7-1 最終章
その日、朝早く起きた俺は散歩に出かけた。ユリアはまだ気持ち良さそうに寝ているので起こさぬようにそっと出立する。
日が出る前の静かな空気。朝焼けの準備をしている太陽から僅かに漏れた光がフライング気味に空に反射している。
小鳥たちがせくせくとエサを探している。人が活動する前のこの時間がかき入れどきなのだ。
今日一日は穏やかで平和な日になりそうだと、ふとそんなことを考えた瞬間だった。
植木の影を啄ばんでいた小鳥たちが、突然驚いたように飛び跳ねた。その気配に反応して俺は反射的に横っ飛びする。
「――ッ!?」
背中にチリッとした痛み。皮膚が斬られたような感触、その部分だけに局所的な熱さ。
――刃物で斬られた?
その答えはすぐに判明した。地面に突き立った弓の矢。
――攻撃された! どこから?
上空へ逃げるように飛び去った小鳥の奥。建物の屋上に弓を構えた人影を発見した。
なぜ攻撃されたのかはわからないが、考えるのは後だ。とにかく逃げる。
俺は路面を蹴り、路地裏に逃げ込む。だが、瞬間的に嫌な予感がした。本能が行くなと叫ぶ。
瞬時に方向を変えると、路地裏に潜んでいた何者かが俺に向かって刃を突き立ててきた。
寸での所で交わす。
壁を蹴り、宙で身をひねって着地すると、その瞬間を狙うように追撃が繰り出される。
反射的に飛んでしまった。
鋭利な短剣の刃が、俺のいた場所を水平に流れていく。が、振りぬかれた刃はすぐさま方向を変え、空中で身動きの取れない俺に向けられる。
――《空歩》
スキルの力で空中を蹴った俺は前方に飛ぶ。
振り下ろされた短剣を脇にかわし、襲撃者の腕を掠めながら胸元へと飛び込む。
そのまま首筋に爪を食い込ませる。
――食らえ、《猫爪》
皮膚を切り裂く確かな手ごたえ。そのままの勢いで敵の頭の横を通り抜ける。
子猫の引っかきだと侮ってもらっては困る。既にレベルⅢまで成長した猫爪の威力は大木をも粉砕するほどだ。
俺の背後から、傷口が開いて鮮血が舞う音が聞こえた。
そのことが逆に、敵の力量を俺に教えてくれる。
――強い。
反射的に使用した《空歩》。空中で前転した俺の傍を短剣が流れていく。
やはり懸念したとおりだ。完全に間合いを制した上で、急所を捕らえた俺の一撃をくらっても首が吹っ飛ばない。それどころか振り向きざまに短剣を投げて戦闘を継続できるレベルの使い手。
今やらなければ、やられる。
俺は地面に着地する前に勝負をかける。
――《風刃》
風の刃が、短剣を投擲して伸びきった襲撃者の腕を刎ね飛ばした。
さすがの襲撃者も膝をついた。残った腕で患部を抑えながら呻く。
俺はそれを視界の端に確認すると、すぐさま振り向いて逃走――が、
――なっ!? 身体が、痺れて……。
足の筋肉が痙攣して、その場に倒れこむ。
毒にやられた? いつの間に? ――最初に受けた矢か!
地面に這い蹲る俺の前に、弓を背負ったもう一人の襲撃者が立ちはだかった。
だめだ。この状況ではどうにもできない。
弓使いが麻袋を開く。俺はその中に放り込まれた。
◆
気付くとそこは鉄格子の中だった。
牢屋か? いや、それにしては狭い。どちらかと言えば動物用のケージと言ったほうが正しいか。
足は鎖で固定され身動きが取れず、口には轡が嵌められていて声も出せない。
意識が朦朧とする。睡眠薬のようなものを盛られたか?
あれからどれだけの時間が経ったのか? まるで検討がつかない。
妙な匂いがする。樹液を煮詰めたような、それでいてほんのりとに甘い。乳香でも燃やしたのか? それともこの臭いに意識を朦朧とさせる成分でも含まれているのだろうか。
身体は動かずとも、猫耳だけはクルクルと角度を変える。猫の習性か、音の気配に敏感なのだ。
――《聴覚強化》、念じてみてもスキルは発動しない。どうやらこの檻の中はスキル無効空間になっているようだ。
それでも小さな音を拾うことができた。人の話し声だ。
「手はずは整っているな?」
「ええ、もちろん。先ほどターゲットの娘さんが会場に入るのを確認しましたよ」
「よし、ではいくぞ。へまはするなよ?」
「ご心配なく。この日のために、幾日もかけて準備をしてきたのですから」
男が二人、怪しげな会話をしていた。断片的にか聞き取れなかったが、計画がどうのとか、きな臭い感じだった。
一人の男が近づいてきて俺が入った檻に布を被せた。残念ながら顔は確認できなかった。
そのまま持ち上げられて、揺られながら移動する。
やはり動物用のケージに入れられていたようだ。
しばらく街の騒音の中を移動した。どうやらアキバハラから外には出ていないようだ。
道行く人々の喧騒に混じって値引き交渉の声などが聞こえる。商人街か? それとも武器街か? 食べ物の匂いはしない。どちらかというと鉄サビのような匂いのほうが強い。
おそらく街の北か東の方だろう。
しばらくすると一軒の建物に入ったようだ。
建物に入った後、さらに階段を降りるような振動が続く。どうやら地下に降りている。
ゴゴゴと、大きな扉が開くような音。その先から威勢のいい掛け声が飛んできた。
「100万!」
「120万!」
「150万!」
声の主たちは口をそろえて数字を叫んだ。その値が徐々に大きくなっていく。
ある程度時間が経つと、良く通る女の声が場を収めた。
「210万! これ以上はおられませんか……? ――幻の名画『モンクの嘆き』は210万ゾイのお客様が落札ですっ!」
カンカン、と木槌を打ち付ける音が響き、拍手が沸き起こる。
どうやらここは地下のオークション会場みたいだ。
なぜ、俺はこんな場所に連れてこられたのだろう。
その答えはすぐにわかった。
「続いての商品は、幻の珍獣『黒猫』です!」
司会進行らしき女の声に合わせて、ケージを覆っていた布が取り払われた。
俺の眼前に数十人の客たちが現れる。
豪勢な料理が並べられた円形のテーブルが複数あって、それぞれに四~五人の客たちが囲んで座っていた。皆、高級な服で着飾り、いかにも金持ちな気配を漂わせている。顔は確認できない。口元以外を蝶のような仮面で隠しているからだ。
そんな中、一人場違いな街娘の格好をした少女が俺に声をかけた。
「ナスキー!」
その背丈。声質。たとえ仮面で顔を隠していてもはっきりとわかる。
何で!? どうして彼女がこんな場所にいるんだ!
「にゃぁぁ……(ユリア)」
猿轡が邪魔で、いや、それ以前に衰弱と喉の渇きのせいでうまく発音できない。
「ナスキーを放して! 酷いことしないで!」
ユリアは立ち上がって駆け出そうとするが、隣に座っていた男が諌める。
「いけません、お嬢さん。今飛び出したらあの猫を取り戻せませんよ。ここは耐えるのです。オークションで落札すればよいのです」
「……わかった」
ユリアは再び席に座った。
「それでは気を取り直しまして、入札を開始いたします。まずは100万ゾイから」
「120万!」
「130万!」
客たちが次々に入札額を提示していく。そのたびにそれぞれの頭上に赤い血液のような球体が浮かび上がる。大きさは握った拳くらいか。
通常は血貨としてコインの形を取るLPだが、濃縮した液体のようにすることもできる。
オークションの演出でこのような形を取っているらしいが、自分の血液を抜き取っているような狂気じみた印象を受ける。
「170万!」
「200万!」
そんなことよりも気になるのはユリアだ。
入札が始まってから、ユリアの隣の男が彼女の耳元で何かを囁いている。
くそう! 何を吹き込んでいやがるんだ! ユリアから離れろ、成金野郎がっ!
俺はじたばた暴れるが、鎖が肌に食い込むのを強めただけだった。身体の痺れもまだ直っていない。くそう。
そうこうしているうちに入札額はどんどん上がっていく。
「500万!」
「「「おおおっ!」」」
一人の男が提示した額に会場がどよめいた。その男の頭上に浮かぶ血の球体が一気に膨れ上がる。
「500万! 500万以上はおられませんか?」
司会の女が会場を見回すと、少女が手を挙げた。
「510万」
ユリア! ばかな、そんな大金持ってるはずがない!
しかし、ユリアの身体から抜け出たLPが確かに彼女の頭上で球体を作り出している。
「520万!」
「530万!」
ユリアと男が競合して、落札価格はどんどん吊り上がっていく。
どうなっているんだ!? やめろ、ユリア! 破産するぞ!
ユリアの隣の男が、何やら紙のようなものを取り出した。
まさか、あれは契約書? あのクソ野郎! 何て事をしやがる!
騙されるな、ユリア! それは罠だ!
俺の必死の形相にユリアは気付き、俺と目が合った。
そうだ! 思いとどまれ! 俺みたいな猫一匹のためにお前が破滅する必要はどこにもない! 誰に落札されようが、俺は必ずお前のもとに戻る! だからユリアはただ待っていればいい。何も心配する必要はない。おとなしく座るんだ!
だが、俺の願いは届かなかった。
ユリアは俺に向かって優しく微笑むと、直後に何かを決意したように表情を引き締めた。そして用意された契約書らしき書類に、彼女の指の腹を押し付けた。
――止めろぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
俺の精一杯の叫びは無情にも歓声にかき消され、その後も競り合いは続いた。ついには痺れを切らした競合相手の男が一気に桁を上げる暴挙に打って出た。
「1000万ーーーーんッ!」
「「「おおおおおおおおお!」」」
先ほどの比ではないどよめきが怒る。熱気が会場を包んだ。
人の上半身ほどもある赤い球体が威容な迫力を放っている。
「1000万! 二ヶ月ぶりの大台がでましたぁーー! これ以上はありませんかぁああ?」
「1100万!」
「「「おぉおおおおおおおおおおおお!!」」」
ユリアはひるむことなく立ち向かった。
場の盛り上がりは最高潮に達する。
「1200万!」
「1500万!」
「「「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」
割れんばかりの歓声だ。たった数十人しかいないとは思えないほどの声量だ。
もはや小柄なユリアの身体よりも大きな血球が、今にも破裂しそうな勢いで膨張した。
「1500万! 1500万です! これ以上はありませんかぁあああああ!?」
ユリアが一歩も引かないことを感じ取ったのか、競合相手の男は不愉快そうに着席した。散々に膨れ上がった男の血球はそのまま持ち主の下へ吸い込まれていく。勝負は決した。
カンカンカン! と木槌の音が高らかに場を突きぬけて、
「幻の珍獣『黒猫』は1500万ゾイのお客様が落札です! おめでとうございます! 落札品の受け渡しは会場横の専用スペースでお願いします」
観客が総立ちし、喝采の嵐が巻き起こった。幾人かはユリアのもとに駆け寄って握手を求めたりもする。
ユリアのLPが詰まった赤球が司会の女によって回収されていく。
俺はその光景を呆然と見つめていた。
何が起こったのか、理解が追いつかない。
そのまま再びケージに布がかけられて俺の視界は暗くなった。
数分後、鎖と猿轡を外された俺はユリアに抱きとめられていた。
「ナスキー! ナスキー! 無事で良かったよぉ!」
ユリアはわんわん泣いた。
俺はかける言葉が見当たらない。混乱しすぎて、脳がショート寸前だ。ただ一言、
「(一人にしてゴメン)」
「もぅ、寂しかったんだから! 一週間も会えなかったんだよ!」
そんなに時間が経っていたのか!? ずっと薬で眠らされていて時間の感覚が麻痺している。
「(もう一人にしないから)」
「約束だからね! 次、ユリアを一人にしたら許さないんだからね!」
嗚咽交じりに泣きじゃくるユリアに、オークションのスタッフらしき男が近づく。
「こちらが麻痺用の解毒剤です」
男からひったくるように小瓶を奪ったユリアは俺の口にビンごと突っ込んだ。
中身の苦い液体をふごふご飲む。もうちょっと優しくしてくれよ。
それからは何事もなく会場を後にした。
ユリアに抱えられて街を歩いている最中に解毒薬が効いてきて、身体の自由が戻ってきた。
降りて一人で歩こうとしたが、いつになく強い力で捕まれて降ろしてもらえない。
「(もう大丈夫だ。降ろしてくれ)」
「ダメ! 放さない!」
ギュッと締められた腕はしばらく緩むことはなさそうだ。
仕方がないので。俺はユリアの成すがままに身を任せた。




