第27話:我らのすべてを遺す
文明の途絶える地点で世界は口をつぐんだ。着陸したのは荒涼とした丘陵地の平坦な一角だった。秋と冬の境に立つ森が痩せ細った骨格を剥き出しにしたままこちらを睨んでいた。
ハッチを開けた途端、冷たい空気が頬を打った。湿った土と朽ちて沈んだ古木の匂い。風がうなじを引っかいて通り過ぎた。
アッシュはポケットに手を突っ込み、一歩を踏み出した。靴底に押し潰された落ち葉が鳴った。
「ここから北東に半日。座標が示すのはこの森の最深部よ」
セレナは方位石を掌に載せ先頭を歩いた。表面の回路に沿って青白いマナの筋が北東を指していた。
「半日? 歩きでか?」
ドレイクがバックパックの紐を締め直しながらぼやいた。
「馬車が入れる道がないの。そもそも道自体ないっての」
アッシュは最後尾を気だるげに歩きながら薬草をくわえた。ほろ苦い汁が舌先にしみるころ、森が立ちはだかった。
木々は異常なほど高く聳えていた。枝が互いに絡み合い天へ伸びるさまは、死んだ神の肋骨のようだった。
雑木の間をかき分けようとした矢先だった。ひとりの男がぬっと姿を現した。縦横に皺の走る顔。革衣をまとった土地の男だった。
「……あんたら、どこから来たんだ」
先頭を歩いていたセレナが愛想のいい笑みをこしらえて歩み寄った。
「近くを通りかかった旅の者です。道を探してるんですけど、この辺りに城を見かけたことあります?」
「城だと?」
目を細めた。セレナとドレイクを順に眺め、最後に後ろに立つ男の上で視線が止まった。
「ここに城なんぞねえ。一面の森だ。これ以上奥に踏み込みゃ獣だって道に迷う」
「どうしてです?」
「果てがねえからさ。たまに浮かれた馬鹿どもがどこまでも続く花畑があるとか言って入り込むが……戻ってきた奴なんざ片手で足りる」
痩せた枝を撫でる風の音が沈黙を埋めた。
「……ありがとうございます。参考にしますね」
男は関わりたくないとでもいうように踵を返した。霧の中へ消えかけた足が止まった。
「余計な世話だが、下手に足を踏み入れて悔やみなさんなよ」
その一言を最後に完全に気配が消えた。
* * *
三人の足音が森の奥へとのまれていった。深まるほどに森は本性を現した。ねじれた巨木が鳥籠のように空を閉じ込め、昼か夜かの見分けすらつかなかった。
腰まで立ち込めた霧は一歩を踏み出すたびに足首へまとわりついた。幹に寄生する発光苔のみが微かな光を吐き出していた。
「一体どこまで歩きゃいいんだ。つーかなんでこんな臭えんだよ」
「ちょっとは洗いなさいよ。アンタの臭いでしょ」
セレナは振り返りもせず言い放った。紅い瞳が森の闇を鋭く掃いていた。
「森そのものが巨大な結界なの。幻覚を起こして感覚を狂わせるんだけど、アタシがいなかったらずっとぐるぐる回ってたわよ?」
アッシュの視線が幹に向いた。めくれた樹皮の下に色あせた布切れが一枚結ばれていた。誰かが残した焦りのにじむ道標だったが半ば朽ちかけていた。主の痕跡はどこにもなかった。
「なあ」
ドレイクが地面から突き出た根を蹴飛ばしながら口を開いた。
「ゼペットってのは、そんなに大した奴なのか? しょせん数百年前の魔法使いだろ」
セレナが頭を低くして枝をくぐりながら溜息をついた。
「何度説明すりゃ分かるの。一つ極めるだけでも一生がかりなのに、あの男は全部極めたの」
「そんなご立派なお方がなんで急に蒸発したんだよ。借金取りにでも追われたか」
「知るわけないじゃない」
沈黙が降りた。アッシュが薬草を噛み潰す音だけが重い空気を裂いた。
「ただ伝え聞く限りじゃ……ある日突然エレボスから姿を消したって。理由は誰も知らない。本当のとこは本人にしか分かんないわよ」
「とにかく俺らはその偉大なるお方の城をあさりに行くわけだ。……要は泥棒じゃねえか」
セレナが呆れたように振り返った。
「数百年も主がいないのよ。打ち捨てられたものを拾っていくのがなんで泥棒なわけ?」
「泥棒の言い訳っていっつもそれだよな」
小さく舌を打った。言い返す言葉を探す代わりに罪のない方位石を苛立たしげに叩いた。
そのときだった。空気の肌理が変わった。霧が薄れ、甘い風が吹いてきた。
「もうすぐよ」
声が低くなった。ひしめき合っていた巨木が次第にまばらになり、淡い光が漏れはじめた。
森が途切れた。
空が開けた。
そして——花があった。
茫漠と広がる銀白の海だった。地平の際まで野が果てなく続いていた。夜空には痛いほど透き通った天の川が流れ、幾百万の花々はまるで星を地上に注ぎ落としたかのようだった。
月光をはらんだ花弁が青紫に震えていた。星が地に堕ちたのか、花が天へ昇ったのか、見分けもつかぬ現と幻の境。
風が渡った。花の野がうねり、眩暈を誘う香りが押し寄せる。
「……うわ」
ドレイクの間の抜けた声が漏れた。
「ルナリス」
セレナがつぶやいた。ゆっくりと歩を進め膝を折り、一輪の花をそっと指先で撫でた。
「これがルナリスだって? あのクソ高え薬草か?」
「このバカ。ルナリスは薬草じゃなくて花よ。一晩で散っちゃう幻の種。こんな群生は見たことないけど……」
茎を一本手折った。銀の花弁が指の間で微かに震えた。ドレイクが後頭部をかいた。
「だからあんなにクソ高かったのか」
アッシュはふたりの後ろに佇んでいた。視線だけが銀色の海の上を滑っていた。
* * *
一行は花畑のただ中へ向かって歩いた。だが座標の示す地点には何もなかった。見渡す限り花ばかりだった。
「何もねえじゃねえか」
「いいから黙ってて」
折り畳んだ紙を取り出した。座標とともにベルナーの残した一節が記された紙だった。唇が開き、言の葉が呪いとなって夜気に散った。
「陽が眠る場所」
「星が踊る狭間に」
「我らのすべてを遺す」
刹那、音が変わった。花畑のさざめきが止んだ。代わりに硝子のきしむ音が鼓膜を貫いた。正面の風景が薄氷のようにたわみ、ひびが四方へ走った。虚空が砕け散る。
月光の下、壮大な古城の輪郭があらわになった。
初期工学の武骨さとゴシック様式が洗練された調和を成す佇まい。外壁の一部は崩れ落ちていたが、蔦がはい上がって空白を埋めていた。
ドレイクは言葉を失い、セレナは息をのんだまま凍りついていた。
風が再び吹いた。ルナリスが渦を巻いて宙へ舞い上がる。城壁をかすめた花弁は、窓と窓の狭間へ儚く散っていった。




