第4話:その「常識」は、ここでは通用しない
三度目の正直で意識を取り戻した小鳥さんを待っていたのは、湯気の立つ白いご飯と、出汁の香りが鼻をくすぐる味噌汁、そして深夜の「……すまん、旦那が驚かせて」という心底申し訳なさそうな顔だった。
居間のちゃぶ台を囲む、奇妙な三者面談。
深夜は自作の肉じゃがを小鳥さんに勧め、魔王は深夜に「威圧感を出すな」ときつく叱られたため、壁際で必死に気配を消して(それでも漆黒のオーラが漏れている)正座している。
「……あの、深夜さん。少し落ち着きました。……単刀直入に言いますね」
小鳥さんは震える手で箸を置き、身を乗り出した。眼鏡の奥の瞳は、コンサルタントとしての使命感で燃えている。
「あそこの入り口、何なんですか!? 銀粉が練り込まれた壁に、国家級災害指定のミノタウロスが資材を運んでるなんて……。あんなの、維持費だけで一日数百万は飛ぶでしょう!?」
「えっ……? いや、銀粉はノームたちが『余ってるから』って撒いただけですし、ミノタウロスたちは旦那(魔王)の連れで、飯さえ食わせればタダでいいって……」
「ブラック企業を通り越して魔界ですよそこは!!」
小鳥さんの絶叫が古民家に響き、魔王が「ひっ」と肩を揺らす。
「いいですか!? 世間一般の『優良ダンジョン』がどういうものか、教えてあげます! 私が手がけている最高傑作『鉱夫達の晩餐歌』を例に出しましょう」
小鳥さんはタブレットを取り出し、誇らしげに、しかし必死に語り始めた。
「そこは、大昔に石炭掘削で放置された坑道を利用した全3層のダンジョンです。安全な手すりがあり、照明も完備。入場料は一人たったの1,500円! 5人パーティなら5,000円で入れる、夢のアミューズメント施設なんですよ!」
「……1,500円?」
深夜は思わず聞き返した。
「安くないですか? ラーメン一杯と変わらないじゃないか。そんな額で、どうやって防衛機構や魔物の食費を賄うんです……?」
「それが普通なんです! ボスにはね、あの『ボブゴブリン』を配置しているんです。新人の冒険者たちが、みんなで協力して、汗を流して、ようやく倒せるかどうかという絶妙な強敵……! 倒せば、運が良ければ宝箱から本物のダイヤモンドが出ることもある。みんな、その一攫千金を夢見て、笑顔で帰っていくんです!」
「…………」
深夜は沈黙した。
脳内を駆け巡るのは、かつて「ナハト」で駆け抜けた地獄の数々だ。
(……ボブゴブリン? あの、筋肉質なジャガイモみたいな顔の……? あれって、新人の登竜門どころか、工事現場のミノタウロスたちが『つまみ』として、そこら辺で捕まえて丸焼きにしてるやつじゃないか? それが……ボス?)
さらに、深夜の困惑は「ダイヤモンド」でピークに達した。
(……ダイヤモンド? ノームたちが『これ、光ってて邪魔だな』って、滑り止めのために砂利として床に叩き込んでたあの石のことか……?)
「小鳥さん……。つまり、今の冒険者は……その、ボブゴブリンに苦戦するんですか?」
「当たり前でしょう! C級パーティでも三割は全滅する難敵ですよ!? それなのに、あなたのところは入り口にミノタウロス……。あんなの、プロの最前線が国軍と一緒に来るレベルですよ!」
小鳥さんは涙目で、深夜が作った肉じゃがをヤケ食いするように口に運んだ。
「……旦那。お前、ボブゴブリンって知ってるか?」
深夜が壁際の魔王に、確認のために尋ねる。
「む? ……ああ、あの、かつて我の城の庭を掃除していた、知能の低い矮小な種族か。……あれが『ボス』……? パートナーよ、冗談が過ぎるぞ。あれは……そうだな、赤ん坊の拳を避ける訓練にすらならん」
「……この魔王も、基準がぶっ壊れてるぅ……!!」
小鳥さんは再び泡を吹きそうになりながら、深夜に向かって指を突きつけた。
「いいですか、深夜さん! あなたが作っているのはダンジョンじゃない、『世界の終わり』です! もし今日、誰かが間違ってあそこに入ったら、死ぬどころか存在が消滅しますよ!」
「…………」
深夜は、自室に飾られた「ナハト」の昔の集合写真をそっと伏せた。
彼はナハトを基準にしていた。ナハトなら、ボブゴブリンなど歩きながら鼻歌で殲滅する。
だからこそ、彼は「せめてナハトが遊びに来た時に、退屈させないように」と、最低限の「おもてなし」を用意したつもりだった。
だが、それは一般社会から見れば、「子供の砂場遊びに、戦略核兵器を持ち込んだ」ような暴挙だったのだ。
「小鳥さん……わかりました。……俺の感覚が、あまりに世間とズレていた。……勉強させてください。その『晩餐歌』というダンジョンを。……俺が、どれほど異常なものを作ってしまったのか、この目で確かめたい」
深夜は深く、深く、畳に頭を下げた。
【各話オマケ:ナハトの冒険録 ―ヒーローの幻影―】
都から遥か彼方。人が立ち入ることすら禁じられた「天然の地獄」――SSS級未踏域『神喰らいの虚界』。
ナハトの面々は、周囲の風景を塵に変えるほどの激戦の末、名もなき古の神の化身を討ち取っていた。
「……ふぅ。……ここにも、いなかったね」
真昼が、天を突くほどの光の柱を消し、額の汗を拭う。
彼女たちの装備は、もはや一国を買えるほどの魔力を宿している。だが、彼女たちの表情には勝利の喜びなど微塵もない。
「深夜さん……。どうして。……こんな、世界が壊れるような場所にさえ、あなたの足跡がないなんて」
宵闇が、自分の双剣を見つめて呟く。
「……私たち、強くなりすぎちゃったのかな。……強くなって、深夜さんの見ていた世界に近づけば、すぐに見つけられると思ってたのに。……近づけば近づくほど、あの人の背中が遠くなる」
彼女たちは、深夜が「静かに暮らしたい」と言った言葉を、「自分たちが未熟だから、あえて突き放して、自分はさらに高みへ行った」のだと信じて疑わなかった。
「……もっと。もっと難しい場所を探そう。……深夜さんなら、こんな『生ぬるい』場所にはいないはずよ」
彼女たちが「生ぬるい」と切り捨てた神の祭壇を後に、最強の追跡者たちは、今日も深夜の影を追って「さらなる地獄」へと潜っていく。
その頃、深夜は。
「1,500円かぁ……。ボブゴブリン、今度旦那に一匹捕まえてきてもらって、強さを計らせてもらおう」
と、「世界最強の物差し」で平和な日常を測ろうとしていた。




