第21話:レクイエムとアダージョ
「ちくしょう!」
鈍い音とともに蹴られた石が闇の中へ飛んでいった。歳月に押しつぶされた岩盤と土砂が通路を塞いでいた。自ら咽喉を閉ざした形だった。
ドノヴァンが座り込んだ。肩を濡らした血が外套の上へどす黒くにじんでいった。手から剣が滑り落ちた。
「爺さん! どうすんだよ! 非常用の脱出路じゃなかったのかよ!」
ドノヴァンは崩落の構造を検分していたアッシュへ視線を移した。
「ヴァレンタイン卿……方法はございませんか」
アッシュは首を振った。空間を切り裂くことはできるが、余波が洞窟を墓場に変えるのは目に見えていた。その意を悟ったドレイクが息をのんだ。
「爺さん、正気かよ。通路ごと吹っ飛ばす気か」
ドノヴァンは沈痛な面持ちで頭を垂れた。
「であれば……待つほかございません。今頃はこちらの者に知らせが届いておりましょう」
「飢え死にするまで待てってのか」
袖をまくり上げ近くの岩の山へ歩み寄った。ドノヴァンはその背を見つめ、ため息をついた。
騒ぎの中セレナが動いた。虚空に指を広げオーケストラを指揮するかのように優雅に舞わせた。マナの糸が伸び、岩の山を包み込んでいった。
遅れてセレナを振り返ったドレイクが声を荒らげた。
「無駄なことしてねえで手え貸せ!」
セレナは目を閉じたままだった。ドレイクのこめかみに青筋が浮いた。
「おい、聞こえてんのか」
ようやくセレナが目を開けた。苛立ちを隠しもせず吐き捨てた。
「あーもう、集中してんだから口閉じててくんない?」
ドノヴァンの方へ歩いた。
「お爺さん。この道開けたら追加報酬出してくれますよね?」
ドノヴァンがいぶかしげに問い返した。
「何をおっしゃって……」
「タダ働きってわけにはいきませんからね。あ、それと短剣の代金も上乗せしてもらいますよ。たぶん使い物にならなくなるから」
ようやく意図をくみ取ったドノヴァンの瞳に戸惑いと希望が交錯した。床についた手に力を込めた。
「……お約束いたしましょう」
「何企んでんだ!」
セレナは間を置かず塞がれた通路に短剣を向け、目を閉じた。詠唱が始まると低い声が空間を侵した。
「このイカれ女! 俺たちをここに埋める気か!」
短剣の切先に針の穴ほどの一点が結ばれた。周囲の光を貪り食う、矛盾に満ちた黒い太陽だった。
義眼が空回りしスパークを散らした。薬草をかんでいたアッシュの顎が止まった。
セレナの手が抑えようもなく震え始めた。刃が過負荷に耐えかね悲鳴を上げた。表面に亀裂が走り、見る間に広がっていった。
ついに目を開く。完成した混沌を岩盤の中心へためらいなく突き入れる。
「安らかに眠れ」
森羅万象を消し去る光の氾濫だった。
爆発はなかった。岩の山は内側から光に呑まれ、一瞬の閃光へ凝縮されたのち——蒸発した。
カサリ、と手の中の短剣が粉になってこぼれ落ちた。
静寂が流れた。岩の山があった場所には熱気と鼻をつくエーテルの臭いだけが漂っていた。その先、開かれた通路から冷たい風が吹き込んでいた。
「なんと……」
ドノヴァンの口から感嘆が漏れた。つい先刻まで立ち塞がっていた岩盤は跡形もなく消え失せていた。壁面は黒く焼け、鏡のように滑らかだった。
ドレイクは歩み寄り、断面に手を当てた。余熱が皮膚を焼くほどだった。工学的常識が粉々に砕け散った。
アッシュの顎が再び動き出した。
セレナの膝から力が抜けた。蒼白な顔で一瞬よろめいたが、何でもないふうを装って壁にもたれた。そしてドノヴァンに向かってにやりと笑った。
「お爺さん。約束守ってくれますよね。追加報酬と……とびっきり高い、アタシの短剣代」
* * *
最後の一歩を土の地面から朽ちた板張りへ移すと気流が変わった。夜風が運ぶ松の香りが肺に染み渡る。忘れ去られた塔のバルコニーだった。欄干には精緻な星座の文様が刻まれ、足元には宇宙の軌道を模した線が幾重にも絡み合っていた。古の叡智と浪漫が眠る空間だった。
だが眼下に広がる光景は苛烈だった。
数百の松明が揺れていた。獲物を締め上げる巨大な蛇のとぐろのように包囲網を築き息づいていた。月光を浴びた鋼は燐光をひらめかせ、松明を呑み込んだ魔石が濁った光を吐き出した。その海の上に大地を揺るがす共鳴が低く這っていた。
「ああ……」
ドノヴァンはよろめきながら欄干にすがった。アッシュを呼ぶ声に切迫がにじんでいた。
「ヴァレンタイン卿……」
アッシュはドレイクに訊いた。
「どうだ」
義眼の歯車がかみ合い、回転した。視界に赤い点として灼きついた敵の包囲網が解体すべき装置へと再構成された。ゴキリと、首を鳴らした。
「ここなら十分だ」
セレナが背後から訊いた。
「手伝おっか?」
「失せろ」
セレナは肩をすくめた。仕草が終わるより早くアッシュは欄干を蹴り、身を投げた。ドノヴァンの口が開き、セレナの紅い瞳に興味が灯った。
重力に逆らい数十メートルを滑空した。影が包囲網のただ中——兵士の反応が届かない空白へ落ちた。
「なんだ……っ!」
「や、殺れ!」
混乱に陥った兵士が殺到した。
まさにその刹那、塔の上から最初の破裂音が弾けた。ドレイクの銃声だった。夜を引き裂く響きはただアッシュだけに向けた前奏だった。
二発目がとどろいた。弾丸は三時方向、防御膜を張ろうとしていた魔術師の足元に食い込んだ。
アッシュは正面から殺到する敵を無視した。身を翻すと同時に剣を振り抜いた。空間が折り畳まれて開き、斬撃が二発目の着弾点を正確に裂く。
「ぐあっ……!」
魔法陣を編んでいた一団の胸から血が噴いた。完成を見なかった術式がむなしく霧散した。
指揮官は目を疑った。因果の逆転した攻撃に常識が崩れ去った。
再び銃声。座標は七時方向。
剣がそこにある。指揮官の軍旗を掲げていた旗手が首を刎ねられ倒れた。指揮系統が麻痺した。
「隊列を維持しろ! 奴を孤立させろ!」
命令は届かなかった。ドレイクが撃ち込んだ座標の上にアッシュという刃が落ちた。効率よく血管を断ち切っていく解体作業に近かった。
ひとりの兵士の目に恐怖が浮かんだ。目の前の戦友が血を噴いて倒れたが、剣士の姿はなかった。背後から悲鳴が聞こえた。屍だけだった。
天からは神の啓示のように銃声が降り、地では亡霊が首を刈っていく。銃声と殲滅が繰り返されるうちに緻密だった包囲網のそこかしこが歯抜けになった。
死のアダージョだった。
数十の屍の中央にアッシュが剣を垂らしたまま立っていた。塔の上のドレイクは次弾を装填した。
恐怖は瞬く間に伝播した。ひとりの兵が武器を投げ捨て背を向けると、堤が決壊するように戦列そのものが崩れた。
そのときだった。大地を震わす蹄の音が聞こえた。逃走していた敗残兵は新たな絶望に膝を折った。アッシュたちもまた一斉に目を向けた。
闇を突いて現れたのは数百の騎兵だった。旗には純白の地に前脚を振り上げた馬の紋章が鮮やかだ。
白馬騎士団
敗残兵の退路を蚕食していった。悲鳴は短く、抵抗は無意味だった。蹄が骨を踏み砕く音と刃が肉を裂く響きだけが夜を支配した。進撃の陣形、追撃の間合い。すべてが計算された幕引きだった。
やがて騎馬隊は一糸乱れず整列した。先頭に立った騎士が兜を外した。団長のエタン・マルテルだった。屍の野と化した戦場をひと通り見渡すと、馬上から礼を執った。
「ドノヴァン卿、ご無事ですか!」
* * *
塔を降りるとマルテルが近づき、ドノヴァンの安否を確かめた。
「殿下が大層ご心配なさっておりました」
ドノヴァンは安堵の息をつきマルテルの肩をたたいた。そしてアッシュたちへ視線を移した。
「ご紹介いたしましょう。こちらがヴァレンタイン卿です。そして相棒のドレイクさん、こちらはセレナさん」
マルテルの瞳に畏敬が揺れた。一拍の間を置いて口を開いた。
「殿下もお越しです。ヴァレンタイン卿にお目通り願いたいと」
「見物は楽しかったか」
アッシュだった。マルテルの表情がこわばった。何か弁明しかけたとき、ドノヴァンが割って入った。
「マルテル団長、殿下はどちらに……?」
「近隣のクレイン侯爵邸に滞在されております」
「では先に参り状況をご報告ください。私はこちらの方々をお連れして後ほど向かいます」
「承知いたしました」
マルテルは一礼して退いた。土を踏む蹄の音が規則正しく尾を引いた。
やがて四人だけが残った。ドノヴァンが困惑の面持ちでアッシュに向かって口を開いた。
「ヴァレンタイン卿……もしよろしければご同行いただけませんでしょうか。殿下がぜひ卿にお目にかかりたいと仰せでして」
返事はなかった。ドノヴァンに代わり、ドレイクが前に出た。
「俺はタダじゃ動かねえぞ。こうなりゃ乗りかかった船だ。王子サマに財布でもはたいてもらおう」
ドノヴァンもすかさず言い添えた。
「も、もちろんです。報酬は弾みますし、それ以上の謝礼も……」
「セレナさんもご一緒にいかがですか。別途お礼をさせていただきます」
だがセレナは手を横に振った。
「結構です。興味ないんで」
ドノヴァンの脇をすり抜けアッシュの前に立った。意味ありげな笑みとともに見上げた。
「アンタ、噂どおりすごいじゃない。組まない?」
アッシュは眉根をわずかに寄せた。
「何ほざいてやがる!」
ドレイクがふたりの間に割って入った。
「まあ、いいけど」
返事を待たず身を翻した。
「お爺さん、約束した分はヴァレリウス宛てに送ってくださいね」
そして闇の中へ歩き出した。
「じゃ、またね」
声の残響だけが漂った。ドレイクは虚空に向かって悪態をついた。
「またなんてあるか! もう用はねえ、さっさと失せやがれ!」




