はじめての教室
ヒルメは教室の前で足を止める。
扉の向こうから、大勢の生徒たちの話し声が聞こえてくる。
(よし……。)
(大丈夫。)
小さく息を吸う。
そして――
教室の扉へ手を掛けた。
◇ ◇ ◇
ガラッ――
扉を開いた瞬間。
教室の中にいた生徒たちの視線が、一斉にヒルメへ向けられた。
「……。」
「……。」
ヒルメの手が扉を握ったまま止まる。
(うわぁ……。)
(みんな見てる……。)
当然だった。
見たことのない少女が突然教室へ入ってきたのだ。
しかも――
「ワウ!」
その足元には白い犬までいる。
「犬?」
「なんで犬がいるんだ?」
「従魔じゃない?」
「でも、あんな従魔見たことないぞ。」
教室のあちこちから小さな声が聞こえてくる。
(やっぱりシロ目立つよね……。)
ヒルメがシロを見る。
「ワウ?」
当の本人はまったく気にしていない。
むしろ初めて見る教室が珍しいのか、楽しそうに辺りを見回している。
「えっと……。」
ヒルメがどうすればいいのか迷っていると――
「君がヒルメか?」
「え?」
教壇の前に立っていた男性教師が声を掛けた。
まだ若い。
二十代後半ほどだろうか。
短く整えられた髪に、細身の体格。
手には何冊もの教材を抱えている。
「は、はい!」
「話は聞いている。」
教師は穏やかに笑った。
「私はこのクラスを担当しているカイルだ。」
「今日からよろしく。」
「よろしくお願いします!」
ヒルメは勢いよく頭を下げる。
「ワン!」
シロも一緒に鳴いた。
「……。」
カイルの視線がシロへ向く。
「その子が、登録されている従魔か。」
「はい。」
ヒルメは答えてから――
少しだけシロを見る。
(従魔っていうの、やっぱり変な感じ……。)
「シロっていいます。」
「ワウ!」
「シロか。」
カイルは特に気にする様子もなく頷いた。
「授業の妨げにならないのであれば、教室内にいて構わない。」
「本当ですか?」
「ああ。」
「ありがとうございます!」
ヒルメがほっとする。
「ただし、走り回ったりした場合は外へ出てもらうからな。」
「大丈夫です。」
ヒルメはシロを見る。
「ちゃんと大人しくできるよね?」
「ワン!」
「……多分。」
「そこは言い切ってくれ。」
教室から小さな笑い声が漏れた。
「……。」
ヒルメが固まる。
(わ、笑われた……。)
だが――
馬鹿にされたような笑いではなかった。
そのことに気付き、少しだけ肩の力が抜ける。
カイルが教室を見渡す。
「さて。」
「すでに聞いている者もいると思うが、今日からこのクラスに新しい生徒が加わる。」
そしてヒルメを見る。
「簡単に自己紹介を。」
「は、はい!」
ヒルメは教壇の前へ立った。
目の前には、三十人ほどの生徒。
男子も女子もいる。
服装も髪型も様々だ。
(自己紹介……。)
(何を言えばいいんだろう。)
名前。
それから――
出身?
(私、出身ってどこになるんだろう……。)
自分が何者なのかを知るために旅をしている。
そんなことを初対面の相手に話すのも変な気がする。
(どうしよう……。)
沈黙が長くなっていく。
カイルが小声で助け舟を出した。
「名前と、好きなものくらいでいいぞ。」
「あっ。」
ヒルメは慌てて顔を上げる。
「ヒ、ヒルメです!」
「今日からこの学院でお世話になります!」
勢いよく頭を下げる。
「えっと……。」
ちらりとシロを見る。
「旅をすることと……シロが好きです。」
「ワン!」
教室から再び笑い声が上がった。
「それと……。」
ヒルメは少し考える。
「魔法については、ほとんど何も分かりません。」
教室が静かになる。
「なので、皆さんに教えてもらうことも多いと思います。」
「よろしくお願いします!」
もう一度、頭を下げた。
ぱちぱち。
誰かが拍手する。
それに続くように、教室中から拍手が起こった。
ヒルメは顔を上げる。
(よかった……。)
少なくとも――
いきなり嫌われるようなことはなかったらしい。
「よし。」
カイルが教室を見渡す。
「ヒルメの席は――」
教室の後方を指差す。
「窓際の空いている席を使ってくれ。」
「はい。」
ヒルメはシロと一緒に歩き出す。
席へ向かう途中。
何人もの生徒がヒルメを見ている。
好奇心。
興味。
中にはシロばかり見ている者もいる。
(緊張する……。)
ようやく席へ辿り着く。
ヒルメが椅子へ座ると、シロもその足元へ伏せた。
「いい子にしててね。」
「ワウ。」
小声で話していると――
「ねえ。」
「え?」
隣から声を掛けられた。
顔を向ける。
そこには、赤茶色の髪を肩の辺りで切り揃えた少女が座っていた。
明るそうな大きな瞳。
ヒルメと目が合うと、にこっと笑う。
「私、ミア。」
「よろしくね。」
「あ……。」
ヒルメも慌てて笑う。
「よろしくお願いします。」
「敬語じゃなくていいよ。」
「え?」
「同じクラスなんだから。」
「……。」
ヒルメは少し戸惑う。
「じゃあ……よろしく。」
「うん!」
ミアは嬉しそうに笑う。
そして――
すぐに視線が下へ向いた。
「それで。」
「……?」
「シロ、触っていい?」
「そっち!?」
思わず声が出た。
「だって気になるじゃん!」
ミアが小声で言う。
「真っ白だし、すっごい綺麗だし。」
「ワウ?」
名前を呼ばれたシロが顔を上げる。
「かわいい……。」
ミアの目が輝く。
「ねえ、いい?」
「シロが嫌がらなければ。」
「ほんと!?」
ミアがそっと手を伸ばす。
シロはその手の匂いを嗅ぐ。
くんくん。
「……。」
ミアも動かない。
やがて――
シロが鼻先を手へ押しつけた。
「……!」
ミアの顔が輝く。
「触っていいってこと!?」
「多分。」
「やった!」
そっと頭を撫でる。
「ふわふわ……。」
「ワウ。」
「かわいい……。」
「シロ、人気だね。」
ヒルメが苦笑する。
「当たり前だよ。」
ミアは真剣な顔で答える。
「こんな可愛い従魔、初めて見たもん。」
「……。」
ヒルメが少しだけ言葉に詰まる。
「従魔……。」
「違うの?」
「うーん……。」
どう説明したものか。
「学院では従魔ってことになってるんだけど。」
「うん。」
「私にとっては家族かな。」
「へぇ。」
ミアはシロを撫でながら頷く。
「じゃあ家族でいいじゃん。」
「……え?」
あまりにも簡単に言われ、ヒルメは目を瞬かせた。
「だってヒルメがそう思ってるんでしょ?」
「だったら家族じゃない?」
「……。」
ヒルメは小さく笑った。
「うん。」
「そうだね。」
「ワン!」
その時――
パンパン。
カイルが手を叩いた。
「そこ。」
「シロと遊ぶのは休み時間にしろ。」
「はーい。」
ミアが素直に前を向く。
ヒルメも慌てて姿勢を正した。
(よかった。)
(友達、一人できたかも。)
少しだけ嬉しくなる。
◇ ◇ ◇
「では授業を始める。」
カイルが黒板へ文字を書いていく。
『魔力制御基礎』
ヒルメはその文字を見つめる。
(魔力制御……。)
まさに自分が学ぶよう言われたものだった。
「今日は魔力の放出と維持について復習する。」
カイルが生徒たちを見渡す。
「魔法を扱ううえで重要なのは、単純な魔力量ではない。」
「どれだけ正確に必要な量だけを取り出し、維持できるかだ。」
ヒルメは真剣に話を聞く。
「例えば。」
カイルが右手を上げる。
その掌に、小さな光が生まれた。
「これを見て、魔力が強いと思う者は?」
誰も手を上げない。
「そうだな。」
「使っている魔力そのものは僅かだ。」
「だが――」
光は大きさを変えない。
揺らぐこともない。
「この状態を一時間維持する方が、大量の魔力を一度に放出するより難しい場合もある。」
「重要なのは制御だ。」
ヒルメは光をじっと見る。
(必要な量だけ……。)
これまでそんなことを考えたことがなかった。
使いたい魔法を思い浮かべ。
詠唱して。
発動する。
それだけ。
「魔力量が多い者ほど、この基礎を軽視する傾向がある。」
カイルが続ける。
「だが、それは大きな間違いだ。」
「大量の水が入った桶から、一滴だけを取り出す。」
「魔力制御とは、それに近い。」
「……。」
ヒルメは自分の手を見る。
(私……。)
(できるのかな。)
「では実際にやってみよう。」
「机の上に魔力測定用の水晶を出せ。」
生徒たちが一斉に机の中から小さな透明の水晶を取り出す。
ヒルメだけが動かない。
「……。」
周囲を見る。
みんな持っている。
自分は持っていない。
(聞いてない……。)
すると――
すっ。
隣から水晶が差し出された。
「予備。」
ミアだった。
「え?」
「私、二個持ってるから。」
「ありがとう!」
「どういたしまして。」
ヒルメは水晶を受け取る。
「その水晶へ、ごく僅かな魔力を流せ。」
カイルが説明する。
「強く光らせる必要はない。」
「薄く光らせ、その状態を維持する。」
「それだけだ。」
次々と生徒たちの水晶が淡く光り始める。
赤。
青。
緑。
黄色。
それぞれの魔力に反応し、色とりどりの光が教室を照らした。
ヒルメも水晶を両手で持つ。
(少しだけ……。)
(少しだけ魔力を流す。)
目を閉じる。
身体の中にある魔力を意識する。
(これくらい……?)
ほんの僅か。
そう思いながら――
水晶へ魔力を流した。
次の瞬間。
カッ――!!
「え?」
教室が真っ白に染まった。
「うわっ!?」
「眩しっ!」
「何!?」
生徒たちが一斉に目を覆う。
「ひゃっ!?」
ヒルメも驚いて水晶から手を離した。
光が消える。
「……。」
静寂。
教室中の視線が――
再びヒルメへ集中した。
「……。」
ヒルメは水晶を見る。
そして周囲を見る。
「……ご、ごめんなさい。」
カイルも呆然としていた。
「……ヒルメ。」
「はい……。」
「今、どれくらい魔力を流した?」
「ほんの少しです……。」
「……。」
カイルは黙って水晶を見る。
水晶には異常がない。
「もう一度やってみろ。」
「えっ。」
「今度は、さっきより遥かに少なく。」
「はい……。」
ヒルメは恐る恐る水晶へ手を置く。
(もっと少なく……。)
(もっと……。)
本当に少しだけ。
髪の毛一本ほどの細さを意識する。
そっと魔力を流す。
カッ!!
再び強烈な光。
「眩しいって!」
「ご、ごめんなさい!」
慌てて手を離す。
「……。」
カイルが額を押さえた。
「なるほど。」
「え?」
「君がこの学院へ来た理由が、少し分かった。」
「……。」
ヒルメは恥ずかしそうに俯く。
(全然できない……。)
闘技場では学院最強と呼ばれるアルベルトを圧倒した。
だが――
今のヒルメには。
小さな水晶を淡く光らせることすら、できなかった。
「……ふっ。」
隣から小さな笑い声が聞こえた。
「ミア?」
「ごめん。」
ミアは笑いを堪えている。
「でも……。」
「すごい魔法使いなのかなって思ってたのに。」
「水晶光らせるだけで失敗するんだもん。」
「……。」
「なんか安心した。」
「どういう意味!?」
「あははっ!」
「もう!」
ヒルメは頬を膨らませる。
その足元では――
「ワウ……。」
シロまで呆れたようにヒルメを見上げていた。
「シロまでそんな顔しないでよ!」
教室に笑い声が広がる。
そしてヒルメはまだ知らなかった。
この日。
自分が失敗したこの小さな魔力制御の授業こそが――
これから学院で学ぶすべての始まりになることを。




