第19話:残響の回廊
すべての騒音が断頭台に斬り落とされた。荒れ狂う鼓動だけが鼓膜を打っていた。
息を吸い込むと湿った空気がドノバンの血の匂いと混じり合って押し寄せた。
「くうッ……!」
ドノバンが肩を押さえたまま壁にもたれた。足元で砂利が転がる音が心もとなく響いた。
「ちくしょう!」
ドレイクが壁を殴りつけた。
「爺さん! ヘマして後をつけられやがって!」
「申し訳ございません……公爵の犬に嗅ぎつけられるとは……」
鋭い声がふたりの間を裂いた。
「あーもう、ガンガン叩かないでよ。埃が舞うじゃない!」
セレナだった。ドレイクは気配だけで位置を割り出し、息を荒らげた。
「おいセレナ。灯りくらいつけろよ。できねえのか?」
舌打ちが闇の中から聞こえた。
「うっさいわね。今やろうとしてたとこよ」
指をはじく音。青みを帯びた光球が咲き、宙へ浮かび上がった。光が闇をおしのけると通路があらわになった。
壁は奇怪な継ぎ接ぎだった。歳月に削り取られたルーン文字は後世に重ねられた石組みに断ち切られ、あるいは土壁の下に埋もれている。いくつもの時代を縫い合わせた傷跡のように。
「ここ……ワイン倉庫なのか?」
ドレイクの怒りはいつしか好奇心に変わっていた。セレナが服を払いながらつぶやいた。
「たしかに……妙な造りよね」
手を振ると光球がゆっくりと周囲を巡り、壁面を舐めた。ドノバンが口を開いた。
「もともとこの通路は……王家のものではなかったのです」
ドレイクの眉がぴくりと動き、セレナの目が細くなった。
「はるか昔、王国に滞在していた大魔導士ゼペットが造った私的な通路でございました」
ゼペット。歴史書の中でしか目にしたことのない名だった。
ドノバンは呼吸を整えた。眼差しは光の届かない彼方、深い闇に向いていた。
「王立図書館の時の書斎と……都市の外れにある彼の塔を結ぶ秘密の通路だったのです」
声が途絶えた。血の気を失った唇が何かを噛み締めるように固く閉じられた。
「彼が姿を消した後、王家がこの通路を知り……戦略的な価値を見出しました。ワイン貯蔵庫とつなげて非常時の脱出路に改造したのです」
「脱出路か……」
ドレイクは闇に向かって歩き出した。残りの三人もその後に続いた。
一歩ごとに足元の水たまりが湿った音を立てた。いくつかの角を曲がっても景色は変わらず、ときおり落ちる水滴の音だけが単調に連なっていた。
「くそったれ、終わりはあんのかよ? あとどんだけ歩きゃいいんだ」
声が狭い通路に響いた。
「爺さん、外につながってんのは確かなんだろうな」
「間違いなく塔へ通じておりました。ですが……最後に使ったのが十年前でして……どうなっていることやら……」
壁に寄りかかり、かろうじて答えた。
「運が味方するのを祈るこったな」
どれほど歩いただろうか。壁を覆っていた石組みが姿を消した。空気の質感からして違った。荒い岩盤と魔力が入り混じった冷ややかさ。ゼペットが残した時間が素顔をさらしていた。
一行は過去と現在の境界で足を止めた。
「ゴホッ」
平凡な音だった。だが一拍遅れて反響となって返ってきた。
「……!」
ドレイクがリボルバーを抜き、闇に向けて構えた。義眼がうなりを上げ、焦点を絞ろうとしたが、捉えられる実体は何もなかった。
「みっともなっ」
セレナの嘲りが背後から飛んできた。ドレイクが振り返り、低く唸った。
「今なんつった」
セレナはあきれた顔で壁面を見つめていた。
「はあ。だから……アンタが出した音だって」
「は?」
「これだから筋肉馬鹿は……」
つぶやくと説明を続けた。
「ゼペットが記憶のルーンを刻んだの。音や感情を吸い込んで、魔力を感知すると吐き出すやつ」
言い終わるや否や四方から囁きが湧き始めた。つい先ほど交わした会話、足音、飲み込んだ唾の音まで。幽霊が真似をしながらついてきていた。
ドレイクが顔をしかめドノバンを振り返った。
「爺さん。ここで何があったんだ」
ドノバンは目を閉じた。ドレイクは舌打ちしたが問い詰めはしなかった。
ほかの者たちが残響に意識を向けている間、アッシュはその向こうにあるものを感じ取っていた。
馴染みのある匂いだった。濃い香水と血が入り混じった、粘つく薫り。屈しなかった荒い息。
炎に向かって自ら身を投じる蛾の瞳だ。
「アンタさえ黙ってりゃ静かになるわ」
セレナが低く言った。声は通路の残響だけでなく頭の中を揺さぶっていた雑音までも断ち切った。
一行は口を閉ざした。奇怪な囁きも次第に収まっていった。
ふとアッシュの視線が一点で止まった。幾何学的に美しいゼペットの文字列。
目立たない下のほうに、場違いで拙い落書きがあった。誰かが石で引っ掻いたような、いびつな古代語の名前だった。
その文字の上にだけ苔が生えていない。
「ほらね」
セレナの声が物思いを破った。ドレイクとドノバンが先に歩き出した。
アッシュはしばし見つめてから、一行の後を追った。




