琥珀
帝都へ戻った一行は、馴染みの食堂で遅めの昼食を取っていた。
店内は多くの客で賑わい、料理の香りと楽しげな笑い声が響いている。
ヒルメはスープを一口飲むと、小さく息を吐いた。
「美味しいですね。」
フレイヤは大きな肉へかぶりつきながら笑う。
「帝都のご飯は最高っす!」
アテナは苦笑しながらパンをちぎった。
「ゆっくり食べてください。」
フェネクスは穏やかに微笑む。
「皆さんとこうして食事をする時間も、すっかり当たり前になりましたね。」
穏やかな時間が流れる。
やがてエリスが木のコップを置き、静かに口を開いた。
「そういえば。」
「これから、お前たちはどうするつもりだ?」
その一言に、皆の視線が自然と集まる。
ヒルメは少し考え込み、小さく笑った。
「実は……まだ何も決めてなくて。」
「行き当たりばったりなんです。」
フレイヤは思わず吹き出す。
「ヒルメらしいっす!」
「ワウッ!」
シロも元気よく鳴いた。
アリアナは静かに食事の手を止める。
「私は決めた。」
その一言で空気が変わる。
「一度、エルフの里へ戻る。」
ヒルメはアリアナを見る。
「大精霊のことですか?」
「ああ。」
アリアナは頷く。
「図書館で見た記録が気になる。」
「里には、帝国には残されていない文献もある。」
「長老たちなら何か知っているかもしれない。」
「それに……。」
アリアナはヒルメを真っ直ぐ見つめる。
「お前の力についても調べてみる。」
ヒルメは驚いたように目を丸くした。
「私の……?」
「記録が残っていないなら、自分たちで探すしかない。」
「何か分かったら、お前たちを探す。」
ヒルメは少し寂しそうに笑った。
「じゃあ、お別れですね。」
アリアナは静かに首を横へ振る。
「別れではない。」
「しばらく別行動になるだけだ。」
そう言うと、懐へ手を入れる。
取り出したのは、一枚の小さな木札だった。
淡い緑色をした、不思議な木で作られた護り札。
表にはエルフの古い文字が刻まれている。
アリアナはその木札をヒルメへ差し出した。
「持っていろ。」
ヒルメは両手で受け取り、不思議そうに眺める。
「これは?」
「友の証だ。」
静かな口調で答える。
「エルフでは、信頼した友へ贈る習わしがある。」
ヒルメは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。」
しかし、アリアナは続ける。
「それだけではない。」
「この木札には、私の魔力を刻んである。」
「お前の身に命の危険が迫れば、この木札を通して私にも伝わる。」
ヒルメは思わず木札を見つめた。
「そんなことが……。」
「距離には限界がある。」
「だが、本当に危険な時なら必ず分かる。」
アリアナは真っ直ぐヒルメを見据える。
「だから、絶対になくすな。」
ヒルメは木札を胸へ抱きしめ、力強く頷いた。
「はい!」
「大切にします!」
アリアナはほんの少しだけ口元を緩めた。
「……それでいい。」
穏やかな空気が流れる。
誰も口にはしなかった。
だが、それがしばらくの別れを意味していることを、皆が理解していた。
アリアナと別れた後。
エリスはヒルメへ向き直った。
「私たちも、そろそろ戻る。」
ヒルメは少し驚く。
「もうですか?」
「ああ。」
「休暇も今日までだ。」
「明日からは、また任務が始まる。」
フレイヤは名残惜しそうに頭を掻いた。
「もっと遊びたかったっすけどねぇ。」
アテナも苦笑する。
「仕方ありません。」
「私たちは帝国騎士ですから。」
フェネクスは静かにエリスを見る。
「皆様には、本当にお世話になりました。」
エリスは首を横に振った。
「礼を言うのはこちらだ。」
「お前たちがいなければ、竜王も救えなかった。」
「私たちは、一生その恩を忘れない。」
ヒルメは照れくさそうに笑う。
「そんな、大げさですよ。」
「私も皆さんに助けてもらいましたから。」
エリスは腰の剣へ手を添え、小さく微笑んだ。
「また会おう。」
「帝国へ来ることがあれば、私を訪ねてくればいい。」
フレイヤは元気よく手を振る。
「今度は任務じゃなくて遊ぶっす!」
「師匠も一緒っすよ!」
「ワウッ!」
シロも嬉しそうに尻尾を振った。
アテナは優しく頭を下げる。
「皆様、お元気で。」
フェネクスも微笑む。
「また、お会いしましょう。」
ヒルメは大きく頷く。
「はい!」
「また必ず!」
エリスは静かに背を向ける。
「行くぞ。」
「はい!」
三人は帝国騎士団本部へ向かって歩き出した。
その背中を、ヒルメたちは静かに見送る。
やがて人混みの中へ溶け込むように、その姿は見えなくなった。
ヒルメは小さく息を吐く。
「……みんな、行っちゃいましたね。」
フェネクスは穏やかに微笑む。
「少し寂しくなりましたね。」
ヒルメは胸元の木札へそっと触れる。
「でも。」
「また会えます。」
そう呟くと、空を見上げ、小さく笑った。
エリスは別れ際、ふと思い出したように足を止めた。
「そうだ。」
ヒルメたちが振り返る。
「お前たち、行き先はまだ決まっていないんだったな。」
「はい。」
ヒルメは苦笑しながら頷く。
「まだ何も……。」
エリスは少し考え込むように腕を組んだ。
「なら、一つ心当たりがある。」
「帝国の北に、ミラーク王国という国がある。」
「魔法研究が盛んな国で、『魔法大国』とも呼ばれている。」
アテナも頷く。
「あそこには各地から魔導師や学者が集まります。」
フレイヤは笑いながら付け加えた。
「魔法しか頭にない変わった人も多いっすけどね。」
エリスは苦笑する。
「否定はしない。」
「だが、魔法や古代文明の研究では世界でも有数だ。」
「図書館にもなかった記録が、あの国には残っているかもしれない。」
ヒルメはフェネクスと顔を見合わせた。
「魔法大国……。」
フェネクスも静かに頷く。
「ヒルメ様の力についても、何か分かるかもしれませんね。」
エリスは小さく頷いた。
「保証はできない。」
「だが、今のお前たちが向かうには悪くない場所だ。」
ヒルメは嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。」
「じゃあ……。」
「次はミラーク王国を目指します!」
エリスは満足そうに微笑んだ。
「ああ。」
「道中、気を付けて行け。」
帝国を後にしたヒルメたちは、北へ続く街道を歩いていた。
目的地は、魔法大国ミラーク。
魔法研究が盛んな国であり、ヒルメの力についても何か手掛かりが見つかるかもしれない。
そんな期待を胸に、一行は穏やかな森の中を進んでいた。
帝国を後にしたヒルメたちは、北へ続く街道を歩いていた。
目的地は、魔法大国ミラーク。
帝国騎士であるエリスから教えられた、世界有数の魔法研究国家だ。
ヒルメの力についても、何か手掛かりが見つかるかもしれない。
そんな希望を胸に、一行は森の中を進んでいた。
「あと二日ほどで着きそうですね。」
ヒルメが地図を見ながら微笑む。
フェネクスも小さく頷いた。
「はい。」
「この街道を北へ進めば、ミラーク王国です。」
シロは先頭を歩きながら、時折草むらへ飛び込んでは戻ってくる。
「ワウッ!」
ヒルメは思わず笑う。
「シロは元気ですね。」
穏やかな時間だった。
しかし、その空気が突然変わる。
フェネクスの表情が険しくなった。
「……。」
立ち止まり、ゆっくりと周囲を見渡す。
「フェネクスちゃん?」
ヒルメが声を掛ける。
フェネクスは小さく首を振った。
「……来ます。」
その瞬間だった。
森の奥から黒い影が一斉に飛び出す。
獣耳と尾を持つ霊獣族。
その数は五人。
「見つけたぞ!!」
「裏切り者フェネクス!!」
「今日こそ、その命をもらう!!」
フェネクスは一歩前へ出た。
「皆さん、下がってください!」
霊獣族の一人が地面を蹴る。
凄まじい速さでフェネクスとの距離を詰めた。
「死ねぇ!!」
鋭い爪が振り下ろされる。
その瞬間――。
ドォォォン!!
何かが横から飛び込み、霊獣族を吹き飛ばした。
敵は木々を何本もなぎ倒しながら地面を転がる。
「ぐっ……!」
全員が視線を向ける。
そこには、一人の女性が立っていた。
長い黒髪を後ろで束ね、細身の剣を片手に静かに敵を見据えている。
その姿には一切の隙がない。
女性は振り返り、安堵したように微笑んだ。
「フェネクスちゃん。」
「ご無事で何より。」
フェネクスは目を見開く。
「……琥珀!」
「どうしてここに……!」
琥珀は小さく一礼した。
「そのお話は後です。」
「まずは、この者たちを片付けます。」
敵の一人が怒鳴る。
「琥珀!」
「王家を裏切る気か!」
琥珀は冷たく視線を向ける。
「裏切る?」
「勘違いしないでください。」
「私が忠誠を誓うのは、フェネクス様と王妃様だけです。」
そう言うと、一歩前へ出る。
「フェネクス様へ刃を向ける者は、私が斬ります。」
敵たちは顔を歪めた。
「人族もまとめて始末しろ!!」
五人が一斉に飛び出す。
二人は琥珀へ。
二人はフェネクスへ。
そして最後の一人が回り込み、ヒルメへ一直線に襲い掛かった。
「人族から殺す!!」
ヒルメが息を呑む。
その前へ、白い影が飛び出した。
ガギィィィン!!
鋭い爪を真正面から受け止める。
「グルルルル……!」
シロだった。
敵は目を見開く。
「なっ!?」
琥珀もその光景へ視線を向ける。
「……。」
一瞬、言葉を失う。
「犬……?」
もう一度シロを見る。
「…………犬?」
「犬が霊獣族の攻撃を止めた?」
フェネクスは慌てて声を上げた。
「やめてください!」
「シロは普通の犬ではありません!」
シロは敵を睨みつけたまま、
「ワウッ!!」
と誇らしげに一声鳴いた。
敵の一人がヒルメへ飛び掛かる。
シロは攻撃を受け止めるだけでは終わらなかった。
大きく息を吸い込む。
「ワウゥゥゥ……!」
次の瞬間。
ゴォォォォッ!!
灼熱の炎が一直線に放たれる。
敵は咄嗟に飛び退く。
「なっ!?」
「炎のブレスだと!?」
追撃するようにシロは再び息を吸い込む。
今度は冷気。
バキバキバキッ!!
氷が地面を駆け抜け、敵の足元を一瞬で凍らせる。
「ぐっ!」
敵は体勢を崩す。
その隙を逃さず、琥珀が一閃。
ズバッ!!
敵の武器が真っ二つになる。
琥珀は冷たく剣を向けた。
「まだ続けますか?」
敵たちは顔を見合わせる。
「……撤退だ!」
「くそっ!」
「覚えていろ!」
霊獣族たちは森の奥へ姿を消した。
静寂が戻る。
琥珀は剣を鞘へ納めると、フェネクスへ深く一礼した。
「フェネクス様。」
「お迎えに参りました。」
フェネクスは表情を曇らせる。
「母上は……。」
琥珀は静かに頷いた。
「王派との戦いは激しくなっております。」
「王妃様は里を離れ、安全な場所へ避難しておりますが……。」
一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「ご病状は、あまり芳しくありません。」
「フェネクス様に、お会いしたいと。」
フェネクスは静かに目を伏せた。
「……分かりました。」
そしてヒルメへ振り向く。
「ヒルメちゃん。」
「お願いがあります。」
「私と一緒に来ていただけませんか。」
ヒルメは迷うことなく笑顔で頷いた。
「もちろん!」
「フェネクスちゃんは友達だもん!」
「一緒に行くよ!」
しかし、琥珀は一歩前へ出た。
「申し訳ございません。」
「それはお断りいたします。」
「これから向かうのは霊獣族の里。」
「人族をお連れするわけにはまいりません。」
フェネクスは静かに首を横へ振る。
「嫌です。」
琥珀は驚いたように目を見開く。
「フェネクス様……?」
フェネクスはヒルメの隣へ歩み寄った。
「ヒルメちゃんは、私の大切なお友達です。」
「シロも、大切な家族です。」
「二人を置いて帰るつもりはありません。」
「もし認めていただけないのであれば……。」
「私は、一人で帰ります。」
琥珀は言葉を失った。
「…………。」
しばらく沈黙が流れる。
やがて、琥珀は小さく目を閉じる。
(フェネクス様が……。)
(お友達を……。)
幼い頃から誰よりも優しく、それでいて立場ゆえに人と距離を置いてきた王女。
そのフェネクスが、自ら「友達」と口にした。
琥珀は込み上げるものを抑えるように、小さく息を吐く。
「……王妃様がお聞きになれば、きっとお喜びになります。」
そう呟くと、ヒルメへ向き直り、深く頭を下げた。
「先ほどは失礼いたしました。」
「フェネクス様が信頼されるご友人なら、私も歓迎いたします。」
「どうか、お力をお貸しください。」
フェネクスはヒルメへ向かって深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「ヒルメちゃん。」
「本当に心強いです。」
ヒルメは照れくさそうに笑う。
「困った時は助け合うんだよ。」
「友達なんだから。」
フェネクスも優しく微笑んだ。
「はい。」
その笑顔を見た琥珀は、小さく目を伏せる。
「では……参りましょう。」
「王妃様がお待ちです。」
一行は街道を外れ、森の奥へと足を踏み入れた。
人の手が入らない深い森。
木々は空を覆い隠し、昼間だというのに薄暗い。
獣の気配はあっても、不思議と鳥のさえずりは聞こえなかった。
ヒルメは辺りを見回す。
「すごい森ですね……。」
琥珀は前を歩きながら答える。
「霊獣族の里へ続く森です。」
「許可なく入った者は、まず辿り着けません。」
「幻惑の結界が張られています。」
ヒルメは思わず足を止めた。
「結界?」
「はい。」
「同じ場所を何度も歩かされたり、出口へ戻されたり。」
「霊獣族以外には抜けられないようになっています。」
シロは鼻をひくひくさせながら歩いている。
「ワウ?」
琥珀はシロをちらりと見た。
「でも、その子には関係なさそうですね。」
「結界の影響を受けている様子がありません。」
シロは得意げに胸を張る。
「ワウッ!」
ヒルメは思わず笑った。
「シロは方向音痴なのに、不思議だね。」
「ワウ!?」
シロは抗議するように一声鳴く。
その様子にフェネクスは小さく笑った。
「ふふっ。」
「相変わらず仲が良いですね。」
穏やかな空気が流れる。
しかし、その表情はすぐに曇る。
「母上……。」
小さく漏らしたその声には、不安が滲んでいた。
琥珀は歩みを止めることなく静かに口を開く。
「大丈夫です。」
「王妃様は、ずっとフェネクス様の帰りを信じて待っておられます。」
「ですから……。」
「どうか笑顔で会って差し上げてください。」
フェネクスは小さく息を吸い、力強く頷いた。
「……はい。」
一行は琥珀の後を追い、深い森の中へ足を踏み入れていく。
霊獣族の未来を左右する戦い。
そして、フェネクスの母との再会。
誰もまだ、その先で待ち受ける運命を知らなかった。
森の奥から吹く風だけが、静かに木々を揺らしていた。
――霊獣族の隠れ里へ。




