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グリモワール  作者: えんぺら
第二章:消えない傷
29/30

29:因縁

 夜の森は、不気味なほど静かだった。


 湿った土を踏みしめながら、グリムは木々の間を進む。頭上では枝葉が絡み合い、月明かりをほとんど遮っていた。腰に付けたランタンだけが辺りを照らす。吹き抜ける風が葉を揺らし、ざわざわと耳障りな音を立てる。


 冒険者ギルドから受けた依頼は、“森に現れた大型の魔物の討伐”。夜にその魔物の目撃情報が多いらしい。魔物の詳細は分かっていないが、被害報告だけは多い。


 グリムは周囲を見渡す。森に入ってからかなり歩いている。にもかかわらず、魔物と遭遇しない。小型の獣すら姿を見せなかった。


 普通ではない。大型の魔物が縄張りを作れば、周囲の生態系はもっと露骨に変化する。獣や弱い魔物は逃げ惑い、森全体に緊張感が広がるものだ。だが、この森は妙に静かだった。


「……面倒な依頼を引いたか」


 ぼそりと吐き捨てる。その時だった。こちらへ一つの足音が向かってくる。グリムはそちらへ目を向ける。


 仮面をつけた男がこちらへ歩いてきていた。白い仮面が、月明かりを受けてぼんやり浮かんでいる。年齢も表情も分からない。グリムは無言で剣の柄へ手をかける。


「誰だ」


 男は数歩手前で立ち止まると、敵意がないことを示すようにゆっくり両手を上げた。


「安心してください。あなたと敵対するつもりはありません」


 落ち着いた声だった。仮面の男は軽く一礼する。


「私は帝国レジスタンスの者です」


「レジスタンスだと?」


「ええ」


 男は静かに頷いた。


「本日は、あなたを勧誘しに参りました」


 グリムの眉がわずかに動く。


「あなたの過去は知っています、グリムさん」


 仮面の奥から声が響く。


「共に王国を打倒しませんか?」


 グリムは男を睨んだまま、口を開く。


「……帝国レジスタンスなんてもの、聞いたことがないな」


「表立って活動しておりませんから」


 男は淡々と答えた。


「急いては事を仕損じる。今はまだ、力を蓄える段階なのですよ」


「……俺を勧誘するのは、過去を知っているからか?」


 グリムの声には警戒が滲んでいた。男は小さく肩をすくめる。


「それもありますが……実を言うと、あなたがこの都市にいることは偶然知ったのです」


「……」


 グリムは黙ったまま男の話を聞く。


「最近、我々の拠点近くまで来た冒険者を追い払うため、トロールをけしかけましてね」


 そこで、男はわずかに笑った気配を見せた。


「あなたが、それを一撃で倒すところを見ていたのですよ」


「はあ……」


 グリムは深く息を吐いた。


「つまり、この依頼そのものが俺を呼び出すための嘘だったわけか」


「そういうことです」


 仮面の男はあっさり認めた。


「ご足労をおかけしたことについては謝罪します。しかし、誰かに聞かれるわけにはいかなかったもので」


「……まあ、そうだろうな」


「それで、どうでしょう」


 仮面の男が一歩だけ距離を詰める。


「我々と共に来ていただけませんか?」


「断る」


 即答だった。男は少しだけ肩をすくめる。


「我々はあなたを奴隷扱いなどしませんよ。あなたほどの実力者なら、相応の立場を用意できます」


「そういう問題じゃない」


 グリムは冷めた声で返した。


「帝国は負けたんだ。今さら戦ったところで、結果は変わらない」


「違います」


 仮面の男の声色が変わる。先ほどまでの穏やかさが消え、熱が滲んでいた。


「帝国は内部から瓦解したのです」


 男は拳を握り締める。


「あのまま戦争を継続していれば、勝っていたのは我々でした」


「どうだかな」


 グリムは鼻で笑う。その反応に、男の声へさらに力が入った。


「帝国は王国のように、種族だけで人を値踏みする国ではありませんでした。技術も魔法も人材も帝国のほうが優れていたのです!」


「その分、問題も多く抱えていた」


「……っ!」


 仮面の男の声が詰まる。感情的になりかけたのを押し殺すように、拳を強く握り締めていた。


 グリムはそんな男を見ながら、ゆっくりと剣の柄から手を離す。その仕草を見て、男もわずかに冷静さを取り戻したようだった。


「……あなたは、獣人と共に冒険者活動をしていましたよね」


 探るような口調だった。


「我々と同じ思想を持っていると思っていたのですが。違ったのですか?」


 グリムはすぐには答えなかった。脳裏へ浮かんだのは、鋭い目つきの獣人の少女。


「……今、隣にいないのが答えだ」


 感情の読めない声だった。


 森の空気が張り詰める。仮面の男はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……あなたは王国側につくのですね。残念です」


「勘違いするな。お前らが王国と戦うなら、好きにすればいい。俺は止めない」


 ランタンの火が揺れる。


「ただ、その戦いに俺は加わらない。それだけだ」


「そうですか」


 仮面の男は静かに頷いた。先ほどまでの熱は消えている。


「なら、もう構いません。冒険者ギルドには適当に報告してください」


「……俺を殺さないのか?」


 グリムは淡々と尋ねた。レジスタンスとしては、自分は存在を知られた部外者だ。口封じをされてもおかしくはない。


 男は小さく肩をすくめた。


「あなたの強さは知っています。勝てない相手に喧嘩を売るほど、我々も愚かではありませんよ」


 そう言い残し、男は背を向けた。黒い外套が森の闇へ溶けていく。グリムはその背中を黙って見送った。


 冒険者ギルドへどう報告したものか。そんなことを考え始めた、その時だった。


 ずしん。


 地面が小さく揺れる。続けて、重い足音。木々の奥から、何か巨大なものが近づいてきていた。


「……嘘つきめ」






     ◇





 仮面の男は、森の奥に築かれた拠点へ戻ってきていた。


 洞窟を利用した簡素な拠点だった。壁際には粗末な寝床と木箱。中央には地図の広げられた机。その奥では、赤黒い光を放つ巨大な魔法陣が淡く脈動している。


 部屋へ入った瞬間、待機していた男が立ち上がった。


「どうでしたか?あの男は首を縦に振りましたか?」


「いえ、断られました」


「……そうですか」


 男は落胆したように視線を落とした。


「獣人とパーティを組んでいたようでしたので、同志になってくれるかと思ったのですが……違いましたか」


「あてが外れましたね」


 仮面の男は淡々と言う。


「それよりも、早急に始末する必要があります」


 部屋の空気がわずかに張り詰めた。


「足止め用の魔物は召喚してきましたが、長くはもちません。あの男が街へ戻れば厄介なことになります」


 仮面越しの視線が、部屋の奥に描かれた魔法陣へ向く。


「あの魔法陣は、すぐ使えますか?」


 床に刻まれた複雑な紋様。有事の際に使用するため、拠点の中に準備していたものだ。


 問いかけられた男は、わずかに顔をこわばらせる。


「あの魔法陣を使うのですか?」


「問題がありますか?」


「いえ……たしかに、あの男を確実に始末するなら、あれを使うしかないとは思いますが……」


 言葉を濁す。仮面の男は静かに続けた。


「もともと、勧誘を断られた場合は始末する予定でした」


 その声には迷いがない。


「そのために、あの角人を攫ったのですから」


「ええ、それは理解しています」


 男は苦い顔で頷く。


「しかし、魔法陣の起動には、あの角人の協力が必要です。ですが未だ協力的な姿勢を見せていません」


 小さく息を吐く。


「脅しても、多少の拷問をしても……頑なに拒否しています」


 帝国は、異種族との共存を理念として掲げていた。だが理想を成し遂げるためには、犠牲も必要になる。あの角人は尊い犠牲なのだ。


「時間がありません」


 仮面の男の声が低くなる。


「街へ戻られれば、始末するのは難しくなります。ここで確実に殺すべきです」


「それは分かります。ですが、角人の協力が得られなければ——」


「あなた方の命を削りなさい」


 空気が止まった。


「……は?」


 男が間の抜けた声を漏らす。仮面の男は冷たく続けた。


「寿命を使え、と言ったのです」


 赤黒い魔法陣を見下ろしながら、淡々と告げる。


「角人の協力を得るのが難しいのであれば、あなたたちが代わりを果たせばいい」


 仮面がゆっくり振り返る。


「魔術師が五人もいれば足りるでしょう」


「ま、待ってください!」


 男の顔色が変わった。


「あの男一人を始末するために、それほどの戦力を使い潰すのですか!?もう少し慎重に——」


「あなたは帝国の復活を望んでいないのですか?」


 仮面の男が言葉を遮る。男が息を呑んだ。


「あの男から情報が漏れれば、全てが水の泡になるかもしれないのですよ?」


「し、しかし……」


「やりなさい」


 有無を言わせぬ声だった。男は仮面を外す。露わになった顔は無表情だが、目には狂気を宿していた。


「これは命令です」

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