天照ノ大祓
ヒルメは静かに目を閉じた。
杖を胸の前で握り締める。
仲間たちの叫び。
剣戟。
爆発。
竜族の咆哮。
全てが耳へ届いていた。
それでも、今は目を開けることはできない。
この魔法だけは、絶対に失敗できない。
「どうか……。」
小さく祈る。
「みんなを助ける力を……。」
深く息を吸い込む。
その瞬間――
フェネクスが大きく翼を広げた。
「皆さん!」
「ヒルメ様が魔法へ集中できるよう、私が皆さんを支援します!」
紅蓮の羽が戦場へ舞う。
「命を照らす聖炎よ。
戦う者へ祝福を。
傷を癒やし。
力を授け。
その身を護りたまえ――」
《エターナル・ブレッシング》
暖かな紅蓮の光が戦場を包み込んだ。
エリス。
アリアナ。
フレイヤ。
アテナ。
エレン。
騎士団。
そして竜族。
全員の身体が淡く紅蓮に輝く。
「傷が……。」
「塞がっていく……!」
竜族の一人が驚きの声を上げた。
フェネクスは静かに頷く。
「長くは持ちません。」
「どうか、それまでに。」
エリスは聖剣を構え直す。
「十分だ。」
「総員!」
「ヒルメへ一歩たりとも近付けるな!!」
「「「はっ!!」」」
その瞬間。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
竜王が大地を揺るがす咆哮を放つ。
ドォォォォォォン!!
巨大な前脚が振り下ろされた。
「来るぞ!」
エリスが真正面から飛び出す。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
ガギィィィィィン!!
聖剣と竜王の爪が激突する。
凄まじい衝撃が大地を砕いた。
「ぐっ……!」
押される。
それでも退かない。
「エレン!」
「今だ!!」
「はい!」
エレンは地を蹴る。
父である竜王を真っ直ぐ見据え、剣を握り締めた。
「父上……!」
「必ず、お救いいたします!!」
竜王の死角へ飛び込み、一閃。
ザシュゥゥゥゥッ!!
白銀の斬撃が竜王の横腹を切り裂く。
しかし――
ジュゥゥゥゥ……。
黒い瘴気が傷口を覆い、瞬く間に再生を始めた。
「やはり……!」
エレンが歯を食いしばる。
「まだ足りない!」
「アリアナ!」
翠色の風が戦場を駆け抜けた――。
「任せろ。」
アリアナは静かに細剣を構えた。
翠色の風が足元から巻き上がる。
「風を司る精霊よ。」
「我が剣へ集いて。」
「全てを断つ疾風となれ。」
《シルフィード》
ドンッ!!
地面を蹴った瞬間、その姿が掻き消える。
「速い!」
騎士の一人が目を見開く。
アリアナは異形の群れへ一直線に飛び込んだ。
ザシュッ!
ザシュッ!
ザシュザシュッ!!
風の軌跡だけが戦場へ刻まれていく。
黒き異形の腕が宙を舞い、胴体が次々と切り裂かれた。
「ギャァァァァァッ!!」
しかし――。
ボコボコボコッ……。
裂かれた身体が黒い瘴気を集め、再び元の姿へ戻っていく。
「……やはりか。」
アリアナは舌打ちした。
「倒しても再生する。」
「ならば!」
細剣を大きく振り払う。
ゴォォォォォッ!!
暴風が巻き起こり、十数体の異形をまとめて吹き飛ばした。
「今のうちだ!」
「前衛! 押し返せ!」
「「おおおっ!!」」
騎士団と竜族が一斉に前へ出る。
その頃――。
少し離れた場所では、フレイヤが戦斧を振るい続けていた。
「オラァァァァァ!!」
ドガァァァァァン!!
炎を纏った戦斧が異形をまとめて吹き飛ばす。
「ふぅ~。」
肩で息をしながら額の汗を拭う。
「数が多いっすねぇ。」
「これは大変っす。」
「ワウ。」
聞き慣れた鳴き声が聞こえた。
「ん?」
「どうしたんすか、ワンワン?」
シロは戦斧へ近付くと、前脚で軽く叩く。
ポン。
ポン。
「なんすか?」
「武器でも壊れたっすか?」
シロは首を横へ振った。
そして口元へ、白銀に輝く光が集まり始める――。
白銀の光は、見る見るうちに強さを増していく。
「え……?」
フレイヤは思わず一歩後ずさる。
「ちょっ、ワンワン?」
「何する気っすか?」
シロは真っ直ぐ戦斧を見つめたまま、小さく頷く。
「ワウッ!」
ゴォォォォォォッ!!
白銀のブレスが一直線に放たれた。
「ちょっ!!」
「危な――」
避けようとした、その時。
ブレスはフレイヤではなく、戦斧へと吸い込まれていく。
ブォォォォォン――。
戦斧全体が白銀の光を纏った。
眩い輝きが刃を包み込み、神々しい気配が溢れ出す。
「えぇぇぇぇっ!?」
フレイヤは目を丸くした。
「な、なんすかこれ!?」
恐る恐る戦斧を持ち上げる。
ずっしりとした重みは変わらない。
だが、刃から溢れる力は今までとは比べものにならなかった。
「こんなことも出来るんすか……!」
シロは得意げに胸を張る。
「ワウッ。」
フレイヤは満面の笑みを浮かべた。
「さすがっす……!」
「師匠!!」
シロは満足そうに尻尾を振る。
「ワウッ!」
フレイヤは戦斧を肩へ担ぐ。
ニヤリと口元を吊り上げた。
「最高っす!!」
「燃えてきたぁぁぁぁぁっ!!」
ドンッ!!
勢いよく地面を蹴る。
迫り来る異形の群れへ一直線に飛び込んだ。
「オラァァァァァァァ!!」
ドガァァァァァァン!!
白銀の戦斧が大きく振り抜かれる。
巨大な斬撃が地面を抉りながら異形の群れを飲み込んだ。
「ギャァァァァァァッ!!」
断末魔が響く。
しかし――。
いつものように瘴気は集まらない。
黒き異形の身体は白い粒子となって崩れ、そのまま風に溶けるように消えていった。
フレイヤは思わず振り返る。
「え……?」
「消えたっす……?」
フレイヤは呆然と呟いた。
戦斧を見つめる。
白銀の輝きは、なお刃に宿ったままだった。
「再生……しない?」
その言葉に、アリアナが振り返る。
「何?」
ちょうどその時。
別の異形がフレイヤへ飛び掛かった。
「ギャァァァァァァッ!!」
「もう一発っす!!」
フレイヤは戦斧を大きく振りかぶる。
「オラァァァァァァッ!!」
ドガァァァァァン!!
白銀の一撃が異形を真正面から叩き斬る。
身体は真っ二つに裂け――
そのまま眩い光へ包まれた。
サラサラと白い粒子となって崩れ去る。
黒い瘴気は、一切残らない。
「やっぱりっす!!」
「今度も再生しないっす!!」
アテナが目を見開いた。
「そんな……!」
「浄化されています!」
アリアナは異形の消えた場所を見つめる。
「なるほど……。」
「そういうことか。」
アテナが振り向く。
「アリアナさん!」
「あれは一体……。」
アリアナは肩を竦める。
「……まぁ。」
「ワンワンだしな。」
「うん。」
「気にしないでおこう。」
「えぇぇぇぇぇっ!?」
アテナが思わず叫ぶ。
「そこは気にしてください!!」
「説明してください!!」
「今さら驚くことでもない。」
アリアナはさらりと言った。
「ワンワンは昔から規格外だ。」
「ワウッ。」
シロは満足そうに胸を張る。
フレイヤは戦斧を掲げ、大笑いした。
「さすが師匠っす!!」
「このまま全部ぶっ飛ばすっすよ!!」
「ワウッ!!」
二人は再び異形の群れへ突っ込んでいった。
その頃――。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
竜王が大地を揺るがす咆哮を放つ。
巨大な前脚が唸りを上げ、エリスへ振り下ろされた。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
ガギィィィィィン!!
聖剣と竜王の爪が激しくぶつかり合う。
衝撃が周囲の墓石を砕き、大地へ亀裂を走らせた。
「くっ……!」
両腕が痺れる。
だが、退かない。
「エレン!」
「今だ!!」
「はい!!」
エレンが一気に踏み込む。
父の懐へ飛び込み、剣を振り抜いた。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
ザシュゥゥゥゥッ!!
鋭い斬撃が竜王の横腹を切り裂く。
鮮血が舞う。
しかし――。
ジュゥゥゥゥ……。
傷口から黒い瘴気が溢れ出し、裂けた肉が瞬く間に塞がっていく。
「またか……!」
エレンが悔しそうに歯を食いしばる。
エリスも後方へ飛び退いた。
「やはり杭を何とかしなければ意味がない。」
「だが……。」
竜王は二人へ視線を向ける。
その赤黒い瞳に理性はない。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
咆哮と同時に、巨大な尾が横薙ぎに振るわれた。
「散れ!!」
エリスが叫ぶ。
ドゴォォォォォォン!!
墓石が粉々に砕け散る。
エレンは紙一重で飛び退いた。
「速い……!」
着地した瞬間、今度は巨大な前脚が迫る。
「くっ!」
剣を構える。
だが、その前へエリスが飛び込んだ。
「甘い!!」
ガギィィィィィン!!
再び聖剣が竜王の一撃を受け止める。
「エレン!」
「竜王の気を引く!」
「お前は胸の杭だけを狙え!」
「はい!!」
エレンは頷き、再び父へ向かって駆け出した。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
エレンは一直線に駆け出した。
狙うのは竜王の胸。
黒き杭だけだった。
「父上……!」
「どうか、お許しください!」
剣を握る手に力が入る。
あと少し。
あと数歩で届く。
その瞬間――
グォンッ!!
竜王の巨大な翼が唸りを上げた。
暴風が吹き荒れる。
「しまっ――!」
エレンの身体が大きく弾き飛ばされた。
「ぐあっ!!」
墓石を転がりながら受け身を取る。
「エレン!」
エリスが叫ぶ。
しかし竜王は追撃を止めない。
巨大な身体とは思えない速度で距離を詰める。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
右前脚が振り上げられる。
「くっ……!」
エレンが剣を構えた、その時。
ガギィィィィィン!!
「こちらだ!」
エリスが真正面から割って入り、聖剣で受け止める。
「エレン!」
「杭だけを見ろ!」
「竜王は私が止める!」
「……はい!」
エレンは立ち上がる。
息を整えながら竜王を見据えた。
(違う……。)
(父上を倒すんじゃない。)
(救うんだ。)
その瞳は自然と胸元へ向く。
黒き杭。
そこだけが、まるで生き物のように脈打っていた。
ドクン――。
ドクン――。
黒い瘴気が杭から溢れ出し、竜王の全身へ流れ込んでいく。
「やっぱり……。」
エレンは小さく呟く。
「あれが全ての元凶か。」
その時だった。
「ギャァァァァァァッ!!」
数体の黒き異形が一斉にエレンへ襲い掛かった。
「邪魔をするな!」
エレンは剣を振るう。
ザシュッ!!
一体を斬り伏せる。
だが、その隙を狙うように二体、三体と飛び掛かる。
「くっ……!」
「数が……!」
「エレン!」
アリアナの声が響く。
翠色の風が一直線に駆け抜けた。
ザシュゥゥゥゥッ!!
異形がまとめて吹き飛ばされる。
「一人で抱え込むな。」
アリアナは細剣を構えたまま笑う。
「今は共闘だったな。」
エレンは力強く頷いた。
「ありがとうございます!」
その頃――
ヒルメの周囲では、神聖な光がゆっくりと大きくなり始めていた。
ヒルメは静かに目を閉じたまま、一歩も動かない。
杖を胸の前で掲げ、意識を深く沈めていく。
戦場の喧騒は、もうほとんど聞こえていなかった。
聞こえるのは――。
苦しみ続ける竜王の魂。
悲鳴。
怒り。
絶望。
そして、助けを求める微かな声。
「……待っていてください。」
小さく呟く。
「必ず……。」
「必ず、お救いします。」
杖の先から溢れる白い光が、先ほどよりもさらに強く輝き始める。
空気が震えた。
その光景を見たアテナは思わず息を呑む。
「すごい……。」
「これほどの神聖力……。」
フェネクスも目を細める。
「始まりました……。」
「ヒルメ様の魔力が、一気に高まっています。」
その時――。
「ギャァァァァァァッ!!」
異形の群れが再び押し寄せる。
今度は数十体。
「まだ来るか!」
エリスが舌打ちする。
聖剣を振るい、一体、また一体と斬り伏せる。
しかし、その分だけ体力も削られていく。
「はぁ……!」
「はぁ……!」
肩で息をする。
フェネクスの加護があるとはいえ、限界は近い。
アリアナも風を纏いながら異形を切り裂く。
「終わりが見えんな……!」
フレイヤは白銀に輝く戦斧を振るい続ける。
「オラァァァァァッ!!」
ドガァァァァァン!!
異形をまとめて吹き飛ばす。
「師匠!」
「まだいけるっすよ!!」
「ワウッ!」
シロも炎と氷を吐き、次々と異形を押し返す。
だが――。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
竜王が再び咆哮を放つ。
ドゴォォォォォォン!!
巨大な前脚が地面を叩きつける。
衝撃波が戦場全体を駆け抜けた。
「ぐっ!」
エレンが吹き飛ばされる。
エリスも片膝をついた。
「まだ……!」
「まだ倒れるわけにはいかん……!」
その視線の先には、目を閉じて詠唱を続けるヒルメ。
(あと少しだ。)
(あと少し耐えれば……。)
エリスは聖剣を握り直し、ゆっくりと立ち上がった。
「全員!」
「ここが正念場だ!!」
「ヒルメの詠唱が終わるまで、一歩たりとも退くな!!」
「「「おおおおおっ!!」」」
騎士団と竜族の雄叫びが、墓場に響き渡った。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
竜王が天を震わせる咆哮を放つ。
ドゴォォォォォォォォン!!
黒い瘴気が爆発するように噴き上がった。
「なっ……!」
アテナが目を見開く。
「瘴気が……増えている!?」
墓場を覆う黒い霧が渦を巻き、次々と異形の姿を形作っていく。
一体。
二体。
十体。
二十体――。
「嘘だろ……。」
騎士の一人が顔を引きつらせた。
「まだ増えるのか……。」
「怯むな!!」
エリスが聖剣を掲げる。
「ここで止めなければ、ヒルメの魔法は完成しない!!」
「前へ!!」
「「「おおおおっ!!」」」
騎士団と竜族が一斉にぶつかる。
剣と牙。
槍と爪。
炎と瘴気。
激しい戦いが再び始まった。
「オラァァァァァ!!」
フレイヤが白銀の戦斧を振るう。
ドガァァァァァン!!
異形がまとめて消し飛ぶ。
「まだまだぁぁぁ!!」
「ワウッ!!」
シロも炎を吐き、続けて白銀のブレスを放つ。
異形が浄化され、光となって消えていく。
「さすが師匠っす!!」
フレイヤは豪快に笑った。
その一方――。
エリスとエレンは竜王を相手に押され続けていた。
ガギィィィィィン!!
聖剣と竜王の爪が激突する。
「ぐっ……!」
腕が痺れる。
重い。
一撃ごとに身体が悲鳴を上げる。
エレンも剣を振るう。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
ザシュッ!!
斬撃が竜王の胸元を掠める。
しかし。
ジュゥゥゥゥ……。
瘴気が傷を覆い、瞬く間に塞がっていく。
「くそっ!」
「届かない!」
竜王は構わず前脚を振り上げた。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
「エレン!」
エリスが飛び込む。
ガギィィィィィン!!
衝撃で二人まとめて吹き飛ばされた。
ドサッ!!
地面を転がる。
「エリスさん!」
エレンが駆け寄る。
エリスは苦しそうに立ち上がった。
口元から血が流れている。
「大丈夫だ……。」
そう言ったものの、呼吸は荒い。
「もう……長くは保たん。」
その言葉に、エレンの表情が曇る。
その時だった。
後方から――
ゴォォォォォォォ……。
今までとは明らかに違う、神聖な力の奔流が戦場を包み始めた。
全員が思わず振り返る。
ヒルメの足元から、白銀の光が空へ向かって立ち昇っていた。
「これは……。」
アテナが息を呑む。
フェネクスは安堵したように微笑む。
「間に合いました……。」
「ヒルメ様の詠唱が、終わります。」
ヒルメはゆっくりと杖を天へ掲げる。
白銀の光が空へ昇り、雲を貫いていく。
静かに目を開いた。
その瞳は黄金色に輝いていた。
「高天原より照らしたまう、
万物を育みし太陽の御光よ。
清き風となり、
清き水となり、
清き炎となり、
天地に満ちる全ての穢れを祓いたまえ。
悲しみを癒やし、
憎しみを鎮め、
迷える魂へ安らぎを。
今ここに、
神々の御神威を顕現せよ――
我が願いは滅びではなく。
救済。
どうか、その御光で全てを包みたまえ――」
《天照ノ大祓》
ドォォォォォォォォォォッ――!!
白銀の光が世界を包み込んだ。
「なっ……!」
アテナが息を呑む。
黒く染まっていた墓場が、まるで朝日を浴びるように白銀の光へ染まっていく。
黒き異形たちが一斉に悲鳴を上げた。
「ギャァァァァァァッ!!」
その身体から黒い瘴気が剥がれ落ち、白い粒子となって宙へ舞う。
竜王もまた、苦しむように天へ咆哮した。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
胸へ突き刺さった黒き杭が――
ピシッ。
小さく、音を立てた。




