第29話:砕けたものたちの繋ぎ方
金属の豪雨がやんだ。床に引かれた青い境界線の前でオートマタが一斉に足を止めた。赤いレンズがひとつずつ消えていった。
音の途切れた跡を静寂が埋めた。天井が見えぬほど暗い部屋だった。
「はぁっ、はぁ……」
床を転がっていたドレイクがオートマタから奪った盾を杖代わりにどうにか身を起こした。
「……なんで止まった?」
「結界よ」
セレナが足元にちらりと目を落として短く答えた。
「つーか、なんで助けなかった!」
青筋を立てて怒鳴った。アッシュは新しい薬草の葉をくわえた。
「傷つける気はないから」
ドレイクが言葉に詰まる間も、アッシュは硬直したオートマタの陣形を読んでいた。いずれもドレイクを押し戻すための配置だった。
「……待って」
セレナの声が一段低くなった。指先で炎が揺らいだ。闇の奥から異質な気配が肌を這いのぼってきた。
アッシュは剣の柄へ手を下ろした。ドレイクも盾を握り直した。
獣の体臭。熱い息吹。石粉の飛散。
闇から飛び出した巨大な影がドレイクに襲いかかった。
「くそったれ! また俺かよ!」
反射的に盾を振り上げた。
衝突した。ブーツの底が石床を削り、火花を散らした。宙を裂く爪の音。盾がひしゃげた。
「このイカれた化け物が!」
左腕に全体重を乗せ、盾ごと獣の顎下を突き上げた。鈍い打撃音とともに巨体が闇の奥へ弾き飛ばされた。粉塵が舞い上がった。
「……ちくしょう、何してんだ! さっさと灯りつけろ!」
セレナが掌に青白い光球を灯した。光が前方を手探りで照らしていった。
最初に浮かんだ輪郭はうずくまった獣だった。熊の骨格に丸く平べったい顔を載せた巨大な猫が、キュウン、キュウンと哀れな声を漏らしていた。
そして、灰褐色の毛並みの上で白い手が萌黄色の粒子をたちのぼらせながら、獣の腫れた顎を撫でていた。
光がもう少しにじんだ。銀白の髪。血の気のない肌。両目を覆う黒い布。十五、六ほどに見える少女だった。
部屋のいちばん奥の隅に慎ましく座っていた。ひとり残った幽霊のように、息遣いも衣擦れの音もなかった。
「……」
同じ面影がよぎった。
「まさか……ゼペットの娘か?」
ドレイクが間の抜けた声でつぶやいた。
「んなわけないでしょ。何百年も前なのよ」
セレナが光球を少女のほうへ寄せた。漆黒だった髪が銀にあせただけで、肖像画の顔立ちそのままだった。
「ひょっとして……シミュラクラム?」
「シミュラ何だって?」
「シミュラクラム」
一歩前へ出た。
「キメラ術のその先にある、究極の生命複製研究よ。文献では読んでたけど、ただの理論だと思ってた。本当に成功してたなんてね」
「つまり、この嬢ちゃんもさっきのポンコツみてえなもんか?」
「バカ! オートマタじゃなくてシミュラクラムだっつってんの!」
アッシュは少女を見つめていた。生きているようでもあり、死んでいるようでもある境界。
「で、この嬢ちゃん。目え見えねえのか?」
ドレイクがわざとらしく少女の目元の布を指した。
「失礼でしょ!」
たしなめたものの、セレナの目にも濃い好奇心が宿っていた。巨大猫の威嚇を無視し慎重に少女へ近づいた。
「あたしたちのこと……見えてる?」
答えはなかった。
「ごめんね、ちょっと確かめさせて」
少女は顔を背けることも手で遮ることもなかった。セレナは少し逡巡してから、布をそっと持ち上げた。隠されていた瞼の上に光が降りた。
「……」
セレナの唇がわずかに開いた。傷ひとつない両目があった。澄んだ碧い瞳がセレナを映していた。
「……きれいな目なのに。なんで隠してるの?」
少女の唇は固く閉ざされたまま表情すら変わらなかった。
「ファッションの趣味が独特なんだろ」
ドレイクの軽口に猫が牙を剥いた。セレナは布を元に戻し一歩下がった。
柔らかい声で口を開いた。
「驚かせてごめんね。あたしたち、あなたを傷つけに来たわけじゃないの」
自分たちの目的を説明した。主が去った城に残された遺産。魔剣インフェルヌスと魔弾の設計図。
少女は石像のように静かだった。
「もちろん、無理に奪うつもりはないわ。空き城だと思って来ちゃっただけだから……」
「さっきまでゼペットの遺産だ何だって目えギラつかせて探しまわってたのはどこのどいつだよ」
ドレイクがあざ笑うと、セレナが横目でにらんだ。少女はやはり反応しなかった。セレナが気まずい笑みを浮かべ半ばあきらめて立ち上がろうとしたときだった。
少女の首がほんのわずかに動いた。水に沈んだ秒針のように。布の向こうの視線がセレナを過ぎ、ドレイクをかわし、後方に立つアッシュへ届いた。
長いこと、とどまった。
やがて首がゆっくりと沈み、また戻った。
「……本当に?」
セレナが驚いて目をしばたたいた。
「まあ、くれるってんならありがたいがな」
ドレイクが肩をすくめた。少女は立ち上がった。背を向けて回廊へ歩き出すと、猫も身を起こし一行に向かって前足をちょいちょいと振った。
「ついてこいってことか?」
セレナとドレイクが後を追った。
アッシュはゆっくりとした足取りで最後尾についた。視線が少女の背に触れては離れるのを繰り返していた。
* * *
回廊の石床に足音が不規則に絡み合った。ブーツの鈍い響きに、ハイヒールの尖った靴音。先を行く獣の足は巨体に似合わず、音もなくただ重みだけを置いていった。
一行の歩みに合わせて壁のマナ灯がひとつ、またひとつと灯っていった。
「アッシュ、よく気づいたじゃない」
前を歩くセレナが肩越しに言った。アッシュは答えず奥歯で薬草を噛み潰した。
「まあ、あいつは勘だけは妙に冴えてやがるからな」
ドレイクがこわばった肩を回しながら口を挟んだ。
「で、人形の嬢ちゃんは口が利けねえのか? それとも利きたくねえだけか?」
ドレイクの目が猫の向こうの銀髪の少女へ向いた。
「おい、シミュラクなんとかってのは、もともと喋れねえもんなのか?」
「知らない」
「詳しいんじゃなかったのかよ」
「文献で読んだだけだってば。本物はあたしも初めてなの」
ドレイクが顎をさすりながら鼻を鳴らした。
「見た目はまんま人間なんだがな。さっきの肖像画の娘と瓜二つだろ。娘そっくりの人形なんてよ……ゼペットってのは、とんだ変態じゃねえか?」
先頭を行く猫が不意に足を止めた。さっと振り返りドレイクに向かってグルル、と喉の奥で唸った。
「にらんだからって何だってんだ」
猫はため息をつくと、やれやれと首を横に振った。そしてまた先に立って歩き出した。
一行が導かれたのは、天井のシャンデリアが柔らかな光を振りまく空間だった。中央に細長い木のテーブルが据えられていた。
「なんだよ。食堂じゃねえか」
「ちょっと黙ってなさいよ」
ドレイクのぼやきをセレナが一蹴した。暗がりの中にも温もりが漂っていた。
猫がエプロンをつけて現れ、手慣れた仕草で皿を運んだ。傍らでは使用人型オートマタがカチャカチャと食器を並べていた。さっきまでドレイクめがけて盆を振り回していた連中だった。
「油断させといて毒でも盛る気じゃねえだろうな?」
ドレイクが目の前の椅子へ腰を下ろそうとした。途端に猫の唸り声が床を震わせた。
中腰のまま固まると、丸い前足でテーブルの端の一隅を指した。お前の席はあっちだと言わんばかりに空いた椅子を苛立たしげにトントンと叩いた。
「飯食わせてくれるんじゃねえのかよ。座らせてもくれねえのか」
「言われたとおりにしなさいよ」
セレナにどやされ、ドレイクが渋々席を移った。猫はアッシュに歩み寄ると、先ほどドレイクが追い出された椅子を丁寧に引いた。アッシュは訝しさをのみ込んで腰を下ろした。
正面に少女が座った。布越しの眼差しがアッシュに向けられていた。ドレイクがはっ、と短く笑った。
「人形の嬢ちゃんまでたらし込んだか」
セレナのひとにらみでドレイクが口をつぐんだ。ふと視線が食卓の上座で止まった。そこには誰のものでもない皿と食器がきちんと並べてあった。傍らの小さなガラス瓶にはルナリスが一輪挿されていた。
一夜で散る花。
「……俺ら以外にも誰かいんのか?」
少女も、猫も応じなかった。
ドレイクは空の皿と花をしばらくぼんやり見下ろしてからスープを一匙すくって口に運んだ。茸のスープに焼きたてのパン。肉の類は一切ない素朴な献立だった。
「草ばっかじゃねえか。肉もねえし……」
匙がぴたりと止まった。
「……うめえ」
ほうけた顔で皿の底をさらいながらつぶやいた。
アッシュもパンをちぎって口に入れた。ハーブの芳しさと小麦の香ばしさ。数百年止まっていた城の料理とは信じがたいほどの温もりが染みていた。
食器の触れ合う音だけが食堂を満たした。時折向かいに目をやった。
少女は食べ物に手をつけなかった。膝の上で両手をそろえたまま、布の奥から食卓の景色をただ静かに目に収めているだけだった。
ルナリスが空の器の上に細長い影を落としている。
* * *
食事を終えた一行は再び猫に案内された。廊下の突き当たり、鉄の装飾を施した分厚い扉。ゼペットの書斎だった。
書架が壁一面を埋め尽くし、数百年を経た書物と魔法器具が陳列されていた。
「ここよ。強い魔力を感じる」
幾何学的な魔法陣で封印された壁面に保管庫が鎮座していた。ふたりは即座に駆け寄った。セレナの目が光った。
「ここにゼペットの遺産があるってこと?」
猫がこくりとうなずいた。
「ありがと!」
しかし保管庫を開けてくれるものと思いきや、猫はただ突っ立っているだけだった。
「もしかして……開け方わかんないの?」
猫は再びうなずいた。ドレイクが後頭部をかきながら前に出た。
「お前がやれよ。どうせ古ぼけた箱だろ。泥棒はお前の十八番じゃねえか」
セレナはドレイクを一度じろりとにらんでから扉の構造を精密に調べ始めた。そうしてセレナとドレイク、猫が解除に没頭する間——
アッシュはひとり離れて書斎の中を歩きまわっていた。少女は部屋に入ってからずっと隅の小さな椅子に座っていた。
ブーツの通った床に足跡が残らなかった。視線が一点をとらえた。
埃がなかった。書物は角をそろえて整頓され、研究用フラスコのガラスは指紋ひとつなく透き通っていた。何より窓際の机には、食卓で見たのと同じガラス瓶にルナリスが一輪挿してあった。
少女の白い手が脳裏をよぎった。食卓の上座に残された空席と、書斎の主なき机。毎日拭かれ、満たされる場所。
机の前に歩み寄った。瓶の脇には、つい先刻まで誰かが読んでいたかのように開かれた分厚い革装の本が置かれていた。
アッシュは本に手を伸ばしかけて止まった。首を巡らせ少女を見た。
「……読んでも?」
背後ではセレナとドレイクが封印解除をめぐって言い争う声が響いていた。
長い沈黙の果てに少女がうなずいた。
アッシュは最初の頁をくった。序盤は退屈を極めた。マナ力学とキメラ配合比率についての無味乾燥な学術記録の羅列だった。
興味もなく頁をめくった。カサッ、カサッ。
やがて、ある一節で指が止まった。端正だった筆跡が震え始める箇所だった。インクはにじみ、文字は紙が毛羽立つほど幾度もなぞり直されていた。
——砕けたのなら、組み直せばいい。生命とて変わりはない。
アッシュは一字一字、文面をたどっていった。薬草を噛んでいた顎の動きが止まる。
数百年の時を越え、嗄れた声が筆跡の向こうから聞こえてくる。




