第30話 暖愛さんと勉強会
何事もなかった朝を引きずっているのだろうか。どこかぬるい温度で進む金曜日は土日の休みを待ち望む学生たちの焦燥感を弄ぶように、ゆっくりと時計の針を進めていた。
「よし、今日はここまで」
いつも血色の悪い生物の先生が、長い戦いの終わりを告げた。
「終わったー!」
モノクロだった教室内に、一気に絵の具がかけられたようだった。1週間の学校を乗り越えて迎える土日。来週の月曜日は遠足なのでほとんど休みみたいなもんだ。
「新、今日予定ある?」
後ろから背中をバシッと叩かれる。こんなことをする人は一人しかいない。
「暖愛さん、わざわざ叩かなくても……」
「ごめんごめん。それで予定は?」
「うーん」
予定は……ない。ただ、ないと言えばどこかに連行されるのは確定だろう。それは避けたいが……
「あー、今めんどくさいことに巻き込まれそうって思ってるでしょ?」
「何で分かるんですか……」
えっへん! と聞こえてきそうなしたり顔をしている暖愛さん。
「ねぇ、どうせ暇でしょ? ちょっと付き合ってよ」
「答えは内容を聞いてからだな」
「一条新君。来週あるイベントといえば?」
「まぁ、遠足……」
俺の答えに「ほうほう」と相槌を打ちながら、暖愛さんがさらに続ける。
「そして?」
「そして……?」
「ほら、もう一個あるじゃん!」
「あぁ、テスト……」
そう。来週は月曜日に遠足、木曜、金曜にテストというなかなかハードな1週間になる予定だ。
今度のテストは、一応『定期テスト』という殻は被っているものの、中間とか期末に比べると緩い感じらしい。それでもガッツリ評定には関わるらしいので、手を抜くわけにはいかない。
「で? テストがどうかした?」
「あっ、えーと、あのー」
暖愛さんが珍しく歯切れが悪い反応をしている。なんか新鮮。
「そのー、勉強を教えてもらえないかな〜なんて」
「勉強?」
思わず耳を疑ってしまう言葉が聞こえた。暖愛さんはお世辞にも勉強好きとは言えなかったし、授業中も寝息を立てていることの方が多かった。
「いやー、やっぱり変だよね、私が勉強なんて、さ」
「うーん、別に変ではないけど」
「私ね、こないだ親に、遊び過ぎ!って怒られちゃってさ。それで私もカチンときて、テストで点数取ればいいだろって言っちゃったの」
「あぁ、それで……」
暖愛さんの顔が分かりやすく曇る。
「具体的な基準はないんだけど、赤点あったら多分塾にぶち込まれちゃう感じ」
「相当怒らせたんだね……」
「だから、お願い! 私に勉強を教えてください!」
すごい勢いで頭を下げた暖愛さん。おかげでクラスメイトからの視線が集まったが、ここまで真剣にお願いされて断る勇気は俺にはない。
と、思ったのだが。教室の隅から他とは明らかに違う視線がブッ刺さっている。暖愛さんではなく、俺に。
「あのさ、勉強教えるのはいいんだけど、一つ条件が……」
「うん?」
「咲良も一緒でもいい?」
咲良に小さく手招きすると、眉間のシワをほんの少しだけ緩めてからこっちにトコトコとやってきた。
「あー、それなら全然いいけど? どこでやる?」
普段は見せない咲良の表情に暖愛さんが少し驚きながらも、結局暖愛さん家に向かおうということになった。
「ただいまー!」
「「お邪魔しまーす」」
玄関を抜け、階段を上ると、突き当たりの部屋が暖愛さんの部屋だった。
「どうぞー」
「失礼し、ます……」
俺の眼前には、思わず言葉に詰まってしまうほどの惨状が目に入ってきた。
「ごめんねー、ちょっと最近掃除してなくてさ」
いやいや、そんなレベルじゃなくない?
ベッドの上は明るい色の私服がポイポイと投げ出され、床の上には見覚えのあるプリントたちや、おそらく飲みかけのペットボトル。人気の漫画など、とりあえず物で埋め尽くされていた。
咲良と目を合わせる。
「……すごい」
どうやら咲良も俺と同じ感情のようだ。
かろうじて暖愛さんが作った隙間(物を適当に寄せただけ)に座らせてもらう。この状況で勉強なんかできんのかよ……
「さぁ、新、咲良ちゃん。早速勉強しようか」
一人だけやる気満々の暖愛さん。俺たちはこの環境に適応するのに時間がかかりそうです……
「じゃあ、暖愛さん。一番苦手な教科は?」
「うーん、数学と英語かな?」
一番と聞いて二つ返してくるのも暖愛さんらしいが、とりあえずは一つだけに絞っとこう。
「じゃあ、数学からやろうか」
「えー、私数学苦手って言ったよねぇ」
「苦手だからやるんですよ」
さっきまでの威勢は何処へやら。嫌そーな顔をしている暖愛さんに数学のノートを出してもらう。
「はい、これ」
「うん、思った通りだね」
しっかり内容が書かれているのは最初の授業2回分くらいかな。その後は睡魔と戦ってた(無事に敗北した模様)とテキトーな落書きで埋め尽くされていた。
「まずは初歩からやってこうか」
先週の咲良と同じように一個一個丁寧に教えていく。
「どう?」
「うーん、分かりそうで分からない……」
やはり、咲良よりも手こずってるようだ。まぁ、今までの授業の感じなら無理もないか。
隣で咲良はずっと俺と暖愛さんのやりとりを見ていた。この人は本当に俺の監視のために来たんだろうなぁ……
不思議な勉強会はまだまだ続くようです……




