06:稽古
扉の開く音で、メルは目を覚ました。
「……まだいたのか」
メルが顔を上げると、赤いクロークの男が立っていた。
眠っていたせいで体が重い。だが、メルはすぐに立ち上がる。
「……教えてくれ」
懲りずに頼み込む。それを聞いた赤い男はため息をつく。そのまま何も言わず、建物の中へ引っ込んでいく。
断られたのかと思った。だが、しばらく待っていると、男は荷物を持って再び出てきた。
「いつまでもそこにいられると困る。ついてこい、少し稽古をつけてやる」
その言葉に、メルの表情が一気に明るくなる。
「本当か!」
男は答えない。代わりに、赤い布を放って寄越した。慌てて受け取る。
「それを被れ。獣人だとばれたら、またあいつみたいなのに追い回されるぞ」
赤い布――クロークを見下ろす。正直、かなり目立つ色だと思った。だが、ここで何かを言って機嫌を損ねるのはまずい。メルは何も言わず、それを羽織った。
ぶかぶかだった。獣耳と尾は隠れる。だが、裾が長すぎて、歩くたびに地面を擦ってしまう。
男はそのまま歩き出した。慌ててメルは追いかけた。
男についていくと、少し開けた場所に出た。廃材置き場のような場所だった。折れた木材、錆びた金属、壊れた樽。様々なものが無造作に転がっている。
「武器を持ったことはあるか?」
男が聞いてくる。
「ああ、森で狩りをするときに剣とか槍とか弓とか使っていた」
それを聞くと、男は近くに落ちていた鉄パイプを拾い、メルへ投げ渡した。
「それを持って、俺に全力で攻撃してみろ」
「いいのか?」
男は頷く。メルは迷うことなく鉄パイプを上段に構えて、踏み込む。あの拳の一撃を見ているため、男が自分の攻撃で怪我をするとは考えていない。手加減なしの本気の一撃を食らわせるつもりだった。
鉄パイプを上から振り下ろす。目いっぱいの腕力と全体重を乗せた一撃だ。男の頭を狙った攻撃は──いとも簡単に止められた。
男はその場から一歩も動くことなく、素手で鉄パイプをつかんでいた。メルが引いても、びくともしない。
「ある程度は動けるな」
手を離されると、メルは後ろにたたらを踏む。
「……力強すぎだろ」
力仕事をすると交渉していたが、この男には必要がなさそうだった。
「次は俺が攻撃する。避けるか、防いでみろ」
そう言うと、落ちていた棒切れを手に取り、メルに近づいてきた。棒が振られる。メルは余裕をもって回避する。
もう一度。さらにもう一度。最初は簡単だった。だが、繰り返されるうちに、男の動きが速くなっていく。
回避が追いつかなくなる。そして初めて、メルは鉄パイプで攻撃を受けた。
金属音が響く。
そこで、男の動きが止まった。そしてメルをじっと見つめてくる。
「な、なんだよ」
「お前、あの男程度なら勝てたんじゃないか?」
メルは目を見開いた。
「え?」
「どうして逃げもせずに座り込んでた?」
男は心底不思議そうに聞いてくる。メルはあの時を思い出す。
「……怖くて、動けなかったんだ。悪いかよ?」
吐き捨てるように言う。
「悪いな」
男は即答した。
「実戦で動けないなら、強くなっても意味がない」
ばっさりと言い切られる。メルは男を睨む。だが、反論はできなかった。正しいからだ。小さく舌打ちすることしかできない。
「肉体を鍛えるより、精神の方を鍛えたほうがいい」
「どうやったら鍛えられるんだよ、それ」
言っていることは理解できるが、鍛え方が分からない。メルは鉄パイプをくるりと回した。
その瞬間だった。
悪寒が走る。
反射的に男の方を見る。目が離せない。息が荒くなる。
――殺気。
尋常ではない圧力が、男から放たれていた。
「これで、攻撃をよけてみろ」
男が一歩、踏み出す。それだけで、メルの背筋が凍った。視界が狭まる。体が勝手に危険を訴えている。
「……無理か」
男の気配が霧散する。
メルはその場にへたり込む。呼吸を整えるのにしばらく時間がかかった。気がつくと、自分が鉄パイプを落としていたことに気が付いた。
「お前には、戦う才能はない。諦めろ」
男はそう言って棒切れを放り投げ、そのまま立ち去ろうとする。
「待ってくれ!」
メルは慌てて鉄パイプを拾い、立ち上がった。
「もう一回頼む! あたしは強くならなきゃいけないんだ!」
男が立ち止まり、振り向く。
「・・・なぜ、そこまでして強くなりたい?人間への復讐のためか?」
メルは鉄パイプを正面に構える。
「自由に生きるためだ」
奴隷として生きるのはまっぴらごめんだ。死にたくないのと同じくらいに、自由に生きたいという想いは強かった。しばらく、男はメルを見ていた。
「……お前の名前は?」
不意に聞かれる。
「メル」
答えた瞬間。再び殺気が叩きつけられた。恐怖はある。しかし、これを越えなければスタートラインにすら立てない。必死に耐える。
男が近づいてくる。体の震えが止まらない。それでも、武器を手放すことはなかった。
「避けろよ、メル」
その声と同時に、拳が放たれる。あの鎧の男を一撃で沈めた拳。
時間がゆっくりになる。
――こんなところで終われない。
体が動く。だが、間に合わない。避けれもしない、防げもしない。
もう拳が目の前まで迫っている。
次の瞬間。
拳が、顔面すれすれで止まった。
風圧でフードがめくれ、獣耳が露わになる。
「……さっきよりはよくなったな」
こぶしを引いて、男がそう評価した。殺気はなくなっている。
体が崩れ落ちそうになるが、歯を食いしばって耐えた。荒くなった息を整える。
「まだ、やれる。もう一回だ」
「いや、ここまでだ。俺は仕事に行く」
乱れた衣服を整えながら男が言った。
まだ何も掴めていない。まだ恐怖を越えられていない。メルは再び口を開こうとした。
「あたしは、まだ──」
「毎日朝と夜、この場所に来い」
言葉を遮るように、男が言う。一瞬遅れて、意味を理解する。稽古を続けてくれる。
男はメルへ背を向け、そのまま歩き出した。
「……あんた、名前は?」
「グリム」
振り返らないまま、男――グリムは答えた。
「グリム……あ、ありがとう。稽古つけてくれて」
返事はなかった。その背中は止まらずに歩き続けていた。




