管理対象
ドラゴンの墓場から帰還して数日――。
帝国騎士団本部の一室には、エリス、アテナ、フレイヤの三人が集まっていた。
机の上には任務報告書の写しと、帝国の保管庫から持ち出した資料が並べられている。
アテナは開いていた資料を閉じると、静かに息を吐いた。
「やはり、見つかりません」
「黒外套の男も?」
「はい。特徴と一致する人物は、帝国の記録には存在しませんでした」
「じゃあ、あの黒い杭は?」
「そちらも同じです。魔道具や呪具、禁術に関する資料まで確認しましたが、該当するものはありません」
フレイヤが納得できない様子で腕を組む。
「あんなに禍々しい魔力を放ってたのに、誰も知らないなんておかしいよ」
「ああ」
窓際に立っていたエリスが頷いた。
「あの男は、偶然あの場へ現れたわけではない」
竜王の亡骸の上に立ち、全てを見下ろしていた黒外套の男。
そして、まるでその瞬間を待っていたかのように取り出された黒い杭。
「あの男は、ドラゴンの墓場で何が起きているのか知っていた。黒い杭も、瘴気も、眠れずにいた竜族の魂もだ」
「以前から何かを仕組んでいた可能性がありますね」
アテナは机上の資料へ目を落とした。
「ですが、騎士団の記録から得られる情報はここまででしょう。記録そのものが存在しないのか、それとも――」
「隠されてるか、だよね」
三人の間に重い沈黙が落ちる。
「暗部なら、何か知っているかもしれません」
アテナが口を開いた、その時だった。
「そこまでにしておけ」
低い声が部屋に響く。
三人が振り返ると、入口に大柄な男が立っていた。
「ガロン」
ガロンは部屋へ入ると、机の上に広げられた資料を一瞥した。
「黒外套の男に、黒い杭。それから暗部か」
「何か知っているのですか」
「何も知らねぇよ」
アテナの問いに、ガロンは腕を組んだ。
「だから危険なんだ。正体も目的も、背後に何人いるかも分からねぇ。そんな相手を正義感だけで追うつもりか」
「……頭では理解している」
エリスは真っ直ぐにガロンを見つめた。
「だが……私の中の正義が、それを許さない」
ガロンの目が大きく見開かれる。
しばらくエリスを見つめた後――。
「がっはっはっはっ!!」
突然、豪快な笑い声が部屋中へ響き渡った。
「な、何?」
「いや、悪ぃ。昔を思い出しただけだ」
ガロンは目尻を拭うと、口元に笑みを残したまま続けた。
「一人だけ、調べられるかもしれねぇ奴がいる」
「暗部の者ですか」
「ああ。昔、俺が鍛えた奴だ」
「頼めるのか」
「話はしてみる。だが、お前らは動くな」
エリスが何か言おうとするより早く、ガロンは扉へ向かった。
「ガロン」
その背中へ、エリスが呼びかける。
「頼む」
ガロンは振り返らず、片手を上げた。
数日後――。
三人は再び同じ部屋へ呼び出されていた。
ガロンの隣には、黒い装束を身に纏った男が立っている。
「彼女たちにも聞かせるのですか」
「ああ。現場にいたのはこいつらだ」
男はしばらくガロンを見つめた後、手にしていた書類を机へ置いた。
「承知しました。ただし、ここで聞いた内容を外部へ漏らすことは認められません」
「分かっている」
エリスたちが頷くと、男は一枚目の書類を開いた。
「まず、黒外套の男について。帝国の人物記録、騎士団の任務報告、暗部が把握する各組織の構成員まで照合しましたが、該当する人物は確認できませんでした」
「暗部にも記録がないのか」
「少なくとも、私が閲覧できる範囲には存在しません」
「黒い杭は?」
「こちらも該当する記録はありません。ただし、現場の報告から、瘴気を増幅し、魂へ干渉する性質を持つ物だと考えられます」
「魂へ……」
アテナの表情が険しくなる。
「調査の過程で、魂に関する古代遺跡の記録を発見しました」
「古代遺跡?」
「近年、暗部が複数回調査を行っています。しかし、何を調べ、何を発見したのかは閲覧できませんでした」
ガロンが眉をひそめる。
「暗部のお前にもか」
「はい。調査を行った部隊も、命令を下した者も不明です」
「黒い杭との関係は?」
アテナの問いに、男は首を横へ振った。
「証拠はありません。現時点では、魂という共通点があるだけです」
男は最後の書類へ手を伸ばした。
「そして、ドラゴンの墓場についてです」
三人の表情が引き締まる。
「当時、帝国騎士団の一行には、暗部の密偵が同行していました」
「えっ?」
フレイヤが目を見開いた。
「どこにいたの?」
「気づかれないことが密偵の任務です」
「私たちを監視していたのか」
「正確には、任務全体の監視と情報収集です」
「誰の命令で」
エリスの問いに、男は僅かに沈黙した。
「私にも分かりません」
部屋の空気が張り詰める。
「暗部の指揮系統を通さずに動いていたのか」
「少なくとも、私へは報告されていませんでした」
ガロンの声が低くなる。
「密偵の報告書は?」
「存在します」
「内容は」
「閲覧できませんでした」
アテナが驚いたように男を見る。
「あなたの権限でも?」
「はい。これまで一度もなかったことです」
「どの程度の機密なんだ」
「最上位です」
部屋が静まり返る。
「帝国の存続に関わる情報、またはそれに準ずる案件にのみ指定される機密です」
「ドラゴンの墓場で起きたことが、帝国の存続に関わるというのか」
「分かりません」
男はそこで言葉を切った。
「ただし、閲覧を試みた際、管理画面が一瞬だけ表示されました」
「何が書かれていた」
「確認できたのは、一行だけです」
全員の視線が男へ集まる。
「管理対象――ヒルメ」
「……ヒルメ?」
フレイヤが呆然と呟く。
「間違いないのか」
「見間違いではありません」
「なぜヒルメが管理対象になっている」
「分かりません。再度検索を行いましたが、報告書そのものが表示されなくなりました」
「調べたことに気づかれた可能性は?」
「高いと思われます」
ガロンの顔から余裕が消える。
「これ以上の調査は危険です。私から報告できるのは、以上です」
男は一礼すると、静かに部屋を出ていった。
扉が閉じても、誰もすぐには言葉を発しなかった。
「何なの、それ……」
フレイヤが両手を強く握る。
「ヒルメは私たちを助けてくれただけじゃん。それなのに、どうして帝国に監視されてるの?」
「監視されているとは限りません」
アテナは険しい表情のまま答える。
「ですが、密偵の目的が最初からヒルメだった可能性はあります」
エリスは黙ったまま立ち上がり、ガロンへ向き直った。
「ガロン」
「駄目だ」
「まだ何も言っていない」
「言わなくても分かる。調査を続けるつもりだろ」
「ああ」
「今のお前らには情報が足りねぇ」
「だからこそ放ってはおけない」
「敵の正体も、目的も、ヒルメの居場所さえ分からねぇ。そんな状態で動けば、助けるどころか危険を呼び込むだけだ」
「それでも、何も知らなかったことにはできない」
「ああ。忘れろとは言わねぇ」
ガロンはエリスを真っ直ぐ見つめた。
「だが、今は動くな。この件は俺が預かる」
「一人で何ができる」
「少なくとも、お前らよりは探れる道を知ってる」
エリスは拳を握り締めた。
納得はできない。
ヒルメが危険に晒されているかもしれないのに、何もせず待つことなどできるはずがない。
だが、ガロンの言葉も否定できなかった。
今の自分たちには、あまりにも情報が足りない。
長い沈黙の末、エリスは絞り出すように口を開いた。
「……納得はしていない」
「ああ」
「だが、今は従う」
ガロンは静かに頷いた。
「それでいい」
エリスは机上の資料へ視線を落とす。
黒外套の男。
黒い杭。
魂に関する古代遺跡。
そして、帝国の最上位機密として管理されているヒルメ。
帝国の中で、何かが動いている。
今はまだ、その正体に手が届かない。
だからこそ――。
エリスは再び拳を握り締めた。
部屋を出たガロンは、一人静かな廊下を歩いていた。
誰もいない窓際で足を止める。
夕日に染まる帝都を眺めながら、小さく息を吐いた。
「……予想より悪い状況だな」
黒外套の男。
黒い杭。
魂に関する古代遺跡。
ドラゴンの墓場へ送り込まれていた暗部の密偵。
そして――最上位機密として管理されているヒルメ。
どれも一つでは終わらない。
全てが一本の線で繋がっているような、そんな嫌な感覚だけが残っていた。
「俺一人じゃ抱えきれねぇな……」
ガロンは静かに呟く。
そして、ふと一人の男の顔が浮かんだ。
「……久しぶりに顔でも見に行くか」
そう呟くと、ガロンは帝都を後にした。
◇ ◇ ◇
数日後――。
懐かしい景色が広がる村。
一軒の家の前まで歩いてきたガロンは、迷いなく扉を叩いた。
「おーい、クラウス。」
しばらくして扉が開く。
「ガロン?」
現れたクラウスは目を丸くした。
「珍しいな。お前が来るなんて。」
「近くまで来たからな。」
ガロンは笑って肩を叩く。
「久々に飲もうぜ。」
クラウスは苦笑しながら頷いた。
「いいだろう。」
◇ ◇ ◇
テーブルには酒と簡単な料理が並ぶ。
二人は昔話をしながら酒を飲み交わしていた。
やがてガロンが吹き出した。
「そういや今日、エリスに笑わせられたぞ。」
クラウスが酒を置く。
「エリスが?」
「ああ。」
ガロンは思い出し笑いを浮かべる。
「俺が『そこまでにしておけ』って止めたらよ。」
ガロンはエリスの口調を真似る。
「『頭では理解しています。ですが……私の中の正義が、それを許さない。』」
その言葉を聞いた瞬間。
クラウスの表情が止まった。
しばらく黙ったまま酒を見つめる。
「……そうか。」
小さく漏れた声。
「まるでアリアだ。」
ガロンは豪快に笑う。
「がっはっはっはっ!!」
「俺も鳥肌が立ったぞ。」
「一字一句同じだった。」
クラウスは小さく笑う。
「血は争えんな。」
「全くだ。」
笑い声が落ち着くと、ガロンはジョッキを置いた。
「……で、本題だ。」
空気が変わる。
クラウスも表情を引き締めた。
「何があった。」
ガロンはドラゴンの墓場で起きた出来事から、暗部の調査結果までを順を追って話した。
黒外套の男。
黒い杭。
魂に関する古代遺跡。
暗部の密偵。
最上位機密の報告書。
そして、管理対象となっていたヒルメ。
全てを聞き終えたクラウスは、深く息を吐く。
「そこまでの話になっていたか……」
「ああ。」
「正直、俺の予想を遥かに超えてた。」
ガロンは酒を一口飲む。
「しかも、エリスがこの件に関わろうとしてる。」
「止めたのか。」
「ああ。」
「だが、あいつは諦めてねぇ。」
クラウスは静かに目を閉じた。
「そうだろうな。」
「あの子は、アリアと同じだ。」
「危険だと分かっていても、困っている者を見過ごせない。」
ガロンは苦笑する。
「だから困る。」
「今度の相手は、剣だけでどうにかなる相手じゃねぇ。」
しばらく沈黙が続く。
やがてクラウスが静かに口を開いた。
「エリスには、まだ何も話すな。」
「ああ。」
「情報が少なすぎる。」
「余計に動けば、相手の思う壺になる可能性もある。」
ガロンは頷いた。
「俺もそう思う。」
クラウスは窓の外へ視線を向ける。
「だが、このまま放っておくわけにもいかない。」
「ああ。」
「帝国で何が起きているのか。」
「そして、なぜエリスが、その渦へ巻き込まれようとしているのか。」
二人は静かに酒を口へ運ぶ。
どちらも、これから起こる出来事を予感していた。
重い沈黙が流れる。
ガロンはジョッキを手に取り、一口酒を流し込むと、静かに口を開いた。
「……クラウス。」
「そろそろ良いんじゃねぇか。」
クラウスは何も答えない。
「自分を許してもよ。」
その言葉に、クラウスの手が止まる。
「お前のせいじゃねぇ。」
「あの時は、ああするしかなかったんだ。」
ガロンの声は静かだった。
「俺もその場にいた。」
「だから分かる。」
「誰があの場にいても、結果は変わらなかった。」
クラウスは俯いたまま、小さく笑う。
「……頭では分かっている。」
「だが、そう簡単には割り切れん。」
握ったジョッキに力が入る。
「あの日、俺はアリアを守れなかった。」
「夫としても。」
「父親としてもな。」
ガロンは静かに首を振る。
「違う。」
「お前は最後まで戦った。」
「アリアも、それを誰より分かってたはずだ。」
クラウスは目を閉じる。
「……それでも、俺はあの日から前へ進めていない。」
「エリスは何も知らない。」
「あの子には……母親が病で亡くなったとしか伝えていない。」
ガロンは黙って耳を傾ける。
「真実を知れば、きっとあの子は同じ道を歩こうとする。」
「だから俺は話さなかった。」
「知らないままの方が、幸せだと思った。」
クラウスは苦笑する。
「だが皮肉なものだ。」
「何も教えなかったはずなのに。」
「あの子は、アリアと同じ言葉を口にした。」
ガロンは思わず笑う。
「がっはっはっはっ!!」
「血ってのは恐ろしいもんだな。」
笑い終えると、ガロンの表情は再び真剣になる。
「だからこそ、今度は俺たちが守る番だ。」
「もう、あんな思いは誰にもさせねぇ。」
クラウスは静かに頷いた。
「ああ。」
「今度こそ……エリスだけは守る。」
◇ ◇ ◇
帝都。
夕暮れの訓練場。
訓練を終えた三人は、並んで歩いていた。
「結局、何も分かりませんでしたね。」
フレイヤが肩を竦める。
「ええ。」
「分かったことよりも、分からないことの方が多い結果でした。」
アテナも静かに頷く。
エリスだけは黙ったまま前を歩いていた。
頭から離れない。
黒外套の男。
ヒルメ。
そして、帝国が隠している何か。
「……もし。」
エリスが小さく呟く。
「もしヒルメが危険に晒されるようなことがあれば……私は見過ごせない。」
「エリス様。」
静かな声が、その言葉を遮った。
エリスは足を止める。
アテナは真っ直ぐエリスを見つめていた。
「その先をお考えになるのは、まだ早いかと存じます。」
「だが……。」
「現時点では判断できるだけの情報がございません。」
「ガロン様も、それをご理解の上で、私たちを制止されたのでしょう。」
「今は事実だけを受け止めるべきです。」
しばらく沈黙が流れる。
その空気を和らげるように、フレイヤが苦笑した。
「エリス様らしいけどさ。」
「考えすぎても何も変わらないよ。」
「今はガロンの言うこと聞いとこうよ。」
エリスは小さく息を吐く。
「……そうだな。」
そう答えながらも、その胸の奥にある違和感は消えなかった。
ヒルメは敵ではない。
あの時、竜たちの魂を救おうとしていた姿を、この目で見た。
だからこそ。
帝国が何を隠しているのか。
ヒルメをどう見ているのか。
その真実だけは知りたい。
三人は再び歩き出す。
夕日に照らされたその背中は、やがて帝都の街並みへと溶け込んでいった。




