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灰と影の歌  作者: Fugato
第一章:フェルマータ
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第15話:最後の夕焼けと一番星の間

「……方法は?」

 灰色の雪が舞い散るなかテリオンがかすれた声で問うた。目は脈動する黒い山脈から離れない。

「方法を聞いているだろうが、この外道が!」

 アッシュは答える代わりに剣を握り直した。蒼い瞳には、怪物の中枢で揺らめく赤い光が燃えていた。

「ない。砕く以外は」

「砕くって、何を」

「あの中の竜の涙」

「だからあれを……どうやって……!」

 言い終わらぬうちに轟音が地を揺らした。

「伏せろ!」

 ドレイクは身を投げ出して二人を突き飛ばした。数百の棘が頭上を薙ぎ払った。石造りのアーチが蒸発し、押し寄せた熱風が残骸をまき散らした。

 土埃を吐き出して唸った。

「てめえら死にてえのか!」

 義眼が分析結果を視界の隅に投射する。

【生存確率なし】

 怪物が慟哭し、全身から棘の豪雨を降らせた。天も地も、あらゆる方向から襲い来る破滅だった。

 混沌の中で最初に動いたのはテリオンだった。裂けた祭服をひるがえし、前に踏み込んだ。

 純白の魔力が槍に凝縮した。手を離れた光は弧を描き、怪物の核へ突き進んだ。だが届く寸前、触手が撓って襲いかか、光の槍を鷲掴みにした。

「なっ……!」

 光がインクのように黒く染まった。神聖力はねじれ、すべてを腐食させる槍に変質した。

 怪物は汚染した力を撃ち返した。テリオンはかろうじて躱すも、破片のひとつが脇腹を掠めた。

「ぐあっ!」

 傷口から血の代わりに黒い煙が立ちのぼった。肉の焦げる臭いが鼻を衝いた。

「無理だ。その程度じゃ」

 アッシュが身を起こしながら言った。

「ドレイク。時間を稼いでくれ」

「そいつが要るってわけか」

 ドレイクは折れた腕の痛みを呑み込み、懐の小箱を手探りした。脇腹の苦痛に耐えながら、テリオンは二人を見比べた。

「……何をするつもりですか」

「お前の姉を、ちょっと止めとこうと思ってな」

「止める……? 何を言って……」

 ふたたび棘の伸びる音がした。怪物の輪郭の上に、姉の幻影が重なった。

 アッシュをにらんだ。ややあって長い息が漏れた。

「……いいでしょう。何を企んでいるのかは知りませんが、先に引きつけてみましょう」

 掌に光を集め、片膝を立てた。残されたのはそれぞれの役割、それぞれの死に向かって踏み出すこと、それだけだった。


 * * *


 テリオンが両手に神聖力を灯し、怪物へ向かって突進した。

 ドレイクは懐から小箱を取り出した。指先の動きは周囲の混沌とは対照的に沈着で精密だった。魔弾が炎を照り返し、冷たく光った。

 知っていた。故郷アイゼンガルドで当代最高のマイスターがチームを組み、昼夜を問わず丸一年を捧げてようやく生み出せる代物だということを。

「ぐああああっ!」

 テリオンが触手の一撃に、糸の切れた人形のように吹き飛ばされた。

「……ったく、今考えることかよ、俺は」

 ガチャリ、魔弾を薬室に押し込んだ。片腕で危うげにリボルバーを持ち上げ、テリオンが切りひらいたわずかな隙に、怪物の基底部を執念深く狙い定めた。

 アッシュは静かに見つめていた。脳裏に先日の残像がよぎった。消えかけの焚き火の前で、淡々と浮かべていた微笑み。

「ドレイク!」

「……くそったれ。一発で領地が買える値段なんだぞ」

 引き金を引いた。銃口から冷気がほとばしった。魔弾の突き立った箇所から、白い霜が広がっていった。

 怪物の動きが止まった。だが身をよじると凍りついた表面にひびが走り始めた。

「駄目だ……!」

 テリオンは魔力を振り絞り、光の鎖を紡ぎ出した。砕け始める氷の上に這わせ、あと一秒でもつなぎとめようと必死にもがいた。

「今だ!!!」

 絶叫が戦場を両断した。

 アッシュは剣を握り直し、切っ先を天に立てた。そこへ光とマナがひとつの点となって吸い込まれ始めた。足元が凝縮する魔力圧に耐えきれず蜘蛛の巣状にひび割れた。

 唇から過去の言葉がこぼれ落ちた。


「永遠の光(ルクス・アエテルナ)」


 凝縮が極まった刹那、地を蹴り数十メートルの上空へ舞い上がった。頂に達し、光そのものになった。そして流星と化して垂直に降下した。

 氷と光の鎖に縛られた怪物を、天辺から裾まで、たったひとつの線で断ち割った。

 穿つ閃光。黒い山脈のただ中に、細い軌跡が刻まれた。はじめは糸ほどのひびだったものがメキッと音を立てて裂け広がった。

 怪物は硝子のように砕け、粉となって宙に散った。

 世界が再び色を取り戻した。

 そこには深い眠りについたエリアーナの本来の姿だけが残されていた。

 アッシュは降下の勢いを殺しながら、落ちてくる体をそっと受け止めた。


 * * *


 灰と塵が沈んだとき、風だけが主を失った広場をさまよっていた。

 アッシュは建物の瓦礫に背を預け、エリアーナを見下ろした。肌はすでに生気を失い、指先から崩れはじめていた。

 手が胸元へ向かった。掌から滲み出た光がエリアーナの体に流れ込んだ。

 マナ回路が悲鳴を上げる。顔は蒼白のまま凍りつき、こめかみの血管が細かく震えた。必死の温もりに呼ばれたのだろうか。エリアーナの意識が焔(ほむら)のようにひととき灯った。

 意識のふちにひとりの男の顔が映り込んだ。視界のすべてが溶け落ち、苦悶に歪んだ輪郭だけが鮮明だった。


 なぜこの人は苦しんでいるのだろう。

 この無意味な手の動きで、何を取り戻そうというのだろう。

 蒼い瞳の奥で燃えているものはいったい、何なのだろう。


 ……そういえばこの人について知っていることは何一つなかった。


 指先から灰となって散る感覚がいっそう速く全身に広がっていった。かすんでゆく視線が見下ろす蒼い瞳に止まった。そこに古い傷痕(きおく)を見た。

「ここに……私がいたのですね」

 血の気を失った唇に浮かんだ、やさしい微笑みだった。

 ゆっくりと手が上がった。感覚のうすれた、自分のものとは思えない手だった。

 最後の意志を絞り出して頬をなでた。そして、そっと引き寄せた。抗うことなく導かれた額に、冷たい唇がかすかに触れた。

 その刹那、目尻を伝った涙のひと雫がぽとり、と落ちる。

 それが合図だった。

 唇から光が生まれ、きゃしゃな体を伝って滲んでいった。アッシュの指の間から肩が砂のようにこぼれ落ち、頬を掠める顔は最後のぬくもりを宿したまま散っていった。そうして遂に自由を得た無数の粒子が、やわらかく舞い上がって空の果てに届いた。


 西の空には最後の茜が……

 東の空には一番星が……


 その狭間を、彼女の遺した傷が声もなく流れている。

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