12:冒険者
稽古をして、働いて、買い物をして、ルナへ食べ物を渡し、家へ帰る。そんな日々が続いていた。
最初の頃は、人間の街で生きるだけで精一杯だった。人の多さにも、騒がしさにも、値段交渉にも慣れていなかった。だが、何日も同じ生活を繰り返すうちに、少しずつ身体が街に馴染み始める。工事現場の轟音にも驚かなくなった。
市場の喧騒も、以前ほど耳障りではない。肉を売る屋台の値段も覚えた。
串肉一本、銅貨二枚。
三枚でも高い。
四枚以上ははぼったくりだ。
そんな生活の中でメルは気になったことがあった。
「なあ、グリムはなんでこんな暮らしをしているんだ?」
食事中にメルはグリムに聞く。この男の異様な強さは理解している。
「もっと、自由にに生きれるんじゃないのか?」
ハンマー男を一撃で沈めた力。自分がどれだけ必死に動いても届かない技量。グリムは強い。圧倒的に。
だからこそ、不思議だった。狭い部屋。簡素な食事。朝から晩までの肉体労働。そんな生活を、当たり前のように続けている。メルには、それが理解できなかった。
強くなれば、自由になれる。そう信じて、毎日稽古を続けている。なのに。その強さを持っているはずのグリムは、どこか不自由そうに見えた。
「そうかもしれないな」
それだけ言って、グリムは食事を再開する。食べているものは、いつも野菜のスープと固いパンだ。肉を食べているところは見たことがない。そんな食事で飽きたりしないのだろうか。
「……満足してるのかよ」
人間の社会は強さだけで決まるものではないと、薄々気が付いている。それでも、聞かずにはいられなかった。強くなれば、もっといい暮らしができると思いたかった。グリムは獣人ですらないのだから。
「朝から晩まで働いて、飯食って寝るだけじゃねえか。奴隷みたいなもんだろ」
言ってから、自分でも少し言い過ぎたかと思った。だが、グリムは怒らない。
「奴隷じゃない」
静かな声だった。
「働いて、報酬が出て、飯と寝る場所がある」
グリムはパンをちぎる。
「俺はそれで十分だ」
メルが求めていた返答ではない。だが、グリムがそういう性格をしていることは一緒にいて理解していた。無口、無愛想、無欲の三拍子が揃っている。自分の強さを周りに誇示することもない。
もっとうまく生きれるかもしれない。しかし、満足しているのだろう。
だが、メルは満足していない。
メルは一息つく。何を言ってもグリムは変わらないだろう。それで満足しているなら、それでいい。メルには関係がない。
「そういえば、あたしを治すのにいくらかかったんだ?銅貨を何枚集めればいい?」
部屋の隅に置いてある小袋を見る。メルが働いて貯めた銅貨だ。今は八十枚ほど入っている。食事代もあるため、一日に残せるのは二十枚前後だった。少しずつではあるが、確実に増えている。
「金貨十七枚」
「キンカ?」
「銅貨でいうと、千七百枚だな」
「せんななひゃく!?」
メルが口から何かを飛ばしながら驚愕する。
メルが指をおって数える。どれだけ働けばいいのか。
一日二十枚。
千七百枚。
途中で指が止まる。数が大きすぎて分からなくなった。
高いとは思っていたが、想定の何倍も提示された金額は高かった。
「返さなくていいと、最初に言っただろう」
グリムがメルが計算しているのを見て、あきれたように言ってくる。
「<クリーン>の魔道具は元々使う予定だった。無理して返そうとしなくていい」
それは、メルにとってありがたい話ではある。しかし、メルは対等でないと気が済まなかった。
「い、いや。必ず返す」
メルのテンションが下がる。大きな耳は垂れ下がり、尻尾も力なく床に落ちた。
「……もっと、たくさん銅貨が貰える仕事はないのか?」
メルの決意は固い。だが、千七百枚という数字を聞かされたあとでは、気が遠くなる。聞かずにはいられなかった。
グリムは少し考える。
「これでも、稼げているほうだぞ?戦争が終わって景気がいいからな」
特にこの都市、ガルドラボークは王国の中でも発展が著しい。街に出れば、仕事は有り余っているほどある。メルはよく理解できていなかったが。
「……楽ではないが、稼げる仕事なら知っている」
「本当か?どんな仕事なんだ?」
メルが食い気味にグリムに問いかける。
グリムはスープを飲み干し、短く答えた。
「冒険者だ」
朝早い時間、冒険者ギルドの扉が開いた。中へ入ってきたのは、赤いクロークを羽織った二人組だった。
冒険者の中には、あえて目立つ格好をする者がいる。派手な鎧。特徴的な武器。奇抜な色の外套。理由は単純だ。依頼主や他の冒険者へ、自分の存在を印象づけるためである。名を覚えられれば、依頼も回ってくる。強そうに見えれば、それだけで舐められにくい。つまり、目立つことそのものが武器になる。だから、赤いクローク自体はそこまで気になるものではない。
問題は、その二人を誰も知らなかったことだ。酒を飲んでいた冒険者たちの視線が、自然と入口へ集まる。
「誰だ、あれ」
「新人か?」
「見ねえ顔だな」
ひそひそと声が広がる。
その視線の中心にいる小柄な方――メルは、落ち着かない様子できょろきょろと周囲を見回していた。完全に田舎者だった。広い酒場。壁に貼られた大量の依頼書。武器を背負った荒くれ者たち。工事現場とも市場とも違う空気に、耳が忙しなく動いていた。
一方、隣のグリムは周囲へ一瞥だけ向ける。それだけで興味を失ったように、一直線に受付へ向かっていった。
メルが慌てて後を追う。二人が受付へ近づくと、カウンターの奥にいた受付嬢が笑みを浮かべた。
「ようこそ、冒険者ギルドへ」
慣れた口調だった。毎日同じことを繰り返しているのだろう。営業用の笑顔を崩さないまま続ける。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「冒険者になりに来た」
グリムが短く答える。受付嬢は一瞬だけグリムを見たあと、視線をメルへ移した。
「……そちらの方も一緒でよろしいですか?」
「ああ」
グリムより先に、メルが答える。
「あたしも冒険者になる」
その声を聞いて、受付嬢の目がわずかに細くなった。若い。どう見ても十代前半。しかも声から察するに女の子だ。冒険者に年齢制限はないが、わずかに引っかかるものがあった。
「……では、簡単に説明をさせていただきますね」
年齢確認はしない。それはギルドの規則にない。
受付嬢は淡々と書類を取り出して、手続きを始めた。
受付嬢から説明を受けたメルは、冒険者というものを大まかに理解した。
簡単に言えば、魔物専門の傭兵らしい。
魔物。それは、人間、エルフ、ドワーフ、獣人、角人以外で、魔力を持つ生物の総称だった。
牙と爪だけを持つ獣のようなものもいれば、人語を解するものもいる。中には、一つの村を壊滅させるほど危険な個体も存在するらしい。
そういった相手をするには、普通の兵士や傭兵では対応しきれない。種族ごとに得意な戦い方も違う。だからこそ、複数人で役割を分担するパーティという形が生まれ、その戦力をまとめる場として冒険者ギルドが存在していた。
確かに、ここにいる冒険者たちは統一感がない。大剣を背負った男。杖を持ったローブ姿の女。短剣を何本も腰へ差した小柄な男。
冒険者の稼ぎ方は、大きく分けて二つある。
一つは、魔物を狩ること。倒した魔物から証明部位――耳や牙、爪などを剥ぎ取り、ギルドへ提出することで報酬金を受け取れる。
もう一つは、依頼を受けること。依頼主から出された仕事を達成し、その報酬を受け取る。もっとも、依頼はギルドを通して管理されているため、報酬の全額がそのまま冒険者へ渡るわけではない。ギルドへの手数料や管理費として、一部は差し引かれるらしい。
依頼の内容も様々だった。魔物退治。商隊や旅人の護衛。危険地帯での薬草採取。荷物運び。時には、遺跡探索のような仕事まであるという。
しかし、受付嬢の話では、最近は依頼の数自体が減っているらしい。
戦争が終わり、治安が改善された影響だという。街道には兵士や騎士が巡回し、都市周辺の魔物も以前より討伐されるようになった。その結果、危険な仕事は減り、冒険者同士の仕事の奪い合いが起き始めているらしかった。
「では最後に、パーティ名を登録しますか?」
受付嬢が、書類へ走らせていたペンを止める。
メルはもちろん文字が読めない。そして意外なことに、グリムも読み書きができないようだった。二人とも、受付嬢に代筆を頼んで登録を進めてもらっている。
「必要ない」
グリムは即答した。
「……そうですか」
受付嬢が少し困ったように笑う。
冒険者の多くは、この場で妙に気合の入った名前を考え始める。
“黒狼の牙”。
“紅蓮の剣”。
“銀翼”。
そういった名前を付け、自分たちを売り込むのも冒険者の文化だった。だが、グリムにはそんな気配が一切ない。
「では、お二人とも仮登録となります。初回依頼を達成後、正式な冒険者として認められますので」
受付嬢が、小さな木札を差し出した。細い紐が通されている。木製ではあるが、表面には細かな刻印が彫られており、簡単には偽造できないようになっていた。仮登録の間は、これが冒険者の証になるらしい。依頼をこなしていけば、より上位のプレートへ交換されていく。
木、銅、銀、金。
仮登録、初級、中級、上級。
強さや実績によって区分けされているらしい。そうでなければ、実力不足の冒険者が高難度依頼へ手を出し、死亡率が跳ね上がるためだという。
メルは木札を受け取り、首へかけた。その拍子に、フードの奥から獣耳が露出する。周囲の視線が集まった。だが、誰かが騒ぐことはない。獣人の冒険者自体は珍しくないのだろう。
グリムも同じように木札を首へかける。それから受付嬢へ尋ねた。
「初めての依頼は、どんなものがいい?」
受付嬢は書類を整理しながら答えた。
「そうですね。いきなり魔物退治は危険だと思われますので、薬草採取などがよろしいかと」
少し考えてから続ける。
「こちらで初心者向けの依頼を見繕いましょうか?」
「ああ、頼む」
受付嬢が席を立ち、依頼書の束を確認し始める。その時だった。
「おい、そんな装備で大丈夫か?」
後ろから声が飛んでくる。メルとグリムが振り返る。そこには、軽装の男が立っていた。
頭は禿げ上がっているが、腕は太い。年季の入った革鎧を身につけ、腰には剣を提げている。日に焼けた肌と、無数の古傷。場数を踏んできた冒険者だと、一目で分かる風貌だった。
男の視線が、二人の装備へ向く。
グリムの腰にある剣は、見るからにぼろぼろだった。刃には無数の傷が走り、柄も擦り切れている。まともな冒険者なら、とっくに買い替えていそうな代物だ。
そしてメルに至っては――鉄パイプ。武器というより、ただの廃材に近い。
二人とも、防具らしい防具も身につけていなかった。
「それに、いくら獣人でも幼すぎやしないか?」
男の視線がメルへ向く。完全に新人を見る目だった。舐められている。そう感じた瞬間、メルの耳がぴくりと動く。声に棘が混じった。
「……なんだよ。文句あんのか?」
その声を聞いた瞬間、男の目が細くなる。
ぎろりと、メルを睨みつけた。
「先輩に対して、その口の利き方はなってねえんじゃないか?」
低い声とともに、一歩、距離を詰めてくる。
空気がわずかに張る。周囲の冒険者たちも、面白そうなものを見る目でこちらを眺め始めていた。男からは威圧感があった。普通の新人なら、気圧されてもおかしくない。
だが、メルにとっては大したものではなかった。毎朝毎晩、グリムから向けられる殺気と比べれば、そよ風のようなものだ。メルは一歩も引かなかった。逆に睨み返す。
しばしの沈黙。やがて男が、ふっと口元を歪めた。
「……ほう。肝は据わってるみてえだな」
感心したように呟く。
「まあいい。止めはしねえさ。薬草採取くらいなら、なんとかなるだろ」
そこで男の表情が少しだけ真面目になる。
「ただし、森の奥までは行くな」
短く、それだけ告げた。
警告はしたからな。そう言い残すと、男は肩をすくめながら去っていく。
その後ろでは、一連のやり取りを見ていた受付嬢が、おろおろと落ち着かなさそうに視線を行き来させていた。




