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グリモワール  作者: えんぺら
第二章:消えない傷
24/30

24:メイド

 朝食が終わった後、メルはマルガレーテに連れられて屋敷の廊下を歩いていた。


 あまり認めたくはないが、先ほどの朝食は今まで食べたどんな食事よりもおいしかった。焼きたてのパンも、温かいスープも、新鮮な野菜のサラダも、メルの舌を素晴らしく刺激した。


 悔しいので口には出さなかったが。


「メル様には、フォルク様と同じように私の仕事を手伝っていただきます」


 先を歩きながら、マルガレーテが穏やかな声で言う。


「仕事って、何をやるんだ?」


「掃除、洗濯、料理、買い出しなどですね」


 メルは露骨に顔をしかめた。ここで働くといったのは自分だが、退屈そうな仕事だと思った。


「生活の基盤を整えるのは大事なことですよ」


 そんな内心を見透かしたようにマルガレーテは言ってきた。


「まずは身だしなみを整えましょう」


「整える?この格好でも仕事はできるだろ?」


 通された部屋には、大きな鏡と椅子、それから見たこともない道具が並んでいる。メルがじりっと後ずさる。


「……何する気だ」


「まずは髪を整えましょう」


「必要ない」


「必要です」


 即答だった。マルガレーテはにこやかな笑顔のまま、ぐいぐい距離を詰めてくる。


「その長さだと、戦う時にも邪魔でしょう?掴まれる危険もありますし」


「う……」






 鏡にメルの姿が映る。肩口あたりまであった髪はかなり短く整えられていた。確かに動きやすそうではある。マルガレーテは満足そうに頷いている。


「とてもお似合いですよ」


「……」


 メルは短くなった髪の先をいじる。


「フォルク様もきっと褒めてくださいます」


「関係あるか?」


 そんなメルを見て、マルガレーテはくすりと笑う。


「では次は、こちらに着替えましょうか」


 差し出されたのは、黒と白を基調とした服。マルガレーテが着ている服と同じ──メイド服だった。メルは数秒固まったあと、ゆっくり顔を引きつらせる。


「……この服のままでいい。こっちのほうが動きやすいだろ」


「大丈夫ですよ。サイズは調整してありますので、働くのに支障はないと思います」


「こんなひらひらしたの──」


「ここで働くのでしたら、着ていただきます」


 マルガレーテは笑顔のままだ。しかし、その声音には妙な圧があった。






 鏡の前に立たされたメルは、居心地悪そうに自分の姿を見ていた。


 黒と白を基調としたメイド服は、思っていたよりも身体に合っている。短く整えられた髪とも妙に馴染んでいて、屋敷の雰囲気にも自然に溶け込んでいた。


「とてもお似合いですよ」


「……」


 メルは眉をひそめながらスカートの裾を引っ張る。


 こんな服を着たのは初めてだった。そもそも、どうして服の下半分がこんな形になっているのか理解できない。落ち着かないし、足元が妙にすうすうする。ただ、思っていたよりは動きやすかった。





「では、まずは掃除から始めましょうか」


 案内されたのは、屋敷の長い廊下だった。マルガレーテは桶と布、それから見慣れない棒状の道具──モップをメルへ手渡してくる。


「まずは床拭きです」


 そう言うと、マルガレーテは慣れた手つきでモップを動かし始めた。無駄のない滑らかな動きで床を磨いていき、通った場所が鏡のように光っていく。


「こんな感じです」


「……地味だな」


「大事な仕事ですよ」


 マルガレーテは穏やかに言った。メルも渋々モップを手に取り、見よう見まねで床を拭き始める。


 数十分後。


「この屋敷、広すぎじゃないか?」


 額に汗を浮かべながら、メルがうんざりした声を漏らす。もう何度も桶の水を取り替えていた。


「はい。ですので、皆で手分けして掃除しております。フォルク様は今ごろ二階の清掃をしていますよ」


 対照的に、マルガレーテは涼しい顔だった。メルが雑に済ませようとした瞬間、丸めた布がぽすっと頭へ飛んでくる。


「そこ、拭き残しです」


「う……」


「隅まできちんと掃除しないと、埃はすぐ溜まってしまいますからね」


 マルガレーテはそう言いながら、隅に残った汚れを器用に拭き取っていく。







 昼前になってようやく掃除が終わると、今度は厨房へ連れて行かれた。


 中には香ばしい匂いが充満している。大鍋ではスープが煮込まれ、焼きたてのパンが並び、すでに何人もの使用人たちが慌ただしく働いていた。


「次は料理です」


「料理はできるぞ。森で暮らしてたころ、よく手伝ってたからな!」


 メルは胸を張って得意げに言う。


「では、この野菜を切っていただけますか?」


「任せておけ」


 自信満々に包丁を握る。


 数分後。


「……どうして全部大きさが違うんですか?」


「いや、食えれば同じだろ?」


 まな板の上には、不揃いに切られた野菜が散乱していた。厚さも形もばらばらで、中には妙に潰れているものまで混ざっている。


 マルガレーテは深々とため息をついた。


「……では、まずは切り方から覚えましょうか」


「そんな細かいこと必要か?」


「必要です」


 即答だった。


 その後も、野菜を床へ落とし、皿を割りかけ、熱い鍋に触れて飛び跳ねるメルを見ながら、マルガレーテは呆れ半分、感心半分といった様子で根気強く教え続ける。




 料理を載せたトレーを運びながら、メルは隣を歩くマルガレーテへ視線を向けた。


「マルガレーテは、いつからここにいるんだ?」


「実は、私もここへ来たのは最近なんですよ。もともと家事は多少できましたので、こうしてメイドとして働けていますが、まだまだ見習いです」


「そうなのか?」


 メルは少し意外そうに目を瞬かせる。


「手際がいいから、てっきりずっと働いてるのかと思ってた」


「ふふ、そう言っていただけると嬉しいですね」


 マルガレーテは柔らかく笑ったあと、複雑そうな表情をして口を開いた。


「覚えていないかもしれませんが、私もメル様と同じ馬車に乗せられていたんですよ?」


「ええ!?」


 メルは思わず大きな声を上げる。


「……言われてみれば、いたような、いなかったような……」


「あの時のメル様は、それどころではなかったのでしょう」


 マルガレーテは苦笑しながら続けた。


「私も、かなりひどい状態でしたし」


 メルは少し気まずそうに頭を掻く。


「そうか……でも、お互い無事でよかったな!」


「はい。私も、また会えて嬉しいです」


 マルガレーテはそう言って微笑み、それから少しだけ悪戯っぽい顔になった。


「……でも、メル様が馬車を飛び出す時、私のことを蹴りましたよね?」


「うっ」


 メルの肩がびくりと跳ねる。


「ご、ごめん。あの時は必死で……」


「ふふ、冗談ですよ」


「……冗談とか言えたのか」


「失礼ですね」


 くすくすと笑うマルガレーテを見て、メルも少しだけ肩の力を抜いた。


「あたしのことは“様”つけなくていいぜ。同じ馬車に乗ってた仲なんだし」


 その言葉に、マルガレーテは少しだけ目を丸くする。


「では、私のこともグレーテと呼んでください。メルさん」


「“さん”もいらない。というか敬語じゃなくていい」


 メルは照れ隠しのように視線を外しながら言った。


「よろしくな、グレーテ」


「はい。よろしくお願いします、メルちゃん」

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