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第86話|怪我を作る理由

 戦争の前に、帳簿が動く。

 刃の前に、理由が置かれる。

 帳簿を動かすために、血ではなく怪我が選ばれる。

 その順番を知っている者だけが、長く生き残る。


 北寄りの丘。

 風を避けるための岩陰。

 焚き火はない。

 煙は「見られる理由」になる。


 集まっていたのは六人。

 全員が、冒険者ギルドに名を持つ。

 現役レンジャー。

 ソードマスター。

 スペルマスター。

 それに、元輸送護衛、元斥候、元調達係。


 全員が「戦える」。

 だが、全員が「戦う気ではない」。


「配置は確認した」

 レンジャーが言う。

「術士は後方。

 だが前線と切り離されてない」


「守りが固い?」

 ソードマスターが聞く。


「違う」

 レンジャーは首を振る。

「守っていない。

 だが、切れない」


 スペルマスターが、地面に小石で線を引いた。


「ヒール役を落とせば終わり、という形じゃない」

「落とした瞬間、あれは“戦闘”になる」


「戦闘になると?」

 元調達係が問う。


「値段が跳ねる」

 スペルマスターは即答した。

「北も、領主も、ギルドも動く」

「動いた瞬間、誰かが帳簿を開く」

「帳簿が開けば、責任の名が付く」


 名が付けば、首が要る。


 ソードマスターが舌打ちする。


「……つまり、あいつらは“戦わせない”ための配置か」


「そう」

 レンジャーが言う。

「撃てる。斬れる。

 だが、その後が高い」


 沈黙。


 ここにいる全員が、同じことを思っていた。

 勝てるかどうかではない。

 勝ったあとに、生き残れるか。


 元斥候が、低く言った。


「じゃあ、別の入口を作るしかないな」


「入口?」

 ソードマスターが聞く。


「戦闘じゃない入口」

「事故だ」


 スペルマスターが、すぐに否定した。


「事故はもう潰されてる」

「治療院を窓口にさせない配置だ」


「なら」

 元斥候は続ける。

「事故じゃなく、必要を作る」


 必要。


 その言葉に、空気がわずかに動いた。


「治療が“必要”になる状況か」

 レンジャーが呟く。


「そう」

「倒れる必要はない」

「死ぬ必要もない」


 元斥候は、指を一本立てた。


「怪我だ」


 ソードマスターが眉をひそめる。


「怪我なら、どこにでもある」


「ある」

 元斥候は頷く。

「だから成立する」

「日常の延長に置ける」


 スペルマスターが、ようやく笑った。


「なるほど」

「怪我は戦闘じゃない」

「戦闘じゃないから、責任が散る」


「しかも」

 元調達係が引き取る。

「怪我をした本人が“治療を求めた”形にできる」


 全員が理解した。


 治療を求めた瞬間、窓口は復活する。

 誰が来させたかは関係ない。

 来た、という事実だけが残る。


 ソードマスターが言った。


「誰を怪我させる」


 その言葉は、冷たい。

 だが、躊躇はない。


「俺たちじゃない」

 レンジャーが即答した。

「名がある」

「名がある怪我は、すぐ調べられる」


「じゃあ」

 元斥候が言う。

「名がない」


 スペルマスターが補足する。


「通してた側」

「密約で飯を食ってた連中」


 全員が、静かに頷いた。


 彼らは――

 戻れると思っている。

 切り捨てられた自覚が薄い。

 帳簿に残っていない。

 消えても困られにくい。

 治療院に行く理由を持っている。


「怪我をさせる、というより」

 元調達係が言った。

「怪我を止めない」


 レンジャーが頷く。


「仕事を続けさせる」

「無理をさせる」

「倒れないが、血は出る」


「血が出れば、治療が要る」

 スペルマスターが言う。

「治療が要れば、術士は動く」


「動いた瞬間」

 ソードマスターが続ける。

「窓口が生き返る」


 静かだ。

 だが、決定だった。


 レンジャーが、最後に釘を刺す。


「直接、治療院へ運ぶな」

「運べば、こちらが作った形になる」


「歩かせる」

 元斥候が言う。

「自分で来させる」


「理由は?」

 スペルマスターが聞く。


「簡単だ」

 元斥候は笑わない。

「金だ」

「働かなきゃ食えない」

「食えなきゃ死ぬ」


 ソードマスターが、剣を軽く叩いた。


「……最低だな」


「最低じゃない」

 レンジャーは言った。

「計算だ」


 全員が黙る。


 そして、レンジャーは結論を出した。


「次は戦闘じゃない」

「怪我が増える夜だ」

「治療院が、どこまで拒めるかを見る」

「拒めば、噂が立つ」

「受ければ、窓口が復活する」


 スペルマスターが、静かに言った。


「どちらに転んでも、動く」

「いい作戦だ」


 丘の下。

 遠くに、治療院の灯りが見える。

 小さく。

 消えない灯り。


「……あの術士」

 ソードマスターが言う。

「刃にならないってのは、厄介だな」


「だから」

 レンジャーは答えた。

「刃じゃなく、責任を向ける」


 風が吹く。

 夜が、また一段深くなる。


 次の夜、倒れる者は出ない。

 だが、怪我人は増える。


 それは戦争じゃない。

 だが――

 血は少ない。

 帳簿は厚くなる。

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