王城の少女
「うむ。ご苦労だった、エルド。」
玉座から落ち着いた声が響く。
「はっ。」
エルドが頭を下げる。
その隣で――
ヒルメは完全に固まっていた。
(ど、どうしよう……。)
(こういう時って、どうするんだっけ……。)
周囲をちらりと見る。
エルドは頭を下げている。
ならば自分も――
「よ、よろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げた。
「……。」
謁見の間が静まり返る。
(あれ……?)
(間違えた……?)
ヒルメの顔から血の気が引いていく。
すると――
「はははっ。」
玉座から笑い声が聞こえた。
ヒルメが恐る恐る顔を上げる。
王は怒っている様子もなく、むしろ愉快そうに笑っていた。
「そう緊張する必要はない。」
「エルドから話は聞いている。」
「は、はい……。」
ヒルメはぎこちなく返事をする。
その時。
王の傍らに立っていた青年と目が合った。
「……あ。」
ヒルメが小さく声を漏らす。
どこかで見たことがある。
レオンもそれに気付き、僅かに笑みを浮かべた。
「また会いましたね。」
「……!」
ヒルメの記憶が繋がる。
「あの時の!」
思わず声を上げ――
すぐに両手で口を押さえた。
「す、すみません!」
王は再び小さく笑う。
「レオンとはすでに面識があったか。」
「一度だけです、父上。」
レオンが答える。
「街で偶然。」
「なるほどな。」
王は改めてヒルメへ視線を向けた。
「さて。」
その一言で、少しだけ空気が変わった。
「今日ここへ来てもらったのは、昨日の件について話を聞くためだ。」
「昨日……。」
ヒルメの表情が曇る。
「アルベルトさんのこと……ですか?」
「そうだ。」
「……。」
ヒルメは杖を握る手に僅かに力を込めた。
「申し訳ありません……。」
深く頭を下げる。
「私……途中から覚えていなくて。」
「気が付いたら医務室にいました。」
「だから、何があったのか……。」
王は何も言わず、ヒルメを見つめる。
「ただ……。」
ヒルメは少しだけ顔を上げた。
「シロが蹴られたところまでは覚えています。」
足元にいたシロが、
「ワウ。」
と小さく鳴いた。
王の視線がシロへ向く。
そして再びヒルメへ戻った。
「その件について、お前を咎めるために呼んだわけではない。」
「……え?」
ヒルメが顔を上げる。
「事の経緯はレオンから聞いている。」
王の視線が僅かに鋭くなる。
「アルベルトの行いについては、こちらで然るべき処分を下す。」
「昨日の件は、あの者自身が招いたものだ。」
ヒルメは目を瞬かせる。
「では……どうして私を?」
「それを今から聞こうと思っている。」
王は玉座に深く腰掛ける。
王はまっすぐヒルメを見た。
「……。」
ヒルメは思わず背筋を伸ばす。
何を聞かれるのだろう。
昨日のことだろうか。
それとも――
「よし。」
王が突然、玉座から立ち上がった。
「庭へ行こう。」
「……はい?」
ヒルメが目を丸くする。
エルドも僅かに眉を上げた。
「陛下?」
「こんな広い部屋で離れて話していても疲れるだけだ。」
王は階段を下りながら、軽く手を振る。
「それに今日は天気がいい。」
「茶でも飲みながら話そう。」
「……お茶?」
「うむ。」
あまりにも普通の返事だった。
ヒルメは思わずエルドを見る。
「……いいんですか?」
「わしに聞くな。」
「は、はい……。」
王はそんな二人を見て楽しそうに笑う。
「はははっ。そう固くなるな。」
「取って食ったりはせん。」
「父上。」
レオンが呆れたように口を挟む。
「余計に緊張させています。」
「そうか?」
「そうです。」
「難しいものだな。」
そのやり取りを見ていたヒルメから、少しだけ力が抜ける。
想像していた王様とは、随分違う。
もっと威厳に満ちていて、一言でも間違えれば怒られるような人物だと思っていた。
だが目の前の王は――
よく笑う。
「さあ、行くぞ。」
「レオン、お前も来い。」
「もちろんです。」
王はそのまま謁見の間を出ていく。
「……。」
ヒルメは呆然とその背中を見送る。
「王様って……あんな感じなんですか?」
「まあ……陛下は昔からああいうお方じゃ。」
エルドは苦笑する。
「ほれ、置いていかれるぞ。」
「あっ、はい!」
「ワンッ!」
ヒルメとシロも慌てて後を追った。
◇ ◇ ◇
王城の中庭。
色とりどりの花が咲く庭園の中央に、白いテーブルと椅子が用意されていた。
王はさっそく椅子に腰掛ける。
「さあ、座れ座れ。」
「は、はい。」
ヒルメは恐る恐る向かいの椅子に座った。
エルドとレオンもそれぞれ席につく。
「ワウ?」
シロだけがヒルメの足元で首を傾げている。
王がシロを見る。
「お前も座るか?」
「ワン!」
「はははっ。元気だな。」
王は楽しそうに笑う。
やがて侍女たちが紅茶と菓子を運んでくる。
ヒルメの前にも小さなケーキが置かれた。
「……!」
ヒルメの目が僅かに輝く。
王はそれを見逃さなかった。
「好きか?」
「え?」
「甘いものだ。」
「……はい。」
「そうかそうか。なら遠慮せず食べろ。」
「でも……。」
「冷めるぞ。」
「ケーキは冷めません、父上。」
レオンがすぐに突っ込む。
「そうだったか?」
「そうです。」
「はははっ!」
ヒルメも思わず小さく笑ってしまう。
「あ……。」
慌てて口元を押さえる。
だが王は気にするどころか、満足そうに紅茶を一口飲んだ。
「うむ。」
「やっと笑ったな。」
「……え?」
「先ほどからずっと、処刑台にでも連れてこられたような顔をしておったぞ。」
「そ、そんな顔してました?」
「していた。」
「していましたね。」
レオンまで頷く。
「エルドさん……。」
助けを求めるように見る。
エルドは紅茶を飲みながら、
「しておったな。」
「みんなして……。」
ヒルメは少し頬を膨らませる。
その様子に王はまた豪快に笑った。
「ははははっ!」
先ほどまでの張り詰めた空気は、もうどこにもなかった。
王は紅茶のカップを置く。
「さて。」
「せっかく茶も菓子もあることだ。」
「堅苦しい話は抜きにして――」
楽しそうにヒルメを見る。
「少し、お前さんの話を聞かせてくれんか。」
「私の話……ですか?」
「うむ。」
王は気楽そうに紅茶を口へ運ぶ。
「何も難しい話ではない。」
「どこから来たのか、どうして旅をしているのか。」
「そんなところからで構わん。」
「……。」
ヒルメは手にしていたフォークを止めた。
(どうしよう……。)
どこから来たのか。
なぜ旅をしているのか。
答えられない質問ではない。
けれど――
(全部、言っちゃって大丈夫なのかな……。)
目の前にいるのは、この国の王だ。
話している限り、怖い人には見えない。
むしろ想像していた王様より、ずっと話しやすい。
エルドもいる。
レオンもいる。
それでも、出会ってからまだそれほど経っていない。
アリアナからも、自分の持つ力は強大だと言われている。
不用意に人へ話すべきではないことくらい、ヒルメにも分かっていた。
「えっと……。」
ヒルメは少し考える。
「いろんな場所を見て回りながら、旅をしています。」
「ほう。」
「困っている人がいたらお手伝いしたり……魔物を倒したり。」
「ワン!」
シロが元気よく鳴いた。
「シロと一緒に。」
「なるほど。」
王は笑顔で頷く。
「良い旅ではないか。」
「はい。」
ヒルメも小さく笑った。
(……これくらいなら大丈夫だよね。)
嘘は言っていない。
ただ――全部を話していないだけだ。
王もそれ以上追及する様子はない。
ヒルメは少し安心して、ケーキへフォークを伸ばした。
その時だった。
「そういえば。」
レオンが口を開く。
「……?」
ヒルメが顔を上げる。
レオンは何かを思い出したようにヒルメを見ていた。
「以前、街で会った時のことですが。」
ピタッ。
ヒルメのフォークが止まった。
(……え。)
「街で?」
王がレオンを見る。
「この子とは以前、一度会っていると申しておったな。」
「はい。」
レオンは頷く。
「偶然ではありましたが。」
「その時、少々不思議なことがありまして。」
(……あ。)
ヒルメは嫌な予感がした。
「不思議なこと?」
「はい。」
レオンはヒルメへ視線を戻す。
「あの時、街の一角に妙な空気が漂っていたのを覚えていますか?」
「……。」
覚えている。
もちろん覚えている。
ヒルメの視線がゆっくりケーキへ落ちていく。
(その話するんだ……。)
「あれは何だったのだ?」
王が尋ねる。
「私にも分かりません。」
レオンは首を振った。
「ただ、空気が淀んでいるとでも言えばいいのでしょうか。」
「その場にいるだけで、妙な息苦しさを覚えるような場所でした。」
エルドが僅かに眉を上げる。
「ほう。」
「ですが――」
レオンは続ける。
「この子が何かをした直後、それが綺麗に消えた。」
王の視線がヒルメへ向く。
エルドも同じだった。
「……。」
(やっぱり私に来るよね……。)
ヒルメは俯いたまま、ケーキを見つめる。
「ヒルメ。」
レオンが呼びかける。
「あなたは、あの時何をしたのですか?」
「……えっと。」
(どうしよう。)
ヒルメは膝の上で指を絡ませる。
(言っていいのかな……。)
ちらりとエルドを見る。
「……。」
エルドは何も言わない。
ただ静かにこちらを見ている。
(エルドさん……。)
今度はシロを見る。
「ワウ?」
(……シロに聞いても分からないよね。)
王がその様子を眺めていたが――
やがて小さく笑った。
「レオン。」
「はい?」
「少し問い詰めすぎではないか?」
「そのつもりはなかったのですが……。」
「見てみろ。」
王がヒルメを指差す。
「完全に困っておる。」
「……。」
ヒルメは恐る恐る顔を上げる。
王と目が合った。
「話したくないことなら、無理に話さなくてもよい。」
「え……?」
「別に尋問をしているわけではないからな。」
王は笑いながらケーキを一口食べる。
「わしはただ、お前さんがどんな娘なのか知りたかっただけだ。」
「……。」
「秘密の一つや二つ、誰にでもある。」
「わしにもあるぞ。」
「父上。」
レオンが即座に口を挟む。
「国王がそれを言うと不安になります。」
「なぜだ!」
「内容によります。」
「大した秘密ではない!」
「では話してください。」
「それでは秘密ではなくなるだろう!」
「ほっほっほ。」
エルドまで笑っている。
ヒルメは三人を見ながら、少しだけ肩の力を抜いた。
(……大丈夫かな。)
少なくとも、無理矢理聞き出そうとはしていない。
それに――
レオンはあの時、自分が何かしたことには気付いている。
ここで全部誤魔化す方が、かえって不自然かもしれない。
(全部じゃなくて……。)
(あの時のことだけなら。)
ヒルメは小さく息を吸った。
「あの……。」
「うむ?」
王がヒルメを見る。
「あの時のことなんですけど……。」
「私がやりました。」
レオンが僅かに身を乗り出す。
「やはり、あなたが?」
「はい。」
ヒルメは小さく頷く。
「浄化したんです。」
「……浄化?」
レオンが首を傾げる。
王も同じ反応をする。
ただ一人。
エルドだけが、僅かに目を細めた。
「何を浄化したのじゃ?」
「瘴気です。」
「瘴気……。」
レオンの表情が変わる。
「あれが?」
「はい。」
「ですが……。」
レオンは信じられないようにヒルメを見る。
「あれほど広がっていたものを、一人で?」
「……はい。」
「簡単に?」
「簡単……かどうかは分からないですけど。」
ヒルメは困ったように答える。
「普通にやっただけなので……。」
「普通に……。」
レオンが言葉を失う。
エルドが額に手を当てた。
「お主の普通は、少々当てにならんのう。」
「えぇ……。」
「昨日のことを考えてみよ。」
「昨日は覚えてないです!」
「そこが一番問題なのじゃ。」
「う……。」
王が声を上げて笑う。
「ははははっ!」
「いや、面白い娘だ。」
「お、面白くないです……。」
ヒルメは少し頬を膨らませる。
だが――
王の目は笑いながらも、ヒルメをよく見ていた。
瘴気を消し去る力。
昨日見せた、常識では測れないほどの魔力。
そして、エルドすら文献でしか知らなかった闇魔法。
(この娘……。)
王は紅茶へ口をつける。
(想像していた以上かもしれんな。)
もちろん、それを顔には出さない。
「ところで。」
王が尋ねる。
「なぜ、そのようなことができる?」
「……。」
またヒルメが固まった。
(来た……。)
一番答えに困る質問だった。
「それは……。」
ヒルメは杖へ視線を落とす。
(どうしよう。)
(私にも分からないんだよね……。)
少し迷った末、ヒルメは正直に首を振った。
「分からないんです。」
「分からない?」
「はい。」
「誰かに習ったわけではないのか?」
「違います。」
「では、生まれつき?」
「それも……分からなくて。」
王が不思議そうに眉を上げる。
ヒルメは少し俯いた。
ここまで話してしまった。
なら――
(もう少しだけなら……いいかな。)
「私が旅をしているのも、それが理由なんです。」
「ほう?」
「自分が何者なのか、知りたくて。」
レオンとエルドが黙ってヒルメを見る。
「どうしてこんな魔法が使えるのか。」
「どうして私にこんな力があるのか。」
「知らないことがいっぱいあるんです。」
ヒルメは自分の手を見る。
「だから、いろんな場所へ行けば……。」
「いつか何か分かるかもしれないって。」
王はしばらく何も言わなかった。
ヒルメは少しずつ不安になってくる。
(……言いすぎたかな。)
(やっぱり変に思われた?)
そっと顔を上げる。
王は――
「なるほど!」
急に笑った。
「自分探しの旅か!」
「え?」
「良いではないか!」
「は、はい……。」
「わしも若い頃は――」
「父上。」
レオンが遮る。
「何だ。」
「また昔話を始めるつもりですか?」
「まだ始めておらん!」
「始まりそうでした。」
「少しくらい聞いてくれてもよいだろう!」
「昨日も聞きました。」
「……そうだったか?」
「一昨日もです。」
「……。」
エルドが紅茶を飲みながら呟く。
「わしも何十回と聞いておりますな。」
「エルド、お前まで!」
「ふふっ……。」
ヒルメは思わず笑った。
王が満足そうに頷く。
「うむ。そのくらいでよい。」
「……?」
「王の前だからと、そんなに固くならんでもよいということだ。」
「はい。」
ヒルメは少し照れくさそうに笑った。
その時だった。
「お父様。」
庭園の奥から、澄んだ声が聞こえた。
「あ。」
王が振り返る。
レオンもすぐに立ち上がった。
「来たか。」
ヒルメもつられて振り返る。
花々の間を縫うように、一人の少女がこちらへ歩いてくる。
ヒルメとそう歳は変わらないだろう。
長く艶やかな髪。
透き通るような白い肌。
整った顔立ち。
華美な装飾などなくとも、一目で高貴な身分だと分かる。
(……綺麗な人。)
ヒルメは思わず見惚れた。
少女は穏やかな笑みを浮かべている。
しかし――
数歩進んだところで、その足が僅かに止まった。
「……っ。」
小さく息を詰まらせる。
すぐ傍にいた侍女が、その身体を支えた。
「姫様。」
「大丈夫です。」
少女は微笑む。
「少し息が上がっただけですから。」
「しかし……。」
「本当に大丈夫です。」
そう言って再び歩き出す。
ヒルメはその姿をじっと見つめていた。
(……あれ?)
何かがおかしい。
顔色が悪い。
身体も細い。
それだけではない。
(なんだろう……。)
ヒルメは無意識に少女へ意識を集中させる。
胸の奥。
魔力の流れ。
そして――
そのさらに奥。
「……。」
ヒルメの表情から笑みが消えた。
(この人……。)
(何か変。)
王はそんなヒルメの変化には気付かず、少女へ手を振った。
「こちらへ来なさい。」
「紹介しよう。」
少女がゆっくりとテーブルへ近づく。
「わしの娘だ。」
王はどこか嬉しそうに笑った。
「そしてレオンの妹でもある。」
少女はヒルメの前まで来ると、優雅に微笑み、静かに頭を下げた。
「初めまして。」
「お話は兄から伺っています。」
「……!」
ヒルメも慌てて立ち上がる。
「は、初めまして!」
勢いよく頭を下げる。
だが――
頭の中では、別のことが気になって仕方がなかった。




