24:メイド
朝食が終わった後、メルはマルガレーテに連れられて屋敷の廊下を歩いていた。
あまり認めたくはないが、先ほどの朝食は今まで食べたどんな食事よりもおいしかった。焼きたてのパンも、温かいスープも、新鮮な野菜のサラダも、メルの舌を素晴らしく刺激した。
悔しいので口には出さなかったが。
「メル様には、フォルク様と同じように私の仕事を手伝っていただきます」
先を歩きながら、マルガレーテが穏やかな声で言う。
「仕事って、何をやるんだ?」
「掃除、洗濯、料理、買い出しなどですね」
メルは露骨に顔をしかめた。ここで働くといったのは自分だが、退屈そうな仕事だと思った。
「生活の基盤を整えるのは大事なことですよ」
そんな内心を見透かしたようにマルガレーテは言ってきた。
「まずは身だしなみを整えましょう」
「整える?この格好でも仕事はできるだろ?」
通された部屋には、大きな鏡と椅子、それから見たこともない道具が並んでいる。メルがじりっと後ずさる。
「……何する気だ」
「まずは髪を整えましょう」
「必要ない」
「必要です」
即答だった。マルガレーテはにこやかな笑顔のまま、ぐいぐい距離を詰めてくる。
「その長さだと、戦う時にも邪魔でしょう?掴まれる危険もありますし」
「う……」
鏡にメルの姿が映る。肩口あたりまであった髪はかなり短く整えられていた。確かに動きやすそうではある。マルガレーテは満足そうに頷いている。
「とてもお似合いですよ」
「……」
メルは短くなった髪の先をいじる。
「フォルク様もきっと褒めてくださいます」
「関係あるか?」
そんなメルを見て、マルガレーテはくすりと笑う。
「では次は、こちらに着替えましょうか」
差し出されたのは、黒と白を基調とした服。マルガレーテが着ている服と同じ──メイド服だった。メルは数秒固まったあと、ゆっくり顔を引きつらせる。
「……この服のままでいい。こっちのほうが動きやすいだろ」
「大丈夫ですよ。サイズは調整してありますので、働くのに支障はないと思います」
「こんなひらひらしたの──」
「ここで働くのでしたら、着ていただきます」
マルガレーテは笑顔のままだ。しかし、その声音には妙な圧があった。
鏡の前に立たされたメルは、居心地悪そうに自分の姿を見ていた。
黒と白を基調としたメイド服は、思っていたよりも身体に合っている。短く整えられた髪とも妙に馴染んでいて、屋敷の雰囲気にも自然に溶け込んでいた。
「とてもお似合いですよ」
「……」
メルは眉をひそめながらスカートの裾を引っ張る。
こんな服を着たのは初めてだった。そもそも、どうして服の下半分がこんな形になっているのか理解できない。落ち着かないし、足元が妙にすうすうする。ただ、思っていたよりは動きやすかった。
「では、まずは掃除から始めましょうか」
案内されたのは、屋敷の長い廊下だった。マルガレーテは桶と布、それから見慣れない棒状の道具──モップをメルへ手渡してくる。
「まずは床拭きです」
そう言うと、マルガレーテは慣れた手つきでモップを動かし始めた。無駄のない滑らかな動きで床を磨いていき、通った場所が鏡のように光っていく。
「こんな感じです」
「……地味だな」
「大事な仕事ですよ」
マルガレーテは穏やかに言った。メルも渋々モップを手に取り、見よう見まねで床を拭き始める。
数十分後。
「この屋敷、広すぎじゃないか?」
額に汗を浮かべながら、メルがうんざりした声を漏らす。もう何度も桶の水を取り替えていた。
「はい。ですので、皆で手分けして掃除しております。フォルク様は今ごろ二階の清掃をしていますよ」
対照的に、マルガレーテは涼しい顔だった。メルが雑に済ませようとした瞬間、丸めた布がぽすっと頭へ飛んでくる。
「そこ、拭き残しです」
「う……」
「隅まできちんと掃除しないと、埃はすぐ溜まってしまいますからね」
マルガレーテはそう言いながら、隅に残った汚れを器用に拭き取っていく。
昼前になってようやく掃除が終わると、今度は厨房へ連れて行かれた。
中には香ばしい匂いが充満している。大鍋ではスープが煮込まれ、焼きたてのパンが並び、すでに何人もの使用人たちが慌ただしく働いていた。
「次は料理です」
「料理はできるぞ。森で暮らしてたころ、よく手伝ってたからな!」
メルは胸を張って得意げに言う。
「では、この野菜を切っていただけますか?」
「任せておけ」
自信満々に包丁を握る。
数分後。
「……どうして全部大きさが違うんですか?」
「いや、食えれば同じだろ?」
まな板の上には、不揃いに切られた野菜が散乱していた。厚さも形もばらばらで、中には妙に潰れているものまで混ざっている。
マルガレーテは深々とため息をついた。
「……では、まずは切り方から覚えましょうか」
「そんな細かいこと必要か?」
「必要です」
即答だった。
その後も、野菜を床へ落とし、皿を割りかけ、熱い鍋に触れて飛び跳ねるメルを見ながら、マルガレーテは呆れ半分、感心半分といった様子で根気強く教え続ける。
料理を載せたトレーを運びながら、メルは隣を歩くマルガレーテへ視線を向けた。
「マルガレーテは、いつからここにいるんだ?」
「実は、私もここへ来たのは最近なんですよ。もともと家事は多少できましたので、こうしてメイドとして働けていますが、まだまだ見習いです」
「そうなのか?」
メルは少し意外そうに目を瞬かせる。
「手際がいいから、てっきりずっと働いてるのかと思ってた」
「ふふ、そう言っていただけると嬉しいですね」
マルガレーテは柔らかく笑ったあと、複雑そうな表情をして口を開いた。
「覚えていないかもしれませんが、私もメル様と同じ馬車に乗せられていたんですよ?」
「ええ!?」
メルは思わず大きな声を上げる。
「……言われてみれば、いたような、いなかったような……」
「あの時のメル様は、それどころではなかったのでしょう」
マルガレーテは苦笑しながら続けた。
「私も、かなりひどい状態でしたし」
メルは少し気まずそうに頭を掻く。
「そうか……でも、お互い無事でよかったな!」
「はい。私も、また会えて嬉しいです」
マルガレーテはそう言って微笑み、それから少しだけ悪戯っぽい顔になった。
「……でも、メル様が馬車を飛び出す時、私のことを蹴りましたよね?」
「うっ」
メルの肩がびくりと跳ねる。
「ご、ごめん。あの時は必死で……」
「ふふ、冗談ですよ」
「……冗談とか言えたのか」
「失礼ですね」
くすくすと笑うマルガレーテを見て、メルも少しだけ肩の力を抜いた。
「あたしのことは“様”つけなくていいぜ。同じ馬車に乗ってた仲なんだし」
その言葉に、マルガレーテは少しだけ目を丸くする。
「では、私のこともグレーテと呼んでください。メルさん」
「“さん”もいらない。というか敬語じゃなくていい」
メルは照れ隠しのように視線を外しながら言った。
「よろしくな、グレーテ」
「はい。よろしくお願いします、メルちゃん」




