。
「え、リナと組むの?」
小さな声。
だが。
三人には聞こえた。
「大変そう……。」
「絶対ずっと指図されるじゃん。」
クスクスと笑う声。
ヒルメがそちらを見る。
二人の女子生徒が慌てて顔を逸らした。
「……。」
ミアの表情が僅かに曇る。
リナは――
何も言わなかった。
まるで。
聞き慣れているように。
「ほら。」
小さく呟く。
「え?」
「だから言ったの。」
「私じゃなくても――」
「リナ。」
ヒルメが遮った。
「何?」
「一緒に行こう。」
「……。」
「私、ダンジョン初めてだし。」
「それは見れば分かる。」
「まだ行ってないのに!?」
「さっきの顔見れば分かるわよ。」
「……。」
ミアが吹き出す。
「確かに。」
「ミアまで!」
「だってヒルメ、完全に遊びに行く顔してたもん。」
「ちゃんと真面目にやるよ!」
「本当に?」
「本当!」
リナが呆れたように二人を見る。
いつの間にか。
先ほどの声のことなど、ヒルメもミアも気にしていなかった。
「それに。」
ヒルメが続ける。
「リナがいた方が安心だよ。」
「……私が?」
「うん。」
「魔法のこと一番詳しいし。」
「私が変なことしたら止めてくれるし。」
「それ安心するところ?」
ミアが笑う。
「大事だよ。」
「まあ……ヒルメには必要か。」
「でしょ?」
「私もリナがいいよ。」
ミアが言う。
「口うるさいけど。」
「ちょっと!」
「でも頼りになるし。」
「……。」
リナは黙った。
そして。
少しだけ顔を逸らす。
「……後悔しても知らないから。」
ヒルメの顔が明るくなる。
「じゃあ決まり?」
「好きにすれば。」
「やった!」
「なんでそんなに喜ぶのよ!」
「三人でダンジョンだよ!」
「だから遊びじゃないって言ってるでしょ!」
「分かってるって!」
「絶対分かってない!」
ミアが笑いながら二人を見る。
「はいはい。」
そして机の中央へ手を出した。
「じゃあ三人で頑張ろ。」
「おっ。」
ヒルメがその上へ手を重ねる。
「頑張ろう!」
「……。」
二人の視線がリナへ向く。
「何よ。」
「リナも。」
「嫌よ。」
「なんで!?」
「恥ずかしいから。」
「いいじゃん。」
「嫌。」
「リナー。」
「その呼び方やめて。」
「お願い。」
「……。」
リナはしばらく二人を見る。
そして。
周囲に誰も見ていないことを確認するように視線を動かしてから――
そっと。
二人の手の上へ、自分の手を重ねた。
「……一回だけだからね。」
「うん!」
「声大きい!」
「ふふっ。」
「ミアも笑わない!」
三人の手が重なる。
それはまだ。
本人たちにとっては、ただ同じ班になっただけのことだった。
けれど――
この小さな迷宮探索が。
三人にとって大切なものになることを。
この時の彼女たちは、まだ知らなかった。




