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             異世界送魂師ヒルメ  ~涙は地に還り、想いは空へ還る~  作者: ケンボー


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19/23

帰郷の果てに

 深い森の中を、一行は静かに歩いていた。


 空を覆う大樹の枝葉が陽の光を遮り、昼間だというのに辺りは薄暗い。


 吹き抜ける風だけが木々を揺らし、葉擦れの音が静寂の中へ溶け込んでいく。


 先頭を歩くのは琥珀だった。


 一度も立ち止まることなく、迷いのない足取りで森の奥へ進んでいく。


 その背を見つめながら、ヒルメは周囲を見回した。


「本当に静かな森ですね。」


 琥珀は前を向いたまま答える。


「この森には霊獣族の結界が張られています。」


「許可なく踏み入った者は、決して里へ辿り着くことはできません。」


「結界?」


「同じ場所を歩き続けたり、気付けば森の外へ戻されていたり。」


「そういう仕組みです。」


「へぇ……。」


 ヒルメは感心したように頷いた。


 その横ではシロが草むらを楽しそうに駆け回っている。


「ワウッ!」


 その姿を見て、フェネクスが小さく笑った。


「昔は私も、この森でよく遊んでいました。」


「木登りをしたり、川で泳いだり……。」


「気付けば夕方まで帰らなくて。」


「そのたびに琥珀に叱られていました。」


 琥珀は苦笑を浮かべる。


「フェネクス様は好奇心旺盛でしたから。」


「探す私の身にもなっていただきたかったものです。」


 ヒルメは思わず笑った。


「フェネクスちゃんにも、そんな頃があったんだ。」


「はい。」


「今思うと、ずいぶん心配を掛けてしまいました。」


 穏やかな空気が流れる。


 しかし、ヒルメの頭には一つだけ気になっていることがあった。


「琥珀。」


「どうして霊獣族は争っているの?」


 琥珀は少しだけ歩みを緩めた。


「……霊獣族には王族という血筋はありません。」


「最も強き者が王となる。」


「それが古くから続く掟です。」


 ヒルメは目を丸くする。


「じゃあ、フェネクスちゃんのお母さんは……。」


「ええ。」


「誰よりも強く、誰よりも民から慕われた王でした。」


「長きにわたり、この里を治めてこられたお方です。」


 フェネクスはどこか誇らしげに微笑む。


「母上は、本当に強かったんです。」


「私の憧れでもありました。」


 だが、その笑顔はすぐに曇る。


 琥珀が静かに続けた。


「しかし、王が病に伏されてから全てが変わりました。」


「王に代わり里をまとめる者が必要となり……。」


「フェネクス様のお父上が、その役目を担われました。」


 ヒルメは静かに耳を傾ける。


「最初は誰も反対しませんでした。」


「王が回復されるまで。」


「皆、そう信じていたのです。」


 琥珀は少しだけ目を伏せる。


「ですが次第に、お父上はご自身の考えで里を動かすようになりました。」


「その考えに従う者。」


「王のお考えを守ろうとする者。」


「霊獣族は二つに分かれてしまったのです。」


 フェネクスは俯き、小さく呟く。


「父上は……もう、昔の父上ではありません。」


 誰も言葉を返さなかった。


 森には風の音だけが静かに響いている。


 その時だった。


 シロが突然立ち止まり、鼻をひくつかせた。


「ワウ?」


 琥珀は小さく微笑む。


「見えてきました。」


「フェネクス様。」


「里へ到着します。」


 一行は再び歩き出す。


 やがて、目の前を覆っていた濃い霧がゆっくりと晴れていった。


 その先に広がる景色を見たヒルメは思わず息を呑む。


「……綺麗。」


 巨大な大樹を中心に広がる霊獣族の里。


 木々を傷付けることなく築かれた家々。


 枝と枝を繋ぐ吊り橋。


 澄み切った小川。


 森そのものが一つの里となった、美しく幻想的な光景だった。


「すごい……。」


「こんな場所、初めて見ました。」


 フェネクスは懐かしそうに目を細める。


「ここが……私の故郷です。」


 しかし。


 里へ足を踏み入れた瞬間、その穏やかな景色とは裏腹に、重苦しい空気が肌を撫でた。


 家々には活気がなく、行き交う霊獣族たちも皆どこか俯いている。


 笑い声は聞こえず、聞こえるのは小川のせせらぎだけだった。


「なんだか……。」


 ヒルメは辺りを見回す。


「思っていたより静かですね。」


 ゆっくりと瞼が開く。


 霞んでいた瞳が、目の前に立つ少女を映した。


「……フェネクス。」


 掠れた声だった。


 その一言を聞いた瞬間、フェネクスは寝台へ駆け寄る。


「母上!」


 震える手で母の手を包み込んだ。


「遅くなってしまって、ごめんなさい……。」


「私……もう、お会いできないかと思って……。」


 王は優しく微笑んだ。


 力なく持ち上げた手で、フェネクスの頬をそっと撫でる。


「謝ることはありません。」


「こうして帰ってきてくれました。」


「それだけで十分です。」


 その言葉に、フェネクスの瞳から涙が溢れた。


「母上……。」


 王は困ったように笑う。


「泣き虫ですね。」


「小さい頃から、何も変わっていません。」


 フェネクスは涙を拭いながら、小さく笑った。


「母上こそ……。」


「そんな身体なのに、笑わないでください。」


 部屋にいた医師たちも、その光景を静かに見守っていた。


 王はゆっくりと視線を動かし、ヒルメたちへ目を向ける。


「その方々は……?」


 フェネクスは立ち上がり、涙を拭う。


「私の大切なお友達です。」


「旅の途中で出会い、何度も命を助けていただきました。」


「こちらがヒルメちゃん。」


「そしてシロです。」


「ワウッ!」


 シロが元気よく一声鳴く。


 王は穏やかに目を細めた。


「そうでしたか……。」


「娘を助けてくださり、本当にありがとうございます。」


 ヒルメは慌てて首を横に振る。


「そんな。」


「私たちもフェネクスちゃんに助けてもらってばかりでした。」


「だから、お互い様です。」


 王は嬉しそうに微笑む。


「良い友に巡り会えたのですね。」


 フェネクスも照れくさそうに笑った。


「はい。」


「ヒルメちゃんたちと出会えて、本当に良かったです。」


 その温かな空気の中。


 ヒルメだけが、小さく首を傾げていた。


「……あれ?」


 王の身体から、何かが見える。


 黒い靄。


 いや、それは靄ではなかった。


 何本もの黒い鎖のような瘴気が、身体へ幾重にも絡み付き、ゆっくりと生命力を奪っている。


(何……これ。)


 ヒルメは思わず寝台へ歩み寄った。


 フェネクスが不思議そうに振り返る。


「ヒルメちゃん?」


 ヒルメは王から目を離さない。


「……おかしい。」


 その呟きに、医師の一人が顔を上げた。


「どうかなさいましたか?」


 ヒルメは王の手をそっと取る。


「少しだけ……診てもいいですか?」


 フェネクスは迷うことなく頷いた。


「お願いします。」


 ヒルメは静かに目を閉じる。


 深く息を吸い込み、祈りを紡いだ。


「涙は地に還り……。」


「想いは空へ還る……。」


「我が祈りを導とし……。」


「魂のあるべき場所へ導かん……。」


《ソウル・アセンション》


 柔らかな白い光が王を包み込む。


 絡み付いていた黒い瘴気が、一瞬だけ苦しむように揺らいだ。


「なっ……!」


 医師たちが息を呑む。


 フェネクスも祈るように王を見つめる。


 だが――。


 揺らいだ瘴気は、再び王の身体へ絡み付き、何事もなかったかのように元へ戻ってしまった。


 光は静かに消えていく。


 ヒルメは王を見つめたまま、小さく息を吐いた。


「……やっぱり。」


「ヒルメちゃん?」


 フェネクスが不安そうに声を掛ける。


 ヒルメはゆっくりと振り返った。


「これは病気じゃない。」


「呪いです。」


 その一言で、部屋の空気が凍り付いた。


 琥珀は小さく頷いた。


「王が倒れ、争いが始まってから……里はずっとこのような空気です。」


 フェネクスも胸が締め付けられる思いで故郷を見つめた。


「皆……。」


 その時だった。


 門を警備していた霊獣族の兵士がフェネクスへ気付く。


「フェネクス様……!」


 兵士は目を見開き、大きく声を上げた。


「フェネクス様がお戻りになられたぞ!!」


 その声は瞬く間に里中へ広がっていく。


 家々から人々が飛び出し、一斉にフェネクスのもとへ駆け寄った。


「本当にフェネクス様だ!」


「ご無事だったんですね!」


「帰って来てくださった……!」


 年老いた女性は涙を流しながら頭を下げる。


「ご無事で……本当に良かった。」


 小さな子どもたちも駆け寄ってくる。


「フェネクス様!」


「おかえりなさい!」


 フェネクスは一人ひとりの顔を見つめ、優しく微笑んだ。


「ただいま。」


「皆さんも、ご無事で安心しました。」


 その穏やかな笑顔を見た人々の表情も少しだけ明るくなる。


 ヒルメはその光景を見つめながら、小さく笑った。


「フェネクスちゃんって、本当に慕われてるんだね。」


 フェネクスは照れくさそうに頬を掻く。


「皆さん、小さい頃から私を見守ってくださっていましたから。」


「私にとっても、大切な家族なんです。」


 その時。


 一人の青年が息を切らせながら人混みを掻き分けてきた。


「琥珀様!」


 琥珀が振り向く。


「どうしました。」


 青年は息を整える間もなく頭を下げた。


「王がお待ちです。」


「医師の先生方も……急ぐようにと。」


 その一言で場の空気が一変する。


 フェネクスの表情から笑顔が消えた。


「母上……。」


 琥珀は静かに頷く。


「参りましょう。」


 一行は人々に見送られながら、里の最奥へ歩き始めた。


 そこには、他の建物とは比べものにならないほど大きな屋敷が建っていた。


 入口には武装した霊獣族の兵士が並び、誰もが険しい表情を浮かべている。


 琥珀は立ち止まり、静かに頭を下げた。


「フェネクス様。」


「王は、この奥でお待ちです。」


 フェネクスはゆっくりと息を吸い、小さく頷いた。


「……はい。」


 重厚な扉が音を立てて開かれる。


 室内には薬草の香りが漂い、数人の医師が慌ただしく動いていた。


 その中央。


 一際大きな寝台の上に、一人の女性が静かに横たわっている。


 かつて霊獣族最強と謳われた王。


 その面影は今も残っている。


 だが、頬は痩せ、呼吸は浅く、見る者の胸を締め付けるほど弱々しかった。


 フェネクスは息を呑む。


「……母上。」


 その声に反応するように、女性の瞼がゆっくりと震えた。


 部屋は重苦しい沈黙に包まれた。


 医師たちは互いに顔を見合わせ、誰も言葉を発することができない。


 やがて、一人の老医師が口を開いた。


「お、お待ちください。」


「王は長年、我々が診てまいりました。」


「これは病です。」


「呪いなどでは――」


 ヒルメは静かに首を横へ振った。


「違います。」


「私には見えています。」


「王様の身体には、何重もの呪いが掛けられています。」


 医師たちは息を呑む。


 琥珀も王の身体へ視線を向けた。


「私には……何も見えません。」


「普通は見えません。」


 ヒルメは王から目を離さずに答える。


「これは魂へ直接掛けられた呪いです。」


「だから身体を診ても原因は見つからない。」


「どれだけ薬を飲んでも治らない。」


「生命力だけを少しずつ奪い続ける呪いなんです。」


 部屋に再び沈黙が落ちる。


 ヒルメはゆっくりと立ち上がった。


「もっと強い魔法を……。」


 そう呟き、自ら首を横へ振る。


「違う。」


「それじゃ足りない。」


 フェネクスが心配そうに近付く。


「ヒルメちゃん?」


 ヒルメは悔しそうに拳を握り締めた。


「この呪いは一つじゃない。」


「長い年月を掛けて、何重にも重ねられてる。」


「一つ浄化しても、その奥にまた別の呪いがある。」


「だから《ソウル・アセンション》でも、一番外側しか弱められなかった。」


 フェネクスは母とヒルメを交互に見つめる。


「じゃあ……。」


「助けられないの?」


 ヒルメは首を横へ振る。


「違う。」


「あと少し。」


「あと少しだけ魔力が足りない。」


「この呪い全部を包み込めるだけの魔力があれば……。」


 その時だった。


 寝台に横たわる王が静かに口を開く。


「……魔力があれば、よいのですか。」


 ヒルメは頷く。


「はい。」


「私一人の魔力では足りません。」


「ですが、それ以上の魔力があれば解呪できます。」


 王はゆっくりと目を閉じ、小さく息を整えた。


「それなら……霊石はどうでしょう。」


「霊石?」


 ヒルメが聞き返す。


「霊石は、大地の霊力が長い年月を掛けて結晶となったもの。」


「強大な魔力を宿しています。」


 その言葉を聞いた瞬間、ヒルメの瞳が見開かれた。


「それなら……。」


「いける。」


「霊石を触媒にすれば、この呪いを浄化できます。」


 フェネクスの表情が明るくなる。


「本当ですか!」


 ヒルメは力強く頷いた。


「でも、その霊石が必要です。」


 琥珀は王へ視線を向けた。


「王よ……そのような霊石が、どこかに?」


 王は静かに頷く。


「霊峰アルガス。」


「あの山の頂に、一つだけ眠っています。」


「その在り処は、代々の王から次の王へだけ伝えられてきました。」


「王以外、誰も知りません。」


 琥珀は目を見開いた。


「私は……初めて耳にしました。」


「当然です。」


 王は穏やかに微笑む。


「これは王だけが受け継ぐ秘密なのです。」


「そして霊峰の結界は、霊獣だけしか通ることができません。」


 ヒルメは静かに頷いた。


「それなら、人族の私たちは行けない。」


「霊獣族の誰かに取ってきてもらうしかありませんね。」


 その言葉を聞いたフェネクスは、迷うことなく一歩前へ出た。


「私が行きます。」


 部屋にいた全員の視線がフェネクスへ集まる。


 フェネクスは真っ直ぐ母を見つめた。


「私が行きます。」


 王は静かに娘を見つめる。


「フェネクス……。」


 フェネクスは寝台の傍らへ歩み寄り、母の手をそっと握った。


「行ってきます。」


「母上を助けるために。」


 王は優しく微笑んだ。


「ええ。」


「あなたなら、その場所へ辿り着けます。」


 フェネクスは静かに頷くと、踵を返した。


「ヒルメちゃん。」


「少しだけ……母上をお願いします。」


 ヒルメも力強く頷き返す。


「うん。」


「私に任せて。」


「呪いがこれ以上進まないよう、できる限り抑えてみる。」


「ありがとう。」


 フェネクスは小さく微笑み、部屋を後にした。


◇ ◇ ◇


 部屋を出ると、琥珀も後を追うように歩き出した。


「フェネクス様。」


 フェネクスは足を止める。


「どうしたの、琥珀。」


 琥珀は静かに頭を下げた。


「私も同行させてください。」


「霊峰アルガスは容易に近付ける場所ではありません。」


「フェネクス様お一人では危険です。」


 フェネクスはゆっくりと首を横へ振った。


「駄目。」


「ですが――。」


「これは私が行かなきゃ意味がないの。」


 琥珀は押し黙る。


 フェネクスは真っ直ぐ前を見つめながら続けた。


「私は今まで、母上に守られてきた。」


「琥珀にも守られてきた。」


「そして旅に出てからは、ヒルメちゃんやシロにも何度も助けられた。」


 小さく息を吐く。


「もう、一人じゃ何もできない私ではいたくない。」


「今度は私が、自分の力で母上を助けたい。」


 琥珀はフェネクスの横顔を見つめる。


 その瞳には、幼い頃にはなかった強い意志が宿っていた。


 しばらくの沈黙の後、琥珀は小さく微笑む。


「……ご立派になられましたね。」


「え?」


「昔のフェネクス様なら、私の後ろに隠れておられました。」


 フェネクスは少し照れくさそうに笑う。


「そんな昔の話しないでよ。」


 琥珀も穏やかに笑みを浮かべた。


「ですが、一つだけ心配があります。」


「フェネクス様は補助魔法を得意とされています。」


「攻撃魔法での戦闘は、決して得意では――」


 フェネクスは少しだけ頬を膨らませる。


「失礼ね。」


「私だって攻撃魔法くらい使えるんだから。」


「もちろん存じております。」


「ですが、私からすれば心配なのです。」


 フェネクスは笑いながら肩を竦めた。


「ありがとう、琥珀。」


「でも大丈夫。」


「心配ばかり掛けてる私も、今日で卒業だから。」


 そう言って歩き出す。


 琥珀はその背中へ向かって深く頭を下げた。


「どうか、ご武運を。」


 フェネクスは振り返ることなく、片手を軽く上げて応えた。


◇ ◇ ◇


 一方その頃。


 ヒルメは部屋の中央へ布を広げていた。


「フェネクスちゃんが戻ったら、すぐ始められるように準備しておこう。」


 浄化に必要な道具を一つずつ並べ、祭壇を組み上げていく。


 一秒でも早く解呪を行うためだった。


 シロもその隣へ座り、不安そうに扉を見つめる。


「ワウ……。」


 ヒルメはシロの頭を優しく撫でる。


「大丈夫。」


「フェネクスちゃんなら、きっと帰ってくる。」


 その言葉を自分に言い聞かせるように呟きながら、ヒルメは静かに祈りの準備を続けた。


 その頃、フェネクスは一人――。


 霊峰アルガスへと続く山道へ、静かに足を踏み入れていた。

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