覚悟
「……違う」
ヒルメは小さく呟いた。
「あれが……」
「竜王さんを苦しめてる……?」
その視線は、竜王の胸へ深く突き刺さった黒い杭へ向けられていた。
黒い瘴気は、まるで杭を中心に溢れ出しているように見える。
胸へ刺さった杭から、絶え間なく瘴気が流れ込み、竜王の全身を覆っていた。
「……やっぱり」
ヒルメは確信したように頷く。
「あの杭」
「あれが瘴気の源です」
「何?」
エリスが驚いたように振り返る。
アリアナも竜王の胸へ視線を向けた。
「あの黒い杭のことか?」
「はい」
ヒルメは真剣な表情で頷いた。
「さっき私たちが傷を付けても、すぐに再生しました」
「でも……」
「あの杭から、新しい瘴気が流れ込んでいました」
「あれが竜王さんを回復させています」
アテナは息を呑む。
「なるほど……」
「だから、どれだけ攻撃しても傷が塞がってしまうのですね」
エリスは剣を握り直した。
「ならば、あの杭を壊せばいい」
しかしヒルメは静かに首を横へ振る。
「たぶん……」
「それだけじゃ駄目です」
「何?」
「杭そのものが、竜王さんの身体へ深く食い込んでいます」
「無理に壊したら……」
ヒルメは苦しそうに俯いた。
「竜王さんまで傷付けてしまいます」
重い沈黙が流れた。
エレンは拳を震わせながらヒルメを見る。
「じゃあ……」
「父上は助からないのか……?」
その声は今にも消えてしまいそうだった。
ヒルメはゆっくり首を横へ振る。
「いいえ」
「助けられるかもしれません」
エレンの瞳が大きく見開かれる。
「本当か!?」
思わず一歩踏み出す。
「父上を……!」
「助けられるのか!?」
ヒルメは小さく頷いた。
「でも」
その一言で空気が張り詰める。
「ピュリファイじゃ足りません」
「ソウルアセンションでも届きません」
エリスが眉をひそめた。
「どういうことだ?」
ヒルメは竜王を見つめながら説明する。
「ピュリファイは瘴気を祓う魔法です」
「でも、杭がある限り瘴気は無限に流れ込みます」
「だから、すぐに元へ戻ってしまう」
アテナも静かに頷く。
「先ほどの再生……」
「あれが証拠ですね」
「はい」
ヒルメは続けた。
「ソウルアセンションも同じです」
「魂を天へ送る魔法ですが……」
「あの杭が魂そのものを縛っています」
「だから届きません」
エレンは呆然と立ち尽くした。
「そんな……」
「じゃあ……どうすれば……」
ヒルメは杖を強く握り締める。
「もっと大きな浄化が必要です」
「墓場全体を包めるくらいの……」
「大規模な神聖魔法」
エリスが静かに尋ねる。
「使えるのか?」
ヒルメは少しだけ黙り込んだ。
そして、不安そうに微笑む。
「……分かりません」
「成功する保証もありません」
「私も、使ったことがないので」
フレイヤが驚いて目を丸くする。
「ぶっつけ本番っすか!?」
ヒルメは苦笑した。
「はい」
「でも……」
竜王を見つめる。
苦しそうな咆哮。
黒い瘴気。
胸へ突き刺さる杭。
「今やらなきゃ」
「きっと、もう助けられなくなる」
エリスは静かに剣を肩へ担いだ。
「ならば答えは一つだ」
アリアナも細剣を構える。
「お前が魔法に集中できる時間を作る」
アテナも杖を握る。
「私も援護します」
フレイヤは戦斧を担ぎ直し、ニヤリと笑う。
「全部ぶっ飛ばしてくるっす!」
「ワウッ!!」
シロも力強く吠えた。
その瞬間――
「ギャァァァァァァッ!!」
黒き異形の群れが、一斉にこちらへ向かって雪崩れ込んできた。
エリスは剣を構え、静かに笑う。
「……来たな」
「ヒルメ」
「お前は絶対に守る」
「迎え撃て!!」
エリスの号令と共に騎士団が駆け出す。
アリアナも風を纏い、異形の群れへ飛び込んだ。
「フレイヤ!」
「シロ!」
「竜族の援護を!」
「了解っす!!」
「ワウッ!!」
その時だった。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
竜王が再び咆哮を上げる。
巨大な口がゆっくりと開き、赤黒い魔力が収束していく。
エレンの顔色が変わった。
「ブレスだ!!」
しかし。
異形へ拘束された竜族は逃げられない。
「離れろぉぉぉ!!」
必死にもがく。
だが間に合わない。
ドォォォォォォォォォン!!
漆黒のブレスが一直線に放たれた。
「グァァァァァァァァッ!!」
拘束されていた竜族が正面からブレスを受け、巨大な身体ごと吹き飛ばされる。
墓石を砕きながら地面へ叩き付けられ、苦痛の咆哮が墓場へ響いた。
「父上ぇぇぇぇぇ!!」
エレンは叫びながら飛び出した。
「もうやめてください!!」
「お願いです!!」
「これ以上、仲間を傷付けないでください!!」
一直線に竜王へ駆け出す。
「待て!!」
エリスが地面を蹴る。
ドンッ!!
エレンを突き飛ばし、自らもその場から飛び退いた。
次の瞬間。
ドォォォォォォォォォン!!
漆黒のブレスが二人のすぐ横を薙ぎ払い、大地を大きく抉る。
砕けた墓石が雨のように降り注いだ。
「エレン!!」
エリスが怒鳴る。
しかし、エレンは再び立ち上がろうとする。
「父上が……!」
「助けないと……!」
「私が――」
バシィィン!!
乾いた音が戦場へ響いた。
エレンの身体がよろめく。
叩かれた頬を押さえ、呆然とエリスを見つめた。
エリスは怒りを押し殺した表情で睨み付ける。
「目を覚ませ!!」
「お前がそんな有様でどうする!!」
エレンは何も言えない。
ただ唇を震わせるだけだった。
「お前が指揮を執らなければ!」
「竜族は全滅するぞ!!」
その言葉に、エレンの肩が震えた。
「何をしている!」
「ヒルメが可能性を示してくれた!」
「父を救う方法を見つけてくれたんだ!!」
エリスはエレンの胸ぐらを掴み、力強く引き寄せる。
「お前は今の王なのだろう!!」
「しっかりしろ!!」
エレンは俯いたまま、拳を強く握り締めた。
身体が震える。
悔しさ。
悲しさ。
そして、自分の無力さ。
様々な感情が胸の中で渦を巻いていた。
「父上……」
小さく漏れたその声は、涙と共に消えていく。
やがて、エレンはゆっくりと目を閉じた。
深く息を吸う。
そして――。
静かに涙を拭った。
ゆっくりと立ち上がる。
その瞳には、先ほどまでの迷いはなかった。
エリスは小さく頷く。
「それでいい」
エレンは父である竜王を真っ直ぐ見据えた。
苦しみ続けるその姿を、胸へ刻み込む。
「……父上」
「必ず、お救いいたします」
そう呟くと、大きく振り返った。
戦場では今なお、竜族が黒き異形に押し込まれている。
傷付き、倒れ、それでも必死に戦い続けていた。
エレンは胸いっぱいに息を吸い込む。
「皆の者!!」
その声は戦場中へ響き渡った。
戦う竜族たちが、一斉にエレンへ視線を向ける。
「聞け!!」
「これより我らは作戦を変更する!!」
一頭の竜族が叫ぶ。
「ですが、エレン様!」
「あれは……元王ではありませんか!」
「本当に戦うのですか!」
戦場が静まり返る。
エレンはゆっくりと首を横へ振った。
「あれは……」
父を見つめる。
そして、静かに言い放つ。
「あれは王であって……」
「王ではない者だ」
「父上は、あの瘴気に囚われている」
「だからこそ」
「私たちが救い出す」
エレンは剣を高く掲げた。
「全竜族に命ずる!」
「直ちに人型へ変身しろ!!」
「竜の姿では空から狙われる!」
「それでは、ただの的だ!!」
「地上で迎え撃つ!!」
「これより!」
「我ら竜族は、人族と共に戦う!」
エレンの声が墓場へ力強く響き渡る。
「ヒルメ殿が、父上を救う唯一の希望だ!」
「その魔法が完成するまで――」
剣を真っ直ぐヒルメへ向ける。
「全竜族は、命に代えてもヒルメ殿を守れ!!」
一瞬の静寂。
そして――。
「「「オオオオオオオォォォォッ!!!」」」
竜族たちの雄叫びが戦場を震わせた。
眩い光が次々と溢れ出す。
巨大な竜の身体が光に包まれ、人の姿へと変わっていく。
それぞれが剣を抜き、槍を構え、斧を握る。
一人の老竜が静かに前へ歩み出た。
「エレン様」
「必ず、お守りいたします」
別の若い竜族も剣を掲げる。
「竜王様は、必ず我らの手で救い出す!!」
「行くぞ!!」
「「「ウォォォォォォォォォォッ!!!」」」
人型となった竜族たちが一斉に地を蹴る。
その様子を見たエリスは、小さく笑みを浮かべた。
「ようやく、本当の共闘だな」
アリアナも細剣を構え直す。
「ああ」
「ここからが本番だ」
フレイヤは戦斧を肩へ担ぎ、豪快に笑う。
「燃えてきたっす!!」
「ワウッ!!」
シロも力強く吠え、竜族と肩を並べるように前へ出た。
ヒルメはそんな皆の背中を見つめる。
胸が熱くなる。
「みんな……」
杖を強く握り締める。
「必ず……」
「竜王さんを助けます」
その決意に応えるように、杖の先から淡い光が溢れ始めた。
しかし、その光を嘲笑うかのように――。
「グォォォォォォォォォォォッ!!」
竜王の咆哮と共に、無数の黒き異形が一斉にヒルメへ襲い掛かった。
「来るぞ!!」
エリスが聖剣を掲げる。
「総員!」
「ヒルメを守れ!!」
「「「はっ!!」」」
騎士団が一斉に前へ飛び出した。
その横を、人型となった竜族たちが駆け抜ける。
「竜王様をお救いするぞ!!」
「ヒルメ殿へ近付けるな!!」
黒き異形が牙を剥き、飛び掛かる。
一人の竜族が剣を振るった。
「はぁぁぁっ!!」
ザシュッ!!
異形の身体が真っ二つに裂ける。
しかし――。
ボコボコボコッ……。
黒い瘴気が集まり、裂かれた身体が再び形を取り戻していく。
「再生しただと!?」
竜族が目を見開く。
「怯むな!!」
エリスが叫ぶ。
聖剣を振るい、迫る異形を次々と斬り伏せる。
「倒すことが目的ではない!」
「ヒルメを守れ!!」
「時間を稼ぐんだ!!」
「「「了解!!」」」
アリアナは風を纏い、異形の群れへ飛び込んだ。
「風を司る精霊よ。
我が剣へ集いて、
全てを断つ疾風となれ!」
《シルフィード》
翠色の風が唸りを上げる。
ザシュゥゥゥゥッ!!
異形がまとめて吹き飛ばされた。
「フレイヤ!」
「右を頼む!」
「任せるっす!!」
フレイヤは豪快に笑い、戦斧を振り上げる。
「オラァァァァァ!!」
ドガァァァァァン!!
炎を纏った一撃が、異形をまとめて薙ぎ払う。
「ワウッ!!」
シロも炎と氷を吐き分け、ヒルメへ近付く異形を次々と押し返していく。
その間にも、フェネクスは上空を旋回していた。
「ヒルメ様!」
「負傷者は私にお任せください!」
《エターナル・フレア》
暖かな紅蓮の炎が仲間たちを包み込み、傷を癒していく。
しかし、異形の数は減らない。
一体倒せば二体。
二体倒せば四体。
瘴気の中から、次々と新たな異形が姿を現す。
エリスは歯を食いしばった。
「まだか……!」
ヒルメは静かに目を閉じる。
仲間たちの剣戟。
竜族の咆哮。
異形の叫び。
全てが遠く聞こえていた。
今、集中を切らすわけにはいかない。
「お願い……」
杖を胸の前で握り締める。
「どうか……」
「みんなを守る力を貸してください」
エリスが異形を斬り伏せながら叫ぶ。
「ヒルメ! 今だ!」
アリアナも背中合わせに剣を振るう。
「ここは私たちが守る!」
フレイヤが豪快に笑う。
「全部任せるっす!!」
人型となった竜族たちも一斉に咆哮を上げる。
「ヒルメ殿を守れぇぇぇ!!」
「絶対に近付けるな!!」
無数の異形が押し寄せる。
剣戟。
咆哮。
爆炎。
墓場全体が戦場と化す中、ヒルメだけは静かに目を閉じた。
杖を胸の前で握り締める。
「どうか……」
「みんなを助ける力を……」
ヒルメは深く息を吸い込み、静かに詠唱を始めた――。




