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第85話|刃にならない位置

 戦場は、まだ戦場と呼べなかった。

 血の匂いもない。悲鳴もない。怒号もない。

 あるのは――計られている空気だけだ。


 旧交易路の外れ。

 崩れかけた倉の陰と、緩やかな斜面。

 視界は開けすぎず、閉じすぎず。

 ぶつかっても「事故」に見せられる距離。


 事故に見えるうちは、帳簿が動きにくい。

 帳簿が動きにくいから、まだ“戦場”と呼べなかった。


 ヴォロは、その中央から一歩だけ外れた場所に立っていた。

 中央に立たない。

 中央は、名が生まれる。

 名が生まれれば、理由が生まれる。

 理由が生まれれば、刃が正しくなる。


 術士は、さらにその後ろ。

 前線でも、後方でもない。

 倒れた者に三歩で届く。

 だが、狙う理由にならない距離。


 剣士は、術士の前に立っていない。

 守る形を作らない。

 通りの横。

 商人と視線が交わる距離にいる。


 グレイは見えない。

 だが「いない」とは思わせない。

 視線が抜ける場所に、影だけを残している。


 補給兵は、地面を触っていた。

 踏めば沈む。

 走れば滑る。

 立ち止まれば、不自然に見える。


 不自然は、理由になる。

 理由は、相手の値段を下げる。


 術士が、静かに言った。


「……ここ、嫌ね」


 感想ではない。

 評価だ。


「嫌、というのは」


 剣士が聞く。


「守りすぎてない。

 でも、切れもしない」


 ヴォロは答えない。

 答えると、正解が形になる。

 形になった正解は、次に利用される。


「“殺せない”配置だ」


 補給兵が言った。


「殺しても、儲からない」


 その一言が、今の空気を定義した。


     *


 少し離れた丘の上。

 敵側も、同じものを見ていた。


 レンジャーが伏せている。

 弓は張っていない。

 張れる。だが張らない。


「距離はある」


 レンジャーが言う。


「射線も通る」


 だが声は硬い。

 硬いのは、風のせいじゃない。

 値段が合わない予感が混ざっている。


「落とせるか?」


 隣のスペルマスターが聞いた。

 スペルマスターは杖を持っている。

 だが詠唱は始めない。

 始めた瞬間、戦闘が成立するからだ。


「落とせる」


 レンジャーは認める。


「術士だろ。前に出てない」


「じゃあ、なぜ撃たない」


 レンジャーは、少しだけ間を置いた。

 間は、迷いではない。

 計算だ。


「撃った瞬間、あれは“戦闘”になる」

「戦闘になると、事故じゃ済まない」

「事故じゃ済まなきゃ、上が来る」


 “上”。


 上が来る、というのは――

 記録が立つということだ。

 記録が立てば、責任の名が付く。

 名が付けば、誰かの首が要る。


 スペルマスターが舌打ちした。


「……ヒール役を落とせば勝ち、って構図じゃないな」


「違う」


 レンジャーは言う。


「落とした瞬間、“勝った理由”を説明させられる」


 説明。

 それは、最も高くつく行為だった。


 スペルマスターは、術士の位置を改めて見た。

 前にいない。

 守られていない。

 だが、孤立もしていない。


「攻撃魔法、使えないんだろ」


「らしいな」


「なら、放っておけばいい」


「それも無理だ」


 レンジャーが続ける。


「ヒールがある限り、削れない」

「削れないと、こちらが消耗する」

「消耗戦は、値段が跳ねる」


 スペルマスターは、低く笑った。


「……あいつら、“勝たない”気だ」


「違う」


 レンジャーは言う。


「“値段を上げてる”」


 沈黙。


 敵側は、ここでようやく理解した。

 この戦いは――

 誰が倒れるか、ではない。

 誰が“割に合わなくなるか”だ。


     *


 こちら側。


 術士は布を整えながら言った。


「敵、動かないわね」


「動けない」


 ヴォロが答える。


「動く理由がない」


「理由を作らせない配置、ってことか」


 剣士が言う。


「作らせない、じゃない」


 補給兵が訂正する。


「作ると損になる」


 術士が小さく息を吐いた。


「……私は、囮にすらなってない」


「それでいい」


 ヴォロは言った。


「囮になった瞬間、重要人物になる」

「重要人物は、殺される」


「そう」


 術士が言う。


「だから、倒れそうで倒れない」

「守られてるようで守られてない」

「切っても意味がない」


 術士は、少しだけ笑った。


「最悪ね」


「最高だ」


 剣士が言う。


     *


 丘の上。


 スペルマスターが、結論を出す。


「この配置、正面からは崩せない」


「なら?」


 レンジャーが聞く。


「別の“理由”を持ってくる」

「事故じゃなく、契約」

「戦闘じゃなく、依頼」


 レンジャーは視線を下げた。


「……密約で生きてた連中か」


「そう」


 スペルマスターは言った。


「あいつらは、“まだ戻れる”と思ってる」


 スペルマスターは、静かに続けた。


「術士は殺せない」

「だが、術士が“治療する理由”は作れる」


 その言葉は、刃より冷たかった。


     *


 こちら側。


 ヴォロは、風向きを感じた。

 来る。


 だが次は、剣じゃない。


「……次は」


 術士が言う。


「怪我を“作りに来る”わね」


「そうだ」


 ヴォロが答える。


「倒れた人間を、用意してくる」


「治療が成立した瞬間」


 補給兵が言う。


「また窓口になる」


 ヴォロは短く言った。


「だから次は」

「倒れない戦場を、壊しに来る相手と戦う」


 剣士が、剣の柄を叩いた。

 叩く音は小さい。

 小さい音ほど、焦りが濃い。


「……やっと、傭兵の値段を試されるな」


 戦場は、まだ静かだった。

 だがこの静けさは、値段交渉の前の沈黙だった。


 次に来るのは――

 血じゃない。

 契約だ。

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