それぞれの道
眩い蒼白い光が、辺り一面を包み込んでいた。
誰も目を開けていられないほどの輝き。
風が渦を巻き、大地が小さく震える。
「うぅぅっ……!」
ヒルメは歯を食いしばる。
霊石から溢れ続ける膨大な魔力。
その全てを制御するだけで精一杯だった。
「まだ……!」
「お願い……!」
霊石を握る両手が震える。
腕が悲鳴を上げる。
全身から力が抜けていく。
それでも決して魔法を止めない。
「フェネクスちゃんの想いを……!」
「無駄になんて……させない!」
その瞬間。
霊石が最後に一際強く輝いた。
カッ――――!!
蒼白い光が天へと駆け上がる。
そして。
静かに。
ゆっくりと。
光は収まっていった。
静寂が訪れる。
誰も言葉を発しない。
皆の視線は、フェネクスの母へと注がれていた。
やがて――。
「……!」
フェネクスの母の身体を覆っていた黒い靄が、小さく揺らいだ。
まるで何かに拒まれるように。
黒い霧は少しずつ身体から剥がれ落ちていく。
ジュゥゥゥ……。
浄化の光へ触れた黒い靄は、音を立てながら霧散していった。
苦しそうだった表情が、ゆっくりと和らいでいく。
青白かった頬にも、少しずつ血色が戻り始めた。
「……まさか。」
琥珀が息を呑む。
誰も動けない。
ただ、その奇跡を見守ることしかできなかった。
黒い靄は、完全に消え去った。
静寂が訪れる。
誰もが息を呑み、その姿を見守っていた。
フェネクスは震える足で、一歩前へ踏み出す。
「母上……。」
返事はない。
眠るように目を閉じたまま。
フェネクスは祈るように両手を胸の前で握り締めた。
「お願い……。」
「目を開けて……。」
その時だった。
ピクリ――。
フェネクスの母の指先が、小さく動いた。
「……!」
琥珀が思わず息を呑む。
続いて、胸がゆっくりと上下する。
今まで止まりかけていた呼吸が、少しずつ力強さを取り戻していく。
そして。
閉じられていた瞼が、ゆっくりと震えた。
ゆっくりと。
閉じられていた瞼が開かれる。
ぼんやりとした視線が天井を映し。
やがて、目の前に立つフェネクスを捉えた。
「……フェネクス。」
かすれた声。
その一言だけで十分だった。
「母上……!」
フェネクスは堪えていた涙を溢れさせる。
急いで駆け寄り、その手をそっと握った。
「母上……。」
「よかった……。」
「本当に……よかった。」
フェネクスの母は優しく微笑む。
その笑顔は、呪いに蝕まれる前と何一つ変わらなかった。
震える手で、フェネクスの頬へそっと触れる。
「おかえりなさい。」
「無事で……よかった。」
その瞬間。
フェネクスは堪えきれず、母の胸へ顔を埋めた。
「母上ぁ……。」
静まり返っていたその場に、小さな嗚咽だけが響いていた。
ヒルメは、大きく息を吐いた。
「はぁ……。」
全身から力が抜け、その場へ膝をつく。
「ヒルメ!」
琥珀が慌てて駆け寄り、その身体を支えた。
「大丈夫ですか!」
ヒルメは苦笑しながら小さく頷く。
「うん……。」
「ちょっと魔力を使いすぎちゃった。」
額から汗が流れ落ちる。
呼吸も荒い。
霊石の力を引き出すだけで、想像以上に魔力を消耗していた。
それでも。
目の前では――。
「母上……。」
フェネクスが涙を流しながら母の手を握っている。
その姿を見たヒルメは、小さく微笑んだ。
「……よかった。」
「本当に、間に合って。」
フェネクスの母も静かにヒルメへ視線を向ける。
「ありがとうございます。」
「あなたのおかげで……私は娘のもとへ帰ることができました。」
ヒルメは照れくさそうに頭を掻いた。
「私は何もしてないですよ。」
「頑張ったのはフェネクスちゃんです。」
フェネクスは霊石を抱き締めながら、涙を拭う。
そしてヒルメへ向かって深く頭を下げた。
「ヒルメちゃん。」
「本当に……ありがとう。」
ヒルメは優しく笑い返した。
「約束、守れたね。」
フェネクスも涙を浮かべたまま、大きく頷いた。
「うん。」
フェネクスの母は、ゆっくりとフェネクスの手を握り返した。
「フェネクス。」
優しく名前を呼ばれる。
その一言だけで、胸がいっぱいになった。
「あなたは……本当に強くなりましたね。」
フェネクスは小さく首を横へ振る。
「違います。」
「私は一人じゃ何もできませんでした。」
ヒルメを見る。
琥珀を見る。
シロを見る。
「皆がいてくれたから……ここまで来られました。」
フェネクスの母は穏やかに微笑む。
「それでいいのです。」
「一人で強くなることだけが、本当の強さではありません。」
「仲間を信じ。」
「仲間に支えられ。」
「そして、自分も誰かを支えられる。」
「そんなあなたを、私は誇りに思います。」
フェネクスの瞳から、再び涙が溢れた。
「……はい。」
その返事は、小さかった。
だが、誰よりも力強かった。
その時だった。
「フェネクス様!」
誰かが歓声を上げた。
その声を聞きつけ、里の人々が次々と駆け寄ってくる。
だが。
誰もすぐには言葉を発することができなかった。
フェネクスは母の手を握り、涙を流している。
その母もまた、穏やかな笑みを浮かべながら娘を見つめていた。
「……治った。」
誰かが小さく呟く。
「呪いが……消えてる。」
その一言をきっかけに、里中が歓喜に包まれた。
「本当に……!」
「母様がお目覚めになられた!」
「奇跡だ……!」
喜びの声が、里中へ広がっていく。
◇ ◇ ◇
翌朝――。
ヒルメたちは、霊獣族の里を後にしようとしていた。
里の入口には、多くの霊獣族が見送りに集まっている。
「本当にありがとうございました!」
「あなた方のおかげで、里は救われました!」
深く頭を下げる人々。
ヒルメも照れくさそうに笑いながら手を振る。
「また遊びに来るね!」
フェネクスも母と共に見送っていた。
「少しだけ、お見送りしてもいいかな。」
「もちろん。」
ヒルメは笑顔で頷いた。
そして。
フェネクスと琥珀も一緒に、里の外まで歩き始める。
静かな山道。
鳥のさえずりだけが響いていた。
琥珀はフェネクスへ視線を向けた。
「フェネクス様。」
「……本当によろしいのですか。」
フェネクスは少しだけ空を見上げた。
「……そうだね。」
穏やかに微笑む。
「本当は、もっと皆と旅をしたかった。」
「ヒルメちゃんと笑って。」
「シロと遊んで。」
「もっと色んな景色を見たかった。」
その言葉を聞き、ヒルメは何も言わず前を見つめていた。
琥珀は静かに俯く。
「やはり……。」
フェネクスは苦笑する。
「でもね。」
「母上は助かった。」
「里のみんなも、また笑ってくれている。」
一度立ち止まり、静かに振り返る。
山の向こうには、霊獣族の里が見えていた。
「私は……。」
「やっと帰る場所を取り戻せたんだ。」
その言葉を聞いたヒルメは、小さく微笑んだ。
フェネクスの答えは、もう決まっている。
そう感じていたからだった。
ヒルメは立ち止まると、小さく笑った。
「フェネクスちゃん。」
フェネクスも足を止め、ゆっくりと振り返る。
二人の視線が重なる。
ヒルメは優しく微笑んだ。
「もう決めてるんだね。」
フェネクスは少し驚いたように目を見開く。
だが、すぐに照れくさそうに笑った。
「……うん。」
「私、この里に残る。」
「母上を守って。」
「皆を守って。」
「この里の未来を守っていきたい。」
ヒルメは静かに頷いた。
「うん。」
「それがフェネクスちゃんの答えなら、私は応援する。」
フェネクスは少しだけ目を潤ませる。
「ありがとう……ヒルメちゃん。」
その声は、どこか寂しく、それでも晴れやかだった。
ヒルメの言葉を聞き、フェネクスは静かに頷いた。
「うん。」
「ありがとう。」
その時だった。
「ワウッ!」
シロが勢いよくフェネクスへ飛び付く。
「きゃっ!」
フェネクスはよろけながらも、その身体をしっかりと抱き留めた。
「ふふっ。」
「シロ。」
「重いよ。」
シロは嬉しそうに尻尾を振りながら、フェネクスの頬を何度も舐める。
「ワウッ!」
「ワフッ!」
フェネクスは優しくシロの頭を撫でた。
「ありがとう。」
「試練の時も。」
「ずっと心配してくれてたんだよね。」
シロは嬉しそうに目を細め、フェネクスへ身体を擦り寄せる。
フェネクスは少し寂しそうに笑った。
「シロとも、もっと遊びたかったな。」
その言葉に、シロは小さく鼻を鳴らした。
「クゥン……。」
まるで別れを理解しているかのようだった。
シロを優しく撫で終えると、フェネクスはゆっくりと立ち上がった。
その姿を見つめていた琥珀は、一歩前へ進み出る。
「フェネクス様。」
フェネクスは優しく微笑む。
「どうしたの、琥珀。」
琥珀は深く頭を下げた。
「これからも。」
「私は、フェネクス様のお側でお仕えいたします。」
「どのような困難が訪れようとも。」
「命ある限り、お守りいたします。」
フェネクスは少し照れくさそうに笑う。
「ありがとう。」
「でも、無理はしないでね。」
琥珀は顔を上げ、小さく微笑んだ。
「それは、お断りします。」
「フェネクス様をお守りすることが、私の役目ですから。」
その言葉に、フェネクスは思わず吹き出した。
「ふふっ。」
「やっぱり琥珀には敵わないな。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。
その様子を見ていたヒルメも、嬉しそうに微笑む。
「よかった。」
「フェネクスちゃん、一人じゃないね。」
ヒルメはフェネクスの前まで歩み寄る。
「フェネクスちゃん。」
フェネクスは優しく微笑んだ。
「ヒルメちゃん。」
二人はしばらく見つめ合う。
言いたいことは、たくさんあった。
でも。
言葉にしなくても伝わるものがあった。
ヒルメは笑顔を浮かべる。
「また会いに来るね。」
フェネクスも力強く頷いた。
「うん。」
「私も、もっと強くなって待ってる。」
ヒルメはそっと右手を差し出す。
「約束。」
フェネクスはその手を握り返した。
「約束。」
二人は笑い合う。
どちらの瞳にも涙は浮かんでいた。
それでも。
別れではなく、再会を信じている笑顔だった。
「じゃあ……行くね。」
「うん。」
「気を付けて。」
ヒルメはシロと共に歩き出す。
シロは何度も振り返りながら、小さく吠えた。
「ワウッ!」
フェネクスは大きく手を振る。
「またね!」
その声は、山々へと優しく響き渡っていった。
フェネクスと琥珀の姿が、少しずつ小さくなっていく。
ヒルメは立ち止まり、もう一度だけ振り返った。
フェネクスは満面の笑みで大きく手を振る。
「ヒルメちゃん!」
「またね!」
ヒルメも笑顔で手を振り返した。
「うん!」
「また会おうね!」
「ワウッ!」
シロも元気よく一声鳴く。
フェネクスと琥珀は、その姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
やがて。
山道を抜けると、広い草原が二人を迎える。
爽やかな風が吹き抜け、草花が静かに揺れた。
ヒルメは大きく伸びをする。
「ふぅー。」
「また二人になっちゃったね。」
「ワフッ!」
シロは嬉しそうに尻尾を振る。
ヒルメは腰のポーチから地図を取り出し、ゆっくりと広げた。
指先を滑らせる。
「次は……。」
視線が一つの国で止まる。
「ミラーク王国。」
「帝国の北にある魔法大国かぁ。」
どんな人たちが暮らし。
どんな景色が広がり。
どんな出会いが待っているのだろう。
ヒルメは地図を畳み、シロへ笑いかけた。
「よし。」
「行こう、シロ。」
「ワウッ!」
一人と一匹は、新たな目的地――ミラーク王国へ向かって歩き出した。
◇ ◇ ◇
「……消えた。」
男は眉をひそめた。
先ほどまで追っていた四人の気配が、一瞬にして途絶えた。
「何が起きた……。」
気配を探る。
だが。
ヒルメも。
フェネクスも。
琥珀も。
シロも。
誰一人として見つからない。
男は舌打ちした。
「……報告が必要か。」
◇ ◇ ◇
薄暗い森の中。
一人の男が木の幹にもたれ、小さく息を吐いた。
「……ようやく見つけた。」
視線の先では、一人の少女と白い獣が街道を歩いている。
男は眉をひそめた。
「二人……?」
先日まで共に行動していた霊獣族の少女たちの姿は、どこにもない。
「途中で別れたのか……。」
男は懐から小さな通信魔道具を取り出す。
淡い光が灯る。
「こちら影一。」
「対象を再確認。」
「現在、同行者は白い獣のみ。」
「霊獣族の二名は確認できません。」
しばらく沈黙が流れる。
やがて、魔道具の向こうから低い声が返ってきた。
「構わん。」
「追跡を続けろ。」
「対象を見失うな。」
「……了解。」
光が消える。
男はゆっくりと立ち上がり、二人の後を静かに追い始めた。




