05:出会い
腹に強烈な痛みが走り、メルは目を覚ました。
「うっ」
息が詰まり、ごろごろと石畳を転がる。顔を上げると、鎧を着た男が立っていた。寝る前に、遠目に見た男であった。にやにやとこちらを見下ろしている。どうやら、男に蹴飛ばされたらしい。まだ、痛みが腹に残っている。
「痛い目を見たくなかったら──」
男が言い終わる前に、メルは立ち上がり、走り出した。
「おい!止まれ!」
メルは振り返らない。路地の奥のほうへとかけていく。どれくらい寝ていたのか分からないが、まだ日は出ていない。それほど時間はたっていないように思えた。後ろから、金属の音が聞こえる。捕まったら、終わってしまう。
走る。走る。走る。
しかし、後ろから迫る音は消えない。
「あっ」
角を曲がろうとしたとき、足がもつれた。前のめりに倒れ、肩から石畳へ叩きつけられる。人のいない路地裏の奥へ逃げてきたのは失敗したかもしれない。急いで、体勢を立て直そうとする。
「手間をかけさせやがって」
追いついた男が、腰の剣を引き抜く。
その瞬間――メルの脳裏に、集落が襲われた時の光景が蘇った。
燃え上がる家。
逃げ惑う獣人たち。
剣を持ち、馬に乗って追い回す人間。
自分を庇って倒れた家族。
押さえつけられ、左肩へ熱い鉄を押し当てられた感覚。
立ち上がろうとしても、体が動かない。男が近づいてくる。それを見ていることしかできなかった。
涙で視界がぼやける。同時に、温かいものが足元を濡らしていく。恐怖で、体が勝手に震えていた。
男が手を伸ばしてくる。
――こんなところで、終わるのか。
その時だった。
男の手が、途中で止まる。続けて、顔を右のほうへ向けた。
メルも遅れて、そちらへ向く。
いつの間に、そこにいたのだろうか。一人の人間が立っていた。赤いクロークを羽織った男。恐怖で足音にも気づけなかったのかもしれない。深く被ったフードのせいで表情は見えない。片手には、何かの入った布袋をぶら下げていた。
「なんだ、お前は」
鎧の男が、赤い男に向き直り低い声で話しかけた。しかし、赤い男は返事をせずに鎧の男の横を通り抜けようとする。メルのことはおろか、鎧の男さえもそこに存在しないように歩き出した。
「おい!なめてんのか!」
赤い男の胸ぐらがつかまれる。その勢いで、フードがめくりあがった。
露わになったのは、金髪碧眼の顔。年は二十代から三十代くらいだろうか。鋭い眼差しをしているが、顔の造形そのものは整っている。だが、その均整は、右半分で大きく崩れていた。
顔の右側を覆うように、焼け爛れた痕が広がっている。皮膚は歪み、色も質感も左側とは別物だった。右目は白く濁り、見えているのかどうかすら判然としない。
それでも、残された左目だけが、獲物を射抜くように男を捉えていた。
「なっ」
鎧の男が息を呑み、わずかに後ずさる。
次の瞬間。
男の体が崩れ落ちた。
獣人のメルの目に、ぎりぎり見える程度の速度だった。赤い男の拳が、鎧の男の顎を打ち抜いていた。あまりに速く、傍から見れば男が勝手に倒れたようにしか見えない。
そのまま、赤い男はフードをかぶりなおして、歩き始める。メルのことなど見えていないかのように。
鎧の男は完全に気を失っており、動く気配がなかった。メルはしばらく、その場で呆然としていた。今起きたことを頭の中で整理する。あの男に助けられた。メルだけではあの場面を切り抜けることはできなかった。
そして理解した。今の自分には、強さが足りない。
この街で生きるには。逃げ続けるには。強くならなければいけない。
立ち上がり、赤い男の後を追う。自分のもので濡れた衣服が気持ち悪かったが、気にせず走る。
「まってくれ!」
赤い背中が見えてくる。男は振り返らない。歩みを止めない。そのまま、追い越して男の目の前に立つ。ようやく、男の足が止まった。
「・・・まず、ありがとう。助かった」
人間に感謝するのは癪だが、助けられたのは事実だ。パンを置いていった少年のように、人間にも優しい者はいるのかもしれない。この男も、その類なのではないか。そんな希望的な考えが頭をよぎる。
「・・・突っかかれたのを、払っただけだ」
助けた、というよりは結果として助ける形になったということだろう。そう言って、メルから視線を外し男は歩き出す。
「お、お願いがあるんだ!」
メルは慌てて後を追う。
「あたしに、その強さを教えてくれないか?」
この男がやさしさで助けたわけではないことはわかった。だから、無条件で引き受けてくれはしないとも分かっている。実際に男はメルを見ることもなく歩き続けていた。
「代わりに荷物運びでも何でもする!力仕事だってできる!人間より力はあると思う、だから――」
「奴隷はいらない」
強く否定されて、言葉に詰まる。今のメルが持っているものは、自身の労働力しかない。これを断られた時点で、交渉は失敗だった。そもそもメルは頭がいいとは言えないし、まだ子供だ。あとは、感情ですがるしかない。
そこから、メルはお願いをし続けたが、返事はかえってこなかった。しかし、不思議なことに追い返されたりはしなかった。りんごだけを投げて追い返した男のように騙そうともせず、パンをくれた少年のように優しくすることもない。完全にこちらに興味がないようだった。それが、逆にメルを安心させたのかもしれない。
ふいに建物の前で男が立ち止まった。それからメルを見る。はあ、とため息をつきながら、扉に手をかけて中に入っていった。
最後まで、メルの言葉は無視された。しかし、この人間にメルは何かを感じていた。男が入っていった建物の前に座り込む。まだ、諦めてはいなかった。




