魔法大会
◇ ◇ ◇
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋を優しく照らしていた。
「ん……。」
ヒルメはゆっくりと目を開ける。
「朝かぁ……。」
ベッドから身体を起こすと、大きく伸びをした。
その横では、シロが丸くなって眠っている。
「シロ。」
「ワウ……。」
名前を呼ばれると、シロは眠そうに目を開け、大きく欠伸をした。
「おはよう。」
「ワウ♪」
尻尾を振りながら起き上がるシロに、ヒルメは思わず笑みを浮かべる。
顔を洗い、身支度を整えると、一人と一匹は一階の食堂へ向かった。
食堂には朝から多くの宿泊客が集まり、それぞれ食事を楽しんでいる。
エルフ。
獣人。
ドワーフ。
様々な種族が同じテーブルを囲み、笑い合っていた。
「おはようございます。」
宿の女将が笑顔で声を掛ける。
「よく眠れましたか?」
「はい。久しぶりにぐっすり眠れました。」
「それは良かったです。」
女将は温かいパンとスープ、卵料理をテーブルへ並べる。
シロの前にも、大きなお皿が置かれた。
「いただきます。」
「ワウ!」
朝食を食べながら、ヒルメは窓の外へ目を向ける。
昨日の騒ぎが嘘だったかのように、街には活気が戻っていた。
「本当にすごい国だなぁ……。」
すると、近くの席から話し声が聞こえてくる。
「昨日の魔獣の件、聞いたか?」
「ああ。」
「あれだけの魔法でも倒せなかったらしいぞ。」
「最後はレオン様が一撃だったって話だ。」
「やっぱり英雄は違うな。」
「でも、不思議なんだよ。」
「瘴気が急に消えたって聞いた。」
「宮廷魔導師でも理由が分からないらしい。」
ヒルメの手がぴたりと止まる。
(……私のこと。)
「誰か新しい浄化魔法でも使ったのか?」
「いや、そんな魔法は聞いたことがない。」
「王城でも調査が始まるらしいぞ。」
ヒルメはシロと目を合わせる。
「ワウ。」
シロは静かに頷いた。
「……目立たないようにしよう。」
「ワウ。」
そう小さく話した時だった。
宿の扉が勢いよく開いた。
「失礼する!」
鎧を身に纏った騎士が数名、宿へ入ってくる。
食堂の空気が一瞬で静まり返った。
騎士たちは周囲を見渡しながら、店主へ近付く。
「昨日、この宿に新しく泊まった旅人はいるか?」
ヒルメはスプーンを持つ手を止めた。
騎士たちは店内を見渡しながら、一人の男の後ろへ道を開けるように左右へ分かれた。
ゆっくりと姿を現したのは、昨日魔獣を一刀のもとに斬り伏せた青年――レオンだった。
「レオン様だ……。」
「本物だ。」
宿泊客たちは驚き、慌てて席を立つ。
しかしレオンはそれには目もくれず、店主へ歩み寄った。
「突然すまない。」
「い、いえ! レオン様がこのような場所へ……。」
店主は緊張で声を震わせる。
「少し聞きたいことがある。」
「は、はい!」
「昨日、この宿へ白い犬を連れた旅人が来なかったか?」
その言葉に、ヒルメの肩が僅かに揺れた。
(……私たち。)
シロも静かに耳を立てる。
店主は困ったような表情を浮かべた。
「申し訳ございません。お客様の情報はお話しできません。」
「……そうか。」
レオンは責めることなく頷いた。
「当然の対応だ。」
そう言うと、周囲の宿泊客へ向き直る。
「誤解しないでほしい。」
「私はその旅人を捕らえに来たわけではない。」
店内がざわつく。
「昨日の魔獣は異常だった。」
「瘴気は突然消え、魔獣の力は急激に弱まった。」
「私は、その理由を知りたいだけだ。」
レオンの表情は真剣そのものだった。
「もし心当たりがある者がいるなら、どうか王城へ来てほしい。」
「礼は必ずする。」
そう言い残すと、レオンは踵を返す。
「行こう。」
「はっ!」
騎士たちは再び整列し、宿を後にした。
扉が閉まると、張り詰めていた空気が一気に緩む。
「びっくりした……。」
「レオン様自ら探しに来るなんて。」
「一体何があったんだ?」
誰も事情は分からず、宿泊客たちは口々に話し始める。
ヒルメは静かにスープを飲み干した。
「シロ。」
「ワウ。」
「……行こうか。」
代金を支払い、宿を出ようとした、その時だった。
宿の外へ出たレオンが、ふと立ち止まる。
視線の先には、一人と一匹。
白い犬を連れた少女が、宿の入口から姿を現していた。
「…………。」
レオンの瞳が僅かに見開かれる。
(昨日、証言にあった白い犬……。)
シロもレオンを見つめ返し、小さく唸った。
「グルル……。」
ヒルメはシロの頭を優しく撫でる。
「大丈夫。」
その声に、レオンはゆっくりと歩み寄った。
レオンはヒルメの前で足を止めた。
「失礼。」
ヒルメは軽く頭を下げる。
「はい。」
レオンは白い犬へ一瞬だけ視線を向ける。
「昨日、白い犬を連れた旅人がいたと聞いた。」
シロはヒルメの横で静かに座っている。
どこから見ても、ただの白い犬だった。
「昨日の魔獣討伐の現場にいたかな?」
ヒルメは少し考え、頷いた。
「はい……遠くから見ていました。」
「そうか。」
レオンは真っ直ぐヒルメを見つめる。
「君に聞きたいことがある。」
「昨日、魔獣の瘴気が突然消えた。」
「私はあのような現象を見たことがない。」
「何か心当たりはないだろうか?」
ヒルメは言葉に詰まる。
サンクチュアリのことを話すべきか、それとも黙っているべきか。
「……すみません。」
「私にも何が起きたのか分かりません。」
レオンは数秒ヒルメを見つめた後、小さく笑った。
「そうか。」
「引き止めて悪かった。」
「もし何か思い出したら、王城を訪ねてきてほしい。」
そう言って王家の紋章が刻まれた通行証を差し出した。
ヒルメは差し出された通行証を見つめた。
王家の紋章が刻まれた銀色の札。
旅人が簡単に手にできる物ではない。
「ありがとうございます。」
ヒルメが受け取ると、レオンは軽く頷いた。
「それでは失礼する。」
そう言って踵を返し、騎士たちと共に王城へ戻っていった。
その姿が見えなくなると、シロが小さく鳴く。
「ワウ。」
「びっくりしたね。」
ヒルメは苦笑しながらシロの頭を撫でた。
「まさか王族の人に話しかけられるなんて思わなかったよ。」
「ワウ!」
シロは尻尾を振りながら返事をする。
ヒルメは通行証を鞄へしまうと、大通りへ足を向けた。
「まずは街を見て回ろうか。」
昨日は魔獣騒ぎでゆっくり見られなかった。
せっかくミラークへ来たのだから、この国のことをもっと知りたい。
◇ ◇ ◇
大通りは朝から活気に満ちていた。
魔力で動く荷車が行き交い、店先には様々な魔道具が並んでいる。
火を灯すだけの小さな魔石。
水を生み出す壺。
魔力を込めることで冷気を放つ箱。
ヒルメは目を輝かせながら店を見て回る。
「すごい……。」
「ワウ。」
シロも楽しそうに辺りを見回している。
その時だった。
「昨日の件、聞いたか?」
通りを歩く男たちの会話が耳に入る。
「ああ。瘴気が一瞬で消えたって話だろ?」
「宮廷魔導師たちも原因が分からないらしい。」
「王城じゃ大騒ぎだ。」
「レオン様も自ら調べているそうだぞ。」
ヒルメは思わず足を止めた。
(やっぱり調べてるんだ……。)
昨日はとっさにサンクチュアリを使ってしまった。
後悔はしていない。
あのまま放っておけば、多くの人が瘴気に苦しんでいたはずだ。
それでも、この力が広まれば何が起こるか分からない。
「目立たないようにしないとね。」
そう呟き、再び歩き始める。
すると、広場の方から大きな歓声が聞こえてきた。
「始まるぞ!」
「今年の新人魔法大会だ!」
「優勝候補は宮廷魔導学院の首席らしい!」
人々が次々と広場へ集まっていく。
「魔法大会?」
ヒルメは思わず足を止める。
「ワウ?」
「少しだけ見ていこうか。」
シロが嬉しそうに尻尾を振る。
ヒルメも人混みに紛れながら、広場へ向かって歩き始めた。
◇ ◇ ◇
広場へ足を踏み入れると、そこには円形の大きな闘技場が設けられていた。
観客席は多くの人で埋め尽くされ、熱気に包まれている。
「すごい人……。」
ヒルメは思わず声を漏らした。
「ワウ。」
シロも辺りを見回しながらヒルメの後を歩く。
「ちょうど一回戦が始まるぞ!」
司会者の声が響き渡る。
「第一試合!
宮廷魔導学院三年――カイン・ベルフォード!
対するは、東地区代表――ロイド・ガルム!」
大歓声が上がる。
二人の青年が闘技場へ上がると、互いに礼を交わした。
「始め!」
開始の合図と同時に、ロイドが地面を蹴る。
「ファイアランス!」
炎の槍が一直線に飛ぶ。
しかしカインは慌てる様子もなく杖を掲げた。
「アイスウォール。」
巨大な氷壁が現れ、炎の槍を受け止める。
蒸気が一気に立ち込めた。
「まだだ!」
ロイドは次々と魔法を放つ。
炎。
風。
土。
絶え間なく攻撃を繰り出すが、カインは冷静に防ぎ続ける。
「魔法だけじゃ勝てない。」
カインが静かに呟いた。
次の瞬間。
「アイスバインド。」
足元から氷が伸び、ロイドの身体を拘束する。
「しまっ……!」
身動きが取れない。
カインは杖をロイドへ向けた。
「終わりです。
ライトニング。」
細い雷が一直線に放たれ、ロイドの胸当てへ直撃する。
バチッ!
衝撃でロイドは後方へ倒れ込んだ。
「勝者!
カイン・ベルフォード!」
会場から大きな拍手が湧き起こる。
「すごい……。」
ヒルメは目を見開いた。
魔法だけでなく、相手の動きを読み切った戦い方だった。
「ワウ。」
シロも興味深そうに闘技場を見つめている。
その時。
「おや?」
一人の老人がヒルメの隣へ歩いてきた。
長い白髭に深緑のローブ。
胸元には王家の紋章が刺繍されている。
老人は優しく微笑んだ。
「旅のお嬢さん。」
「はい?」
「魔法大会は初めてかな?」
「はい。
昨日この国へ来たばかりなんです。」
「そうかそうか。」
老人は嬉しそうに頷く。
「ならば楽しんでいくといい。」
「ミラークの若者たちが腕を競う、年に一度の大会だからな。」
ヒルメも笑顔で頷いた。
「ありがとうございます。」
老人はシロへ目を向ける。
「可愛らしい犬じゃの。」
シロは尻尾を振り、小さく鳴いた。
「ワウ。」
「人懐っこい子だ。」
老人は優しく笑う。
その穏やかな雰囲気に、ヒルメの表情も自然と和らいだ。
しかしその老人こそ――
ミラーク王国宮廷魔導師団団長。
王の側近を務める、大魔導師エルドだった。
彼は笑顔のまま、ヒルメを静かに見つめていた。
(レオン殿下が言っていた旅人……。)
(この娘からは……何とも言えぬ、不思議な魔力を感じる。)
エルドは視線を闘技場へ戻した。
(今ここで声を掛けるべきではないな。)
レオンからは「無理に接触するな」と伝えられている。
何より、相手はただの旅人だ。
警戒させてしまっては意味がない。
「さて、次の試合が始まるぞ。」
エルドは何事もなかったかのように椅子へ腰掛けた。
ヒルメも再び闘技場へ目を向ける。
「第二試合!」
司会者の声が響き渡る。
「宮廷魔導学院二年――セシリア・ノア!
対するは、西地区代表――ガイル・バルド!」
二人が中央で向かい合う。
「始め!」
開始と同時に、セシリアが杖を掲げた。
「ウィンドカッター!」
幾重もの風の刃がガイルへ襲い掛かる。
ガイルは大盾を構え、真正面から受け止めた。
「甘い!」
地面を蹴り、一気に距離を詰める。
「はあぁぁっ!」
大剣が振り下ろされる。
しかし。
「フロート。」
セシリアの身体がふわりと宙へ浮かび、大剣を紙一重でかわした。
「空を飛んだ!?」
ヒルメは驚きの声を漏らす。
「違う。」
隣のエルドが優しく答えた。
「飛んでいるのではない。」
「風魔法で身体を浮かせているだけじゃ。」
「なるほど……。」
「魔法は威力だけではない。」
「どう使うかが重要なのじゃよ。」
ヒルメは感心したように頷いた。
闘技場ではセシリアが上空から次々と魔法を放っている。
ガイルは攻撃を防ぐだけで精一杯だった。
やがて。
「サンダーボルト!」
雷が大剣へ直撃する。
強烈な衝撃に耐え切れず、ガイルは膝をついた。
「そこまで!」
審判が手を上げる。
「勝者、セシリア・ノア!」
観客席から大きな拍手が送られた。
「すごい……。」
ヒルメは思わず息を呑む。
魔法の種類だけでなく、その使い方まで計算され尽くしている。
ミラークが魔法大国と呼ばれる理由を、少しだけ理解した気がした。
「お嬢さん。」
エルドが穏やかに声を掛ける。
「旅をしていると言っておったな。」
「はい。」
「次の行き先は決まっておるのか?」
ヒルメは少し考えた後、小さく首を横に振った。
「まだ決めていません。」
「この国を見て回って、それから考えようと思っています。」
「そうか。」
エルドは嬉しそうに微笑んだ。
「ならば、焦る必要はない。」
「ミラークには見どころがたくさんある。」
「王立図書館、魔導研究区画、精霊庭園……どれも旅人に人気じゃ。」
「そんな場所があるんですね。」
ヒルメの表情が明るくなる。
「はい。ぜひ行ってみたいです。」
その様子を見て、エルドは静かに笑った。
(レオン殿下の話どおり……。)
(力を隠してはいるが、悪意のある娘には見えんな。)
(まずはもう少し見守るとしよう。)
試合は次々と進んでいく。
炎が舞い、氷が走り、風が唸る。
観客席からは歓声が絶えない。
「すごい……。」
ヒルメは思わず見入っていた。
魔法一つとっても、その使い方は十人十色。
同じ属性でも戦い方はまるで違う。
「ワウ。」
シロもヒルメの足元で静かに座り、闘技場を見つめている。
「どうじゃ。」
隣に座るエルドが微笑む。
「楽しめておるかの?」
「はい!」
ヒルメは笑顔で頷いた。
「こんなにたくさんの魔法を見るのは初めてです。」
「それは良かった。」
エルドは満足そうに頷く。
「まだまだ強者は残っておる。」
「これから先の試合も見応えがあるぞ。」
「はい。最後まで見ていきます。」
ヒルメは再び闘技場へ視線を向ける。
次の試合へ向けて選手たちが準備を始め、会場の熱気はさらに高まっていく。
ミラークの魔法大会は、まだ始まったばかりだった。




